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あさと

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「ねぇ、エッチしたの?」
 唐突な質問に反射的に顔を上げてしまう。上目遣いのその瞳はこちらの様子をよく伺っている。まるで一瞬の動きも逃さないように。
「してないわけないか、隼人なんてすぐ手出すもんね。寧ろ付き合うよりそっちが先でしょ」
 嘘をつこうとか言い訳をしようとかではなく、なんて答えていいのかわからなかった。
 確かに行為はあった。けれどもあんなもの、あんな無理矢理なもの、あったと言うには躊躇してしまう。けれども先日のはどうだろうか。しかしそれを話すことは浅人をさらに傷つけてしまうことだ。
「ねぇ、聞こえてる?  ねぇ!」
「聞こえて、いる」
「じゃあ答えてよ」
「それは……」
「どうせすぐしたんでしょ!  わかってるからいいよ」
 不機嫌そうな声を出し、ふいっと顔を逸らしてまだ手に残っていた芋羊羹を全て口に押し込み咀嚼している。そんな彼をぼんやり見つめながら首を横に振った。
「すぐに、しなかったんだ。抱いてもらいたかったのに駄目だった」
 浅人は動きを止め、ごくんと口に残っていた芋羊羹を飲み込んだ。
「何それ、どういうこと」
「他の女は抱いていたのに俺には何も……」
 当時のことを思い返し辛くなった。あの時きちんと身体を重ねられたらずっと幸せでいられたかもしれないのに。こんな雁字搦めになることもなかったのに。無意識に右の手首を握りしめた。
 しかし浅人はそんな俺を見てふんと鼻で笑った。なぜと目を向ければこちらをきつく睨んできて。
「大事にされてたっていう自慢?  玲児もそういうことするんだね」
「大事にされていた……?」
「何その顔。そんなこと思いもしなかった?  馬鹿だね玲児はさ」
 もっともっと隼人に近づきたい、もっともっと隼人と深く触れ合いたい。
 ずっとそんなことばかり考えていた。
 それなのにあと少しというところまでは与える癖に、結局求めていたものを満たしてくれず、他へは与えていることが悔しくて悲しくて寂しくて独りで思い悩むしかなかった。
 大事にされていた。そうなのだろうか。でもあの時の様子はそんなものではなかった。苦しそうで脅えていて。俺から逃げていってしまった。
「いや、違う。大事にされていたわけではない」
「なんでそう思うの……って、まぁいいか。いいよそう思うならそれで。僕が言いに来たのはそんなことじゃないもの」
 浅人は立ち上がるとベットに手を付きギシと体重をかけた。顔が近づき小首を傾げて微笑んだかと思うと、唇を耳元へ寄せてくる。そうしてふぅっと耳に息を吹きかけこちらが驚くとくすくすと笑うのだ。兄の和人さんを彷彿とさせる様は普段の彼とは遠くかけ離れていて怖かった。
「こんなこと言うの悔しいんだけどさ。隼人は玲児に未練たらたらだから隼人のことはそっとしておいてよ」
 囁く声が耳をくすぐり目を瞑ると、また息が吹きかけられる。小さな悲鳴のような声を漏らしてしまうと、今度は耳元で舌打ちが響いた。
「隼人の前ではいつもそんな感じなの?  変なの。似合わないよ」
「やめてくれ……」
「酷いよ。僕の前ではいつもカッコいい玲児だったのに。玲児の嘘つき」
 浅人の肩に手を置き押し返すが、彼はベットに乗り上げ俺の足の上に跨いで座った。背中に手を回され、そのまま何度も耳やその周辺に口付けられる。くすぐったさに身を捩るが、ぎゅうっと抱き寄せられあまり意味がない。
「いやだ、やめてくれ」
「さっき消した録音データの声を聞いた時だって信じられなかった。まさか玲児が、て。でも本当なんだね」
「すまない……」
「もっとしたら僕が隼人に抱かれてる時みたいな声も出すんでしょ?  なんか凄いやだ。そんなの知らなかった」
 苛立ってやや早口に囁かれる声はだんだんと憂いの色も含ませていった。背中へ回された手に力が入り、肩口に顔を埋められる。
 寂しそうなその姿に今されていることも厭わずに思わず抱き返した。悪いのは浅人ではない。
「好きな人がいたことすら知らなかったな。それが恋人までいたなんて。もしかして話したら軽蔑すると思った?」
「いや、わからない」
「苦しんでたことは知ってたけどね」
 あの録音データの日付を見たのならばその数ヶ月後に足を壊していることにも気付いただろう。
 俺はなにも話せなかった。浅人は何も聞かなかった。俺が勉強を教えるという名目だったが、すべて失ってしまった自分を側で支えてくれていた。それなのに彼にすべて悟らせるまで何も話せなかった。
「もう隼人のことはいいでしょ」
 突っ伏したまま話す声は少しくぐもっていて、感情が読み取りづらい。震えているような気もする。
「隼人から離れてくれればそれでいいよ。僕と友達でいよう。別れちゃった隼人のそばにいるより、僕と一緒にいればいいじゃない」
 上げたその顔は、その目は、潤んでいて青い瞳が揺れて溺れているようだった。しかし涙を零さず浅人はニッコリと笑った。笑ってから目を伏せ今度は目線を合わせて、ぽんっと肩に手を置くとベットから離れた。
「玲児、熱高いね。もう帰るよ」
 背中を向けて床に置いたリュックサックを持ち上げ背負うと、そのまま顔を向けずに部屋から出ていこうとした。
 俺の答えを聞こうとせず、逃げるように。
 浅人の言うことを受け入れられればそれでもいい。でもそんなことできない。彼に対しては最低な結果だ。それでももう俺は道を選んでしまっている。
 浅人は大事な友達だった。
 だからもう嘘をつきたくない。
「待ってくれ!!」
 大きな声を出したら少し声が掠れてしまった。こちらにゆっくり頭だけ浅人が振り返るのと同時に唾を飲み込む。
 彼は眉を顰め、大きな目をさらに見開いてこちらを見ている。その手はもうドアノブにかかっており、少し間があけばすぐにでも出ていってしまいそうだった。
 その顔を見ていると言葉が出てこない。
 出てこないけれど。
「俺は隼人が好きだ」
 俯きたくて目を逸らしたくて堪らなかったが、まっすぐ彼の目を見るよう努めた。浅人も目を逸らさず、ただ悲しそうにこちらを見ていた。
 シーツを握る手に力を入れるとまたズキンと頭に響く。
「隼人からいくら離れようと思っても駄目だったのだ。だからもう離れないと決めた」
 俺は隼人と一緒になる。
 今はあいつが俺から離れているが、絶対にそんなこと許さない。そう決めたのだ。
「浅人、すまない」
 頭を下げると、また頭痛がして目眩を感じた。また熱が上がっているのかもしれない。でも今は倒れるわけには行かない。浅人と向き合わなければいけない。
 彼がなんて答えるかなんて想像もできなかったが、頭を下げたまま言葉を待った。なんと言われてもいい。なんと言われても受け止める。
 けれども降ってきた言葉は悲しいものだった。
「玲児は僕より隼人を選ぶんだね」
 顔を上げると、浅人は笑った。
「隼人は僕のこと選ぶのかな」
 彼は再び体ごとこちらに向き直るとベットに歩み寄ってきた。
 懸命に目を離さぬようにしているが視界が歪む。せめて誠意をもって話し、自分の気持ちを真っ向から伝えたいのに身体がもう耐えられないと言っている。貧相なこの身体は浅人が歩みを止めるよりも先に横向きに倒れ込んでしまった。肩が熱い。
 起き上がらなければ。
 うっすら目を開けるが、ぼんやりと明かりやシルエットがうつるくらいでなにもわからない。
 そうしていると浅人のものらしき手が肩を掴み、俺の身体を仰向けになるよう押し倒した。頬を撫でられているのが感覚でわかる。
「隼人のことが大好きなんだね」
 優しい声だった。頬を撫で、首筋を伝っていく指も優しい。
「なんで玲児なんだよって思ったけど、玲児だからなんだよね。隼人が大事にするのわかっちゃうから困る」
 遠く遠くに声が聞こえる。声はするが何を言われているのかイマイチわからず、ただ指の感触だけが肌を滑っていく。来ていた寝巻きのシャツのボタンが外されている。汗をかいていて気持ちが悪い。ボタンをいくつか外した手のひらはシャツの中へと入り、肌を撫で回した。なんだか手が冷たく感じるのは俺の体温が高いからか。どこを触られても皮膚が驚き強ばる。
「僕だって玲児が大好きだよ。隼人だって大好きだよ。なのにどうして僕だけのけ者なのさ。選んでもらえないのさ」
 朦朧としている中、鋭い感覚が背筋を走った。あ、あ、と声が漏れている。自分の置かれている状況がよくわからない。意識を手繰り寄せることができない。
「二人とも僕のものがいい」
 熱に浮かされて何をされているのかよくわからないがそわそわとした感覚が身体から離れない。胸元が熱くて気持ちいい。気持ちいいまま意識を手放してしまう。
 どうしよう。だめだ絶対。
「本当に似合わないよ玲児。いつも凛々しい顔してるくせにだらしない顔しちゃって」
「あっ……あぁ、あぁ……」
「玲児大好き。隼人も大好き。僕を置いていかないでよ。二人でどこか行かないでよ。寂しいよ玲児。ねぇ玲児……」

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