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闇夜の錦

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 昼休みを待って友人と連れ立ち廊下に出てきた浅人を掴まえた。
 二の腕を掴んで引っ張っていっても特に抵抗は見せず友人に声をかけるだけの浅人を、例の屋上へ繋がる階段まで連れて行く。しかしつい二ヶ月前までよく見ていた快活な笑顔など嘘のように、片側の口角を上げ視線を落とし陰のある顔をして笑う。
「何? ここって生徒会長さんとえっちしてたとこじゃん。慰めて欲しいの?」
 ありえない発言に一気に沸点まで血が上り、ブレザーの下に着込まれたパーカーの胸ぐらを掴む。
 教室に入ってからずっと、ずっと堪えていた。少しは落ち込んでいるものかと思えば、普通に授業を受け、普通にクラスメイトと話し、普段通りに過ごす姿を見ていて理解の範疇を超えていると思っていた。
 こいつの考えていることが全く分からない。
「お前、玲児のことは当然知ってるだろ?!  なんでそんな発言ができるんだ! ふざけんなよ!」
 胸ぐらを掴む手に力が入りその体は持ち上げられ、つま先立ちになっている。しかし浅人は少し眉間に皺を寄せ苦しそうにするものの、俺から目を離さない。思春期の女みたいにギラついた大きな瞳をして睨み返してきやがる。
「隼人こそ今更なに?こんなとこ連れ込まれたら何されるかと思うに決まってるでしょ。僕が何されたか忘れたの? 隼人だってここで何人とヤッたのさ?」
「ふざけんな! それ以上言ったらマジでぶん殴る」
「何をそんなに怒ってるの? 自分のせいで玲児が自殺未遂したから? 無節操に誰とでもヤリまくってさ、そのくせ玲児のことは縛り付けてバッカじゃない」
 こんな状況に怖気付くこともなく勝気に捲し立ててくる姿に、こいつが一番の元凶だと思いながらも言われたことを否定しきれない自分に、その全てに腹が立って、その可愛らしい顔を憎たらしく歪めた頬に拳を振り上げた。
 軽い体が吹っ飛んでいき、扉に背中を打ち付けそのままガシンと派手な音と共にずり落ちていく。
「ふざけんな……」
 すぐに赤く腫れ始めた左頬を手で押え、扉に寄りかかって座ったまま見上げてくる。
「ふざけんなよ! お前のせいだろ?!  お前だけは本気で許せない。玲児に手出しやがって……俺がずっと、ずっと大切にしてきたのに、よくも……!」
 ずっとずっと、最初からずっと、玲児は俺のものだ。出会った順番なんか関係ない、俺が見つけたんだ。
 教室の隅で窓の外を見ていたんだ。俺を見て、静かに頬を染めたんだ。
 近づいてはこないくせに、いつも仏頂面をしているくせに、物欲しそうに熱い視線を送ってくる姿が可愛くて。
 遠慮がちに戸惑いながら甘えてくれるのが嬉しくて。お互い初めての感情に振り回されながら想いあって触れ合った。無垢な反応が一々愛しくて。唯一抱けないほどに大事だった。関係がこじれたって捻れた愛情をぶつけられたって離れてしまったって。
 ずっとずっと玲児のことだけは大切にしてきたのに。
 こいつが、玲児を汚した。
 汚して、追いつめた。
 許せない、こいつだけは許せない。
 玲児が目を覚ましたってもう俺しか知らない玲児じゃない。もう二度と俺が大事にしてきた玲児は戻ってこない。それが悔しくて悔しくてたまらない。
 いっそこのまま玲児が眠っていればもう誰の手にも触れられないのに。汚れたことなんか思考する必要のない安全なところで眠っていればいい。
 は?
 違う。
 違う、何を考えているんだよ。
 違う。
 玲児があんなに傷ついたのはこいつのせいだから、こんなことになったから、俺は怒りを感じているんだ。
 だから、俺は。
 ダメだ。俺自体がまともな状態じゃない。混乱する、考えがまとまらない……いやこれが俺の本音なのだろうか。
 玲児が傷ついたことよりも何よりも俺が許せないことは。
 違う違う違う!
「もしかして玲児、話しちゃったの? 二人だけの秘密だって言ったのに」
 顔を伏せ髪をかきあげ頭をおさえる。胃から全身の毛穴から悪寒のようなゾッと薄気味悪い感覚が込み上げる。
 浅人はその場で胡座をかいて座り、肩が落ちるほど大きなため息をついた。背を丸めて床に視線をやりながら後頭部をさする。
「それでそんなに怒ってるんだ。でも玲児が死ぬほど嫌がってたなんて思えないよ?」
 また気持ち悪くなってきた。息を吐いてそれを逃しながら声を出す。
「意味のわからないこと言ってんじゃねぇよ。そんなわけないだろ……?」
 何故そんなことを言うのかと言い聞かせるように話すが、浅人はふっと笑うだけだ。
「玲児、本当に可愛かったよ。途中からゴムなくなっちゃって中に出しちゃったら、きもちいい、いやだなんでって泣いちゃって……もう止まらないよね。きもちいいのやだってたくさん言ってたよ」
「やめろ、そんな話すんな」
 その後、懸命に中からそれを掻き出そうとした玲児を思って下唇を噛んだ。
 そして気持ちいいと声に出して浅人に聞かせていたのかとショックだった。話を聞いた時、丁寧に抱かれ快感を得た事に余計に傷ついた様子だった。俺は苦痛の表情のほうが印象に残っているほどだが、浅人が見た玲児の顔はきっとまた違ったものなのだろう。握った拳に力が入る。
「隼人に抱かれた時にできたって手首の痣ずっと握ってたな。首絞めた痕まであったよ? これじゃあ玲児のことレイプしたのは隼人のほうじゃないか」
「黙れよ」
 静かに歩み寄り、浅人の前にしゃがんでその首を掴む。その顔を睨みつけるが、こちらを見ているのに浅人の目からはなんの手応えも感じない。
 二ヶ月ほど前には俺に必死で愛想を振りまいていたというのに。
 こいつの事はどう考えたって許せない、ぶん殴ってやろうと思って会いに来たが、それと同じくらい聞きたいことがたくさんある。
「お前どうしたんだよ。俺への当てつけでこんなことしたのか」
 ずっと皮肉な笑い方をしていた浅人からすっと表情が消える。そして首を掴む俺の手を剥がし、首を横に振った。
「二人とも……僕のことなんかなんとも思ってないんだもん」
 表情のないまま両手を伸ばし、俺の首を抱く。振りほどこうとするが、ぎゅうっとしがみつき、離さない。細い金色の髪が頬をくすぐり久しぶりに嗅いだシャンプーの匂いがした。
「玲児も隼人も僕のことなんてどうだっていいんだ。ひどいよ。三人で一緒にいたじゃないか。僕も二人の中にいたいよ、ねぇ……」
 耳元で甘い声が響く。
「そもそも誰のせいで玲児はこんなことになっちゃったの? 隼人だって僕に同じようなことしたでしょ」
「お前は、嫌がらなかっただろ……」
 俺がどんなに恋人にはならないと言っても退かなかったのはお前だとつきつけてやりたいが、そもそも浅人を抱いたのは俺だというのは確かなことだ。
 今まで誰と関係を持っても同意の上でというのを前提で人を選んできたが、その日誰を抱こうかどう気分を紛らわそうかに必死で、同意した先のことまで考えていなかった。和人さんのように遊べる相手以外には、恋人になる気はないという理由でとにかく突き放し傷つけていたように思う。
 こいつは俺のやったことが玲児に返ってきたのだとでも言いたいのか。
「選ばれない僕はせめて、二人の消えない傷になってやろうって思ったんだ。ねぇ、でもさっきの様子だと隼人はこれからも変わらずに玲児を愛することができるの?」
 首に巻かれていた腕の力がゆるめられ、浅人の顔が目の前にくる。長くカールした派手なまつ毛が、薄暗いこの場所でも白く透けて見える。その様子に気をとられていたら、目を細めて瞼を下ろさずに唇を重ねられた。寒気がしてその肩幅の狭い華奢な身体を突き飛ばし、急いで立ち上がり距離をとる。
「隼人は僕とエッチした玲児も愛せるの? 童貞は捨てちゃったけど、僕ならまだ隼人しか知らないよ? この間の育てのお母さん? の話も聞いてあげようか」
「やめろ、近づくな。お前どうかしてる」
 後ずさりする俺に、浅人は腰を落としたまま腕だけで這いずって近寄り、俺の手を取る。それも叩くように払うが、浅人は首を傾げてこちらを見上げるだけだ。さっき殴った頬が酷い腫れ方をし始めており、輪郭が歪んでいる。
「隼人だって大概でしょ。ねぇ玲児のことはいらなくなっちゃった? それなら僕にちょうだい?」
「お前……自分が何言ってるかわかってるのか?」
「わかってるよ」
 俯いて肩を震わす姿は笑っているのか泣いているのかわからなかった。下を向いたままゆらりと立ち上がり、少し距離のあった壁に自分の身を投げるように寄りかかる。
 顔を上げてもその顔が泣いているのか笑っているのかわからなかった。
「玲児……僕のことなんて何も知ろうとしなかった玲児。僕より隼人を選んだ玲児。それでも玲児は僕のしたことで命を投げ出そうとまで思うほど深く傷ついて、僕でいっぱいになったんでしょ。大成功じゃん!」
 くつくつと低く笑う声がだんだんと声量を増して高笑いになっていく。
 俺はもう我慢ならず、気がつけばもう一度胸ぐらを掴んで浅人を殴りつけていた。考える余裕もなく同じ頬を殴ってしまい、既に腫れていた唇が盛大に切れて血が流れた。
 浅人は今度は倒れることはなく、両脚をしっかり地につけて持ちこたえる。そうして、ははっと笑いながら手のひらに折れた奥歯を吐き出した。
「痛いな。なにこれ、ははっ、めっちゃ痛い。はぁ、酷いな、ほんと。酷いよ……」
 それを見つめながら、浅人は肩を震わせ、何度も鼻を啜った。歯を食いしばり、苦悶の表情を見せる。
「お前、マジで最低だ。もう俺たちに関わるな」
「関わらないつもりだったさ……僕が別れれば二人が結ばれるんだろうと思ってたさ。置いてきぼりでムカついて最後にあんなことをしてしまったけど、二人が学校で仲良さそうにしているのを見て安心していたんだよ。それなのに……」
 折れた歯を握りしめる拳が、落とした肩がガタガタと震えている。そして歯を握った拳でグイッと乱暴に瞼を擦る。
 浅人はゆっくり膝を、その次に両手を床につき、最後に頭を垂らして額まで床に擦り付けた。
「ごめんなさい」
 涙声の謝罪を聞いても少しも気分は晴れなかった。こいつの情緒もめちゃくちゃじゃねぇか。
 そんな惨めな姿を見たかったわけじゃないのだと思い、俺は浅人に背中を向けた。
「隼人のことも、玲児のことも、大好きだよ……まさかこんなことになるなんて。ごめんなさい。ごめんなさい……玲児、はやく目を覚ましてよ……僕、怖いよ」
「もういいよ、やめてくれよ。何をされても言われても、どんな理由があったって俺はお前のこと一生許せない」
 二回殴った、謝罪も受けた。今もうこれ以上こいつと一緒にいたって何の意味もないし、すぐにでもこの場から離れてしまいたかった。
 もしまた変なことを口走られでもすれば、俺までまたドス黒い思考に飲み込まれる。玲児が目覚めなければ、なんて。
 俺だって、最低だ。
 土下座をしたまましゃくりあげる浅人を置いて俺は階段を下りた。スマートフォンを確認しても、まだ貴人さんからの連絡は入っていなかった。
 
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