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入谷さんの初恋
01
しおりを挟む女に夢を見るということが許されない環境だった。
「…………よし」
意を決して足を踏み出す。一応同年代の平均よりは若干高めの背丈を優に超す高い鉄の門扉は、錆びた音を立てて入谷を迎え入れた。いつもと変わらず。子どもの頃はこんな音はしなかったように思うが、言うと「じゃあ何とかしなさい」と命じられるのが目に見えているので黙秘を貫いている。
季節になれば母親の好きなバラがそこここで花開きものすごい匂いを発する庭。ご近所では評判でよく分けているらしいが、入谷の趣味ではなかった。香り自体が好きじゃない。
大体が、それで碌なことになったためしがなかった。中学生男子がバラの芳香をさせて学校へ行けばいじめられてもからかわれてもおかしくない。むしろ自然な流れだ。コンディショナーの存在は物心ついたときから知っていたし、生活に根付いていた。御蔭で入谷少年の黒髪は常につやつやと天使の輪を湛えていたものだった。
ドアは開いていた。極力物音を立てぬよう、そーっと、そーっと開いたつもりだったがやはりあの門扉がまずかったらしい。いち、にい、さん。ご丁寧に頭数まで揃えて、六つの眼がドアの陰から顔を覗かせる入谷を穴のあくほどじっとみつめていた。
「た、ただい、ま……」
「恭司っ」
「恭司さん!!」
「恭ちゃあん!」
「うわっ」
よーいドンで飛びつかれ、背中がバタンとドアを閉じた。ほんとうに人間に当たりにいくスピードという自覚があるのか?と思うほど強烈な衝撃にごほっと噎せる。そんなことなどかまいもせず三人は思い思いに入谷にすり寄った。
「あらあら何かと思ったら。おかえり恭司」
「か、かあさ……」
息子の青い顔に「情けないわね」と吐きつけてから、「あなた達もそのくらいになさい」と一応は助け船を出して母親は去っていった。
みっしりと詰まった肉感的な身体は女性とはいえそこそこの重みがある。一人なら余裕でも一気に三人も殺到されては、と言いたいところだが恐らく精神的なものも多分にあるのだ。入谷の場合は。力が脱けてしまう。
「久し振りの恭司はやっぱり格別ね」と長女の涼佳。
「いつまでいらっしゃるの?」とは、次女の奏子。
「早くお仕事なんて辞めておうちを継げばいいのに!」と、三女の小雪。
入谷は長男にして末弟、つまり三人も姉がいるのだった。しかも恐ろしいことにどんな手を使ったのかこれが全員嫁に行って、とっくにこの家は出ている筈なのだ。
なんでまたいるんだろうというかいつも俺が帰ってくるといるんだろう。不思議というより不気味でならない。父と母に尋ねるが二人して「偶々」と口を揃える。家政婦のトヨがあやしいと思わなくもないが、どうせ突き止めたところでやめはしないだろうとは容易に想像がつくのでもう諦めた。それにこの姉達の弟溺愛は今に始まったことじゃない。
とにかく距離の近い姉妹で、さらに家族愛も強かった。両親に逆らうことなくすくすくと育ち、上の子は誰に言われずとも率先して下の子の面倒をみる。そんな家で末っ子に生まれればどんな扱いを受けるかは、もう諦めてねと言って聞かせるしか両親に手立てはなかった。
勿論悪気のないことはわかっている。何回かに一回くらいはいたずらもあるが、概ね純粋な好意が原動力だということは入谷も重々承知していた。ゆえに耐えた。しかしそれが一年三百六十五日続くとなると、さすがにきつい。なんせ大型犬の如くスキンシップが大好きなのだ。
二回の受験を機に家を出ようとしたがいずれも失敗に終わった。いざ自分だけ抜けるとなると多数決で圧倒的に不利な父親が不憫でもあったし、皮肉なことに入谷家は都心にあるので狙った大学はほぼ自宅通学の圏内だったのだ。でも正直入谷は甘く見ていた。一番上の涼佳などは十も齢が離れているため、そのうち嫁に行っていなくなるだろうと踏んでいたのだ。
「姉さん達、家は? いいの?」
遠回しが効かない相手であることはわかっている。単刀直入に訊いてみたが「大丈夫」と返ってきただけだった。何が。「どうせ旦那とは毎日顔合わすんだもん。明日迎えにくるだろうし」顰め面をしているが毎日会うのは家族なのだから当たり前だ。
なんだかんだと用をこじつけては実家に呼びつけられるため、結局入谷は月に二回くらいは顔を出しているような気がした。距離的にも電車を乗り継いで一時間弱という微妙さがよくないんだろうかと、引っ越しを検討したこともあったが今のマンションが快適なのでなかなか踏み切れない。通勤の便もある。
「今日、唯織さんは?」
「……いや、来てないよ」
一度だけ連れてきたが、今日はさすがに急で声はかけてみたのだが休めないとのことだった。忘れていた一抹の寂しさに再度襲われて入谷はすこし眉をひそめる。
「自営業は大変ね」
「つうか俺もちょっと忙しいんだけど今」
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