幾星霜

ゆれ

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 いのりもだいぶ馴染んできたのでこの頃は「あの色男、絶対あんたに気があるって。結婚決まったらアタシにちゃんと言うんだよ」などと飛躍してきて対応に困っている。えへへと笑って誤魔化すのもそろそろ限界だった。元彼とはさすがに言えない。

「大石さんは休憩ですか」
「や、直帰なんだけど車どうしようかと」

 と言った目線の先にはドアに社名の入った白い車が停まっている。公道とはいえ幹線道路には面しておらず、住人以外の車は滅多に入らないため路上駐車にも寛大だった。大石の愛車は会社にあるらしい。取りに戻るのが面倒で、ここで一服しているらしい。しょうのなさにいのりは申し訳ないが、ふっと笑った。

「疲れたし腹も減ったし」
「ははあ」
「お前は今から晩飯か」
「唐揚げ丼にしようと思って。昨日ビール買ったし」

 明日は日曜。週に一度のお休みだ。敢えてシフトを入れず英気を養う。経済状況によっては調整日にもなる。今週は空きなので部屋の掃除をしたら、ちょっと遠くまで買い物がてら足を伸ばしてみようと思っている。天気は晴れマークだった。できれば布団も干したい。

 大事な今晩のおかずを、ずうずうしくももう一個掠め取られたので慌てて袋の口を閉じた。一人前にしてはたしかに若干多めだが、好物はすこしでもたくさん食べたい。

「お呼ばれしてェなぁ」

 こぼして、スーツのポケットからソフトケースを取りだす。底を叩いて頭を出した一本をくちで抜き、今度はライターをさがす。しろい手はきれいなかたちをして、煙草を吸っていると余計際立つようだった。節の長い指に、筋の浮く甲に、どうしても目が行く。

 環境を変えて月日という薬が遅効性を発揮して、今となっては何をあんなにカリカリしていたのだろうと自分でも不思議だった。きっと閉塞的な日々に負けた虚しい疲れと、惨めな現状を知られたショックで、防衛本能をこれでもかと刺激されていたのだ。どんな親切心も施しとしか受け取れず、ひねくれるしかなかった。

 そんな醜悪なこわばりが解け、曇りの晴れた眼で見るとやはり大石は多分にいのりの気を惹く造作をしていて、あの頃みたいにとは言わないまでも心をそわつかせてくる。眺める分には愉しい男。

「いいですけど」
「……え」
「早くご飯食べて、うちに帰ってちゃんと寝たほうがいいですよ」

 夜の所為か浅い春の寒さか、疲労か、大石は顔色が悪く見えた。そうと決まればさっさと立ち上がり、アパートへ歩くいのりをややためらいがちな足音が追いかけてくる。部屋に誰かを招くのは初めてのことだった。どこへ越しても姉はしょっちゅう来たがるが、なんだかんだ実現はしていない。今は妊婦なうえ育児も続いていて、輪をかけて忙しそうだ。

 茶色とピンクを基調とした、遠目にはケーキのような可愛らしいアパートの二階。角部屋をいのりは借りている。ドアを開けて自分が先に入って、ざっと部屋をチェックしなければ。きまずいものは置いていなかったと思うけれど、と記憶を掘ったところで大石に鍵を持った手を握り込まれる。

「? なんですか」
「今度は断らねえのかよ」
「……え? ああ」

 指摘されて、そういえば再会した夜に似たような話になったのを思い出した。よく憶えているものだと感心する。

「気があるってわかってる男を簡単に連れてくんなよ」
「でもそのことはもう終わってるし」
「……」

 大石が物言いたげにすうっと目を細める。数ヶ月も前のことを意外と根に持つタイプだったのだろうか。好きだったわりには、こちらも言うほどかれのことを理解してなかったようだ。多弁でもなければ自分に酔ってもない。仕事が忙しそうで、もしかするとちょっと面倒くさがりなのかな、という程度しか今もよくわからないけれど。

 いのりにはもうひとつ確信がある。

「それに万が一何かあったとして、今日の流れだったらあたしは自業自得じゃないですか」

 勿論、何にもない前提で、きっぱりと言い切ったいのりの余韻が消えてしまうまで、大石はくちを開かなかった。つながれたままの手があたたかい。昔ならドキドキして、とてもじゃないが耐えられなかっただろう。しかし月日が流れて、今のいのりは、こんなにも冷静に穏やかに眺めていられる。

 いろいろあってここに立っている。いのりも、大石も。この世の誰もがそうだ。嬉しいことも悲しいことも、そんなふうに何げなく日々起きている。人生はその繰り返し。

「……そんなこと言うな」
「え?」
「俺が言えた義理じゃねえのかもしれねェけど、お前、もっと自分を大事にしてやれ」
「――」
「本当に悪かった。……やっぱ話すべきじゃなかったよな。できれば、忘れてほしい」

 なにを、と問う前に長身はいのりの手を放し、ゆらりとアパートの階段をおりていく。表情はよく見えなかったし声は落ち着き払っていた。別に機嫌を悪くしたのではなく、気が変わったのだろう。言っていたことの意味は考えなかった。
 
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