11 / 16
11
しおりを挟むいのりもだいぶ馴染んできたのでこの頃は「あの色男、絶対あんたに気があるって。結婚決まったらアタシにちゃんと言うんだよ」などと飛躍してきて対応に困っている。えへへと笑って誤魔化すのもそろそろ限界だった。元彼とはさすがに言えない。
「大石さんは休憩ですか」
「や、直帰なんだけど車どうしようかと」
と言った目線の先にはドアに社名の入った白い車が停まっている。公道とはいえ幹線道路には面しておらず、住人以外の車は滅多に入らないため路上駐車にも寛大だった。大石の愛車は会社にあるらしい。取りに戻るのが面倒で、ここで一服しているらしい。しょうのなさにいのりは申し訳ないが、ふっと笑った。
「疲れたし腹も減ったし」
「ははあ」
「お前は今から晩飯か」
「唐揚げ丼にしようと思って。昨日ビール買ったし」
明日は日曜。週に一度のお休みだ。敢えてシフトを入れず英気を養う。経済状況によっては調整日にもなる。今週は空きなので部屋の掃除をしたら、ちょっと遠くまで買い物がてら足を伸ばしてみようと思っている。天気は晴れマークだった。できれば布団も干したい。
大事な今晩のおかずを、ずうずうしくももう一個掠め取られたので慌てて袋の口を閉じた。一人前にしてはたしかに若干多めだが、好物はすこしでもたくさん食べたい。
「お呼ばれしてェなぁ」
こぼして、スーツのポケットからソフトケースを取りだす。底を叩いて頭を出した一本をくちで抜き、今度はライターをさがす。しろい手はきれいなかたちをして、煙草を吸っていると余計際立つようだった。節の長い指に、筋の浮く甲に、どうしても目が行く。
環境を変えて月日という薬が遅効性を発揮して、今となっては何をあんなにカリカリしていたのだろうと自分でも不思議だった。きっと閉塞的な日々に負けた虚しい疲れと、惨めな現状を知られたショックで、防衛本能をこれでもかと刺激されていたのだ。どんな親切心も施しとしか受け取れず、ひねくれるしかなかった。
そんな醜悪なこわばりが解け、曇りの晴れた眼で見るとやはり大石は多分にいのりの気を惹く造作をしていて、あの頃みたいにとは言わないまでも心をそわつかせてくる。眺める分には愉しい男。
「いいですけど」
「……え」
「早くご飯食べて、うちに帰ってちゃんと寝たほうがいいですよ」
夜の所為か浅い春の寒さか、疲労か、大石は顔色が悪く見えた。そうと決まればさっさと立ち上がり、アパートへ歩くいのりをややためらいがちな足音が追いかけてくる。部屋に誰かを招くのは初めてのことだった。どこへ越しても姉はしょっちゅう来たがるが、なんだかんだ実現はしていない。今は妊婦なうえ育児も続いていて、輪をかけて忙しそうだ。
茶色とピンクを基調とした、遠目にはケーキのような可愛らしいアパートの二階。角部屋をいのりは借りている。ドアを開けて自分が先に入って、ざっと部屋をチェックしなければ。きまずいものは置いていなかったと思うけれど、と記憶を掘ったところで大石に鍵を持った手を握り込まれる。
「? なんですか」
「今度は断らねえのかよ」
「……え? ああ」
指摘されて、そういえば再会した夜に似たような話になったのを思い出した。よく憶えているものだと感心する。
「気があるってわかってる男を簡単に連れてくんなよ」
「でもそのことはもう終わってるし」
「……」
大石が物言いたげにすうっと目を細める。数ヶ月も前のことを意外と根に持つタイプだったのだろうか。好きだったわりには、こちらも言うほどかれのことを理解してなかったようだ。多弁でもなければ自分に酔ってもない。仕事が忙しそうで、もしかするとちょっと面倒くさがりなのかな、という程度しか今もよくわからないけれど。
いのりにはもうひとつ確信がある。
「それに万が一何かあったとして、今日の流れだったらあたしは自業自得じゃないですか」
勿論、何にもない前提で、きっぱりと言い切ったいのりの余韻が消えてしまうまで、大石はくちを開かなかった。つながれたままの手があたたかい。昔ならドキドキして、とてもじゃないが耐えられなかっただろう。しかし月日が流れて、今のいのりは、こんなにも冷静に穏やかに眺めていられる。
いろいろあってここに立っている。いのりも、大石も。この世の誰もがそうだ。嬉しいことも悲しいことも、そんなふうに何げなく日々起きている。人生はその繰り返し。
「……そんなこと言うな」
「え?」
「俺が言えた義理じゃねえのかもしれねェけど、お前、もっと自分を大事にしてやれ」
「――」
「本当に悪かった。……やっぱ話すべきじゃなかったよな。できれば、忘れてほしい」
なにを、と問う前に長身はいのりの手を放し、ゆらりとアパートの階段をおりていく。表情はよく見えなかったし声は落ち着き払っていた。別に機嫌を悪くしたのではなく、気が変わったのだろう。言っていたことの意味は考えなかった。
0
あなたにおすすめの小説
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜
小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。
でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。
就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。
そこには玲央がいる。
それなのに、私は玲央に選ばれない……
そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。
瀬川真冬 25歳
一ノ瀬玲央 25歳
ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。
表紙は簡単表紙メーカーにて作成。
アルファポリス公開日 2024/10/21
作品の無断転載はご遠慮ください。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
課長と私のほのぼの婚
藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。
舘林陽一35歳。
仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。
ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。
※他サイトにも投稿。
※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。
Fly high 〜勘違いから始まる恋〜
吉野 那生
恋愛
平凡なOLとやさぐれ御曹司のオフィスラブ。
ゲレンデで助けてくれた人は取引先の社長 神崎・R・聡一郎だった。
奇跡的に再会を果たした直後、職を失い…彼の秘書となる本城 美月。
なんの資格も取り柄もない美月にとって、そこは居心地の良い場所ではなかったけれど…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる