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第五章 夢の終わり
27.
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僕は寝転んだまま身をひるがえし、その一撃をしりぞけた。フローリングの茶色い床に鋭い切っ先が突き刺さる。
全身からどっと冷汗が噴き出す。本能的に震えが走った。
なんと言ってもおじさんは現職の警察官だ。その鍛え上げられた腕力は、狂気に理性を塗りつぶされても僕を殺害する糧として、遺憾なく効果を発揮している。
僕は激痛をこらえながらも何とか立ち上がろうともがいた。床に刺さった包丁をゆっくり抜いて握り直し、おじさんは物に取りつかれたようなまなざしでぼんやりと僕を見た。
「君の……。君の目に見られると、殺したはずの百合子さんに見られているような気がするよ。──君と笑香が一緒にいると、あの時自分が犯した罪を見せつけられているようで……」
──あの、目。全くかわいげのない子だよ。死んだ母親にそっくりだ。
「違う‼」
リビングの床に伏せたまま、僕は思わず怒鳴っていた。
「僕は、母さんとは違う! ぼくはあんな人間じゃない‼」
おじさんは僕の言葉など全然聞こえていないようだった。
「──百合子さん。私の代わりに笑香を連れて行こうっていうのか。……そんなことは許さない。そんなことをさせるくらいなら、今、ここでまたあなたを消すよ」
アルコールの禁断症状だろうか。おじさんは僕が僕ではなくて、自分が殺した僕の母親に見えているかのようだった。
僕は奥歯を噛みしめた。冗談じゃない。あんな母親の亡霊のために、僕が殺されてたまるものか。
僕はこれから笑香と一緒に幸せな未来をすごしていくんだ。せっかく笑香と撮った写真を遺影になんかしてたまるか‼
僕は周囲を見回すと、何か使えるものを探した。片付けたリビングの床の上にまとめた参考書の山を見つける。僕は這ったままそれに近づき、なるべく厚そうなものを選んで山の中から引き抜いた。バラバラと音を立てて山がくずれる。
蛍光灯の光の下で、僕に凶器を振りかざす赤いおじさんの顔が見えた。僕はつかんだ厚い本をおじさんに思い切り投げつけた。だが、それはスーツの胸に軽く当たってはね返り、そのまま床に転がった。
本の行く末を見届けて、僕はあえぐように宙を仰いだ。
これで終わりか。
これで、本当に終わりなのか。
「これで──これで、終わりだあああ‼」
咆哮のような音声と共に、白い凶器が振り下ろされる。
「だめえええ──っ‼」
その時高い悲鳴が聞こえ、僕の目の前に影が飛び込んだ。
明るいリビングの光の中で、あの、見慣れた黒髪が波打つように僕にかぶさる。細くのばされた腕が上がって、光から僕をさえぎった。僕はその場に寝転がったまま、凶器が影へ落ちていくのを見ていることしかできなかった。──あの幼かった日のように。
凶器を握った赤い手袋が、新たな血しぶきで染められる。一瞬バウンドした後で、つややかに揺らめく豊かな髪が再び僕に降りかかる。
声にならない声を上げ、僕は自身の視界に広がる惨劇の結末を見届けた。
どさり、と僕の体の上に笑香の頭が落ちて来た。大きくのけぞった喉の向こうに万能包丁の柄が見える。
「あ……あ……あ」
僕は唇をわななかせた。
眼前にあるこの光景が、僕の頭には受け止めきれない。
笑香。
僕が支えた笑香の胸に、赤黒くぬめった凶器が食い込む。昼間僕が見たグレーのセーターが見る見るうちに黒くなる。
「え……みか」
僕は笑香の顔を見た。白い頬に血しぶきを散らして、笑香はまぶたを閉じていた。僕の手の中で眠るかような、安らかにさえ見える顔。
神様。
どこにいるかもわからない、僕に冷酷で無慈悲な神様。
僕は震える腕を上げ、笑香の頬に手でふれた。指先が笑香の血で染まる。
これが。
──これが。
これが、今までして来たことへの、神様からの罰なんでしょうか。
「笑香あああ──ッッ‼」
僕は魂の底から声を震わせて絶叫した。
全身からどっと冷汗が噴き出す。本能的に震えが走った。
なんと言ってもおじさんは現職の警察官だ。その鍛え上げられた腕力は、狂気に理性を塗りつぶされても僕を殺害する糧として、遺憾なく効果を発揮している。
僕は激痛をこらえながらも何とか立ち上がろうともがいた。床に刺さった包丁をゆっくり抜いて握り直し、おじさんは物に取りつかれたようなまなざしでぼんやりと僕を見た。
「君の……。君の目に見られると、殺したはずの百合子さんに見られているような気がするよ。──君と笑香が一緒にいると、あの時自分が犯した罪を見せつけられているようで……」
──あの、目。全くかわいげのない子だよ。死んだ母親にそっくりだ。
「違う‼」
リビングの床に伏せたまま、僕は思わず怒鳴っていた。
「僕は、母さんとは違う! ぼくはあんな人間じゃない‼」
おじさんは僕の言葉など全然聞こえていないようだった。
「──百合子さん。私の代わりに笑香を連れて行こうっていうのか。……そんなことは許さない。そんなことをさせるくらいなら、今、ここでまたあなたを消すよ」
アルコールの禁断症状だろうか。おじさんは僕が僕ではなくて、自分が殺した僕の母親に見えているかのようだった。
僕は奥歯を噛みしめた。冗談じゃない。あんな母親の亡霊のために、僕が殺されてたまるものか。
僕はこれから笑香と一緒に幸せな未来をすごしていくんだ。せっかく笑香と撮った写真を遺影になんかしてたまるか‼
僕は周囲を見回すと、何か使えるものを探した。片付けたリビングの床の上にまとめた参考書の山を見つける。僕は這ったままそれに近づき、なるべく厚そうなものを選んで山の中から引き抜いた。バラバラと音を立てて山がくずれる。
蛍光灯の光の下で、僕に凶器を振りかざす赤いおじさんの顔が見えた。僕はつかんだ厚い本をおじさんに思い切り投げつけた。だが、それはスーツの胸に軽く当たってはね返り、そのまま床に転がった。
本の行く末を見届けて、僕はあえぐように宙を仰いだ。
これで終わりか。
これで、本当に終わりなのか。
「これで──これで、終わりだあああ‼」
咆哮のような音声と共に、白い凶器が振り下ろされる。
「だめえええ──っ‼」
その時高い悲鳴が聞こえ、僕の目の前に影が飛び込んだ。
明るいリビングの光の中で、あの、見慣れた黒髪が波打つように僕にかぶさる。細くのばされた腕が上がって、光から僕をさえぎった。僕はその場に寝転がったまま、凶器が影へ落ちていくのを見ていることしかできなかった。──あの幼かった日のように。
凶器を握った赤い手袋が、新たな血しぶきで染められる。一瞬バウンドした後で、つややかに揺らめく豊かな髪が再び僕に降りかかる。
声にならない声を上げ、僕は自身の視界に広がる惨劇の結末を見届けた。
どさり、と僕の体の上に笑香の頭が落ちて来た。大きくのけぞった喉の向こうに万能包丁の柄が見える。
「あ……あ……あ」
僕は唇をわななかせた。
眼前にあるこの光景が、僕の頭には受け止めきれない。
笑香。
僕が支えた笑香の胸に、赤黒くぬめった凶器が食い込む。昼間僕が見たグレーのセーターが見る見るうちに黒くなる。
「え……みか」
僕は笑香の顔を見た。白い頬に血しぶきを散らして、笑香はまぶたを閉じていた。僕の手の中で眠るかような、安らかにさえ見える顔。
神様。
どこにいるかもわからない、僕に冷酷で無慈悲な神様。
僕は震える腕を上げ、笑香の頬に手でふれた。指先が笑香の血で染まる。
これが。
──これが。
これが、今までして来たことへの、神様からの罰なんでしょうか。
「笑香あああ──ッッ‼」
僕は魂の底から声を震わせて絶叫した。
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