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4.お姫様は間違えない
今度こそは
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一瞬、意識がどこか別なところに向いていたような気がして、カーティスは慌てて目の前の亡霊に集中を戻した。
亡霊の半透明の腕が黒い長杖を構え、また、呪文の詠唱を始める。
『“混沌を満たす力よ……”』
「させん!」
剣が刀身をカタカタと震わせ、カーティスが戦神の加護を願う聖句を唱えながら剣を振るった。
詠唱を乱された亡霊は、忌々しげに舌打ちをする。
よし、今度も止められた――と考えて、カーティスは思わず眉を顰めた。今度も? と。
『若造、なにやら魔法が働いたようじゃの』
「魔法?」
たしかに、奇妙な違和感がある。
既視感といってもいい。同じことを繰り返しているような、そんな気がする。
ふと、背後が静かだと思った。
さっきまで、ネリアーがアンバーと揉めている気配があったのではないか?
ネリアーが亡霊の逃亡を封じ、剣で斬るための付与魔術をしてくれたのは助かった。だが、少し前の魔術がトーヴァを石化したからと、いきなりこちらへの集中をやめてしまうのはいかがなものか。
再び、亡霊が魔術の詠唱を始める。
魔術は有限の力だ。ひとには為せないほどの事象を起こせる代わりに、魔術師が力尽きるのも早いという。戦士や騎士の体力に比べれば、それこそあっという間に枯渇する程度のものだ。
この亡霊は、すでにかなりの魔術を使っている。その半分は杖に蓄えていたものとしても、そろそろ限界がきてもおかしくはない。
亡霊は、一歩退いて間合いを取る。
さっきよりも少し長い詠唱なのは、威力の高い魔術を使うということか。
カーティスは、さほど魔術に詳しくはない。詠唱される呪文から魔術を見分けるなどできないが、長く大掛かりな詠唱ほど強力な魔術だとは聞いている。
今度も、うまく詠唱を止める。
魔術を止めるには、呪文が完成する前に集中を乱すか詠唱を乱せればいい。
たいていの魔術師は物理防御を念入りに整えている。だから言うほど簡単ではないが、防御は永遠に続くものではない。
強力な防御ほど、短時間しかもたないものだ。
それにしても、とカーティスは内心首を捻る。
また、既視感を感じた。
単に、亡霊が同じような魔術を繰り返し使おうとしているだけ――というわけでもなさそうで、不可解だ。
「いったい、何が……」
考えつつも、カーティスは亡霊を薙ぎ払う。
今度も確かな手応えを感じて、カーティスは自然に笑みを浮かべた。この斬撃は、確実に亡霊の体力を削っている。
「悪しき亡者よ、猛きものの輝ける剣に掛けて、悪足掻きはやめておとなしくアケロン河の向こう岸へ去れ」
『下等民のくせに、私を……私を……斯くなる上は……』
亡霊は苦しげに揺らめいて、じりじりと後退る。
ようやく終わりだと、カーティスは息を吐こうとして……亡霊が、それまで片手に携えていた杖を横たえたことに気づいた。
杖を掲げた亡霊の両手に力がこめられ、杖がたわんでいく。
「――まずい」
『若造、どうした』
あの亡霊に、絶対に杖を折らせてはならない。
突然、なぜそんな考えが浮かんだのかはわからない。けれど、湧き上がる衝動のままにカーティスは鋭く踏み込んだ。しっかりと握り締めた剣を思い切り振り抜いて、その平で杖を叩き飛ばす。
弾かれた杖が亡霊の手を離れ、カラカラ音を立てて床を滑り転がっていく。
『何を――何をするか!』
「“猛きものの聖なる御名において、悪しきものに神の鉄槌を!”」
剣に祝福と退魔の加護を求めて聖句を口早に唱え、カーティスは返す剣で渾身の一撃を放った。
剣の軌跡に沿って割れた亡霊の影が震える。
カーティスはさらに一撃、さらにもう一撃と、剣を振るう手を緩めない。
何度も何度も斬り払われ、亡霊は怨嗟の声と共に呪いの言葉を吐き棄てる。しかし、次々と連続する斬撃に、呪文を唱える隙も与えられず……とうとう、薄らぐ煙のように搔き消えた。
カーティスはなおも油断なく周囲を伺い、神への祈りを呟きながら集中する。
亡霊がただ消えただけではないことを慎重に探り……ようやく、確かに亡霊が消滅したのだと確信を持てたところで、ゆっくりと後ろを振り返った。
「アンバー。なぜこんな半端な時間だけなのですか」
「あらあ? ちゃあんと姫さんのお願いは叶えたもの、問題ないわよ?」
「これだから風精はあてにならないと言われるんです」
ネリアーにしては珍しくアンバーに食ってかかっているのを見て、カーティスは目を丸くする。
「姫殿下、これはいったい……」
「カーティス! 魔導師は倒せたの? 怪我はない?」
いつの間にか戦いが終わっていたことに、ジェルヴェーズも目を丸くした。
「はい、もう終わりましたよ」
カーティスは笑顔を浮かべて頷くと、膝をついて礼を取る。ジェルヴェーズもしっかりとアルトゥールを抱き締めたまま、ほっと笑顔を見せた。
「姫殿下とアルトゥール殿下こそ、お怪我はございませんか?」
「わたくしもオーリャ様も大丈夫。とっても元気よ。でも、トーヴァが彫刻になっちゃったまま戻らないの」
「君は……?」
未だ事情を飲み込み切れていないアルトゥールが、訝しげに目を細めた。
そういえば、本物のアルトゥールにはこれが初めてであることに思い至って、カーティスは改めて正式な騎士の礼を捧げる。
「失礼いたしました、アルトゥール第二王子殿下。私は戦いと勝利を司る神の剣たるを誓った聖騎士、カーティス・カーリスです。現在は遍歴を重ねる旅の途上にあり、縁あってジェルヴェーズ姫殿下護衛の任を賜っております」
「そうか……それでは、僕がこうして“戻る”まで、いったいどれほど経ったのか、知っているか?」
「二年ほどと伺っております」
「二年……」
アルトゥールは呆然とした表情で視線を落とす。
なら、ジェルヴェーズがこんなに成長していても、当然だ。
「姫殿下」
そこに、憤然とするネリアーの声が出て割って入った。
「この風精に、私の言葉どおりの“お願い”を叶えるよう、命じてくださいませんか」
「ネリアー?」
「この風精はたいへんに意地が悪い。私が何のためにもう一度指輪に縛ろうとしていたかわかっていて、この有様なのです。
どうせなら、乙女が石になる前まで戻してくれればよかったのに!」
「戻して?」
驚いたジェルヴェーズが、きょろきょろとアンバーとネリアーを見比べる。
「ええ。お気づきかと思いますが、アンバーは姫殿下の“お願い”を、時間を戻すことで叶えたのですよ」
「まあ!」
「それも、あの魔力の衝撃波が起こる前という、半端さで!」
「まあ! まあ!」
戻すというのは、時を戻したということなのか。まさか、アンバーの“お願い”はそんなことまでが可能だなんて、思いもよらなかった。
ジェルヴェーズは驚くばかりだ。
しかし、ネリアーは石に変わったままのトーヴァを撫でながら、憤懣やるかたなしとでも言いたげだ。
「だって、ワタシが“お願い”されたのは、“あの光から皆を助けて”だったのに? 十分じゃないの」
「乙女は助かっておりませんが」
「あら、助かったじゃない。壊されずに済んだわよ?」
ニヤニヤと笑いながら、アンバーはくるりと宙を舞う。
「ニナ姫」
そっと囁くアルトゥールに、ジェルヴェーズは顔を上げる。
「アンバーへの“お願い”は、慎重に述べなければなりません。アンバーは、僕たちが口に出したそのままに、“お願い”を叶えるからです」
その言葉に、ジェルヴェーズは以前にも言われたことを思い出した。
「そういえば、トーヴァも前に言ってたわ。気をつけないと、口に出した願いは本当に全部叶ってしまうからって」
「――石化は、病や怪我とは違います。神術では治せませんし、かといって魔術で解こうにも、死の危険が伴うのです。
だからこそ、“お願い”なのですよ」
アルトゥールに頷いて、ジェルヴェーズは、もう一度指輪を見る。
嵌った石はふたつだった。
「でも、ちゃんと考えて“お願い”すれば、トーヴァは死なずに戻るのよね?」
「ええ、そのとおりです、姫殿下」
いつの間にアンバーとの言い争いをやめたのか、ネリアーがそばにいた。
常に浮かべていたどこか無関心そうな表情が鳴りを潜めているのは、さすがにトーヴァを真剣に心配しているからだろう。
「ですから、どうか私の申し上げるとおりの“お願い”を、姫殿下に口にしていただきたいのです」
あーあ、とアンバーがつまらなそうな声を上げる。
「意地悪したいけど、姫さんのことは結構気に入ってるのよねえ」
「まあ、それはうれしいわ。わたくしも、これまであんまりお話する機会はなかったけど、アンバーのことは嫌いじゃないわよ」
ジェルヴェーズは楽しそうにふふっと笑う。
「わたくし、トーヴァには安全に元に戻って欲しいの。アンバーの“お願い”の力ならできるでしょう?」
「そうだけどお……」
ネリアーの“お願い”ならいくらでも悪意ある解釈をしてやるのに、などとぶつくさ言うアンバーに、ジェルヴェーズはもう一度にっこり微笑んだ。
「アンバーの力に助けてもらえて、わたくしとっても感謝してるの。だから、これからもわたくしのお願いは変なふうに曲げたりしないで、ちゃんと叶えて欲しいわ。だめかしら?」
アンバーは小さく溜息を吐く。
精霊に人のような愛情を感じられるのかと問われても、わからないとしか答えようがない。
けれど、“気に入った”という感情は存在する。
この姫は、普通の姫のように日がな一日じっとしていることがなくて、はたから見ているぶんにはなかなかおもしろかったのだ。
それこそ、アンバーが“気に入る”程度には。
「しょうがないわねえ。ほら、さっさと言って」
「ええ!」
待ち構えていたネリアーが、すかさずジェルヴェーズの耳に“お願い”の内容を囁いた。ずいぶんと慎重なのねと少し笑って、ジェルヴェーズはネリアーの“お願い”をはっきりと述べる。
「アンバー、“お願い”よ。トーヴァの精神と身体の健康と状態を、石になる前と同じくらい十分に回復してちょうだい」
「はあい」
アンバーがひらりと手を閃かせた。
きらきらと瞬く光がトーヴァの周りをくるくると周り、灰色の固い石が、もとの色に戻っていく。ジェルヴェーズたちを庇ったときのままだった姿勢がゆっくりと解けて、パタリと床に倒れこむ。
「乙女!」
「トーヴァ!」
真っ先に飛びついたネリアーが、トーヴァを抱き起こす。そこにジェルヴェーズが抱き付いて、トーヴァを呼びながらぺたぺたと身体を確かめた。
続いてカーティスがすぐ横に膝をついて、手首の脈を確認する。
「トーヴァ従姉、身体の感覚は? 指先まで動くかい?」
「ええ……あの、カーティス、ネリアー、もう大丈夫なの? 姫様は……無事、なのね? アルトゥール殿下は?」
「言葉は問題ないね? 目と耳も?」
「ちゃんと見えてるし、聞こえてるわ」
「乙女、乙女、幻覚が見えてはいませんね? 私が誰か、わかりますね?」
「ええ、ネリアー、大丈夫よ。姫様もあまり変なところを触らないでくださいませんか。擽ったいのです。
――あの、それで、亡霊はどうしたんですか?」
「トーヴァ、よかったわトーヴァ!」
「乙女、次は絶対このようなことがないようにしますからね。明日にでも、対魔の護りから掛けていきましょう」
しっかりしがみついたまま離れないネリアーと、ぐすぐす泣き出したジェルヴェーズが落ち着くまで、しばしの時間がかかったのだった。
亡霊の半透明の腕が黒い長杖を構え、また、呪文の詠唱を始める。
『“混沌を満たす力よ……”』
「させん!」
剣が刀身をカタカタと震わせ、カーティスが戦神の加護を願う聖句を唱えながら剣を振るった。
詠唱を乱された亡霊は、忌々しげに舌打ちをする。
よし、今度も止められた――と考えて、カーティスは思わず眉を顰めた。今度も? と。
『若造、なにやら魔法が働いたようじゃの』
「魔法?」
たしかに、奇妙な違和感がある。
既視感といってもいい。同じことを繰り返しているような、そんな気がする。
ふと、背後が静かだと思った。
さっきまで、ネリアーがアンバーと揉めている気配があったのではないか?
ネリアーが亡霊の逃亡を封じ、剣で斬るための付与魔術をしてくれたのは助かった。だが、少し前の魔術がトーヴァを石化したからと、いきなりこちらへの集中をやめてしまうのはいかがなものか。
再び、亡霊が魔術の詠唱を始める。
魔術は有限の力だ。ひとには為せないほどの事象を起こせる代わりに、魔術師が力尽きるのも早いという。戦士や騎士の体力に比べれば、それこそあっという間に枯渇する程度のものだ。
この亡霊は、すでにかなりの魔術を使っている。その半分は杖に蓄えていたものとしても、そろそろ限界がきてもおかしくはない。
亡霊は、一歩退いて間合いを取る。
さっきよりも少し長い詠唱なのは、威力の高い魔術を使うということか。
カーティスは、さほど魔術に詳しくはない。詠唱される呪文から魔術を見分けるなどできないが、長く大掛かりな詠唱ほど強力な魔術だとは聞いている。
今度も、うまく詠唱を止める。
魔術を止めるには、呪文が完成する前に集中を乱すか詠唱を乱せればいい。
たいていの魔術師は物理防御を念入りに整えている。だから言うほど簡単ではないが、防御は永遠に続くものではない。
強力な防御ほど、短時間しかもたないものだ。
それにしても、とカーティスは内心首を捻る。
また、既視感を感じた。
単に、亡霊が同じような魔術を繰り返し使おうとしているだけ――というわけでもなさそうで、不可解だ。
「いったい、何が……」
考えつつも、カーティスは亡霊を薙ぎ払う。
今度も確かな手応えを感じて、カーティスは自然に笑みを浮かべた。この斬撃は、確実に亡霊の体力を削っている。
「悪しき亡者よ、猛きものの輝ける剣に掛けて、悪足掻きはやめておとなしくアケロン河の向こう岸へ去れ」
『下等民のくせに、私を……私を……斯くなる上は……』
亡霊は苦しげに揺らめいて、じりじりと後退る。
ようやく終わりだと、カーティスは息を吐こうとして……亡霊が、それまで片手に携えていた杖を横たえたことに気づいた。
杖を掲げた亡霊の両手に力がこめられ、杖がたわんでいく。
「――まずい」
『若造、どうした』
あの亡霊に、絶対に杖を折らせてはならない。
突然、なぜそんな考えが浮かんだのかはわからない。けれど、湧き上がる衝動のままにカーティスは鋭く踏み込んだ。しっかりと握り締めた剣を思い切り振り抜いて、その平で杖を叩き飛ばす。
弾かれた杖が亡霊の手を離れ、カラカラ音を立てて床を滑り転がっていく。
『何を――何をするか!』
「“猛きものの聖なる御名において、悪しきものに神の鉄槌を!”」
剣に祝福と退魔の加護を求めて聖句を口早に唱え、カーティスは返す剣で渾身の一撃を放った。
剣の軌跡に沿って割れた亡霊の影が震える。
カーティスはさらに一撃、さらにもう一撃と、剣を振るう手を緩めない。
何度も何度も斬り払われ、亡霊は怨嗟の声と共に呪いの言葉を吐き棄てる。しかし、次々と連続する斬撃に、呪文を唱える隙も与えられず……とうとう、薄らぐ煙のように搔き消えた。
カーティスはなおも油断なく周囲を伺い、神への祈りを呟きながら集中する。
亡霊がただ消えただけではないことを慎重に探り……ようやく、確かに亡霊が消滅したのだと確信を持てたところで、ゆっくりと後ろを振り返った。
「アンバー。なぜこんな半端な時間だけなのですか」
「あらあ? ちゃあんと姫さんのお願いは叶えたもの、問題ないわよ?」
「これだから風精はあてにならないと言われるんです」
ネリアーにしては珍しくアンバーに食ってかかっているのを見て、カーティスは目を丸くする。
「姫殿下、これはいったい……」
「カーティス! 魔導師は倒せたの? 怪我はない?」
いつの間にか戦いが終わっていたことに、ジェルヴェーズも目を丸くした。
「はい、もう終わりましたよ」
カーティスは笑顔を浮かべて頷くと、膝をついて礼を取る。ジェルヴェーズもしっかりとアルトゥールを抱き締めたまま、ほっと笑顔を見せた。
「姫殿下とアルトゥール殿下こそ、お怪我はございませんか?」
「わたくしもオーリャ様も大丈夫。とっても元気よ。でも、トーヴァが彫刻になっちゃったまま戻らないの」
「君は……?」
未だ事情を飲み込み切れていないアルトゥールが、訝しげに目を細めた。
そういえば、本物のアルトゥールにはこれが初めてであることに思い至って、カーティスは改めて正式な騎士の礼を捧げる。
「失礼いたしました、アルトゥール第二王子殿下。私は戦いと勝利を司る神の剣たるを誓った聖騎士、カーティス・カーリスです。現在は遍歴を重ねる旅の途上にあり、縁あってジェルヴェーズ姫殿下護衛の任を賜っております」
「そうか……それでは、僕がこうして“戻る”まで、いったいどれほど経ったのか、知っているか?」
「二年ほどと伺っております」
「二年……」
アルトゥールは呆然とした表情で視線を落とす。
なら、ジェルヴェーズがこんなに成長していても、当然だ。
「姫殿下」
そこに、憤然とするネリアーの声が出て割って入った。
「この風精に、私の言葉どおりの“お願い”を叶えるよう、命じてくださいませんか」
「ネリアー?」
「この風精はたいへんに意地が悪い。私が何のためにもう一度指輪に縛ろうとしていたかわかっていて、この有様なのです。
どうせなら、乙女が石になる前まで戻してくれればよかったのに!」
「戻して?」
驚いたジェルヴェーズが、きょろきょろとアンバーとネリアーを見比べる。
「ええ。お気づきかと思いますが、アンバーは姫殿下の“お願い”を、時間を戻すことで叶えたのですよ」
「まあ!」
「それも、あの魔力の衝撃波が起こる前という、半端さで!」
「まあ! まあ!」
戻すというのは、時を戻したということなのか。まさか、アンバーの“お願い”はそんなことまでが可能だなんて、思いもよらなかった。
ジェルヴェーズは驚くばかりだ。
しかし、ネリアーは石に変わったままのトーヴァを撫でながら、憤懣やるかたなしとでも言いたげだ。
「だって、ワタシが“お願い”されたのは、“あの光から皆を助けて”だったのに? 十分じゃないの」
「乙女は助かっておりませんが」
「あら、助かったじゃない。壊されずに済んだわよ?」
ニヤニヤと笑いながら、アンバーはくるりと宙を舞う。
「ニナ姫」
そっと囁くアルトゥールに、ジェルヴェーズは顔を上げる。
「アンバーへの“お願い”は、慎重に述べなければなりません。アンバーは、僕たちが口に出したそのままに、“お願い”を叶えるからです」
その言葉に、ジェルヴェーズは以前にも言われたことを思い出した。
「そういえば、トーヴァも前に言ってたわ。気をつけないと、口に出した願いは本当に全部叶ってしまうからって」
「――石化は、病や怪我とは違います。神術では治せませんし、かといって魔術で解こうにも、死の危険が伴うのです。
だからこそ、“お願い”なのですよ」
アルトゥールに頷いて、ジェルヴェーズは、もう一度指輪を見る。
嵌った石はふたつだった。
「でも、ちゃんと考えて“お願い”すれば、トーヴァは死なずに戻るのよね?」
「ええ、そのとおりです、姫殿下」
いつの間にアンバーとの言い争いをやめたのか、ネリアーがそばにいた。
常に浮かべていたどこか無関心そうな表情が鳴りを潜めているのは、さすがにトーヴァを真剣に心配しているからだろう。
「ですから、どうか私の申し上げるとおりの“お願い”を、姫殿下に口にしていただきたいのです」
あーあ、とアンバーがつまらなそうな声を上げる。
「意地悪したいけど、姫さんのことは結構気に入ってるのよねえ」
「まあ、それはうれしいわ。わたくしも、これまであんまりお話する機会はなかったけど、アンバーのことは嫌いじゃないわよ」
ジェルヴェーズは楽しそうにふふっと笑う。
「わたくし、トーヴァには安全に元に戻って欲しいの。アンバーの“お願い”の力ならできるでしょう?」
「そうだけどお……」
ネリアーの“お願い”ならいくらでも悪意ある解釈をしてやるのに、などとぶつくさ言うアンバーに、ジェルヴェーズはもう一度にっこり微笑んだ。
「アンバーの力に助けてもらえて、わたくしとっても感謝してるの。だから、これからもわたくしのお願いは変なふうに曲げたりしないで、ちゃんと叶えて欲しいわ。だめかしら?」
アンバーは小さく溜息を吐く。
精霊に人のような愛情を感じられるのかと問われても、わからないとしか答えようがない。
けれど、“気に入った”という感情は存在する。
この姫は、普通の姫のように日がな一日じっとしていることがなくて、はたから見ているぶんにはなかなかおもしろかったのだ。
それこそ、アンバーが“気に入る”程度には。
「しょうがないわねえ。ほら、さっさと言って」
「ええ!」
待ち構えていたネリアーが、すかさずジェルヴェーズの耳に“お願い”の内容を囁いた。ずいぶんと慎重なのねと少し笑って、ジェルヴェーズはネリアーの“お願い”をはっきりと述べる。
「アンバー、“お願い”よ。トーヴァの精神と身体の健康と状態を、石になる前と同じくらい十分に回復してちょうだい」
「はあい」
アンバーがひらりと手を閃かせた。
きらきらと瞬く光がトーヴァの周りをくるくると周り、灰色の固い石が、もとの色に戻っていく。ジェルヴェーズたちを庇ったときのままだった姿勢がゆっくりと解けて、パタリと床に倒れこむ。
「乙女!」
「トーヴァ!」
真っ先に飛びついたネリアーが、トーヴァを抱き起こす。そこにジェルヴェーズが抱き付いて、トーヴァを呼びながらぺたぺたと身体を確かめた。
続いてカーティスがすぐ横に膝をついて、手首の脈を確認する。
「トーヴァ従姉、身体の感覚は? 指先まで動くかい?」
「ええ……あの、カーティス、ネリアー、もう大丈夫なの? 姫様は……無事、なのね? アルトゥール殿下は?」
「言葉は問題ないね? 目と耳も?」
「ちゃんと見えてるし、聞こえてるわ」
「乙女、乙女、幻覚が見えてはいませんね? 私が誰か、わかりますね?」
「ええ、ネリアー、大丈夫よ。姫様もあまり変なところを触らないでくださいませんか。擽ったいのです。
――あの、それで、亡霊はどうしたんですか?」
「トーヴァ、よかったわトーヴァ!」
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