110 / 152
鹿角の町
いいなあ
しおりを挟む
「イヴリン、大丈夫かな」
せっかくの鹿肉の煮込みでイヴリンも楽しみにしていたのに。
十分煮込んだ肉はちょっと突いただけでほろほろと崩れるくらい柔らかくて美味しいのに、これが食べられないなんて残念だ。
旅の疲れか寒風に冷えたのか、この“鹿角の町”に着くなりイヴリンは食欲がないと言って部屋にこもりきりになってしまったのだ。
熱はないから明日まではようすを見ると、アライトも一緒だ。
せめてなにか飲み物くらいはと水や汁気の多い果物を部屋に運び入れていた。
アライトなら一晩中起きたままで平気だし、あれこれとイヴリンの世話もするのだろう。任せておけば安心だ。
「アライトが見てるし、明日までこのままならこの町には太陽神の教会があるから、連れて行けばいいよ。念のため、魔法薬も渡してあるんだろう?」
こくんと頷きながらエルヴィラは、はあ、と溜息を吐く。
「魔物なら戦えるけど、病気じゃ戦ってやっつけられない」
「またそういう短絡的なところに」
ミーケルが苦笑してエルヴィラの背を宥めるように叩く。
「ほら、ヴィーもしっかり食べて。君まで体調崩したらまずいだろう?」
「私は病気とかしたことないから大丈夫だ。だから気をつけるならミケだぞ。いちど熱を出してるしな」
「はいはい」
せめて明日は一緒に食べられるといいな、とエルヴィラは煮込みをぱくりと食べた。
その夜。
どんどんと扉が叩かれる音でエルヴィラはパッと目を覚ました。
すぐに横を確認すると、ミーケルも目を擦りながら起き上がるところだった。
「……何事?」
「なあ、おい」
「アライト?」
こんな深夜にアライトが来るなんて、イヴリンのことしかない。エルヴィラは扉に飛びつくようにして鍵を開ける。
「どうした。何があった?」
「俺、今から司祭を呼んでくるから、イヴリンを見ててくれないか」
「イヴリンに、何があった」
「わからないんだよ。いきなり吐いてぐったりしてるんだ……とにかく、司祭を呼んでくるから、頼むな」
おろおろと狼狽えてすっかり落ち着きをなくしたアライトは、エルヴィラが頷くとあっという間に宿を飛び出していった。
「ミケ、イヴリンのところに行ってくる」
「僕も行くよ」
エルヴィラに上着を投げて寄越し、自分も上着を羽織って立ち上がる。
「魔法薬も念のため、持って行こう」
荷物から魔法薬の袋を取り出し、ふたりですぐイヴリンの部屋へと向かった。
ぐったりとだるそうにベッドに横たわったままイヴリンは入ってきたふたりにちらりと目をやった。
「……夜中に、悪かったわね」
部屋の片隅には汚してしまったものを丸めて置いたのだろう。エルヴィラはちょっと顔を顰めて、「洗ってくる」とそこへと向かう。
ミーケルはイヴリンのようすやその汚れ物の塊を見て、わずかに首を傾げた。
「熱はないんだね? 食欲はなくて、吐いただけ? 他は?」
「そうよ。どうもむかむかが止まらないの。でも、それだけ」
「そう言えば、ここ数日もあまり食が進まないみたいだったよね。
――イヴリン、君、もしかして」
顔色もなんとなく青白いイヴリンを、目を眇めるようにミーケルは見つめる。イヴリンもベッドに伏せたまま、なんだか苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「やっぱり? 私も、もしかしたらそうじゃないかなって考えてたところなの」
「ん?」
きょろきょろとふたりを見比べて、エルヴィラは何の話だ、と首を捻った。ふたりだけでわかりあっているようだが、自分にはさっぱりわからない。
「とにかく、冷やさないように安静にして。水はなるべく飲んだほうがいいよ。食べられそうなものはある?」
「……果物ならなんとか食べられるの。だから、あとでアライトに頼むわ」
「“快適の外套”は持ってる?」
「ないけど」
「じゃあ、こっちで持ってるのを貸すよ。少し重いけど、着てれば寒くないから」
「ありがと」
目の前で淡々と交わされるやり取りに、エルヴィラはおろおろするばかりだ。イヴリンはともかく、ミーケルまでどうして瞬く間に事情を飲み込んでいるのか。
「い、イヴリン。いったい何がもしかしてなんだ?」
おそるおそる尋ねるエルヴィラをちらりと見て、イヴリンは微笑む。
「――月のものが来ないなあと思っていたのよね」
月のもの……月のもの……と考えて、エルヴィラは、まさかと驚愕に大きく目を見開いた。驚きのあまり、ぽかんとイヴリンを見つめてしまう。
「なん、だと」
その言葉だけが辛うじて出る。
そんな、まさか、まさか、アライトとイヴリンが、そこまで進んでいたなんて。
「やだ、なんでそんなに驚くのよ」
「だ、だってイヴリン……」
「私たちずっと一緒だったのよ。当然の成り行きじゃない」
「な、な……」
なんと言っていいやらわからず、エルヴィラは口をぱくぱくさせるだけだ。
考えてもみなかった。
当然の成り行き……当然、だと?
顔色も体調もすぐれないのににっこりと笑うイヴリンは、とても幸せそうだ。
……負けた。
イヴリンよりずっと前からミーケルと一緒にいるのに、この自分の体たらくといったらなんだ。何もかもイヴリンに先を越されてしまったではないか。
先制攻撃はカーリス家の家訓ではなかったのか。
こんなことでは爺様に叱られてしまう。
母上にだってカタをつけてこいと送り出されたのに、何をしているのか。
ぶるぶると震えるエルヴィラの頭を、ミーケルがぽんと叩いた。
「何考えてるかだいたい想像できたけど、落ち着いて」
「な、な、これが、落ち着いて、いられ……」
「今はイヴリンの容体だろう?」
「あっ」
はっと我に返って、イヴリンを振り返る。
相変わらずぐったりと寝たままで、笑っててもやっぱり辛そうだ。
「ご、ごめん、イヴリン」
「何が?」
また微笑むイヴリンが、なんだかすごく眩しく見える。
「とりあえず、わかったら、汚れ物洗ってきて。乾かすのはやるから」
「う、わかった」
頷いて汚れ物を抱えると、エルヴィラは部屋を出た。
せっかくの鹿肉の煮込みでイヴリンも楽しみにしていたのに。
十分煮込んだ肉はちょっと突いただけでほろほろと崩れるくらい柔らかくて美味しいのに、これが食べられないなんて残念だ。
旅の疲れか寒風に冷えたのか、この“鹿角の町”に着くなりイヴリンは食欲がないと言って部屋にこもりきりになってしまったのだ。
熱はないから明日まではようすを見ると、アライトも一緒だ。
せめてなにか飲み物くらいはと水や汁気の多い果物を部屋に運び入れていた。
アライトなら一晩中起きたままで平気だし、あれこれとイヴリンの世話もするのだろう。任せておけば安心だ。
「アライトが見てるし、明日までこのままならこの町には太陽神の教会があるから、連れて行けばいいよ。念のため、魔法薬も渡してあるんだろう?」
こくんと頷きながらエルヴィラは、はあ、と溜息を吐く。
「魔物なら戦えるけど、病気じゃ戦ってやっつけられない」
「またそういう短絡的なところに」
ミーケルが苦笑してエルヴィラの背を宥めるように叩く。
「ほら、ヴィーもしっかり食べて。君まで体調崩したらまずいだろう?」
「私は病気とかしたことないから大丈夫だ。だから気をつけるならミケだぞ。いちど熱を出してるしな」
「はいはい」
せめて明日は一緒に食べられるといいな、とエルヴィラは煮込みをぱくりと食べた。
その夜。
どんどんと扉が叩かれる音でエルヴィラはパッと目を覚ました。
すぐに横を確認すると、ミーケルも目を擦りながら起き上がるところだった。
「……何事?」
「なあ、おい」
「アライト?」
こんな深夜にアライトが来るなんて、イヴリンのことしかない。エルヴィラは扉に飛びつくようにして鍵を開ける。
「どうした。何があった?」
「俺、今から司祭を呼んでくるから、イヴリンを見ててくれないか」
「イヴリンに、何があった」
「わからないんだよ。いきなり吐いてぐったりしてるんだ……とにかく、司祭を呼んでくるから、頼むな」
おろおろと狼狽えてすっかり落ち着きをなくしたアライトは、エルヴィラが頷くとあっという間に宿を飛び出していった。
「ミケ、イヴリンのところに行ってくる」
「僕も行くよ」
エルヴィラに上着を投げて寄越し、自分も上着を羽織って立ち上がる。
「魔法薬も念のため、持って行こう」
荷物から魔法薬の袋を取り出し、ふたりですぐイヴリンの部屋へと向かった。
ぐったりとだるそうにベッドに横たわったままイヴリンは入ってきたふたりにちらりと目をやった。
「……夜中に、悪かったわね」
部屋の片隅には汚してしまったものを丸めて置いたのだろう。エルヴィラはちょっと顔を顰めて、「洗ってくる」とそこへと向かう。
ミーケルはイヴリンのようすやその汚れ物の塊を見て、わずかに首を傾げた。
「熱はないんだね? 食欲はなくて、吐いただけ? 他は?」
「そうよ。どうもむかむかが止まらないの。でも、それだけ」
「そう言えば、ここ数日もあまり食が進まないみたいだったよね。
――イヴリン、君、もしかして」
顔色もなんとなく青白いイヴリンを、目を眇めるようにミーケルは見つめる。イヴリンもベッドに伏せたまま、なんだか苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「やっぱり? 私も、もしかしたらそうじゃないかなって考えてたところなの」
「ん?」
きょろきょろとふたりを見比べて、エルヴィラは何の話だ、と首を捻った。ふたりだけでわかりあっているようだが、自分にはさっぱりわからない。
「とにかく、冷やさないように安静にして。水はなるべく飲んだほうがいいよ。食べられそうなものはある?」
「……果物ならなんとか食べられるの。だから、あとでアライトに頼むわ」
「“快適の外套”は持ってる?」
「ないけど」
「じゃあ、こっちで持ってるのを貸すよ。少し重いけど、着てれば寒くないから」
「ありがと」
目の前で淡々と交わされるやり取りに、エルヴィラはおろおろするばかりだ。イヴリンはともかく、ミーケルまでどうして瞬く間に事情を飲み込んでいるのか。
「い、イヴリン。いったい何がもしかしてなんだ?」
おそるおそる尋ねるエルヴィラをちらりと見て、イヴリンは微笑む。
「――月のものが来ないなあと思っていたのよね」
月のもの……月のもの……と考えて、エルヴィラは、まさかと驚愕に大きく目を見開いた。驚きのあまり、ぽかんとイヴリンを見つめてしまう。
「なん、だと」
その言葉だけが辛うじて出る。
そんな、まさか、まさか、アライトとイヴリンが、そこまで進んでいたなんて。
「やだ、なんでそんなに驚くのよ」
「だ、だってイヴリン……」
「私たちずっと一緒だったのよ。当然の成り行きじゃない」
「な、な……」
なんと言っていいやらわからず、エルヴィラは口をぱくぱくさせるだけだ。
考えてもみなかった。
当然の成り行き……当然、だと?
顔色も体調もすぐれないのににっこりと笑うイヴリンは、とても幸せそうだ。
……負けた。
イヴリンよりずっと前からミーケルと一緒にいるのに、この自分の体たらくといったらなんだ。何もかもイヴリンに先を越されてしまったではないか。
先制攻撃はカーリス家の家訓ではなかったのか。
こんなことでは爺様に叱られてしまう。
母上にだってカタをつけてこいと送り出されたのに、何をしているのか。
ぶるぶると震えるエルヴィラの頭を、ミーケルがぽんと叩いた。
「何考えてるかだいたい想像できたけど、落ち着いて」
「な、な、これが、落ち着いて、いられ……」
「今はイヴリンの容体だろう?」
「あっ」
はっと我に返って、イヴリンを振り返る。
相変わらずぐったりと寝たままで、笑っててもやっぱり辛そうだ。
「ご、ごめん、イヴリン」
「何が?」
また微笑むイヴリンが、なんだかすごく眩しく見える。
「とりあえず、わかったら、汚れ物洗ってきて。乾かすのはやるから」
「う、わかった」
頷いて汚れ物を抱えると、エルヴィラは部屋を出た。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。
たまこ
恋愛
公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。
ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。
※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
密室に二人閉じ込められたら?
水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?
猫に転生(う)まれて愛でられたいっ!~宮廷魔術師はメイドの下僕~
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
ブラック企業で働きに働き、過労による事故で死んだ三十路OLの愛良。もう社畜なんてこりごりだから、来世は金持ちの飼い猫にでも生まれ、ただ可愛がられて食っちゃ寝生活を送りたい……。と、死に際に願ったのもむなしく、異世界のとある王国の王宮メイド・アイラに転生してしまう。
そして、そこでもお局メイドにこき使われて疲れ果てる毎日。現実逃避からなのか、ある夜眠った際、夢の中で一匹の猫に変身し、王宮で人気のイケメン宮廷魔術師・アトスにひたすら可愛がられる夢を見た。
それから時折そうした夢を見るようになるのだが、何度目かでなんとアトスの膝の上で人間に戻ってしまい……!? 「えっ、これって夢じゃないの!?」「あなたはまさに理想の猫……いいえ、理想の女性です。逃がしませんよ」
なにがなんだかわからないうちに、外堀をどんどん埋められて……!?
腹黒エリート魔術師と猫に変身できちゃう転生社畜メイドとの、ドタバタラブストーリー&ファンタジー。
第3皇子は妃よりも騎士団長の妹の私を溺愛している 【完結】
日下奈緒
恋愛
王家に仕える騎士の妹・リリアーナは、冷徹と噂される第3皇子アシュレイに密かに想いを寄せていた。戦の前夜、命を懸けた一戦を前に、彼のもとを訪ね純潔を捧げる。勝利の凱旋後も、皇子は毎夜彼女を呼び続け、やがてリリアーナは身籠る。正妃に拒まれていた皇子は離縁を決意し、すべてを捨ててリリアーナを正式な妃として迎える——これは、禁じられた愛が真実の絆へと変わる、激甘ロマンス。
いなくなった伯爵令嬢の代わりとして育てられました。本物が見つかって今度は彼女の婚約者だった辺境伯様に嫁ぎます。
りつ
恋愛
~身代わり令嬢は強面辺境伯に溺愛される~
行方不明になった伯爵家の娘によく似ていると孤児院から引き取られたマリア。孤独を抱えながら必死に伯爵夫妻の望む子どもを演じる。数年後、ようやく伯爵家での暮らしにも慣れてきた矢先、夫妻の本当の娘であるヒルデが見つかる。自分とは違う天真爛漫な性格をしたヒルデはあっという間に伯爵家に馴染み、マリアの婚約者もヒルデに惹かれてしまう……。
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる