2 / 17
“娘”の物語
1.黒い竜/前篇
しおりを挟む
「それで、その魔物は何か、わかっているのか」
カルミナはいつものように平板な声で尋ねつつ、顔に掛かった真っ赤な髪を掻き上げた。
その声は酒場のざわめきに消されそうなほど小さい割に、対面に座る自分の耳までしっかりと届くのは何故だろう。
そんなことを考えつつ、イグナーツは首を振る。
「それがわからない。ま、行ったとこ勝負だろうな」
「お前はいつもそうだ。事前調査をなんだと考えている」
じろりと見上げて半眼になったカルミナの目に、呆れの色が浮かぶ。イグナーツは肩を竦めて「しかたないだろう」と返した。
「依頼者の話じゃ、家畜が襲われたという被害はあっても、魔物を見たやつは誰もいないというんだ。そんなんじゃ、何かなんてわからないだろう?」
やはりいつもと変わらない軽い言葉に、カルミナはとうとう溜息を吐く。
「魔法使いはどうするつもりだ。相手がわからないなら魔法での調査も必要となるはずだ。どこから調達する?」
「このあたりにはいないらしい。だから、魔法はカルミナの使える魔法頼りだな」
「……しかたない」
肩を竦めて笑うばかりのイグナーツに、カルミナはもう一度大きく、これ見よがしの溜息を漏らした。
「いつから行くんだ」
「明日にでも」
イグナーツとカルミナが一緒に組んで仕事を請け負うようになって、もう三ヶ月が過ぎていた。
最初は成り行きだった。
傭兵組合に登録に来たものの勝手のわからないカルミナが、そこに居合わせたベテランらしい剣士、つまり、イグナーツにいろいろと教えを乞うたのが始まりだ。
へらへらと締まりのない笑いを浮かべたイグナーツという傭兵は、意外にも剣士としては手練であり、そのうえかなりのお人好しでもあった。
傭兵として身を立てようと組合に来てはみたものの、右も左もわからないと途方に暮れるカルミナに、まずはと懇切丁寧に登録のしかたを教えた。
その後も、「これも何かの縁ってやつだ」と世話を焼き……最初の依頼を終えるまではと言って、何くれとなく面倒を見てくれたのだ。
簡単な魔法と斥候をこなせるカルミナと、魔法はからっきしだが剣の腕だけは滅法よいイグナーツはチームとしての相性もよかった。
それからも度々組んで依頼をこなすようになり、ふたりで組んだほうがより多くの依頼をこなせるとわかった今では、正式にチームを組んで仕事を受けるようになっている。
表情の変化も声の抑揚も乏しいカルミナから、最初こそあまり感情の動きを追えずにいたイグナーツだったが、今では彼女に現れる僅かな変化が難なくわかるようにもなっていた。
いつもふざけて笑っているだけのイグナーツが、実は評判より遥かに腕が立つ剣士であり、言われるほどいい加減な性格でもないことを、今のカルミナはよく知っている。
翌日、ふたりはさっそく依頼のあった村へと出発した。
轡を並べて馬を歩かせながら、カルミナは再度確認だと口を開く。
「お前は、魔物がなんだと考えている?」
「家畜が襲われたっていうからなあ……ありがちなところで、ただの獣か巨狼ってところかな。それより厄介なやつだとすれば、梟熊か魔狼の群あたりか」
「妥当だな」
辺境で、家畜が魔物に襲われたので退治してくれという依頼は意外に多い。
もちろん、騎士団へ討伐隊の派遣を頼むこともできるし、それなら費用はかからない。
だが、中央から離れた辺境では、討伐隊の派遣までにかなりの時間がかかってしまう。
時間がたてばたつほど魔物の被害は大きくなるものだ。
ようやく討伐騎士たちが到着したものの、既に家畜は全てやられた後で人間にまで被害が出ていたということになれば、その後の生活が立ち行かなくなってしまう。
そこで、多少金はかかってもすぐに動いてくれる、イグナーツやカルミナのような傭兵へ魔物退治を依頼しようとなるわけだ。
戦争らしい戦争など起きることのない西大陸で、傭兵の仕事といえば、この手の魔物退治や商隊や要人の護衛などが主な仕事だった。
「あそこが問題の村か」
「ああ、あれだな」
細い街道を半日ほど馬を進めた先、カルミナがかすかに見える集落を指すと、イグナーツは頷いた。
「まずは、村長の家に行こう。魔物が何かくらいはわかったかもしれないし」
「そうだな」
街道沿いの畑地で農作業に精を出すひとびとに村長の家の場所を聞き、ふたりは馬を急がせる。
村長の家は集落のほぼ真ん中で、すぐにそれとわかるものだった。
「では、相変わらず魔物の正体はわからないと?」
「ええ、そうなんです」
困ったように汗を拭きながら壮年に差し掛かったくらいの男が頷いた。イグナーツは、むう、と唸りながら考え込む。
あれこれと聞き出しては見たものの、村長も実際にその魔物を目にしたわけではなく……これ以上聞いたとしても、埒があかなそうだ。
「まずは家畜が襲われた場所を確認すべきだろう。痕跡から魔物がわかるかもしれない」
「そうだなあ……やっぱ、それしかないか」
カルミナの提案に、イグナーツも同意する。
村長に案内のできる者を頼んで、現場の確認だけでも、今日のうちにさっさと済ませてしまおうと決めた。
すでに村長が呼んでいたのか、四半刻もしないうちに息を切らせた男が現れて、案内の狩人だと紹介された。
まずは日が沈む前に家畜が襲われたという放牧地の場所へと向かう。もうあと二刻もしないうちに日没を迎え、あたりは暗くなってしまうのだ。急いだほうがいいだろう。
歩きながら、襲われた家畜の様子はどうだったのか、このあたりに出る魔物といったら何なのか、同行する狩人からいろいろと聞き出してはみたが……。
「それが、さっぱりで……」
狩人にも、魔物の正体がわからないのだと言う。
たしかに、この辺りにも魔狼や巨狼はいる。しかし、そういうよくある魔物に襲われたのだとは、どうにも思えないのだ。
現場に家畜の死骸や血痕は残っていたけれど、肝心の魔物がどこからどうやってそこへやってきたのか、周辺の地面には痕跡すら残っていない。
そう語る狩人に、さすがのイグナーツも考え込んでしまう。
「そりゃちょっと面倒だな」
「このあたりの地形に詳しい奴は誰だ? あの森の中も含めてだ」
ふと、周辺をぐるぐると見回しつつ歩くカルミナが急に尋ねた。狩人がパッと顔を上げて、自分だと答える。森の中までを熟知しているのは、やはり狩人か。
カルミナはひとつ頷いて、このあたり……特に森の中にあるものや、丘陵地帯や山までの距離など、次々と質問していった。
「カルミナ、何か気がついたことでもあるのか?」
「少し気になったことがある。だが、現場を見るまではなんとも言えない」
相変わらず、カルミナは表情を変えることなく淡々と述べる。そのカルミナに肩を竦めて、イグナーツは「厄介なことにならなきゃいいな」と独りごちた。
2日前に家畜が襲われたという現場には、まだ生々しい血痕や何かの爪痕などがくっきりと残ったままだった。
きっと、今日まで雨も降らずにいたおかげだろう。
「俺たちも周りは調べてみましたが、急に、突然この場に魔物が現れたとしか思いようのない跡しかなかったんで……」
歯切れの悪い狩人の言葉に頷きながら、カルミナは地面に残されたものを仔細に観察する。
爪跡は、魔狼や巨狼のような、ましてや狼のような獣の爪ではなかった。もっと鋭く長く尖った……しかし、梟熊のものとも言えず……。
それに、この現場の周囲にはたしかにこの魔物が残した痕跡がない。普通、どんなに慎重な魔物でも、ここへ来るときと去るときの両方、あるいはどちらかに足跡を残すものだ。
まだ日があるうちに出来る限り調べてカルミナが出した結論は、「魔物は空から来たのだろう」だった。
「空から?」
怪訝そうに首を傾げるイグナーツに、カルミナは現場の一点を指し示す。
「ここを見ろ。かなり窪んでいるだろう。それなりに重さのある奴が降りた時の跡だ。この爪のある足跡も、そいつのものだろう」
「空を飛ぶ、魔物?」
狩人が青い顔でじっと足跡を見つめ、それから「まさか空を飛ぶ魔物がここに?」と、不安げに空をぐるりと見回した。
「ああ、その通り。行き来の跡なんか残すわけがない。そいつは空を飛んでここまで来たんだからな」
「カルミナ、お前、こいつが何か予想がついたのか?」
目を丸くして驚くイグナーツに、カルミナは頷き返した。
「はっきりと断言はできない。だが、だいたいは。話は戻ってからだ」
太陽は、そろそろ地平の向こうへ沈もうとしている。あと四半刻ほどで、このあたりは闇に包まれるだろう。今のうちに戻ったほうがいい。
カルミナに促されて、イグナーツも狩人も後を振り返りながら、村への道を足早に戻っていった。
「なあ、カルミナ。空を飛ぶってことは、鷲獅子あたりか?」
村長に空を飛ぶ魔物の仕業だと伝え、用意された部屋に引っ込むと、ずっと気になっていたのか、イグナーツがさっそく身を乗り出した。
あの場で村長に言わなかったのは何か理由があるのだろうと、声は驚くほどに小さく落としている。
カルミナはちらりとイグナーツを一瞥し、「いや」と首を振った。
「たぶん、もっと悪いものが相手だろう」
「悪い? なら、飛竜か? けど、飛竜は獲物をあんなに汚く食い散らかすか?」
「その通りだ。飛竜は普通、捕まえた獲物を巣に運んでから食うものだからな」
「じゃあ、何だって言うんだ?」
イグナーツは、まるで嫌なことを考えてしまったとでも言わんばかりに、思い切り顔を顰めていた。
「竜かもしれない」
「まさか」
カルミナの言葉を反射的に否定してから、イグナーツは息を呑む。
「――本当に?」
「この辺りに、飛竜や鷲獅子の棲家になるような地形はないだろう? 一番近い場所で、南のエッタラー山地だ。わざわざこんな遠方まで餌を獲りに来る意味がわからない」
たしかに、エッタラー山地なら鷲獅子や飛竜がいるかもしれない。しかしいかんせん遠過ぎる。たとえ空を飛べても二日は掛かるほどなのだ。
鷲獅子や飛竜ではないというのももっともだろう。
だが、それにしたって竜?
イグナーツはカルミナに先を促した。
「狩人の話では、ここから近い森の奥に沼地があるという。あまりひとが立ち入らないような……狩人も滅多にそこまでは入らない、森の奥にだ。
――それに」
カルミナが腰に下げた袋をごそごそと探り、何か小さなかけらを取り出した。
「あそこに落ちていたこれも、私が竜だと考える根拠だ」
カルミナの指に摘まれていたのは、端が少し欠けた、小指の爪ほどの小さな黒い鱗だった。
「この落とし物の主は竜だろう。黒い竜は沼地を好んで棲家にすると聞いたこともある。このあたりの地形から考えると、妥当なところだ。
もっとも、足跡から考えて、大きさは馬くらいだとは思うが」
ここまで乗ってきた馬を思い浮かべたイグナーツは、ますます顔を顰めて「参ったな」と小さく呟いた。
カルミナはいつものように平板な声で尋ねつつ、顔に掛かった真っ赤な髪を掻き上げた。
その声は酒場のざわめきに消されそうなほど小さい割に、対面に座る自分の耳までしっかりと届くのは何故だろう。
そんなことを考えつつ、イグナーツは首を振る。
「それがわからない。ま、行ったとこ勝負だろうな」
「お前はいつもそうだ。事前調査をなんだと考えている」
じろりと見上げて半眼になったカルミナの目に、呆れの色が浮かぶ。イグナーツは肩を竦めて「しかたないだろう」と返した。
「依頼者の話じゃ、家畜が襲われたという被害はあっても、魔物を見たやつは誰もいないというんだ。そんなんじゃ、何かなんてわからないだろう?」
やはりいつもと変わらない軽い言葉に、カルミナはとうとう溜息を吐く。
「魔法使いはどうするつもりだ。相手がわからないなら魔法での調査も必要となるはずだ。どこから調達する?」
「このあたりにはいないらしい。だから、魔法はカルミナの使える魔法頼りだな」
「……しかたない」
肩を竦めて笑うばかりのイグナーツに、カルミナはもう一度大きく、これ見よがしの溜息を漏らした。
「いつから行くんだ」
「明日にでも」
イグナーツとカルミナが一緒に組んで仕事を請け負うようになって、もう三ヶ月が過ぎていた。
最初は成り行きだった。
傭兵組合に登録に来たものの勝手のわからないカルミナが、そこに居合わせたベテランらしい剣士、つまり、イグナーツにいろいろと教えを乞うたのが始まりだ。
へらへらと締まりのない笑いを浮かべたイグナーツという傭兵は、意外にも剣士としては手練であり、そのうえかなりのお人好しでもあった。
傭兵として身を立てようと組合に来てはみたものの、右も左もわからないと途方に暮れるカルミナに、まずはと懇切丁寧に登録のしかたを教えた。
その後も、「これも何かの縁ってやつだ」と世話を焼き……最初の依頼を終えるまではと言って、何くれとなく面倒を見てくれたのだ。
簡単な魔法と斥候をこなせるカルミナと、魔法はからっきしだが剣の腕だけは滅法よいイグナーツはチームとしての相性もよかった。
それからも度々組んで依頼をこなすようになり、ふたりで組んだほうがより多くの依頼をこなせるとわかった今では、正式にチームを組んで仕事を受けるようになっている。
表情の変化も声の抑揚も乏しいカルミナから、最初こそあまり感情の動きを追えずにいたイグナーツだったが、今では彼女に現れる僅かな変化が難なくわかるようにもなっていた。
いつもふざけて笑っているだけのイグナーツが、実は評判より遥かに腕が立つ剣士であり、言われるほどいい加減な性格でもないことを、今のカルミナはよく知っている。
翌日、ふたりはさっそく依頼のあった村へと出発した。
轡を並べて馬を歩かせながら、カルミナは再度確認だと口を開く。
「お前は、魔物がなんだと考えている?」
「家畜が襲われたっていうからなあ……ありがちなところで、ただの獣か巨狼ってところかな。それより厄介なやつだとすれば、梟熊か魔狼の群あたりか」
「妥当だな」
辺境で、家畜が魔物に襲われたので退治してくれという依頼は意外に多い。
もちろん、騎士団へ討伐隊の派遣を頼むこともできるし、それなら費用はかからない。
だが、中央から離れた辺境では、討伐隊の派遣までにかなりの時間がかかってしまう。
時間がたてばたつほど魔物の被害は大きくなるものだ。
ようやく討伐騎士たちが到着したものの、既に家畜は全てやられた後で人間にまで被害が出ていたということになれば、その後の生活が立ち行かなくなってしまう。
そこで、多少金はかかってもすぐに動いてくれる、イグナーツやカルミナのような傭兵へ魔物退治を依頼しようとなるわけだ。
戦争らしい戦争など起きることのない西大陸で、傭兵の仕事といえば、この手の魔物退治や商隊や要人の護衛などが主な仕事だった。
「あそこが問題の村か」
「ああ、あれだな」
細い街道を半日ほど馬を進めた先、カルミナがかすかに見える集落を指すと、イグナーツは頷いた。
「まずは、村長の家に行こう。魔物が何かくらいはわかったかもしれないし」
「そうだな」
街道沿いの畑地で農作業に精を出すひとびとに村長の家の場所を聞き、ふたりは馬を急がせる。
村長の家は集落のほぼ真ん中で、すぐにそれとわかるものだった。
「では、相変わらず魔物の正体はわからないと?」
「ええ、そうなんです」
困ったように汗を拭きながら壮年に差し掛かったくらいの男が頷いた。イグナーツは、むう、と唸りながら考え込む。
あれこれと聞き出しては見たものの、村長も実際にその魔物を目にしたわけではなく……これ以上聞いたとしても、埒があかなそうだ。
「まずは家畜が襲われた場所を確認すべきだろう。痕跡から魔物がわかるかもしれない」
「そうだなあ……やっぱ、それしかないか」
カルミナの提案に、イグナーツも同意する。
村長に案内のできる者を頼んで、現場の確認だけでも、今日のうちにさっさと済ませてしまおうと決めた。
すでに村長が呼んでいたのか、四半刻もしないうちに息を切らせた男が現れて、案内の狩人だと紹介された。
まずは日が沈む前に家畜が襲われたという放牧地の場所へと向かう。もうあと二刻もしないうちに日没を迎え、あたりは暗くなってしまうのだ。急いだほうがいいだろう。
歩きながら、襲われた家畜の様子はどうだったのか、このあたりに出る魔物といったら何なのか、同行する狩人からいろいろと聞き出してはみたが……。
「それが、さっぱりで……」
狩人にも、魔物の正体がわからないのだと言う。
たしかに、この辺りにも魔狼や巨狼はいる。しかし、そういうよくある魔物に襲われたのだとは、どうにも思えないのだ。
現場に家畜の死骸や血痕は残っていたけれど、肝心の魔物がどこからどうやってそこへやってきたのか、周辺の地面には痕跡すら残っていない。
そう語る狩人に、さすがのイグナーツも考え込んでしまう。
「そりゃちょっと面倒だな」
「このあたりの地形に詳しい奴は誰だ? あの森の中も含めてだ」
ふと、周辺をぐるぐると見回しつつ歩くカルミナが急に尋ねた。狩人がパッと顔を上げて、自分だと答える。森の中までを熟知しているのは、やはり狩人か。
カルミナはひとつ頷いて、このあたり……特に森の中にあるものや、丘陵地帯や山までの距離など、次々と質問していった。
「カルミナ、何か気がついたことでもあるのか?」
「少し気になったことがある。だが、現場を見るまではなんとも言えない」
相変わらず、カルミナは表情を変えることなく淡々と述べる。そのカルミナに肩を竦めて、イグナーツは「厄介なことにならなきゃいいな」と独りごちた。
2日前に家畜が襲われたという現場には、まだ生々しい血痕や何かの爪痕などがくっきりと残ったままだった。
きっと、今日まで雨も降らずにいたおかげだろう。
「俺たちも周りは調べてみましたが、急に、突然この場に魔物が現れたとしか思いようのない跡しかなかったんで……」
歯切れの悪い狩人の言葉に頷きながら、カルミナは地面に残されたものを仔細に観察する。
爪跡は、魔狼や巨狼のような、ましてや狼のような獣の爪ではなかった。もっと鋭く長く尖った……しかし、梟熊のものとも言えず……。
それに、この現場の周囲にはたしかにこの魔物が残した痕跡がない。普通、どんなに慎重な魔物でも、ここへ来るときと去るときの両方、あるいはどちらかに足跡を残すものだ。
まだ日があるうちに出来る限り調べてカルミナが出した結論は、「魔物は空から来たのだろう」だった。
「空から?」
怪訝そうに首を傾げるイグナーツに、カルミナは現場の一点を指し示す。
「ここを見ろ。かなり窪んでいるだろう。それなりに重さのある奴が降りた時の跡だ。この爪のある足跡も、そいつのものだろう」
「空を飛ぶ、魔物?」
狩人が青い顔でじっと足跡を見つめ、それから「まさか空を飛ぶ魔物がここに?」と、不安げに空をぐるりと見回した。
「ああ、その通り。行き来の跡なんか残すわけがない。そいつは空を飛んでここまで来たんだからな」
「カルミナ、お前、こいつが何か予想がついたのか?」
目を丸くして驚くイグナーツに、カルミナは頷き返した。
「はっきりと断言はできない。だが、だいたいは。話は戻ってからだ」
太陽は、そろそろ地平の向こうへ沈もうとしている。あと四半刻ほどで、このあたりは闇に包まれるだろう。今のうちに戻ったほうがいい。
カルミナに促されて、イグナーツも狩人も後を振り返りながら、村への道を足早に戻っていった。
「なあ、カルミナ。空を飛ぶってことは、鷲獅子あたりか?」
村長に空を飛ぶ魔物の仕業だと伝え、用意された部屋に引っ込むと、ずっと気になっていたのか、イグナーツがさっそく身を乗り出した。
あの場で村長に言わなかったのは何か理由があるのだろうと、声は驚くほどに小さく落としている。
カルミナはちらりとイグナーツを一瞥し、「いや」と首を振った。
「たぶん、もっと悪いものが相手だろう」
「悪い? なら、飛竜か? けど、飛竜は獲物をあんなに汚く食い散らかすか?」
「その通りだ。飛竜は普通、捕まえた獲物を巣に運んでから食うものだからな」
「じゃあ、何だって言うんだ?」
イグナーツは、まるで嫌なことを考えてしまったとでも言わんばかりに、思い切り顔を顰めていた。
「竜かもしれない」
「まさか」
カルミナの言葉を反射的に否定してから、イグナーツは息を呑む。
「――本当に?」
「この辺りに、飛竜や鷲獅子の棲家になるような地形はないだろう? 一番近い場所で、南のエッタラー山地だ。わざわざこんな遠方まで餌を獲りに来る意味がわからない」
たしかに、エッタラー山地なら鷲獅子や飛竜がいるかもしれない。しかしいかんせん遠過ぎる。たとえ空を飛べても二日は掛かるほどなのだ。
鷲獅子や飛竜ではないというのももっともだろう。
だが、それにしたって竜?
イグナーツはカルミナに先を促した。
「狩人の話では、ここから近い森の奥に沼地があるという。あまりひとが立ち入らないような……狩人も滅多にそこまでは入らない、森の奥にだ。
――それに」
カルミナが腰に下げた袋をごそごそと探り、何か小さなかけらを取り出した。
「あそこに落ちていたこれも、私が竜だと考える根拠だ」
カルミナの指に摘まれていたのは、端が少し欠けた、小指の爪ほどの小さな黒い鱗だった。
「この落とし物の主は竜だろう。黒い竜は沼地を好んで棲家にすると聞いたこともある。このあたりの地形から考えると、妥当なところだ。
もっとも、足跡から考えて、大きさは馬くらいだとは思うが」
ここまで乗ってきた馬を思い浮かべたイグナーツは、ますます顔を顰めて「参ったな」と小さく呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる