いつか夜明けをあなたと

ぎんげつ

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“娘”の物語

2.隊商の護衛/前篇

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 すでに全員が揃っていた。
 今回の仕事は隊商の護衛だ。経路の説明や割り当ては既に聞いているし、あとの仕事はいつもと同じ、何かに襲われたらそいつを切り捨てればいい。とても単純な仕事で、あとは出発を待つだけだ。

「カルミナ」
「なんだ」

 馬に跨ったままぼんやりと、何台も連なる隊商の大きな箱馬車を眺めているところに、不意に背後から声をかけられた。
 振り向けばそこにはいつの間にかイグナーツがいた。容易く背後を取られたことに若干苛ついて、カルミナはつい不機嫌な声を出してしまう。

「少し確認してみたんだが、フリーマールからフローブルクまでの街道では、やっぱり盗賊の襲撃が増えてるらしい」
「そうか」

 苛つきを置いて、だから、これほど多くの護衛をつけることにしたのかと納得する。
 ずっしりと商品を積み込んだ十台を超える荷馬車に、護衛として雇われた傭兵が二十人以上。その中には、剣を持った傭兵だけじゃなく魔法使いが三人も含まれている。
 こんなに多くの傭兵を抱えた大所帯の商隊なんて、滅多にない。

「あ、イグナーツ、そこにいたのね。じゃ、そっちが噂の相棒かしら?」

 場違いなくらい明るい声に顔を向けると、その三人の魔法使いのひとりが、にこにこと笑顔で手を振っていた。柔らかそうな栗色の髪に明るいヘイゼルの目をした、どこか小動物のようなふわふわと可愛らしい印象の女魔法使いだ。

「ベルか。お前も護衛に入ってたのか」
「ベルか、じゃないわ。気付いてなかったの? 少し前に顔合わせしたときにもちゃんといたわよ?」
「いや、全然」
「――相変わらずなのね、呆れたわ」

 ふたりの横まで馬を進めてきた魔法使いベルは、目を丸くしながら少し大袈裟なくらいに両手を挙げた。それから、ようやくカルミナへと視線を動かして、軽く会釈をする。

「私はベル。魔法使いよ。イグナーツともこれまで何度か仕事をしたことがあるの。しばらくはこの仕事で一緒ってことになるわ。よろしくね」

 ベルはすっと手を差し出した。
 少しだけ考えてから、カルミナはその手を握る。

「カルミナだ、よろしく」

 握手を交わすベルは、カルミナをまじまじと見つめる。観察か値踏みでもしているように、じっくりと。
 ――いったいなんなのか。
 さすがのカルミナも、訝しむように目を細める。
 けれどベルはそんなカルミナにふふっと笑い返して、イグナーツの肩をパシリと思い切り叩いた。

「こんな赤毛美人だなんて聞いてなかったわ。うまくやったじゃないの」
「おいおい、何がうまくだよ」
「わかってるくせに!」

 あははと笑いながらまた離れていくベルに、イグナーツはやれやれと苦笑しながらカルミナを振り返った。

「ベルは悪い奴じゃないんだけどな」
「ずいぶん親しいようだな」
「魔法使いのくせに気安い奴だし、誰が相手でもあんな感じなんだよ」
「そうか」

 他にも顔見知りの傭兵がいるのか、ベルはあちこちに声を掛けているようだった。



 隊商の歩みは遅い。歩くのとはそう変わらない速度で街道を進んでいく。重たい馬車が連なっているのだから、こうもゆっくりなのはしかたがないだろう。

「カルミナ、それにしたってなんでこう、急に盗賊が幅を利かすようになったんだと思う?」

 馬を並べたイグナーツが、声を顰めて話し掛けてきた。
 カルミナはそれがどうかしたのかとでもいうように、前を見たままだ。

「どこかに内通者がいるという話だな」

 確かにここふた月ほど、フリーマールからフローブルクへ至る街道での盗賊の被害は増えている。どんなに用心しても、それを嘲笑うかのように隙を突かれ、隊商の人間や護衛を殺して荷を奪い……内通者がいるとしか思えないのに、その内通者が誰なのかわからないのだ。
 もちろん、こうした被害が増え始めてからは、商人たちだって自衛はしていた。
 雇い入れる護衛は全員、傭兵組合で実績を積んだ信用のあるものばかりで固めたし、商人たちの雇い人も身元の確かなものたちばかりとした。さらには、いくつかの隊商で集まって規模を大きくしたり、いつ出発するかを秘密にしたりという対策だってした。
 なのに、被害はまったくおさまる気配を見せないのだ。

「今回の護衛は俺も知ってるやつばかりだな。しかも腕が立つって評判のやつを揃えてる。さすがに、これだけ被害が続いてるんだ。商人だってバカじゃないってな」
「――でなければ、魔法で操られているとか、か」
「魔法か……カルミナ。この中の誰かが魔法にかかってたら、お前にわかるか?」
「ひとを操るような魔法に限らず、内通するようなやつが魔法を使っておいて隠さないわけがない。本職でもないわたしに、隠された魔法などわかるはずがないが?」
「そううまくはいかないか……」

 カルミナはかすかに視線を動かして、視界の端にイグナーツを捉えた。
 イグナーツは、渋面で空を睨んでいた。

「お前の知り合いだという、あの魔法使いにでも頼めばいいだろう?」
「ベルか……ベルはちょっとなあ……」

 何故だかイグナーツは気乗りがしないようだ。
 大抵の人間に対して好悪を示さない彼にしては珍しい。カルミナは、今度ははっきりとイグナーツを振り向いた。

「あの魔法使いに何か問題でもあるのか?」
「そういうわけじゃないんだが、ちょっと苦手なんだ」

 溜息混じりにそう漏らして、イグナーツは肩を竦める。
 その言葉に、カルミナも少しだけ驚いてしまう。

「なんだ、男はああいう女を好むものだろうに」
「は?」
「何かおかしいことでも? わたしの知る限りだが、彼女のような女はよく男に好まれて言い寄られるものなんだろう? お前もそうなんじゃないのか?」

 カルミナが思わず言い返すと、今度はイグナーツがぽかんと口を開けて……けれど、すぐに口の端に笑みを浮かべる。

「いや……そこは好みによるというか、まさかお前からそんな話題が出るとは思わなかった」
「そんなことか」

 カルミナは軽く睨むように目を眇めて、けれどいつものような口調で返す。その、普段あまりない表情の変化に、イグナーツはついにやにやと笑ってしまう。

「ま、それはそれとして、前からなんでだか苦手なんだよ。別に好み云々ってのは抜きにしてな」
「お前にも、そんな相手がいるとは知らなかった」

 イグナーツは、得てして人当たりのいい男だ。
 まだ組んで半年も経っていない短い期間ではあるが、他の傭兵たちや依頼主たちと気が合わずにぎくしゃくしたり、ましてや揉めたりするようなところなど見たことがない。

「俺だって、苦手な奴のひとりやふたりくらいいるさ。もっとも、そんなんで仕事に支障をきたしてもしかたないし、だからどうしようってのもないけどな」
「そうか」
「そういうお前のほうは、苦手な相手はいるのか?」

 イグナーツに言われて、カルミナはふと考え込む。
 苦手というのは、何をもって判断しているのか、と。

「誰かが苦手かどうかなど、考えたこともない」
「お前、変わってるって、よく言われただろう」

 小さく零しただけなのに、イグナーツの耳にはしっかり届いていたようだ。
 いきなりぽんと頭を軽く叩かれて、カルミナはびくりと震えた。思わずイグナーツへ目を向けると、彼は、はは、と笑っていた。

「カルミナ、お前、猫に似てるって言われたことはないか? それも、人馴れしてない野良猫そっくりだって」
「どういう意味だ」
「どういうって、そのまんまだよ」

 いったい何が面白いのか、イグナーツはなおもくつくつと笑っていた。



 フローブルクまでのおおよそ中間点あたり、イルムタールの町へ至る少し手前の土地は荒れていて、人里からも離れている。もちろん、隊商が逗留できるような町や村などない。
 もし襲撃されるとすればここだろうと、誰でも容易に想像できる場所だった。

 しかし、わかっていても、夜通し進むわけにはいかない。

 ここを通る隊商がいつもそうするように、今回もここでの野営に決めた。
 今回の商隊の規模は大きく、傭兵だってかなりの数を雇った。魔法使いだっている。
 だから、万が一襲われたところで、今度こそ撃退できるだろう……そういう目算だ。

 何度も野営に使われ、すっかり平らに均された街道沿の広場を野営地と定め、馬車を止める。天幕を張り、食事の用意を始め、魔法であたりのようすを調べ……全員が十分に警戒しながら、一晩の休憩を取る準備を進めていった。

「ねえ、来ると思う?」
「来るだろうな。ここ以上に襲撃に適した場所はない」

 獣除けと鳴子の魔法を掛けるベルの後ろを、カルミナが護衛をしていた。急に尋ねられて何がと一瞬だけ首を傾げたが、カルミナはすぐに盗賊のことかと思い付いた。
 手早く魔法を唱えて、ベルも頷く。

「やっぱりそうよね。これまでに襲われたのもこの辺りだって聞いてるもの。
 だいたい、南に向かう街道はこっちか山越えするかの二択で、こっちを選ぶしかないっていうのが困りものなのよね」
「たしかにな」

 これだけ大きな馬車を何台も抱えた隊商に山越えはきつい。おまけに、山の中の街道は狭く、道もそこまで良くないのだ。

「とはいえ、今日を凌げばあとは楽になるんだから、頑張りましょう。
 ところで、カルミナ」
「なんだ?」
「どうやってイグナーツの相棒になったの?」
「どうやってとは?」

 ベルがにこにこと笑いながら振り向いた。
 しかし、何をもって“どうやって”なのかと、カルミナは本気で首を傾げる。それが盗賊と何の関係があるというのか。

「イグナーツは今までずっとひとりでやってたのに、急に相棒ができてるんだもの。これまで誰かに誘われても正式にチームを組むことなんてなかったのよ。いったい何があったのかと気になるわ」
「共に仕事をしてみて、組んだ方がお互い都合が良いから組むことにしただけだ」
「ふうん?」

 ベルはどうにも納得できないという顔で頷く。

「色仕掛けでも使って落としたのかと思ったのに。あなた美人なんだもの」

 カルミナはくすっと笑うベルを一瞥してつまらなそうに目を眇める。

「あいつがそんなものに引っかかるとは思えないが」
「そうかしら? 彼だって据え膳があれば食べてしまうんじゃないの?」
「食べたからといって、即、引っかかったということにはならないだろう。それに、わたしにはそんなことをする理由もない」

 にべもない言葉に、ベルは少し鼻白んだようだった。

「――なんだ、本当にそういう関係じゃないのね。つまらないわ。
 じゃ、戻りましょうか」

 やれやれとかぶりを振って、ベルは歩き出した。いったい何を期待していたというのか。呆れたように吐息を漏らして、カルミナはその後に続いた。



 後は交代で夜番をこなすだけだ。

 配られた夕食を受け取って、カルミナはイグナーツの横に腰を下ろした。しかし、一口スープを啜ろうと口を付けたところで、すぐにスプーンを置いてしまう。

「どうした?」
「胃の具合があまり良くないようだ。あまり食欲がわかないから、夕食は控えて様子を見ることにする」

 イグナーツは少し心配そうに目を細める。

「大丈夫か?」
「ああ、一食抜かしてどうこうなるような体力でもないし、問題ない。
 お前こそ、どうした。食べていないじゃないか」
「んー……これ、どうも好きじゃないんだよな」
「好き嫌いがあるのか、贅沢だな」
「まあ、堅いこと言うなって」

 イグナーツも何故だかあまりはっきりしない言い訳とともに皿を置いて、へらりと笑う。

「嫌いなものを食べずに済むってのは、大人の特権だろ?」
「呆れた奴だな」

 カルミナは、まだ空の低いところに留まっている白い三日月へと目をやった。
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