いつか夜明けをあなたと

ぎんげつ

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“娘”の物語

6.変化/後篇

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 もやもやとした気持ちを抱えたまま、イグナーツは部屋に戻った。そのままどすんとベッドに腰を下ろして、大きく溜息を吐く。

 怯えられているのにあれは、逆効果じゃないのか。
 馬鹿か、自分は。
 いったい自分の何がそこまで彼女を怯えさせてしまったのかわからない。だが、それでもカルミナは傭兵を続けるしチームも解消する気がないという。
 解消はないというのに、あまり嬉しくない。
 カルミナの考えていることが、よくわからない。

 最初に組合で出会った時は、どことなく放っておけないと思っただけだった。それ以外、何の他意もなかったのは間違いない。ただ、依頼の選び方や仕事のやり方なんかのコツをほんの少し教えてやれば、それで終わりのつもりだった。
 本当にどうしてこうなったのか。

 カルミナが自分から離れないというのは、そういう意味ではない。単に、何かしらの理由なり事情なりがあるからだ。
 そのくらい自分にだってわかる。

 時折、観察されているとも感じていた。
 多少の警戒もしていたけれど、仕事では頼りにできるのだからと気にしてはいなかった。そもそも、自分のような生粋の傭兵ではなく、人生の途中から傭兵へ転向するような連中には事情持ちが多いのだ。
 だから、多少何かを抱えているくらい、どうということはなかった。そこを追求するようなマナー違反をする気もなかった。

 だが、この状況はキツい。

 どっちつかずのまま、中途半端に崖から吊り下げられてるようだ。落とすならいっそ一息に谷底まで叩き落としてくれれば、潔く諦めもつくというものだ。

「いつからだったんだよ、俺は」

 まったくもって調子が狂う。

 組んで仕事をするようになって、もう半年以上だ。
 カルミナだって一本立ちした傭兵として身を立てているのだ。
 腕が立つことも知っている。
 それでも、彼女をあまり危険に晒したくはない。自分が危険に陥ることの覚悟はあるのに、彼女が危険を負うことへの覚悟はできていない。
 本当に、自分はいったい何をしているのか。

 その日、夕食時になってもカルミナは姿を現さなかった。
 顔を合わせることすら嫌なのかと、イグナーツはさらに落ち込んだのだった。


 * * *


 もう嫌だ。こんなのは嫌だ。
 何も考えたくない。
 考えるのはやめよう。
 最初の目的通り、あいつを殺して“父”のところへ帰ればいい。
 それですべて元通りだ。
 以前と変わらない、ただイグナーツも“カルミナ”もいないだけの生活に戻るのだ。



 “仕事”の時はいつもそうするように、全身を隠す服を身につけた。
 磨き上げた暗器もすべて身に付けた。
 深夜を待ち、皆が寝静まるのを確認して、カルミナは魔法を唱える。隣の部屋で、イグナーツが眠る位置を確認し……あとは転移と同時に一息にやればいいだけだ。

 ――チャンスは最初の一撃だけ。

 それを外せば次はない。
 いかにイグナーツでも、自分を殺そうとした者を見逃しはしないだろう。



 しんと静まり返った暗い部屋。
 カルミナはイグナーツの寝ているベッドの横に“転移”した。
 気配を殺したまま闇に透かしてイグナーツを確認し、短剣を振り上げた。
 ――なのに、一瞬、動きが止まる。
 カルミナは頭を振り、何かを吹っ切るように右手を振り下ろした。
 短剣が刺したのはマットだけだった。

 避けられた、と思った瞬間、手首を捕らえられた。
 力任せに引き倒され、顔をマットに押し付けられて、うつ伏せに捩じ伏せられる。ぎりぎりと背中側に捻り上げられた腕の痛みに手が緩み、音を立てて短剣が床に落ちる。

 やっぱり失敗か。

 カルミナは抵抗を止めた。
 ここで死んだら“カルミナ”に怒られてしまうだろうか。

「まさか、カルミナ?」

 すべて、知られた。小さく息を吐いて、カルミナはその時を待つ。
 イグナーツが、顔を覆う布を乱暴に引き剥がし、顎に手をかけて上向かせた。曝け出されたカルミナの顔を、窓からの月明かりに透かし見る。

「――カルミナ、どうして」
「殺せ。お前の勝ちだ」

 カルミナは目を閉じた。
 たとえ自分カルミナであっても、イグナーツに、自身を殺し損ねた者を見逃す道理はない。

 なのに、イグナーツはいつまでもそれ以上動こうとしない。

「嫌だ」

 イグナーツの額が、カルミナの背に押し当てられる。

「今殺さなければ、私は何度でもお前を狙うぞ」
「それでも嫌だ。どうしてだカルミナ。理由を……理由を言ってくれ!」
「早く殺せ……殺して……」

 カルミナの背に、イグナーツの吐息がかかる。
 取り押さえていたはずの腕が、カルミナを抱き締める。
 ただ頑なに首を振るばかりのカルミナの顔が、くしゃりと歪む。

「もう、嫌なんだ」

 カルミナの目から、ぽろりと雫が溢れた。
 ひとつ溢れ、ふたつ溢れ、敷布にしみを作っていく。

「嫌なんだ。もう……もう、嫌だ」
「カルミナ」

 カルミナは、ただ「嫌だ」と泣きじゃくる。
 子供のようにただ頭を振って、「嫌だ」と繰り返して……カルミナの身体が不意に仰向かされた。涙に濡れた瞼に口づけ、頬に口づけ、最後にカルミナの唇を塞ぐ。そのまま貪るように、イグナーツの唇がカルミナの唇をぴったりと塞ぎ……口付けを深くしていく。
 イグナーツの手はいつの間にかカルミナの背に回されていた。

「好きなんだ。お前を愛してる」
「イグナーツ」
「お前が俺に、そういう意味で関心がないことくらい知ってる。だけど、俺はお前を愛してるんだ」
「イグ、ナーツ」
「カルミナ、だから、お前を殺せなんて言わないでくれ」

 肩に伏せられたイグナーツの頭に、カルミナは恐る恐る手を回した。そっと触れると、イグナーツが微かに震え……カルミナはゆっくりとイグナーツの頭を抱きしめた。
 顔を上げたイグナーツが、今度は恐る恐るキスをする。カルミナは、目を伏せて、それを受け入れる。

「本当は……本当は、殺せなかったんだ」
「カルミナ?」
「お前のこと、殺せなかった」

 カルミナが瞬くと、目の端からまたひと雫、涙がこぼれ落ちた。

「どうしても殺せなかった」
「カルミナ」
「魔の森でだって、できなかったんだ。今ならやれると思っても、手が止まって……本当は、殺したくなくて、だめだったんだ」
「カルミナ」
「だめなんだ。私はイグナーツを殺したくないんだ。仇なのに、だめなんだ」

 イグナーツに縋り付いて、カルミナは「殺せない」と繰り返す。

「苦しいんだ。助けて……イグナーツ、助けて。苦しい」
「ああ、俺が助けになるから……お前が誰でも愛してる。だから、ひとりで苦しむな」

 イグナーツがもう一度抱きしめると、カルミナは縋りつくように、抱きしめ返した。
 ゆっくりと、深く、長く、口付けを重ねていく。

 ああ、だからカルミナは、自分を伺っていたのか。

 ぽつりぽつりと零される言葉を拾い、イグナーツは繋げていく。
 ずっと一緒だった双子の片割れを、イグナーツに殺されて……単なる逆恨みでしかなくても、それでも半身を奪われて許せなかった。
 殺そうとしても殺せず、自分の技量に失望もした。そのうち、殺せないのか殺したくないのか、だんだんとわからなくなって……。

「カルミナ」

 イグナーツはカルミナをそっと呼ぶ。

「そうだな……俺もまだ死にたくはないが、お前に刺されるんだったら、まあ、男冥利に尽きるというか……」
「――イグナーツ?」
「お前に身体で籠絡されて、夢中になってるあいだにってのも一興かな」
「お前、何を……」

 カルミナの濡れた目が、数度瞬いた。
 イグナーツは何を言っている?
 何をしようとしている?

「俺は止まらないよ、カルミナ。惚れた女がこうして縋り付いてるんだ。俺が止まれるわけ無いだろう?」

 またキスをして、さっき落とした短剣を、カルミナの手に握らせた。

「お前がどうしても仇を討ちたいと望むなら、背でも首でも刺せばいい。こうしてお膳立てされてやり損ねるような間抜けじゃないだろう、お前は。
 それでも刺せなかったら……」

 イグナーツは表情を緩めてふっと笑う。

「その時は、お前のすべてが俺のものだ」

 イグナーツの手が、カルミナの身体を滑る。
 ゆっくりとベルトを緩め、ボタンを外し、肌をあらわにしていく。

 カルミナは動けない。

 握らされた短剣はそのままに、けれど動くことも抗うこともなく、ただじっとイグナーツの為すがまま、身体を委ねている。

 イグナーツの唇が、肌を啄む。
 ときおりチリっとした痛みを感じて、それがとても心地よいものに思えて、カルミナの心臓がどくんと大きく跳ね上がる。

 今日のカルミナは鎧を付けていない。
 着ているものも、動きやすさを優先した飾りも何もないもので……すぐにすべてを脱がされて、暗い部屋の中、射し込む月明かりにカルミナの裸身が白くぼんやりと浮かび上がる。

「カルミナ、お前はきれいだな」

 どこまでも柔らかく、イグナーツが笑う。
 キスをして身体を起こして、自分の寝着も脱ぎ捨てた。
 鍛えた筋肉に鎧われた身体は、あちこちに傷痕がある。一番新しいのは、ついこの前キマイラの爪に付けられた腹の傷痕だろう。
 カルミナがそっと手を伸ばして、指先でそこに触れる。

「もう、何ともない」

 カルミナの手に自分の手を重ねて、イグナーツが囁く。
 再び覆い被さったイグナーツの首を抱くように、カルミナの腕が回る。
 さっきまで握っていたはずの短剣は、もう、カルミナの手には無かった。

「イグナーツ、わたしは……私は、本当は、“ラーべ”なんだ」
「ラーべ?」
「そう。カルミナは私ではなくて、私は、ラーべなんだ」

 しばしきょとんとしたイグナーツは、たちまち蕩けるように笑み崩れて、「ラーべ」とカルミナ……ラーべを呼んだ。



 イグナーツは、ラーべが初めてだったことにも少し驚いたようだった。驚いて、すぐに笑って「うれしいな」と呟いて……たいていはそうだと聞いたように、ほんの少しの痛みとそれを上回る満足感に、ラーべは自分もいつの間にかイグナーツに惚れていたのだと、ようやく思い至ったのだった。

 それに、こんなに甘くこんなに大切そうに自分の名が呼ばれたことなんて、今まで一度も無かった。
 自分の喉からこんな声が出ることも知らなかった。

 イグナーツに穿たれて揺すられて、ラーべはただひたすらに喘ぐ。汗で滑る身体にしっかりとしがみつくラーべに、イグナーツがたくさんのキスを降らせる。あの時“父”にされたキスと、イグナーツのキスはまったく違うもので……イグナーツに抱かれて、こんな気持ちになるなんて、カルミナは怒るだろうか。

 でも、カルミナなら許してくれそうな気もした。
 仇が取れなくてごめんと謝る自分に、かつて、何かあるといつもそうだったように「ラーべは仕方ないな」と笑って、ちょっと肩を竦めて。
 自分に都合のいい想像でしかないけれど――もう、どうしたってラーべにはイグナーツを殺せない。カルミナなら、きっと、許して……。
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