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“娘”の物語
7.姉妹
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物心ついた頃には、わたしとラーベと父さまの3人だった。
わたしとラーベは双子で、見た目はほんとうにそっくりだった。
父さまは絶対に間違えなかったけど、父さま以外のひとは、私たちが入れ替わって仕草や話し方を似せてしまえば、どちらがどちらかなんて見分けられなかった。
けれど、姿はそんなにそっくりなのに、ラーベはわたしに比べて少し臆病で……いつも一歩引いて、わたしの後ろに隠れているような子だった。
双子で、どちらが姉で妹かなんてわからなかった。でも、そんなラーべとわたしなら、きっとわたしのほうが姉なのだ。
わたしたちが育つと、父さまは、遊びと一緒にいろいろなことを教えてくれた。武器の使い方、身の回りにあるものを武器に見立てた戦い方、生き物の隙の見極め方やとどめの刺し方、急所の位置。
最初はまだ四つか五つくらいの頃だったと思う。
もちろん、わたしもラーべも、最初は父さまの教えてくれることの意味なんて知らなかった。ただの遊びなんだと思っていた。
七つ八つと歳を重ねるにつれ、父さまが教えてくれることのすべてが殺すための知識であり方法であり技術であることは少しずつ理解していった。
けれど、だからそれがどういうことかまでは考えもしなかった。
わたしは、父さまに教えられるまま、嬉々としてそれを身につけていった。うまくできれば、父さまが優しく笑ってくれるから。
――わたしは父さまが怖かった。
なぜかはわからない。いつからもわからない。でも、いつも優しく微笑んでいるはずの父さまが怖くて仕方なかった。
ラーベも同じなのかと訊いてみても、ラーベはわからないようだった。不思議そうに見返すばかりだった。
父さまを怖いと感じているのは、わたしだけだった。
歳が上がるにつれて、父さまが教えてくれる内容はどんどん難しいものになっていった。
薬草や毒草の見つけ方と使い方、魔法の見極め方、閉ざされた場所へ入り込む方法、罠の見極め方、生き物の気配を見分ける方法、鍵の開け閉めのやり方、それに、鎧を身につけた自分よりも体格がいい男を効率よく仕留める方法や、魔法使いの魔法を封じて殺す方法も。
父さまがラーべに素養があると言って、魔法を教え始めたのもこの頃だった。
わたしに魔法が使えないことは残念だったけれど、父さまと少しだけ距離ができたことにはなぜか安心した。
そして、この頃からラーベは髪を黒く染めるようになった。たぶん、“赤”と“鴉”という名前に合わせてのことだろう。
けれど、ふと、父さまの黒髪とラーベの黒髪を見比べて、どことなく疎外感のような……いや、よりいっそうの、もっと嫌な何かを感じて、ますます怖くなってしまった。
わたしには、父さまが何を考えているかわからない。
父さまの姿はわたしたちが物心ついた時からまったく変わらなかった。
成長するにつれ、いろいろなことを知って、父さまは他種族の血を引いてるから変わらないのだと考えるようにもなった。
だから、わたしには父さまの考えがわからないし、父さまが怖いんだ、とも。
最初に父さまに“仕事”をするように言われたのは、十三の時だ。
「そろそろ実践を覚えなくてはな」
父さまはいつものように優しい微笑みを浮かべてそう言った。今まで身につけてきたことをうまく使えれば、とても簡単な“仕事”なんだと。
わたしとラーベは少しだけの緊張とともに頷いて、“仕事”へと向かった。
最初の“仕事”は呆気ないほどに簡単だった。
正直を言えば、わたしは、“仕事”ってこんなものなのかと思っていた。
でも、ラーベは違った。
少し震えて、目に怯えの色を浮かべていた。
以降、父さまに言われるがまま、たくさんの“仕事”をこなした。
対象はいろいろで、わたしたちとあまり年が変わらない人間もいたし、ずっと年寄な人間もいた。男も、女もいた。
“仕事”をひとつ終えるたび、ラーベからはだんだんと何かが消えていった。
わたしは父さまと同じ場所にいて、ラーべはわたしや父さまと逆のところにいる。
たぶん、そういうことだったのだろう。
わたしは最初から殺すことをなんとも感じていなかった。
でも、ラーベはそうじゃなかった。
“仕事”を終えた後はいつでも少し震えて、どこか痛そうな色を瞳に浮かべていて……けれど、ラーベは、そうやって湧き上がったいろいろなものは全部、内へと沈めて押し込んでいるようだった。
わたしも父さまも、最初からどこかおかしくてどこか壊れていたけれど、ラーベはとても普通だったのだ。
ラーベはいつも“仕事”に怯えて怖がっていた。
そして、父さまはそんなラーべが殊のほか気に入っているようだった。
だから、わたしは父さまの寝所へと向かった。
「ねえ、父さま」
十分に気配を殺したつもりだったけれど、父さまはもちろん起きていた。
「カルミナ、どうした」
「ねえ、父さま。わたしを父さまの女にしてよ」
婉曲さも何もかも置いて、わたしは父さまにしなだれかかった。父さまはくすりと笑って、わたしを抱き上げた。
「その教育は、もう少し先にと思っていたのだが」
「教育でなんて……わたし、父さまの女になりたいの。わたしを父さまの特別にして」
「ほう?」
「ねえ、わたし、父さまのこと好き」
所詮、十五を過ぎたばかりの小娘だ。後から考えれば、わたしの思惑なんて父さまはお見通しだったんだろう。
「だから父さま、お願い。相手は、わたしだけにして」
「――愚かな子とは可愛らしいものだな。ああ、なら希望どおり、お前がいる限り抱くのはお前だけと約束してあげよう」
これ以上ラーべが壊れないよう、わたしは必死だった。
父さまは楽しそうに笑いながら、わたしを組み伏せた。
毎夜毎夜、父さまの部屋へ行くわたしをラーべがどう思っていたのか、実のところよくわからない。ただ、わたしが「父さまが好き」と言えば、ラーべは「そうか」と返すだけだった。
そうやって、また何年も過ぎた。
一見、“仕事”に慣れたように見えても、ラーべはやっぱり変わっていなかった。
ラーべは“仕事”に何も感じなくなったように見えて、けれどやっぱり、いろいろなものを内に押し込め続けていた。
ラーべに“仕事”をさせてはいけないのだと、わたしもようやくそこに思い至った。
「父さま」
「なんだい、カルミナ」
いつものように夜、父さまの寝台の中。
わたしは、意を決して、父さまにお願いをすることにした。
「ラーベを追い出しても、いいでしょう?」
「ほう」
父さまはいつものように薄く笑みを浮かべたまま目を細め、わたしをじっと見つめる。
「それは、ラーベのためだね?」
ごくりと唾を飲み込んだ。
やはり、わたしの考えなんて、父さまはお見通しだったんだ。
「と、父さまには、わたしだけいれば十分でしょう? ラーベは、あの子は、弱いから……」
わたしは必死で言い繕った。こんな言い訳で……と思ったけれど、父さまは意外にも楽しそうに笑っていた。
「次にお前たちに任せようと考えていた“仕事”がある。お前ひとりでできたなら……そうだな、ラーベはここから出してやってもいい」
「父さま、本当に?」
まさか、本当に父さまがラーべを手放してもいいと言うなんて……もしかして、何か裏でもあるのかと少し訝しむわたしに、父さまはなおもくつくつと笑った。
「本当だとも。私は約束を違えない……そうだろう、カルミナ?」
* * *
約束の日。
暮れゆく薄闇の中、わたしを見送るラーベをしっかりと抱き締める。
髪の色は違う。けれど目の色は相変わらずそっくりで……額を合わせたわたしは、ラーべの目を覗き込んだ。
わたしひとりで“仕事”をするのは初めてだ。
不安に揺れるラーべの目が、わたしをじっと見返している。
「お前のことだけが、わたしが今ここで生きている理由だよ。ラーベ」
わたしの大切な半身。
ラーベは不思議そうに首を傾げて、何を急にと、わたしを抱き締め返した。そうして笑いながら、「私が生きている理由も、お前だけだ」と同じ言葉をわたしに返す。
これが終わったら、ラーベは父さまのところを出る。
わたしもいつか父さまから自由になる。
そうしたら、またふたりで一緒に生きていくのだ。
けれど。
「カルミナ、悪い子だ」
対象の警護に付いていた傭兵は、手練れだった。
とにかく勘がよく、毒も待ち伏せも、何もかも察知するというその傭兵が付いているなんて、父さまからは聞いていなかった。
もう少しで……というところで飛び込んできたその傭兵に斬られ、返り討ちにされそうになって、わたしは慌てて逃げ出した。
一心不乱に町を出て、城壁を越える。
森で、ラーべがわたしを待っている。
失敗したなら、今すぐにラーべを逃さなきゃいけない。
けれど、森へと至る闇の中に、白い顔に笑みを浮かべた父さまが待っていた。
「失敗するなんて悪い子だ、カルミナ」
背中を恐怖が走る。
凍てつくように寒いのに、なぜかじっとりと汗が滲む。
「私が後始末をしなければならないではないか」
「待って……待って、父さま、ラーべは……」
「お前がひとりでうまくできたらという約束だったね?」
父さまは薄く笑んだまま、わたしに近づいた。
カタカタと震えるばかりのわたしの頬を、そっと優しく撫でた。
「カルミナ」
笑んだまま、父さまは目だけに微かな疑問の色を浮かべた。小さく首を傾げて、動けないわたしをじっと見つめる。
「お前で八人目なのだよ。なぜうまくいかないのだろうね」
「父さま、何が」
「十分手間をかけて、大切に育てるのに、なかなかうまくいかない」
「父、さま?」
父さまが怖い。
さっきとも、いつもとも違う、得体の知れない恐怖が湧き上がった。
父さまの目は深く赤い闇のようで、そこには何も無かった。
初めて、わたしは父さまの内側を覗いたような気がした。
「けれど、ラーベはまだ見所があるのだ。あの子は惜しい」
「やめて、父さま」
「お前はラーべが大切なのだろう? だからお前の望み通り、ラーべのことはもうしばらく様子を見よう」
父さまの口の端が吊り上がった。
「――けれど、カルミナ」
唇が大きく弧を描いて笑みの形を作る父さまの顔は、けれど笑っていない。
「悪い子には、罰を与えなくてはいけない」
わたしは本能的に身体を捩った。
父さまの手を振り払い、必死に森へと駆ける。
ラーベのところに行かなくちゃいけない。
ラーベを逃さなきゃいけない。
ラーベがわたしを待ってる。
焼けるような熱さと衝撃を背中に感じた。
転びそうになったけれどどうにか耐えて、ひたすら足を動かした。
目が霞み、息が荒く浅くなって……けれど、ようやくラーベのともとに辿り着いた。
「ラー……」
縋り付くように倒れこむわたしを、ラーベが抱き止める。
わたしはうまく笑えているだろうか。
たくさん――話したいことも話さなきゃいけないこともたくさんあるのに、もう、目を開けることすらできない。
ああ――
わたしは、生まれて初めて神に祈る。
誰か、ラーベを助けてください。
わたしとラーベは双子で、見た目はほんとうにそっくりだった。
父さまは絶対に間違えなかったけど、父さま以外のひとは、私たちが入れ替わって仕草や話し方を似せてしまえば、どちらがどちらかなんて見分けられなかった。
けれど、姿はそんなにそっくりなのに、ラーベはわたしに比べて少し臆病で……いつも一歩引いて、わたしの後ろに隠れているような子だった。
双子で、どちらが姉で妹かなんてわからなかった。でも、そんなラーべとわたしなら、きっとわたしのほうが姉なのだ。
わたしたちが育つと、父さまは、遊びと一緒にいろいろなことを教えてくれた。武器の使い方、身の回りにあるものを武器に見立てた戦い方、生き物の隙の見極め方やとどめの刺し方、急所の位置。
最初はまだ四つか五つくらいの頃だったと思う。
もちろん、わたしもラーべも、最初は父さまの教えてくれることの意味なんて知らなかった。ただの遊びなんだと思っていた。
七つ八つと歳を重ねるにつれ、父さまが教えてくれることのすべてが殺すための知識であり方法であり技術であることは少しずつ理解していった。
けれど、だからそれがどういうことかまでは考えもしなかった。
わたしは、父さまに教えられるまま、嬉々としてそれを身につけていった。うまくできれば、父さまが優しく笑ってくれるから。
――わたしは父さまが怖かった。
なぜかはわからない。いつからもわからない。でも、いつも優しく微笑んでいるはずの父さまが怖くて仕方なかった。
ラーベも同じなのかと訊いてみても、ラーベはわからないようだった。不思議そうに見返すばかりだった。
父さまを怖いと感じているのは、わたしだけだった。
歳が上がるにつれて、父さまが教えてくれる内容はどんどん難しいものになっていった。
薬草や毒草の見つけ方と使い方、魔法の見極め方、閉ざされた場所へ入り込む方法、罠の見極め方、生き物の気配を見分ける方法、鍵の開け閉めのやり方、それに、鎧を身につけた自分よりも体格がいい男を効率よく仕留める方法や、魔法使いの魔法を封じて殺す方法も。
父さまがラーべに素養があると言って、魔法を教え始めたのもこの頃だった。
わたしに魔法が使えないことは残念だったけれど、父さまと少しだけ距離ができたことにはなぜか安心した。
そして、この頃からラーベは髪を黒く染めるようになった。たぶん、“赤”と“鴉”という名前に合わせてのことだろう。
けれど、ふと、父さまの黒髪とラーベの黒髪を見比べて、どことなく疎外感のような……いや、よりいっそうの、もっと嫌な何かを感じて、ますます怖くなってしまった。
わたしには、父さまが何を考えているかわからない。
父さまの姿はわたしたちが物心ついた時からまったく変わらなかった。
成長するにつれ、いろいろなことを知って、父さまは他種族の血を引いてるから変わらないのだと考えるようにもなった。
だから、わたしには父さまの考えがわからないし、父さまが怖いんだ、とも。
最初に父さまに“仕事”をするように言われたのは、十三の時だ。
「そろそろ実践を覚えなくてはな」
父さまはいつものように優しい微笑みを浮かべてそう言った。今まで身につけてきたことをうまく使えれば、とても簡単な“仕事”なんだと。
わたしとラーベは少しだけの緊張とともに頷いて、“仕事”へと向かった。
最初の“仕事”は呆気ないほどに簡単だった。
正直を言えば、わたしは、“仕事”ってこんなものなのかと思っていた。
でも、ラーベは違った。
少し震えて、目に怯えの色を浮かべていた。
以降、父さまに言われるがまま、たくさんの“仕事”をこなした。
対象はいろいろで、わたしたちとあまり年が変わらない人間もいたし、ずっと年寄な人間もいた。男も、女もいた。
“仕事”をひとつ終えるたび、ラーベからはだんだんと何かが消えていった。
わたしは父さまと同じ場所にいて、ラーべはわたしや父さまと逆のところにいる。
たぶん、そういうことだったのだろう。
わたしは最初から殺すことをなんとも感じていなかった。
でも、ラーベはそうじゃなかった。
“仕事”を終えた後はいつでも少し震えて、どこか痛そうな色を瞳に浮かべていて……けれど、ラーベは、そうやって湧き上がったいろいろなものは全部、内へと沈めて押し込んでいるようだった。
わたしも父さまも、最初からどこかおかしくてどこか壊れていたけれど、ラーベはとても普通だったのだ。
ラーベはいつも“仕事”に怯えて怖がっていた。
そして、父さまはそんなラーべが殊のほか気に入っているようだった。
だから、わたしは父さまの寝所へと向かった。
「ねえ、父さま」
十分に気配を殺したつもりだったけれど、父さまはもちろん起きていた。
「カルミナ、どうした」
「ねえ、父さま。わたしを父さまの女にしてよ」
婉曲さも何もかも置いて、わたしは父さまにしなだれかかった。父さまはくすりと笑って、わたしを抱き上げた。
「その教育は、もう少し先にと思っていたのだが」
「教育でなんて……わたし、父さまの女になりたいの。わたしを父さまの特別にして」
「ほう?」
「ねえ、わたし、父さまのこと好き」
所詮、十五を過ぎたばかりの小娘だ。後から考えれば、わたしの思惑なんて父さまはお見通しだったんだろう。
「だから父さま、お願い。相手は、わたしだけにして」
「――愚かな子とは可愛らしいものだな。ああ、なら希望どおり、お前がいる限り抱くのはお前だけと約束してあげよう」
これ以上ラーべが壊れないよう、わたしは必死だった。
父さまは楽しそうに笑いながら、わたしを組み伏せた。
毎夜毎夜、父さまの部屋へ行くわたしをラーべがどう思っていたのか、実のところよくわからない。ただ、わたしが「父さまが好き」と言えば、ラーべは「そうか」と返すだけだった。
そうやって、また何年も過ぎた。
一見、“仕事”に慣れたように見えても、ラーべはやっぱり変わっていなかった。
ラーべは“仕事”に何も感じなくなったように見えて、けれどやっぱり、いろいろなものを内に押し込め続けていた。
ラーべに“仕事”をさせてはいけないのだと、わたしもようやくそこに思い至った。
「父さま」
「なんだい、カルミナ」
いつものように夜、父さまの寝台の中。
わたしは、意を決して、父さまにお願いをすることにした。
「ラーベを追い出しても、いいでしょう?」
「ほう」
父さまはいつものように薄く笑みを浮かべたまま目を細め、わたしをじっと見つめる。
「それは、ラーベのためだね?」
ごくりと唾を飲み込んだ。
やはり、わたしの考えなんて、父さまはお見通しだったんだ。
「と、父さまには、わたしだけいれば十分でしょう? ラーベは、あの子は、弱いから……」
わたしは必死で言い繕った。こんな言い訳で……と思ったけれど、父さまは意外にも楽しそうに笑っていた。
「次にお前たちに任せようと考えていた“仕事”がある。お前ひとりでできたなら……そうだな、ラーベはここから出してやってもいい」
「父さま、本当に?」
まさか、本当に父さまがラーべを手放してもいいと言うなんて……もしかして、何か裏でもあるのかと少し訝しむわたしに、父さまはなおもくつくつと笑った。
「本当だとも。私は約束を違えない……そうだろう、カルミナ?」
* * *
約束の日。
暮れゆく薄闇の中、わたしを見送るラーベをしっかりと抱き締める。
髪の色は違う。けれど目の色は相変わらずそっくりで……額を合わせたわたしは、ラーべの目を覗き込んだ。
わたしひとりで“仕事”をするのは初めてだ。
不安に揺れるラーべの目が、わたしをじっと見返している。
「お前のことだけが、わたしが今ここで生きている理由だよ。ラーベ」
わたしの大切な半身。
ラーベは不思議そうに首を傾げて、何を急にと、わたしを抱き締め返した。そうして笑いながら、「私が生きている理由も、お前だけだ」と同じ言葉をわたしに返す。
これが終わったら、ラーベは父さまのところを出る。
わたしもいつか父さまから自由になる。
そうしたら、またふたりで一緒に生きていくのだ。
けれど。
「カルミナ、悪い子だ」
対象の警護に付いていた傭兵は、手練れだった。
とにかく勘がよく、毒も待ち伏せも、何もかも察知するというその傭兵が付いているなんて、父さまからは聞いていなかった。
もう少しで……というところで飛び込んできたその傭兵に斬られ、返り討ちにされそうになって、わたしは慌てて逃げ出した。
一心不乱に町を出て、城壁を越える。
森で、ラーべがわたしを待っている。
失敗したなら、今すぐにラーべを逃さなきゃいけない。
けれど、森へと至る闇の中に、白い顔に笑みを浮かべた父さまが待っていた。
「失敗するなんて悪い子だ、カルミナ」
背中を恐怖が走る。
凍てつくように寒いのに、なぜかじっとりと汗が滲む。
「私が後始末をしなければならないではないか」
「待って……待って、父さま、ラーべは……」
「お前がひとりでうまくできたらという約束だったね?」
父さまは薄く笑んだまま、わたしに近づいた。
カタカタと震えるばかりのわたしの頬を、そっと優しく撫でた。
「カルミナ」
笑んだまま、父さまは目だけに微かな疑問の色を浮かべた。小さく首を傾げて、動けないわたしをじっと見つめる。
「お前で八人目なのだよ。なぜうまくいかないのだろうね」
「父さま、何が」
「十分手間をかけて、大切に育てるのに、なかなかうまくいかない」
「父、さま?」
父さまが怖い。
さっきとも、いつもとも違う、得体の知れない恐怖が湧き上がった。
父さまの目は深く赤い闇のようで、そこには何も無かった。
初めて、わたしは父さまの内側を覗いたような気がした。
「けれど、ラーベはまだ見所があるのだ。あの子は惜しい」
「やめて、父さま」
「お前はラーべが大切なのだろう? だからお前の望み通り、ラーべのことはもうしばらく様子を見よう」
父さまの口の端が吊り上がった。
「――けれど、カルミナ」
唇が大きく弧を描いて笑みの形を作る父さまの顔は、けれど笑っていない。
「悪い子には、罰を与えなくてはいけない」
わたしは本能的に身体を捩った。
父さまの手を振り払い、必死に森へと駆ける。
ラーベのところに行かなくちゃいけない。
ラーベを逃さなきゃいけない。
ラーベがわたしを待ってる。
焼けるような熱さと衝撃を背中に感じた。
転びそうになったけれどどうにか耐えて、ひたすら足を動かした。
目が霞み、息が荒く浅くなって……けれど、ようやくラーベのともとに辿り着いた。
「ラー……」
縋り付くように倒れこむわたしを、ラーベが抱き止める。
わたしはうまく笑えているだろうか。
たくさん――話したいことも話さなきゃいけないこともたくさんあるのに、もう、目を開けることすらできない。
ああ――
わたしは、生まれて初めて神に祈る。
誰か、ラーベを助けてください。
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