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第20話
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私は夜中に大荷物を抱えて、事前連絡もなしにゴードンの実家へ突撃した。こんな時間に迷惑をかけて申し訳ないと思いつつ呼び鈴を鳴らして、「セラスです、助けてください」と告げれば、すぐさまゴードンが飛び出してきた。
「――ど、どうした……?」
「……本当に、どうしたのかしら」
彼は目を白黒させながらも、私の体にぶら下がる鞄を1つ1つ取り外していく。困惑する彼の顔を見て、ようやく息の吐き方を思い出したような心地がした。
「どうした」と聞かれると、何やら途端に怖くなる。取り返しのつかないことをしてしまったような気がするし、でもそれと同時にこれで良かったのだと思う気持ちもある。むしろ、行動を起こすのが遅すぎたとも。
彼の背後――家の奥から、数か月後には義理の両親となる2人まで血相を変えて出てくる。「とにかく中に入りなさい」と促されて、深々と頭を下げてからお邪魔した。
ゴードンの母が温かいお茶を出してくれて、それを飲みながら我が家の状況をかいつまんで説明した。まあ、説明も何も彼らは大体のことを知っているのだ。
母が病んでいることも、私が両親からそれほど大切にされていないことも、妹がワガママの甘えん坊だということも。
とにかくもう我慢の限界で、あんな家には居たくないのだ。事実だけ責められるならばまだ耐えられるけれど、妹の悪口を言っているなんて嘘まで持ち出されては敵わない。面と向かって「惨めな姉だ」と言われて、それを飲み込んでまで一緒に居たいなんて思えない。
「だから……まだ入籍まで日がありますけど、助けて欲しいんです……」
自分が今どれだけ情けないことを言っているか、それを考え始めると顔が熱くなった。婚前だというのに婚約者の実家に転がり込むなんて。しかもそれが、家族喧嘩が原因だなんて――あまりにも格好がつかない。
夜中だというのにカガリが泣き叫んで、近所の人に不審に思われたかも知れない。私が大荷物を抱えて家を出て行く姿を見た人が居るかも知れない。今後どんな噂が出回るか、どんな誇張に振り回されるか。
商人は信用が第一だ。実の両親に不義理を働く娘なんて悪い評判がついたら、嫁ぎ先の商会にも多大な迷惑が掛かるかも知れない。
――それでも、助けて欲しかった。私が頼れるのはこの家だけだ。胸襟を開けるのはこの場所だけなのだ。
「俺は1日も早くセラスと暮らしたかったから、全く問題ない」
祈るような思いで返答を待っていると、なんてことはないとでも言いたげにゴードンが答えた。
「もしも婚前で体裁が悪いと言うなら、近場に俺と暮らす部屋を借りても良いと思う。最近は婚前に同棲するヤツも多いらしいし」
「それは、もちろん私たちも構わないわよ。ここでも、外に部屋を借りるでも――商会にも仮眠室と水回りの設備はあるし、そこを使ったって良いしね。セラスが悪くないのは分かり切っていることだし」
当然のように受け入れてくれるゴードンとその母親に、思わず涙ぐんだ。実の両親にも蔑ろにされる不出来な娘なのに、これほど信頼してくれるなんて――。
ゴードンの父親もまた、鷹揚に頷いてくれた。けれどふと何事か思い至ったのか、途端に難しい顔をする。
「俺としても構わないんだが……ただ、半ば絶縁に近い状態で、結婚の承認は問題なく受けられるのか? それだけが心配だな……」
結婚の承認とは、両家の肉親に書いてもらう結婚同意書のようなものだ。成人だろうがなんだろうが関係なく必要なもので――肉親と死別している場合を除いて――これを提出しなければ、婚姻が公的に認められない。
家族の同意なしで結婚を強行すれば、それすなわち『駆け落ち』扱いになるのだ。実際に駆け落ちするならまだしも、次期商会長という立場あるゴードンにそんな真似はさせられない。信用第一の商人が我欲を貫き通して無理やり結婚するなど……体裁が悪いどころの話ではないのだ。商売相手としてマイナスのイメージを植え付けられてしまう。
――とは言え、正直なところ私は同意書についてあまり心配していなかった。
なぜなら母は一刻も早くカガリと私を引き離したいと思っているはずだし、これは自身が勤め人だった時代に散々世話になった商会との婚姻なのだ。いくら私が気に入らないとしても、同意書にサインしないなんて、そんな幼稚な嫌がらせをするほど厚顔無恥ではないはずだから。
「恐らくですけれど、母は私を家から追い出したいはずなので……承認を渋るようなことはないと思います」
「セラスが居ると、母親の役割を奪われるからか? まあ、気持ちは分からんでもないさ――何せセラスは、そんじょそこらの母親とは比べものにならん数の子供の面倒を見てきたからな。仕事にかまけてまともに子育てしてこなかった者とは『母親力』が違う」
「……その母親を仕事にかまけさせた悪い商会長は、一体どこの誰なのかしらね? 顔を見てみたいわ」
「おいおい、そんな悪いヤツが居るのか? 全く、世も末だな」
ゴードンの父母がおどけるように笑いながら肩を竦めたので、やがて私も肩の力を抜いた。
ひとまず今日はこのままお世話になることにして、明日からのことはまた明日考えるという話に落ち着いた。そうして私はシャワーを借りたのち、ニヤついた父母から「婚前だから寝るだけにしなさい」と忠告を受けつつ、ゴードンの部屋で一緒に眠ることにした。
「――ど、どうした……?」
「……本当に、どうしたのかしら」
彼は目を白黒させながらも、私の体にぶら下がる鞄を1つ1つ取り外していく。困惑する彼の顔を見て、ようやく息の吐き方を思い出したような心地がした。
「どうした」と聞かれると、何やら途端に怖くなる。取り返しのつかないことをしてしまったような気がするし、でもそれと同時にこれで良かったのだと思う気持ちもある。むしろ、行動を起こすのが遅すぎたとも。
彼の背後――家の奥から、数か月後には義理の両親となる2人まで血相を変えて出てくる。「とにかく中に入りなさい」と促されて、深々と頭を下げてからお邪魔した。
ゴードンの母が温かいお茶を出してくれて、それを飲みながら我が家の状況をかいつまんで説明した。まあ、説明も何も彼らは大体のことを知っているのだ。
母が病んでいることも、私が両親からそれほど大切にされていないことも、妹がワガママの甘えん坊だということも。
とにかくもう我慢の限界で、あんな家には居たくないのだ。事実だけ責められるならばまだ耐えられるけれど、妹の悪口を言っているなんて嘘まで持ち出されては敵わない。面と向かって「惨めな姉だ」と言われて、それを飲み込んでまで一緒に居たいなんて思えない。
「だから……まだ入籍まで日がありますけど、助けて欲しいんです……」
自分が今どれだけ情けないことを言っているか、それを考え始めると顔が熱くなった。婚前だというのに婚約者の実家に転がり込むなんて。しかもそれが、家族喧嘩が原因だなんて――あまりにも格好がつかない。
夜中だというのにカガリが泣き叫んで、近所の人に不審に思われたかも知れない。私が大荷物を抱えて家を出て行く姿を見た人が居るかも知れない。今後どんな噂が出回るか、どんな誇張に振り回されるか。
商人は信用が第一だ。実の両親に不義理を働く娘なんて悪い評判がついたら、嫁ぎ先の商会にも多大な迷惑が掛かるかも知れない。
――それでも、助けて欲しかった。私が頼れるのはこの家だけだ。胸襟を開けるのはこの場所だけなのだ。
「俺は1日も早くセラスと暮らしたかったから、全く問題ない」
祈るような思いで返答を待っていると、なんてことはないとでも言いたげにゴードンが答えた。
「もしも婚前で体裁が悪いと言うなら、近場に俺と暮らす部屋を借りても良いと思う。最近は婚前に同棲するヤツも多いらしいし」
「それは、もちろん私たちも構わないわよ。ここでも、外に部屋を借りるでも――商会にも仮眠室と水回りの設備はあるし、そこを使ったって良いしね。セラスが悪くないのは分かり切っていることだし」
当然のように受け入れてくれるゴードンとその母親に、思わず涙ぐんだ。実の両親にも蔑ろにされる不出来な娘なのに、これほど信頼してくれるなんて――。
ゴードンの父親もまた、鷹揚に頷いてくれた。けれどふと何事か思い至ったのか、途端に難しい顔をする。
「俺としても構わないんだが……ただ、半ば絶縁に近い状態で、結婚の承認は問題なく受けられるのか? それだけが心配だな……」
結婚の承認とは、両家の肉親に書いてもらう結婚同意書のようなものだ。成人だろうがなんだろうが関係なく必要なもので――肉親と死別している場合を除いて――これを提出しなければ、婚姻が公的に認められない。
家族の同意なしで結婚を強行すれば、それすなわち『駆け落ち』扱いになるのだ。実際に駆け落ちするならまだしも、次期商会長という立場あるゴードンにそんな真似はさせられない。信用第一の商人が我欲を貫き通して無理やり結婚するなど……体裁が悪いどころの話ではないのだ。商売相手としてマイナスのイメージを植え付けられてしまう。
――とは言え、正直なところ私は同意書についてあまり心配していなかった。
なぜなら母は一刻も早くカガリと私を引き離したいと思っているはずだし、これは自身が勤め人だった時代に散々世話になった商会との婚姻なのだ。いくら私が気に入らないとしても、同意書にサインしないなんて、そんな幼稚な嫌がらせをするほど厚顔無恥ではないはずだから。
「恐らくですけれど、母は私を家から追い出したいはずなので……承認を渋るようなことはないと思います」
「セラスが居ると、母親の役割を奪われるからか? まあ、気持ちは分からんでもないさ――何せセラスは、そんじょそこらの母親とは比べものにならん数の子供の面倒を見てきたからな。仕事にかまけてまともに子育てしてこなかった者とは『母親力』が違う」
「……その母親を仕事にかまけさせた悪い商会長は、一体どこの誰なのかしらね? 顔を見てみたいわ」
「おいおい、そんな悪いヤツが居るのか? 全く、世も末だな」
ゴードンの父母がおどけるように笑いながら肩を竦めたので、やがて私も肩の力を抜いた。
ひとまず今日はこのままお世話になることにして、明日からのことはまた明日考えるという話に落ち着いた。そうして私はシャワーを借りたのち、ニヤついた父母から「婚前だから寝るだけにしなさい」と忠告を受けつつ、ゴードンの部屋で一緒に眠ることにした。
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