人を愛するのには、資格が必要ですか?

卯月ましろ@低浮上

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第21話

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 もう互いに遠慮するような仲ではないけれど、さすがに実家では――ということで、私はゴードンのベッドで、彼は床で横になった。

 いきなりやって来た上にベッドまで占領して、本当に申し訳ない。ただ、私がどれだけ「床で良い」と主張したところで交渉決裂間違いなし、時間の無駄なのだ。
 彼は私のことが大好きすぎるし、大切にしすぎる。決してそれが嫌な訳ではないけれど、まるで繊細なガラス細工みたいに扱われると、くすぐったくていけない。他所よそでこんな扱いを受けることがないから、余計に慣れないのだ。

「――今日は本当に、胆が冷えたぞ」
「悪かったと思っているわ、驚かせてごめんなさい」

 真っ暗闇のベッド横から低い声が聞こえてきて、私はまた申し訳ない気持ちを積み重ねる。何も見えないなりに真摯に向き合おうと横を向けば、体に巻きつけたシーツがしゅるりと音を立てた。

「今までに、こんなことはなかったし――いや、ずっとセラスが我慢していただけの話なんだろうけど。大荷物を抱えて、しかも唇まで切れていたから……誰かに殴られたのかと思って怖かった」
「……え?」

 言われて初めて、下唇がピリッと痛んで口内に血の味が広がった。恐らく、ここへ来るまでに下唇をきつく噛み締めていたから、知らぬ間に自分の歯で傷付けていたのだと思う。
 お茶を飲んでもシャワーを浴びても全く気付かなかったなんて、私は一体どれほど憤慨していたのだろうか。

「途端に痛くなったわ、ヒリヒリする……鉄の味もするし最低、明日は口紅を引けないかも」
「軟膏を取ってこようか?」
「……いい、眠たいし面倒くさい」

 痛みと共に父母の顔や泣き叫ぶ妹の姿まで思い浮かんできて、気分が悪くなった。ストレスのせいか、頭が割れそうに痛む。
 目を閉じたまま顔を顰めていると、横でゴソゴソと音がした。パッと目を開けば、暗闇の中ぼんやりと人影が見える。ゴードンはいつの間にか体を起こして、床の上に座り込んでいたらしい。

 彼がベッド脇へ両肘をのせると、重みでマットレスが傾いた。

「――痛くないか?」
「………………痛いって言っているじゃない、血の味も――」
「そうじゃなくて……いや、それも心配だが、痛く――辛くないか?」

 思いがけず、泣きそうになった。
 痛いし、辛いし、これだけ私のことを心配してくれる人が居ることがただ幸せで、悲しいほどに嬉しい。
 でもここで私が泣けば、まだ懲りずに家族の愛を求めているように思えて――惨めで、すごく嫌だった。ゴードンさえ居れば、それだけで満足だ。恵まれすぎているのではないかと不安に思うくらい、心が満ち足りる。

 震える声で「平気よ」と言えば、少しだけ間を空けて優しい「そうか」が返ってくる。私の強がりはバレバレだろうか? 察した上で触れずに居てくれるのだろうか。
 傾いたマットレスが元に戻る気配を感じて、今度は私が上体を起こした。

「ゴードンがベッドを使わないなら、私も床で寝るわ。――今日は妊娠しないと思うわよ」

 明け透けに言えば、床から低くむせる声が聞こえた。今夜は、あまりに心細くていけない。彼の温もりを少しでも近くに感じたいのだ。
 どうせ近いうちに結婚するとは言っても、世間体がある以上は順序を守らなければならない。結婚と言う名の『契約』なのだから、それをきちんと履行りこうできない者とは、一緒に商売したくないと思われてしまうのだ。

「………………じゃ、困るだろ……『絶対に妊娠しない日』なんて都合の良い日は、この世に存在しない」

 色んな感情と欲求を無理やり押さえつけたような余裕のない声が返ってきて、噴き出した。私の強がりの次はゴードンの強がりだ。
 至極正しいことを言っている彼に構わず、私はベッドからずり落ちるようにして大きな体に飛び込んだ。

「あら、『保健体育』の成績が良かっただけあるわね、偉いわゴードンくん」
「茶化すな――その……避妊具あるから、ちゃんとしよう」

 遠慮がちに抱きすくめられて、つい「結局するのね」と笑ってしまった。自分から持ち掛けておいてなんだけれど、あまりにも陥落するのが早すぎておかしい。
 そっと床の上に寝かされて、真っ暗な部屋の中を大きな影が動く様を目で追った。灯りなどなくても、ゴードンにとっては勝手知ったる自分の部屋だ。迷いなく向かった先の引き出しが開けられる音や、ガサガサと袋が擦れるような音が室内に響く。

「……なあセラス。俺と結婚するからって、あまり気負わないで欲しい――その、子供のことも」
「え? そういう訳にはいかないわよ、次期商会長の自覚が足りないんじゃない?」
「とは言え……なんというか、俺はいまだに夢心地なんだ。まさかセラスと結婚できるなんて――もちろん子供は欲しいけど、お前にばかり負担を強いているようで複雑だ」

 温かい手の平で両頬を包まれた。大きな体に似合わないか細い声が、「セラスはいつも我慢ばかりする、俺との結婚だってだ……」と囁いた。

 どうしてここまで私のことを神聖視しているのかも謎だけれど、どうしていまだに片想いのつもりで居るのかも全くもって謎だ。
 彼にプロポーズされる前に商会長夫妻から打診されて受けた婚約だったから、私が断りきれなかったのだと思い違いしているらしい。

 化粧を覚えてからはそれなりに評判が良いとは言え、私のことをまるで誰もがかしずく美女のように扱うのだから面白い。口癖のように「俺なんかと結婚して本当に良いのか」と気持ちを確かめてくるのが堪らない。

 もう何度も肌を重ねているのに、そもそもこの婚約関係に私の気持ちが伴っていないと思われているのは癪だけど――なんだかこれ以上ないくらい特別な女になったような気になるから、わざわざ「両想いよ」なんて教えてあげない私も大概悪い。
 自分は良い女なのだと勘違いできるから、辞められないのだ。

 ただ意味深に笑って否定も肯定もせずに居れば、彼はどこまでも必死になってくれる。私が世界で一番幸福な女で居られるのは、間違いなくゴードンの隣だけなのに……なぜ気付かないのだろうか。鈍いにも程がある。
 いつか――結婚して子供が生まれて生活が落ち着いたら、その時はちゃんと「ずっと前から両想いだ」と伝えて甘やかそう。商会の世話になったからその流れでとか、昔からの付き合いで仕方なくとか、そんな理由で結婚を決めた訳ではないのだと。

 ただ、それまでは私を神輿みこしに乗せて担ぎ上げてもらおう。こうして気兼ねなく甘えられるのも、彼だけだから――。
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