45 / 64
第45話
しおりを挟む
看護師さんの後にやって来た医者の先生の話は、「落ち着いて聞いてくださいね」なんて常套句から始まった。
「セラスさんは子宮筋腫という病気でした。腫瘍自体は良性のものですから、命に別状はありません」
満足に声を出すことができないので、ただ黙って先生の顔を見た。命に別状はないと聞かされて安心する反面、先生の表情が浮かないものだったので言い知れない不安を覚えた。
――恐らく、話を聞く前から自分で気付いていたのだ。何とも言えない喪失感に。
「初期症状で気付いた場合、問題のある筋腫の芽を取り除くだけで済むのですが――しかしセラスさんの場合、筋腫が大きくなりすぎていました。更に、子宮全体まで腫れ上がっていたため全摘出するしか……」
先生はそのまま「芽だけ切除するとなると出血も酷く、体力を消耗したセラスさんでは手術に耐えられなかった」とか「他に手はありませんでした。もう1年――いや、せめて半年早く気付いていれば全摘を免れたかも……」とか、色んな説明をしてくれていたように思う。
けれどもう、何もかもどうでも良かった。
――子宮がなくなった? それって、じゃあ、子供はどうなるのだろうか……なんて、答えの分かり切った疑問を抱いた。
先生の顔も看護師さんの顔も歪んで見えなくなって、痛む喉で掠れたしゃくり声を上げた。
開腹されたらしい腹部は熱く痛んで、腹の中も痛くて、空っぽな感じがする。でも何よりも痛んだのは胸の奥で、私はストンと、「ゴードンとは結婚できない」と理解したのだ。
商会唯一の跡取り息子であるゴードン。彼には、跡取りをつくらないという選択肢がない。
必ず結婚して子作りに励んで、それが無理なら愛人を作って励んで――そこまで頑張っても無理なら、諦めて養子をとる。それは、商会長夫人にあらかじめ忠告されていたことだ。もし私の体に問題があるならば、例えゴードンが愛人を作ったとしても文句を言えないと。
けれど今、心の底から「嫌だ、絶対に無理だ」と思ってしまった。
彼が他の女を見るのは耐えられない。そこに愛はなくても別の女を抱くところを想像したら悲しくて、悔しくて、身が引き裂かれそうだった。
しかしそれを耐えられなければ、商会長の妻として相応しくない。初めから無理だと分かっているなら、そもそも結婚すべきではないのだ。
きっと、ゴードンは「それでもセラスが良い」と言ってくれるだろう。最初から養子をとれば済む話だなんだと、どこまでも優しいことを言うのだろう。
でもソレは本当に最後の手段であって、最初から子供ができないと分かっている女との結婚なんて、周りが許すはずもなかった。
一族経営、血の繋がりこそが全てなのだ。ゴードンの方になんの問題もないなら「セラスのことは忘れて、別のまともな女性と結婚しなさい」で終わるだろう。だって、まだ血を繋げる余地があるのに、それを個人の感情だけで台無しにして良いはずがないではないか。
そういう責任も込みで跡取り、次期商会長だ。それらの責任、覚悟を「好き」という感情だけで曲げてしまえば、下手をすると次期商会長の座すら……両親との縁や仕事、積み上げてきた信頼すら失うのではないか。
――正直言って彼は、商会よりも両親よりも、私を選ぶだろう。
両親も社会的地位も何もかも捨てて、ただ迷いなく私を一番に選びそうな気がするのだ。いつかカガリが言っていた、舟の話を思い出したせいだろうか――。
それが死ぬほど愛おしくて、余計に悲しい。私は本当に足手まといでしかない。与えられてばかりで何も返せない、そんな関係は対等ではない。
無理を通して一緒になったとして、私は一生、彼に頭を上げられずに生きるのだろうか。「何もかも奪ってしまってごめんなさい」と謝罪しながら?
それでは、まるで母と対峙する時のような思いを抱えながら接することになる。私の唯一の癒しが、癒しではなくなってしまう。
腕すら挙げられずに流しっぱなしの涙を不憫に思ったのか、看護師さんが布で顔を拭いてくれた。クリアになった視界に映ったのは、今にも泣き出しそうなほど痛ましい顔をした看護師さんの顔だ。
同じ女性だから、私の痛みを分かってくれるのだろうか。……いや、分かるはずがない。もつ者にもたざる者の悲しみなど……痛みなど、分かられて堪るか。
最低な八つ当たりだと知りながらも、心がささくれ立ってダメだった。もう本当に何もかも嫌で投げ出したいのだ。
例え同僚の助言通り病院へ行っていたとしても、これは昨日今日の話ではないから無意味だったと分かっている。しかし、どうしてただの月経痛だなんて軽く見て、もっと早く自分の体と向き合わなかったのか。
私は今まで何をしていたのだろうか。働いて、それが何になるのか。今のご時世、子供を産めない女に価値なんてあるのだろうか。
周囲の人間は私を見て何を思うだろう。女のくせに生意気だったから罰が当たったとか? ざまあみろとか? ゴードンは……ゴードンは、誰のものになる? 商会長夫妻がやたらとカガリを可愛がっていることを知っているだけに、胸がざわついた。
どれだけ後悔したって時間は巻き戻せない。それは分かっているけれど、私は失ったものを全て取り戻したくて仕方がなかった。
「セラスさんは子宮筋腫という病気でした。腫瘍自体は良性のものですから、命に別状はありません」
満足に声を出すことができないので、ただ黙って先生の顔を見た。命に別状はないと聞かされて安心する反面、先生の表情が浮かないものだったので言い知れない不安を覚えた。
――恐らく、話を聞く前から自分で気付いていたのだ。何とも言えない喪失感に。
「初期症状で気付いた場合、問題のある筋腫の芽を取り除くだけで済むのですが――しかしセラスさんの場合、筋腫が大きくなりすぎていました。更に、子宮全体まで腫れ上がっていたため全摘出するしか……」
先生はそのまま「芽だけ切除するとなると出血も酷く、体力を消耗したセラスさんでは手術に耐えられなかった」とか「他に手はありませんでした。もう1年――いや、せめて半年早く気付いていれば全摘を免れたかも……」とか、色んな説明をしてくれていたように思う。
けれどもう、何もかもどうでも良かった。
――子宮がなくなった? それって、じゃあ、子供はどうなるのだろうか……なんて、答えの分かり切った疑問を抱いた。
先生の顔も看護師さんの顔も歪んで見えなくなって、痛む喉で掠れたしゃくり声を上げた。
開腹されたらしい腹部は熱く痛んで、腹の中も痛くて、空っぽな感じがする。でも何よりも痛んだのは胸の奥で、私はストンと、「ゴードンとは結婚できない」と理解したのだ。
商会唯一の跡取り息子であるゴードン。彼には、跡取りをつくらないという選択肢がない。
必ず結婚して子作りに励んで、それが無理なら愛人を作って励んで――そこまで頑張っても無理なら、諦めて養子をとる。それは、商会長夫人にあらかじめ忠告されていたことだ。もし私の体に問題があるならば、例えゴードンが愛人を作ったとしても文句を言えないと。
けれど今、心の底から「嫌だ、絶対に無理だ」と思ってしまった。
彼が他の女を見るのは耐えられない。そこに愛はなくても別の女を抱くところを想像したら悲しくて、悔しくて、身が引き裂かれそうだった。
しかしそれを耐えられなければ、商会長の妻として相応しくない。初めから無理だと分かっているなら、そもそも結婚すべきではないのだ。
きっと、ゴードンは「それでもセラスが良い」と言ってくれるだろう。最初から養子をとれば済む話だなんだと、どこまでも優しいことを言うのだろう。
でもソレは本当に最後の手段であって、最初から子供ができないと分かっている女との結婚なんて、周りが許すはずもなかった。
一族経営、血の繋がりこそが全てなのだ。ゴードンの方になんの問題もないなら「セラスのことは忘れて、別のまともな女性と結婚しなさい」で終わるだろう。だって、まだ血を繋げる余地があるのに、それを個人の感情だけで台無しにして良いはずがないではないか。
そういう責任も込みで跡取り、次期商会長だ。それらの責任、覚悟を「好き」という感情だけで曲げてしまえば、下手をすると次期商会長の座すら……両親との縁や仕事、積み上げてきた信頼すら失うのではないか。
――正直言って彼は、商会よりも両親よりも、私を選ぶだろう。
両親も社会的地位も何もかも捨てて、ただ迷いなく私を一番に選びそうな気がするのだ。いつかカガリが言っていた、舟の話を思い出したせいだろうか――。
それが死ぬほど愛おしくて、余計に悲しい。私は本当に足手まといでしかない。与えられてばかりで何も返せない、そんな関係は対等ではない。
無理を通して一緒になったとして、私は一生、彼に頭を上げられずに生きるのだろうか。「何もかも奪ってしまってごめんなさい」と謝罪しながら?
それでは、まるで母と対峙する時のような思いを抱えながら接することになる。私の唯一の癒しが、癒しではなくなってしまう。
腕すら挙げられずに流しっぱなしの涙を不憫に思ったのか、看護師さんが布で顔を拭いてくれた。クリアになった視界に映ったのは、今にも泣き出しそうなほど痛ましい顔をした看護師さんの顔だ。
同じ女性だから、私の痛みを分かってくれるのだろうか。……いや、分かるはずがない。もつ者にもたざる者の悲しみなど……痛みなど、分かられて堪るか。
最低な八つ当たりだと知りながらも、心がささくれ立ってダメだった。もう本当に何もかも嫌で投げ出したいのだ。
例え同僚の助言通り病院へ行っていたとしても、これは昨日今日の話ではないから無意味だったと分かっている。しかし、どうしてただの月経痛だなんて軽く見て、もっと早く自分の体と向き合わなかったのか。
私は今まで何をしていたのだろうか。働いて、それが何になるのか。今のご時世、子供を産めない女に価値なんてあるのだろうか。
周囲の人間は私を見て何を思うだろう。女のくせに生意気だったから罰が当たったとか? ざまあみろとか? ゴードンは……ゴードンは、誰のものになる? 商会長夫妻がやたらとカガリを可愛がっていることを知っているだけに、胸がざわついた。
どれだけ後悔したって時間は巻き戻せない。それは分かっているけれど、私は失ったものを全て取り戻したくて仕方がなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完】夫に売られて、売られた先の旦那様に溺愛されています。
112
恋愛
夫に売られた。他所に女を作り、売人から受け取った銀貨の入った小袋を懐に入れて、出ていった。呆気ない別れだった。
ローズ・クローは、元々公爵令嬢だった。夫、だった人物は男爵の三男。到底釣合うはずがなく、手に手を取って家を出た。いわゆる駆け落ち婚だった。
ローズは夫を信じ切っていた。金が尽き、宝石を差し出しても、夫は自分を愛していると信じて疑わなかった。
※完結しました。ありがとうございました。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
『すり替えられた婚約、薔薇園の告白
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢シャーロットは幼馴染の公爵カルロスを想いながら、伯爵令嬢マリナの策で“騎士クリスとの婚約”へとすり替えられる。真面目なクリスは彼女の心が別にあると知りつつ、護るために名乗りを上げる。
社交界に流される噂、贈り物の入れ替え、夜会の罠――名誉と誇りの狭間で、言葉にできない愛は揺れる。薔薇園の告白が間に合えば、指輪は正しい指へ。間に合わなければ、永遠に
王城の噂が運命をすり替える。幼馴染の公爵、誇り高い騎士、そして策を巡らす伯爵令嬢。薔薇園で交わされる一言が、花嫁の未来を決める――誇りと愛が試される、切なくも凛とした宮廷ラブロマンス。
皇帝の命令で、側室となった私の運命
佐藤 美奈
恋愛
フリード皇太子との密会の後、去り行くアイラ令嬢をアーノルド皇帝陛下が一目見て見初められた。そして、その日のうちに側室として召し上げられた。フリード皇太子とアイラ公爵令嬢は幼馴染で婚約をしている。
自分の婚約者を取られたフリードは、アーノルドに抗議をした。
「父上には数多くの側室がいるのに、息子の婚約者にまで手を出すつもりですか!」
「美しいアイラが気に入った。息子でも渡したくない。我が皇帝である限り、何もかもは我のものだ!」
その言葉に、フリードは言葉を失った。立ち尽くし、その無慈悲さに心を打ちひしがれた。
魔法、ファンタジー、異世界要素もあるかもしれません。
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!
ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。
前世では犬の獣人だった私。
私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。
そんな時、とある出来事で命を落とした私。
彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。
【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~
tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。
番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。
ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。
そして安定のヤンデレさん☆
ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。
別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる