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第46話
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医者の先生から「気を強くもってください」と諭されて、優しい看護師さんから「痛みが強くなったら、ナースコールを押して呼んでください」と言われて――気付けば朝が来たのか、外が明るくなった。
私の他に人の気配を感じない辺り、この部屋は個人部屋なのだろう。私を病院まで運び込んだのはゴードンらしいから、彼が「病室は個人部屋にしてくれ」と頼んだのだろうか。
酸素吸入マスクは外されたけれど、鼻から胃まで挿さったチューブは外してもらえなかった。術後だからと言って自力で飲食する体力が残されていない訳ではなく、ただ単に生きる気力を失っているのが丸分かりだったせいだろう。
コイツがまともに食事するはずがないとの判断で、あえて挿しっぱなしにしているのだと思う。
医者の先生は、良いカウンセラーを紹介するとか、開腹した傷跡が目立たなくなるような過ごし方とかリハビリの始め方など、色々と親身になって話してくれていたような気がする。
けれど、カウンセラーに話して何になるのか。腹の傷跡が目立たなくなったとして、子宮が生えてくるとでも言うのか。社会復帰するためのリハビリなんて、やる意味があるのだろうか。
元々体力を消耗していたせいか術後の経過も良好とは言い難いらしく、まだしばらく誰とも面会できないそうだ。お陰でゴードンの顔を見て絶望することも、商会長夫妻の期待を裏切ったことに対する申し訳なさも感じることがない。
もう少し回復すればまず家族の面会が許されると言われたけれど、今一番会いたくないのが両親と妹だった。そもそも私なんかの見舞いに来るかどうかも怪しい。仮にやって来たところで、目的は労いではなく私を嘲笑うことだろう。
看護師さんが訪れて、部屋の窓にかかる分厚いカーテンを開いた。外から差し込む光はいつも通り明るくて、窓から見える景色も、道行く人々の動きも、何も変わらない。変わったのは私の腹の中身だけ。
看護師さんはこちらの気を紛らわせるために何事か語りかけてきたけれど、大変申し訳ないことに、今はとにかく放っておいて欲しかった。私の反応があまりに薄いと、しょんぼりと落ち込んだ様子で出て行って――しばらく経つと戻って来て、すっかり紅くなった外の光を遮るようにカーテンを閉めた。
あっと言う間に辺りは暗くなって、途中看護師さんや医者の先生といくつか言葉を交わして、部屋の電気が落とされる。自分が寝ているのか起きているのかも分からなくなって、また気付けば外が明るくなっての繰り返し。
ようやく口をついた言葉といえば、無駄だと分かっていても「どうか子宮を戻して欲しい」ということばかり。社会復帰なんて御免だという私の意識の低さに比例するかのごとく、術後の経過は悪かった。
数日経つと、いつも必死に励ましてくれる看護師さんが「もうすぐ、ご家族に面会可能だと伝えられますからね」と笑った。内心それだけはやめてくれと思いながらも、私を差し置いて嬉しそうに話す看護師さんの顔を見たら何も言えなかった。
――けれど、それから1週間経っても、2週間経っても誰も病室を訪ねて来ることはなかった。看護師さんは、ある時を境に面会や家族の話をぴたりと辞めた。……私の見舞いなど冗談ではない、と母が激昂したのだろうか? そんな気がする。
生きる気力を取り戻せないまま、ふとした時、日付が気になった。カレンダーが見たいと願えば、「ようやく外の世界に興味をもってくれたのか」と言わんばかりに顔を輝かせた看護師さんが、指を差しながら今日の日付を教えてくれた。
9月の上旬に倒れたはずだが、もう10月になっている。9月の下旬に執り行う予定だった結婚式はどうなったのだろうか? あれだけ待ち望んでいた、ゴードンが18歳を迎える誕生日――私は彼におめでとうの一言すら伝えられなかったのか。
どうして価値もないのに、中途半端に生きているのだろう? いっそ助からずに死ねたら良かったのに。そうすれば私は、きっとゴードンの心の中で永遠に生きられた。彼が他の誰かを愛するところを目の当たりにすることもなかった。こんなにも寂しい思いをすることもなかったのに――。
その日の晩、せっかく外れていた鼻のチューブが再び挿し込まれた。
体は痩せ細り、どこもかしこも乾燥している。唇は割れてガサガサ、気を遣っていた黒髪はボサボサ、毛先も枝分かれしているのが見える。不健康をこれでもかと主張してくる爪は血色の悪い紫色をしていて、今まで見たことのないような縦ジワがびっしりと刻まれていた。
ただでさえ不美人だからと、身だしなみには人並み以上に気を遣っていた。だけどそれらは全て、ゴードンの隣に立つためだった。
でも、もう隣に立つ資格を失ったのだからどうでも良いではないか。このまま誰にも会わずに死ねないものか――いっそ、早々に退院して雲隠れするべきか。病院の監視下から抜け出してしまえば、生きるも死ぬも私次第だ。
家族にも、商会長夫妻にも、友人にも、ゴードンにも……誰に何も言わずに遠くへ行って、消えてしまいたい。どこかで楽に死ねる薬を手に入れられないだろうか? 自決するにも相当な勇気が要る。
「――『不老不死の魔女』……」
ぽつりと呟いたかすれ声は、真っ暗な病室の天井に吸い込まれた。いつか同僚が言っていた、町の西にある森に住む魔女。あの時はおとぎ話だと一笑に付したけれど、もし本当に存在したら?
『魔女の秘薬』さえあれば、失った体さえ……子宮さえ取り戻せるのではないか。
よほど追い込まれていたのは間違いない。それでも私は、あるかどうかも定かではない幻に縋った。とにかく体力を取り戻して、森へ行こうと決めたのだ。
子宮さえあれば結婚を諦めずに済む。ゴードンを失わずに済むならば、私はどんな代償だって支払えるのだから――。
私の他に人の気配を感じない辺り、この部屋は個人部屋なのだろう。私を病院まで運び込んだのはゴードンらしいから、彼が「病室は個人部屋にしてくれ」と頼んだのだろうか。
酸素吸入マスクは外されたけれど、鼻から胃まで挿さったチューブは外してもらえなかった。術後だからと言って自力で飲食する体力が残されていない訳ではなく、ただ単に生きる気力を失っているのが丸分かりだったせいだろう。
コイツがまともに食事するはずがないとの判断で、あえて挿しっぱなしにしているのだと思う。
医者の先生は、良いカウンセラーを紹介するとか、開腹した傷跡が目立たなくなるような過ごし方とかリハビリの始め方など、色々と親身になって話してくれていたような気がする。
けれど、カウンセラーに話して何になるのか。腹の傷跡が目立たなくなったとして、子宮が生えてくるとでも言うのか。社会復帰するためのリハビリなんて、やる意味があるのだろうか。
元々体力を消耗していたせいか術後の経過も良好とは言い難いらしく、まだしばらく誰とも面会できないそうだ。お陰でゴードンの顔を見て絶望することも、商会長夫妻の期待を裏切ったことに対する申し訳なさも感じることがない。
もう少し回復すればまず家族の面会が許されると言われたけれど、今一番会いたくないのが両親と妹だった。そもそも私なんかの見舞いに来るかどうかも怪しい。仮にやって来たところで、目的は労いではなく私を嘲笑うことだろう。
看護師さんが訪れて、部屋の窓にかかる分厚いカーテンを開いた。外から差し込む光はいつも通り明るくて、窓から見える景色も、道行く人々の動きも、何も変わらない。変わったのは私の腹の中身だけ。
看護師さんはこちらの気を紛らわせるために何事か語りかけてきたけれど、大変申し訳ないことに、今はとにかく放っておいて欲しかった。私の反応があまりに薄いと、しょんぼりと落ち込んだ様子で出て行って――しばらく経つと戻って来て、すっかり紅くなった外の光を遮るようにカーテンを閉めた。
あっと言う間に辺りは暗くなって、途中看護師さんや医者の先生といくつか言葉を交わして、部屋の電気が落とされる。自分が寝ているのか起きているのかも分からなくなって、また気付けば外が明るくなっての繰り返し。
ようやく口をついた言葉といえば、無駄だと分かっていても「どうか子宮を戻して欲しい」ということばかり。社会復帰なんて御免だという私の意識の低さに比例するかのごとく、術後の経過は悪かった。
数日経つと、いつも必死に励ましてくれる看護師さんが「もうすぐ、ご家族に面会可能だと伝えられますからね」と笑った。内心それだけはやめてくれと思いながらも、私を差し置いて嬉しそうに話す看護師さんの顔を見たら何も言えなかった。
――けれど、それから1週間経っても、2週間経っても誰も病室を訪ねて来ることはなかった。看護師さんは、ある時を境に面会や家族の話をぴたりと辞めた。……私の見舞いなど冗談ではない、と母が激昂したのだろうか? そんな気がする。
生きる気力を取り戻せないまま、ふとした時、日付が気になった。カレンダーが見たいと願えば、「ようやく外の世界に興味をもってくれたのか」と言わんばかりに顔を輝かせた看護師さんが、指を差しながら今日の日付を教えてくれた。
9月の上旬に倒れたはずだが、もう10月になっている。9月の下旬に執り行う予定だった結婚式はどうなったのだろうか? あれだけ待ち望んでいた、ゴードンが18歳を迎える誕生日――私は彼におめでとうの一言すら伝えられなかったのか。
どうして価値もないのに、中途半端に生きているのだろう? いっそ助からずに死ねたら良かったのに。そうすれば私は、きっとゴードンの心の中で永遠に生きられた。彼が他の誰かを愛するところを目の当たりにすることもなかった。こんなにも寂しい思いをすることもなかったのに――。
その日の晩、せっかく外れていた鼻のチューブが再び挿し込まれた。
体は痩せ細り、どこもかしこも乾燥している。唇は割れてガサガサ、気を遣っていた黒髪はボサボサ、毛先も枝分かれしているのが見える。不健康をこれでもかと主張してくる爪は血色の悪い紫色をしていて、今まで見たことのないような縦ジワがびっしりと刻まれていた。
ただでさえ不美人だからと、身だしなみには人並み以上に気を遣っていた。だけどそれらは全て、ゴードンの隣に立つためだった。
でも、もう隣に立つ資格を失ったのだからどうでも良いではないか。このまま誰にも会わずに死ねないものか――いっそ、早々に退院して雲隠れするべきか。病院の監視下から抜け出してしまえば、生きるも死ぬも私次第だ。
家族にも、商会長夫妻にも、友人にも、ゴードンにも……誰に何も言わずに遠くへ行って、消えてしまいたい。どこかで楽に死ねる薬を手に入れられないだろうか? 自決するにも相当な勇気が要る。
「――『不老不死の魔女』……」
ぽつりと呟いたかすれ声は、真っ暗な病室の天井に吸い込まれた。いつか同僚が言っていた、町の西にある森に住む魔女。あの時はおとぎ話だと一笑に付したけれど、もし本当に存在したら?
『魔女の秘薬』さえあれば、失った体さえ……子宮さえ取り戻せるのではないか。
よほど追い込まれていたのは間違いない。それでも私は、あるかどうかも定かではない幻に縋った。とにかく体力を取り戻して、森へ行こうと決めたのだ。
子宮さえあれば結婚を諦めずに済む。ゴードンを失わずに済むならば、私はどんな代償だって支払えるのだから――。
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