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第3章 奈落の底を見て回る

4 親交

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 綾那が目の届かない所へ行くのがダメなら、颯月も一緒に東へ行けば良いじゃない――という、陽香の提案。しかし颯月はアイドクレースの騎士団長で、ただでさえ社畜を窮めている。普通に考えれば、彼がアイドクレースを離れて他領まで足を延ばせるはずがない。
 ない、はずなのだが――。


 ◆


 応接室で話し合いが行われた、その翌日。綾那は、颯月と陽香――そして右京と共に、悪魔憑きの教会へ向かっていた。『親交』を深めるためには、子供の一人や二人挟んでいないと、やっていられない――とは、颯月の言である。

「急にいとまを出されても、どうすれば良いのか分からん――」
「い、暇ではないでしょう、十分お仕事ですよ」

 困惑気味に呟いた颯月に、綾那は苦笑する。
 なぜこんな事になっているのかと言うと――なかなか説明が難しい。まず、ルシフェリアから妙な忠告をされたせいで、陽香がすっかり怯え切ってしまったのが問題だ。

 彼女は、右京と二人ではアデュレリア領に帰れないと泣き言を漏らした。しかし、右京から「じゃあ、オネーサンはここに残れば良いよ」と提案されても、「今更撤回はナシだ、ダサい!」と言って譲らない。
 散々ごねている今の状況はダサくないのか――とツッコむのは、いくら家族でもはばかられた。

 ルシフェリアが去り際、綾那も一緒に行けば――と無責任なアドバイスを残して行ったばかりに、陽香は「絶対にアーニャを連れて行くべきだ! これは、アーニャが居ないとクリアできないタイプのクエストなんだよ!!」と謎の主張をした。

 颯月はただでさえ、仲間と合流したら綾那が二度と戻ってこないのでは? と不安に思っている。だからこそ、頑なに出張を許可しなかったのだが――。
 陽香が冒頭のぶっ飛んだ提案を口にした途端、事態は大きく動いた。

 常識的に考えて、無茶な提案である。しかし、なぜか颯月の側近は揃いも揃って「たまには気分転換がてら、羽根を伸ばすのもアリなのでは?」と、いとも簡単に賛同したのだ。
 幸成に至っては「ちょっと遠い所まで巡回すると思って、道中眷属を討伐しながら行けば? 仕事もできて一石二鳥じゃね?」なんて言っていたくらいだ。

 もちろん、アデュレリア領まで行って帰ってくるまでの間、颯月が受け持つ仕事はどうするのか――という話にはなった。けれど、そこは留守の間、副長の竜禅が代わりを務めれば済むだけであるという話に落ち着いた。

 いとも簡単に行ってこいと背中を押された颯月は、どこか悲しげに見えた。それはまあ、普段朝から晩まで休みなく必死で働いているのに、サラッと「代わりますから、大丈夫です」と言われれば悲しく――いや、虚しくもなるだろう。
 しかも彼には、いきなり仕事をとり上げられると、どうして良いのか分からなくなるという深刻な問題もある。

 ただ、何も皆、颯月を厄介払いしようとしている訳ではない。よくよく話を聞いてみれば、幸成は颯月が東の問題を解決する事を期待しているらしかった。
 問題とはもちろん、桃華を狙う存在――アデュレリアの領主一家や、それに関わる悪魔の事だ。

「颯様ってマジ、止まったら死ぬのか? マグロみてえだな」
「き、気持ちは分かるけど、本人に面と向かって言わないで……!」
「そもそも、アンタが俺から綾を取り上げようとするから、こんな訳の分からん事になったんじゃねえか」

 胡乱な目をした颯月に、陽香もまた「まず、颯様にやった覚えはねえんだけど」と言って、じっとりと目を眇めた。彼は正妃そっくりの陽香が苦手で仕方ないようだが、しかしこの二日間でだいぶ免疫がついたのだろうか。気付けば、平気で軽口を叩くようになっている。

「アイドクレースでは、拾得物の持ち主がひと月を過ぎても現れなければ、所有権が拾得者に移るんだぞ。郷に入っては郷に従え」
「バッカ、アーニャはモノじゃねえわ! ええい、真昼間からベタベタと触るな! 子供の前だぞ、教育に悪いヤツらめ!!」
「……いや、僕、子供じゃないし」

 綾那の肩を抱いて歩き始めた颯月に陽香が苦言を呈せば、子供と言われた右京がため息交じりに突っ込んだ。

 昨日はバーガンディ色の騎士服を身に纏っていたが、今日はフード付きの半袖トレーナーに、可愛らしい膝小僧が見える半ズボンと、子供らしい平服に着替えている。ちびっ子騎士というだけでなく、ここで他領の騎士服を着て過ごしていては、悪目立ちするからだろう。

 陽香がふざけて「見た目がいいから、人攫いに遭う」と言っていたが、これは確かに攫ってしまいたくなる愛らしさだ。

(うーん……颯月さんと右京さん、本当に仲良くなれるのかな。いや、それを言うなら私もだけど――)

 綾那は、一人だけ離れて歩く右京を一瞥して頬をかいた。
 彼は颯月と綾那から距離をとるどころか、今日は陽香とも距離をとって歩いている。右京としては、嫌々茶番に付き合わされているようなものなのだろう。

 本日この四名で悪魔憑きの教会へ向かっているのは、親交を深めるためである。
 これから肩を並べて旅するため、陽香より「ギクシャクするのは御免だ。よし、この面子メンツで遊びに行こう! 円滑なコミュニケーションを図るための人間関係の改善、これも立派な仕事の内だ!」と言われたものの――。

 右京に嫌われている自覚のある颯月は、普通に街歩きをしたって親交を深めるどころか、時間の無駄なのではないか――と、最初から諦めている。であれば、せめて有意義な時間を過ごしたいと、悪魔憑きの子供達が居る教会を目的地に定めたのだ。
 教会であれば、右京と親交が深められずに終わったとしても、子供とは遊べる。それは決して、無駄な時間にはならないだろうとの事だ。

 本来であれば右京は、一刻も早くアデュレリア領へ戻って、騎士を退職して、面倒な事は早々に終わらせてしまいたいと思っているはずだ。しかし、和巳が通行証を発行するまであと二、三日かかるため、今は大人しく待つしかないのだ。

 そもそも真面目で厳格な右京にとっては、違反行為である通行証の二重所持を強いられる事すら、苦痛で仕方ないだろう。

 本当にこの四人で半月、やっていけるのだろうか。万が一、悪魔憑き同士で本気の喧嘩を始められた場合、綾那も陽香も巻き込まれて死ぬのではないだろうか。
 綾那が「いくら宇宙一格好いい颯月さんが相手でも、死ぬのはちょっと――」なんて考えていると、その背に右京が声を掛けた。

「ねえ、水色のお姉さん」
「――え、あ、はい?」
「水色のお姉さんは、紫電一閃の姿を見た事があるの? その上で「契約エンゲージメント」した? それとも、上辺しか知らないの?」

 右京の言葉に、綾那は「まるで正妃様のような事を言うんだな」と苦笑した。

「ええと、姿とは眼帯の下の事を言っていますか? 見た事ならありますよ。マナを過剰吸収する難点さえなければ、眼帯なんて付けて欲しくないほど……本当に素敵なんです」
「――相変わらず奇特な事を言う」

 言いながら目元を甘く緩ませた颯月に、綾那は頬を膨らませて「事実を言ったまでです」と反論した。そんな二人のやりとりに、右京は言葉を詰まらせた。

「なんだ、颯様のソレ、別にケガしてる訳じゃねえのか」
「えっとね……『悪鬼羅刹』の時の、絢葵あやきさんみたいな感じかな」
「あぁ~、ははあ……そりゃあ、アーニャが夢中になる訳だわ――」
「ええ、そうです。彼が宇宙一格好いい、私の友人です!」

 胸を張った綾那に、陽香はげんなりとした表情で、「もうその、マジで要らねえわ」とぼやいた。そうしてじゃれつく面々に、右京はまるで、なんらかの強い感情を無理矢理に押さえつけているような――震えた声を上げる。

「どうして――恐ろしいとは、思わないの?」
「恐ろしい? ああ、うーん。昨日話した通り、私達は全く違う国の人間ですから。価値観がリベリアスの方とは違うので、なんとも――」
「なんだなんだ? 悪魔憑きってなんか、怖いモンなのか? 昨日のオーブとどっちが怖いんだ?」
「……ひゃめて」
「少なくとも、物理が効くうーたんはあたしの敵じゃあねえな! あたしが戦略撤退を余儀なくされるのは、物理が無効そうなだけ!」

 陽香は、右京の柔らかい頬をみょんみょんと引き伸ばしながら、明るく笑った。少年は小さな手で頬を押さえながら俯くと、蔑むように鼻を鳴らす。

「――動物も苦手なくせに」
「は? 苦手じゃねえ、むしろ好きだわ!」
「嘘だ。街で犬猫を見かけても、口では「可愛い」って言いながら、いつも距離を取っていたじゃないか。僕、口だけの人間って好きじゃないんだよね」
「違ぇんだよ、それには深い訳があんの! マジで好きなの!! ――あ! てかアーニャと合流したからにはもう、動物触んの解禁じゃん!?」

 ぽんと手を打つ陽香に、右京は首を傾げた。頭上に『?』が浮かんでいる男児を、綾那はできるだけ柔らかい声色で諭した。

「陽香、動物アレルギーがあるんですよ」
「えっ」
「毛皮とか羽毛とか――そういう、モフモフしたもの全般。触ると涙やくしゃみが止まらなくなるわ、じんましんは出るわで……なかなか深刻なんですよね」
「そういう事。このアレルギーさえなければ、マジで犬猫十匹ぐらい飼いたいのに……! 神に与えられた試練だぜ、全く――まあ、アーニャが「解毒デトックス」使ってる間なら好きなだけ触れるから、別に良いんだけどさ」
「……ごめん、それは知らなかった」

 陽香は憂鬱そうに、深いため息を吐き出した。右京はやや気まずげな顔つきになって、素直に頭を下げる。

「うーたん、思い込み激しくてアレだけど、悪い事したらちゃんと謝れるのは偉いよなあ。そのまま真っ直ぐ育つんだぞ?」
「だから、もう十分育っちゃってるんだよ――」
「大きくなったらどんな風になるんだろうな? まあ、この顔ならどう転んでも間違いねえだろうけどさ」
「……知らない。鏡見ないから」

 フイッと目を逸らす右京の顔を見て、綾那もまた「確かに、ここからどのように成長しているのだろうか」と興味を抱いた。サラサラで柔らかそうな髪、長い睫毛で縁取られた、大きな黄色の瞳。美少女と見紛う少年が成長した姿は、さぞかし美しいのだろう。

(そう、例えるなら――)

「今まるで美少女だもんな……たぶんこう、ミンさんみたいになるんだろうな? ――男にモテそうな」
「――クッ……それ、絶対に本人の前で言うなよ」
「キレーな顔だって褒めてるだけなのに?」
「和にとっては侮辱に等しい」

 颯月は、陽香の言葉に小さく噴き出して口元を押さえた。綾那もまた、「いや、私も同じ事を考えたけれど――」と、この場に本人が居ないにも関わらず、気まずくなって目を泳がせる。

『ミンさん』とは、陽香が付けた和巳のあだ名である。初めは「和巳、カズミ……ズー……ズーミン?」で定着しそうになっていたのだが、本人がやんわり「ズーミンはちょっと――」と拒絶した結果、「オッケー、じゃあ略してミンさんで行くわ」と、半ば強制的に決められたものだ。陽香的に、『カズ』は安直で面白みもないからアウトらしい。

 和巳は中性的な美貌の持ち主だが、女顔に相当なコンプレックスを持っている。何せ、女性と間違われたくないから、男性しか務める事ができない騎士になったくらいだ。その容姿を揶揄すれば、深く傷つくに決まっている。

(右京さんも、気を悪くしちゃったかな?)

 綾那はちらりと右京の様子を窺った。しかし、彼は無表情のまま足元に目線を落としていて、何を言うでもなく先を行く三人の後を歩いている。
 よほど容貌について「女のようだ」と揶揄される事に慣れているのか、それとも、呆れてモノを言う気にもならないのか。

 今でこそ見た目十歳の男児だが、しかしその中身は颯月よりも年上らしい。まだ会ったばかりで、彼の人となりが分からない綾那としては――自身が人見知りするタチである事も含めて、少々付き合い方に困ってしまう。

(本当に、大丈夫なのかな。まあ、陽香が居れば平気だとは思うけれど――)

 心配すべきは何も、颯月と右京の仲がギスギスしている事だけではない。綾那はまたしても苦笑を浮かべると、この四人で旅する未来を憂いたのだった。


 ◆


「二日連続で訪れるとは珍しいな、何かあったのか?」

 綾那にとっては最早、通い慣れた教会。神父の静真は、教会入口で割れた石畳を片付けていたらしい。彼はこちらの来訪に気付くと、呆れたような――それでいて、どこか嬉しそうな顔をした。

「あまり頻繁にサボると、罰が当たるぞ」
「バカ言え。今日は仕事で、昨日はプライベートだった」
「プライベート? お前にそんなものある訳が――」

 目を眇める颯月に、静真は肩を竦めて「何をバカな」と口にした。しかし本当に、昨日の颯月はアレで休日を謳歌している最中だったのだ。
 制服を着ていた上に平気で仕事を請け負っていたが、それでも本人が「休日だ」と言うのだから、休日なのだ。

「まあ、子供達が喜ぶから、こちらとしては助かるんだが――しかし、今日は随分と連れが多いんだな」

 そこで初めて陽香と右京を見た静真に、颯月は一つ頷いて「綾の連れだ」と答えた。

「綾那さんの……どうも初めまして、神父の静真と申します」
「どもッス! あたしは陽香、こっちはうーたん!」
「うーたん」
「うーたんじゃない、右京!」
「そうか……こんにちは、右京君」

 どうやら静真は、悪魔憑きであるなしに関わらず子供好きらしい。膝を折って右京と目線を合わせると、まだクマの残る顔に笑みを浮かべた。これでも綾那の「解毒」でかなり薄まっているのだが、一朝一夕には体質改善されないようだ。

「…………こんにちは」

 いちいち「子供じゃない」と訂正するのも面倒なのか、右京は間を空けてからぺこりと頭を下げた。もしかすると、円滑なコミュニケーションを図るため、子供のフリには慣れているのかも知れない。しかし周りに彼の実年齢を知る者が居る手前、いくらか抵抗感があるに違いない。

 アデュレリア騎士団には、「時間逆行クロノス」で子供の姿をした悪魔憑きが居る――というのは、割と全国的に有名な話らしい。
 しかし今の右京は騎士服を着ていないし、マナの吸収を抑制する魔具も付いていないし、悪魔憑きの特徴が一つもない。そもそも、誰が幼い男児を見て「もしやあの、噂の悪魔憑き!?」となるものか。

「陽香さんと右京君は、どういう……? あまり似てはいないが、ご姉弟ですか?」
「ちょっと、こんな姉、冗談じゃ――」
「ああ、まあ、そんな感じッスねー! この通り、肘置きにちょうどいい弟ポジション!」

 右京は嫌そうな顔をして、訂正の言葉を口にしかけた。しかし陽香はその言葉を遮ると、彼の頭の上に腕を乗せて明るく笑う。
 愛らしい顔をムスッと歪める少年に、静真は「仲が良いのですね」と言って相好を崩した――と思えば顔を曇らせて、心配そうに眉尻を下げる。

「颯月、まさかウチの子供達にを会わせるつもりか? まだあの子達には、早いんじゃあ――」
「コイツが悪魔憑きのガキ共を見て、ビビッて逃げ出すとでも? そんなタマなら、そもそも俺と行動してねえだろう」
「ああ……悪いけど僕、の人の事はそもそも悪魔憑きだと思ってないんだよね」
「――とまあ、この通り図太い野郎だから、余計な心配はしなくていい」

 ツーンと顔を逸らす右京に、颯月は小さく肩を竦めた。右京の態度に面食らったのか、静真は「そ、そうなのか?」と目を白黒させている。

(いや、本当に、仲良くなれるのかな――?)

「コラ! メッ! 態度が悪いぞ!」と右京の頬を引き伸ばす陽香と、それに抗議する少年を見ながら、綾那は小さく息を吐き出した。
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