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第6章 奈落の底に囚われる

23 依頼

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 周囲の話と、国王の実情が違い過ぎる。ここまで違うと段々面白くなってくるレベルだ。
 綾那は、もうこの際洗いざらい聞いてしまえと決心して、質問を続けた。

「では、竜禅さんにマスクを付けるよう強要したのは何故ですか?」
「アレは――」
「私が聞いた話では、颯瑛様は大層愛情深いお方で――愛する側妃様の目に他の殿方が映るのも、他の殿方の目に側妃様の姿が映るのも許せなかったと」
「確かに、そう言った気持ちも少なからずあったとは思う。しかし私は、ただ輝夜さんに何故妬かないのかと叱られるのが嫌だっただけだ」
「し、叱られる?」

 瞠目する綾那に、颯瑛は小さく頷いた。

「従者とは言え、私以外の男が傍に侍っているのになんとも思わないのか、愛していないのかと癇癪を起こすから――「ただでさえ態度が分かりづらいのだから、もっと周囲の者に対して愛情を示してもらわないと困る。これ以上蔑ろにされると、浮気するかも知れない」と言われて、アレは苦肉の策だった。マスクを強要して以来満足したのか、輝夜さんの機嫌は直って……しかし副長がいまだに顔を隠しているのを見ると、辛くなる。これで喜んでいたなと、輝夜さんの事も思い出してしまうし」
「で、でも側妃様、竜禅さんとは元々……?」
「ただならぬ関係だったように見えたが、実際どうだったのかは知らない。ただ私が一人、後ろめたい気持ちを抱えているだけだ」
「そんな竜禅さんを、痴話喧嘩に巻き込んで振り回すとは――な、なかなか女性だったのでしょうか?」
「確かに周りからは、何かにつけて「顔だけは良いが、中身は最悪だ」と揶揄されていた。私は彼女に生きていて欲しかったが、もし颯月の教育を羽月さんではなく彼女がしていたらと思うと……少しだけ、背筋が寒くなる。とんでもない暴君が生み出されていた可能性が高い」

 それは、綾那としても背筋の寒くなる話である。綾那は今のあの、正妃に頭の上がらない彼が好きなのであって――決して、自己中心的な俺様男がタイプな訳ではない。
 いや、たとえ中身がそれでも結局、あの顔に引き寄せられたに違いないのだが。しかし、アリスの「偶像アイドル」で釣られた時の悲しみは、今の颯月よりも暴君颯月が相手の方が遥かに少ないだろう。

 綾那は少し考え込んだのち、再び口を開いた。

「この敷地内にあったお花を、全て焼き尽くされたというお話は?」
「事実だ。輝夜さんの事があって、二度と同じ事件を起こしてはならないと思った。眷属が紛れ隠れるような花園は不要だ。やり方は強硬だったかも知れないが、他の者を守るためでもある」
「――ただ、周囲の目には気狂いの王の凶行にしか見えなかったと……」
「そうだろうな」
「もしかして、また誰にも何も言わずに行動しましたか?」

 グッと口を閉じて黙り込んだ颯瑛に、その無言が答えであると察した綾那は「ああ」とため息交じりの声を漏らした。

 なんの説明も無しに、敷地内の――生前の輝夜が愛した花園にまで火を付けた颯瑛。周囲の者からすれば、彼女を喪ったショックで気が触れたとしか思えないだろう。

 一貫して自ら誤解を深めに行くスタイルに、何故そう進んで悪者になりたがるのかと首を傾げずにはいられない。

「あの、最後にひとつだけ……颯月さんに、ルベライト領に足を踏み入れないよう命じた理由はなんですか?」
「――あそこには、輝夜さんの生家がある。つまり、颯月にとって祖父母にあたる方々も居る」

 颯瑛はそこで一旦言葉を区切ると、またソファの背もたれにだらりともたれ掛かった。

「…………颯月を奪われるかも知れない」
「え……」
「輝夜さんのご両親は、相当に過保護な方々だったらしい。美しい彼女に男が群がるのを恐れて、ある程度の年齢に達してからは家の外へ出さないほどだったと聞いた。その輝夜さんが出奔した上に、亡くなって――彼らの精神的ショックは計り知れない」
「それは……そうでしょうね……」
「あの子は――颯月は、本当に輝夜さんと似ている。あの気だるそうな垂れ目なんて最たるものだ。皆は私が、輝夜さんの面影がある君を「次は死なせないように閉じ込める」と恐れているようだが――それは違う。私が死なせないよう閉じ込めるとしたらそれは、間違いなく……」
「――颯月さん、ですか?」

 その問いかけに、颯瑛は天井を見つめたままゆっくりと頷いた。

「一生悪魔憑きでは生き辛かろうと、生まれてすぐに殺そうとしたのは間違いない。しかしそれは、彼の苦労を想っての事だった。できる事なら勘当もしたくなかったし、傍に置いていたい。不幸でないなら――彼が幸せなら……ずっと生きていて欲しい。少なくとも私より先には死なないで欲しい」
「颯瑛様……」
「――ただ、私は国王だ。何があろうと王都からは離れられない。ルベライトなんかに行かれたら、もう二度と……顔を見る事すら叶わなくなる。副長から勘当の嘆願をされた時、承諾したものの気が気ではなかった。何せ彼は元々ルベライトに住んでいたし、颯月の身の安全を確保するため、すぐさま王都から遠く離れたルベライトに引っ越してしまうのではないかと危惧したんだ。だから、勘当すると同時に命じた。勘当する条件として、生母の生まれたルベライトにだけは足を踏み入れるな――と」
「でも、他にも領はあります。ルベライトだけ禁じたって……」
「いや、他領に移住するのは難しい。副長は
「えっと……?」
「聖獣は東西南北、四つの地にそれぞれ一人ずつ存在する。彼に宛がわれた棲み処は北のルベライトだ。他の領には別の聖獣が居るから……訪れるだけならばともかくとして、するとなると侵犯行為に当たる――と言ったところか。彼らが自由に生活できるのは、自身の棲み処と王都だけだ。国の中心地の王都は、聖獣にとって共用スペースだから」

 その説明に、綾那は「へえ~……」と気の抜けた相槌を打った。いまだに聖獣がなんなのかイマイチ分かっていないのだから、こればかりは仕方がない。

「王都にさえ居てくれれば――最悪彼に何かあっても、私が手助けできる。本音を言えば、騎士なんていう危険な職にも就かないで欲しかったが……彼はアレが楽しそうだし、副長も傍に居るから平気だろう」
「では、本当に颯月さんの事がお好きなのですね……」
「ああ――ひとつも関わりがなくとも、存在が既に愛おしい。颯月は……輝夜さんが全て懸けて、羽月さんが慈しみ育てた尊い息子だ。その上あの顔は、反則としか言いようがない。見ているだけで鼓動が高鳴る」
「わっ、分かります……!」

 綾那は両手で口元を覆い、大きく頷いた。そして、彼の『頼み事』について考えた。
 とにもかくにも、颯瑛の息子へ対する愛情については疑う余地がない。確かに輝夜の事を深く愛していたようだし、今も恋しく思ってはいるようだが――見る限り『病的』ではなく、常識の範囲内である。

(誰だって、愛する伴侶が早逝してしまったら颯瑛様と同じ気持ちになるに決まってる)

 それが若く、未成熟な時分の出来事であれば尚更だ。彼が颯月と仲良くなりたいと言うならば、なんとか手助けしたい。
 ただしそれは、とんでもなく長く険しい道のりである。颯月の元へ辿り着く前に、いくつも難所が立ちはだかっているからだ。

 まず正妃の誤解をとかねばならないし、竜禅とのすれ違いだってなんとかしなければ、そもそも颯月に近付く事すらできないだろう。
 しかし誤解をとくと言ったって、二十三年物の誤解を一体どうほどくのか。

 彼らと話す前に、颯瑛の意識改革が必須な気もする。
 人との対話を面倒くさがるのも、誤解されていてもただ黙って受け入れて――あまつさえ拗ねて、さも誤解が真実であるかのように振舞うのもよくない。
 それらの悪癖を改善しなければ、同じ事の繰り返しである。誤解だってとけるはずがない。

(だけど、癖って簡単には直らないし――安請け合いして成果が出せなかったら、やっぱり不敬で処されるのかな)

 ついと視線を上げて正面の男を見やれば、彼は相変わらずソファの上でだれている。
 しかし顔だけは綾那の方を向いていて、その目はやはり――至極分かりづらいが――「助けてくれ」という懇願の色を灯しているように思う。

 最愛の妻を亡くし、産まれた息子は呪われた上に、自業自得とは言え遠ざけられて。周囲の信頼を失い、爪弾きにされた可哀相な王。
 颯瑛本人も可哀相だが、誤解している周囲の人間達だって憐れだ。

 颯月は実父から恨まれていると信じているし、竜禅だって颯瑛から感謝されている事に気付いていない。
 正妃はいまだに夫の正気を疑って――維月は、自身の出生に両親の愛はないと決めつけている。

 綾那は絵本の雪だるまにはなれないが、しかし深く悩む必要はない。やれる、やれないではなく、とりあえず綾那にできる事をやってみれば良いのだ。
 色々と手を尽くしてみて、それでもダメならその時に考えれば良い。
 綾那一人ではダメでも、『四重奏』という心強い家族が居るのだからどうとでもなるだろう。

 ――陽香やアリスは、「何を勝手に面倒な仕事を引き受けているんだ」と文句を言いそうな気もするが、綾那の愛する颯月に関する問題であると真摯に訴えれば、きっと許してくれるはずだ。

 いや、滅茶苦茶にキレ散らかすだろうか。

「――分かりました、お受けいたします」
「…………私の話を信じたのか?」
「え、嘘をつかれたのですか?」
「……いいや」
「では問題ありません。疑う理由も、私にはありませんし」
「君は――――――やはり雪ではなく、花畑出身なのだな……君みたいな女性は初めてかも知れない、好きになってしまいそうだ」

 淡々と告白された綾那は、思わず小さく笑みを漏らした。

「でも颯瑛様、ご自身を引っ張って守ってくれるぐらい気の強い――それも、年上の女性がお好きでしょう。たぶん、私とは真逆の女性がタイプですよね」
「……………………」
「ああ、肯定ですね。颯瑛様、話してみると意外と分かりやすいのかも知れません」
「やめてくれ、年甲斐もなく本当に好きになるかも知れない」
「年甲斐もなくって……十分お若いのに。私とも十五くらいしか変わりませんし」
「それは、そうかも知れないが――いや、ダメだ、考えてみたら息子より若いんだよな。大問題だ」

「表」では珍しくもなんともない歳の差であるが、颯瑛が真剣に悩み始めたため、綾那も茶化すのを止めた。そうしてソファから腰を上げると、颯瑛に向かってニッコリと微笑む。

「正直、頼み事を叶える自信はありません。ただ、やれるだけやってみようと思います」
「……助かるよ」
「でも叶えるためにはまず、颯瑛様の悪癖と態度を矯正しなければなりません。そうでなければ堂々巡りです」
「ああ、分かる。君が手伝ってくれるなら、努力しようと思う」
「とにかく今日のところは、おいとましようと思います。頑張って何かしら対策を考えますから」

 ぺこりとお辞儀をする綾那を見て、颯瑛はぱちりぱちりとゆっくり瞬きをした。
 そして不思議そうに首を傾げると、「もう遅いから泊って行くと良い」と提案する。しかし綾那は首を横に振った。

「颯月さんが寝付けないと仰っていたので、早く戻らないと。明日は繊維祭なのに、もう丸二日以上眠っていないみたいで――」
「何? それはよくない、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ。それを知っていれば、わざわざこんな時に君を取り上げて長話はしなかった」

「早急に本部へ送らせる」と言って立ち上がった颯瑛に、綾那はまた笑みを漏らした。
 やはり彼は、口から出まかせを言っている訳ではなく、本心から颯月の事を大事に想っているのだ。

 大股で扉まで歩いて行った颯瑛は、ドアノブに手を掛けると、ぴたりと動きを止めて綾那を振り向いた。

「明日、また君を呼んでも良いか?」
「へ?」

 明日は国の公式行事である繊維祭で、国王の彼も忙しい。呼ぶと言うのは、祭りの後――きっとまた、夕方以降の話だろう。
 そう考えた綾那は、「はい」と言って微笑んだ。颯瑛も微かに笑みを浮かべて頷くと、扉を開けた。

「――あ!」
「陛下! ……綾那!」

 廊下――それも、扉に張り付くようにして立っていたのは、維月と正妃だった。突然開いた扉に驚いた二人は、颯瑛の姿と綾那の無事を目にすると、瞠目した。

 そして、颯瑛の事をひとつも信頼することなく扉に張り付いていた事が気まずいのか、複雑な表情を浮かべて「申し訳ありません」と頭を下げる。
 颯瑛は途端に笑みを消して表情を強張らせると、小さく咳払いをした。

「――維月、彼女を騎士団長の元まで送ってくれるか。……ああ、いや、もう遅いから近衛に頼む」
「え!? ……あ、いいえ! 俺が行きます、平気です!」
「だが、もしもの事があれば――」
「義姉う――彼女の事は何があっても俺が守りますから、行かせてください。俺だって、最低限の訓練は受けていますから」
「…………そうではなくて」

(颯瑛様、たぶん私の心配じゃなくて、維月先輩の心配をしているんだよね……? 大人に見えてもまだ十三歳、夜中に出歩くのは心配に決まっているもの)

 しかし、維月が義兄との貴重な交流の場を逃すはずがない。真剣な表情で綾那をダシに使おうとする王太子に、思わず笑みを零した。

「あの、殿下に送って頂きます。殿下が戻られる際には、きっと竜禅さんが王宮まで送ってくださると思うので……ご安心ください、お義父様」
「――お義父様」
「おとうさま!?!?」

 綾那の発言に颯瑛は僅かに瞠目して、正妃は声を大にして叫んだ。維月は維月で、ギョッと目を剥いて硬直している。そんな面々を見て、綾那はクスクスと声を上げて笑った。

「私、絶対に颯月さんと結婚するつもりなので……少々気が早いですけれど、お義父様で間違いありませんよね?」
「綾那、お前……それはさすがに不敬――」

 正妃は慌てた様子で口を開いた。彼女はいまだに、夫が颯月を殺したがっていると思い込んでいるのだ。そんな颯瑛に向かって「お前は颯月の父だ」と言及するなど、不敬極まりないと思ったのだろう。

 ちらりと顔色を窺うように颯瑛を見やれば、しかし彼は僅かに笑みを湛えている。正妃は「え――」と漏らして、ぽかんと呆けた顔をした。

「ああ、また距離が縮まった。名で呼ばれるよりも、その方が良い」
「え、あの、陛下……?」
義娘むすめをもつのは初めてだな――気を付けて帰るように」
「ふふ、実は私も親をもつのは初めてです。気を付けて帰ります」

 朗らかに笑う綾那の言葉に、全員の視線が集中した。表情の変化が分かりづらい颯瑛はともかくとして、正妃と維月は怪訝な表情をしている。

 彼らの反応に、綾那は「あ」と言って苦笑いした。「表」では、神子が生まれてすぐに親元を離れるのは当然の事だ。そして離れたまま二度と再会する事がないというのも、そう珍しくはない。

 別に暗い話でも憐れな話でもなんでもないのだが、リベリアスの人間からすれば神子の生活は馴染みがないだろう。綾那は「余計な話をしてしまった」と思うと、誤魔化すように両手を振った。

「ええと、とにかく今日は帰ります。お義父様、お義母様、おやすみなさい」
「お、おかあさま――」
「……おやすみ」
「殿下、早く颯月さんのところへ行きましょう?」
「あ、ああ、分かった。行こうか」

 行きと同じく、エスコートのために腕を差し出してくれた維月に笑いかけながら、綾那は王宮を後にしたのであった。
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