セレナーデ

桔梗

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episode4

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教室に入った瞬間、視線が絡みついてくる。

「あの……ありがとう」

「おう」

百合川は、申し訳なさそうな顔で自分の席へ向かい、俺も自分の席へ座った。

竹本が前の席から振り返って、声を潜めた。

「お前さ、またなんかあった?」

「別に」

「別にって言い方が一番怪しいんだよなー」

「お前まで…なんなんだよ…」

竹本はニヤニヤしながらも、俺の顔色を見て少しだけ表情を引き締めた。

「百合川、大丈夫そう?昨日も俺が部活行った後、大変だったんだろ?」

「……知らねぇよ。なんで俺に聞くんだよ。お前が守ってやれば?」

「俺は、ナイトには向いてね~もん」

(何言ってんだか、馬鹿らしい)

始業のチャイムが鳴り、先生が入ってくる。
授業が進む。板書。ノート。あてられた生徒の声。
全部、いつも通りのはずなのに、俺の意識はずっと斜め前に引っ張られている。

百合川の背中。
肩甲骨のあたりが少し緊張していて、息をするたびに小さく上下する。
その動きが、妙に気になる。

俺はペン先でノートの端をなぞりながら、必死に視線を板書に貼り付けた。
教師の声は単調で、教室の空気はぬるい。

気になる。気にしてる。
そんなの、俺には似合わない。

紫苑がいた頃だって、俺はこんなふうに誰かを助けるなんて器用な真似はしてなかった。

……いや、正確に言えば、俺の方が紫苑に助けられてたと思う。
そう、あの頃からずっとーー。

***

昼休みのチャイムが鳴った瞬間、教室が一気に騒がしくなる。
椅子を引く音、弁当箱の蓋を開ける音、購買へ走る足音。

「朔ー」

ふいに、明るい声が頭上から落ちてきた。

「昼、どーする?購買行く?俺さ、今日カツサンド狙ってんだけど!」

竹本が、すでに財布を握りしめている。

百合川を見ると、また何人かに取り囲まれていた。

「百合川」

呼ぶだけで、何人かが『またかよ』という顔をした。

「昼、行くぞ」

「……え」

百合川が驚いた顔をする。
俺は、呆然としている竹本に声をかける。

「竹本」

「ん?」

「お前、購買行くんだろ。行ってこい」

「え、え、何?お前は?」

「俺は百合川と食うわ。ほら、早く行けよ。カツサンドなくなるぞ」

竹本は一瞬ぽかんとして、次の瞬間には笑った。

「昨日も俺仲間はずれだったのに!わかったよー!」

竹本は不貞腐れたような顔をしながらも、クラスのやつに声をかけて何人かで出て行った。

「百合川、行こ」

「……うん」

「……こっち」

「……はい」

人気のない、屋上近くの階段の踊り場。
そこに、すでに見慣れた二人がいた。

「朔、昼来るなら連絡しろよー」

「……なんでここにいんだよ」

俺が言うと、時雨が顔を上げて笑う。
笑うけど、その目は俺の後ろを見て、一瞬だけ真面目になる。

百合川が、踊り場の入り口で足を止めていた。
蓮が、すぐに状況を理解したみたいに目を細める。

「例の転校生?」

百合川が小さく身体を強張らせるのがわかった。

(……やっぱり、人が怖いんだな)

俺が先に答える。

「ああ、同じクラスの百合川」

百合川が小さく頭を下げる。

「……百合川 依織です……」

時雨が立ち上がり、わざと大げさに両手を広げた。

「うわ、本物だ。ねえ、今度サイン――」

「やめろ」

俺が即座に遮ると、時雨は「はいはい」と両手を上げた。

「冗談冗談。わかってるって」

ヘラヘラっと笑いながら、時雨は言葉を続ける。

「はいはい、緊張しなくていーよ!俺は藤白 時雨で、こっちの無愛想なのは芹沢 蓮!よろしくね!」

蓮も軽く会釈する。

百合川は一瞬迷ってから、深く頭を下げた。

「……よろしくお願いします」

「……てか、百合川君さ、朔にくっついてると大変じゃない?」

「おい」

俺が睨むと、時雨は肩をすくめる。

「だってさ、朔って怖いじゃん。特に…顔!」

「黙れ」

百合川が小さく笑った。

「……桐生君は……怖くないです」

百合川の反応を見て、時雨が茶化してくる。

「うわ!朔照れてる~!」

「おい、黙れって」

俺は百合川を見る。

「昼、こいつらも一緒でいいか?」

百合川が少しだけ驚く。
それから、迷っているのがわかる。

「嫌なら嫌って言っていいんだぞ」

蓮が低く言う。

その言い方はぶっきらぼうなのに、不思議と逃げ道を残していた。
百合川は顔を上げて、蓮を見る。
その目には、怯えよりも戸惑いが浮かんでいた。

「……嫌じゃ、ないです……一緒がいいです!」

小さく、けれどはっきり言う。

時雨が「おおー」とわざとらしく声を上げ、蓮が視線を逸らす。
俺は、何も言えずに、ただ百合川を見ていた。

「じゃあ決まり!ほら、二人とも座って!」

時雨がパンの袋を掲げる。

「今日はパン祭りでーす!はい、百合川君、何食べる?」

「……え……」

百合川が戸惑ってる。
そりゃ誰だって、こんなに大量のパンが入った袋を急に見せられれば驚くわ。

「百合川、時雨の奢りだから遠慮しなくていいぞ」

俺は百合川に言う。

「こいつんち金持ちなんだよ。今日はとか言ってるけど、だいたいいつもパン祭りな」

蓮が冷たく言い放つ。

「そうそう!遠慮はいらないよ~」

百合川は戸惑いながらも袋を覗き、メロンパンを一つ、そっと取った。

「……これで……」

「お、甘党?」

「…まあ、そんな感じです…」

百合川が恥ずかしそうに俯く。

「こいつ、野菜嫌いなんだってさ」と俺が揶揄うように言うと、「桐生君…!」と百合川が珍しく大きな声を出した。

「なんだよ、誰だって好き嫌いくらいあるだろ」

「……だけど…なんか…野菜嫌いって子供みたいで、恥ずかしくて……」

「かわいいじゃん!」と時雨。

「時雨、百合川で遊ぶな」と蓮がいうと、と蓮が言うと、時雨は口を尖らせた。

「遊んでないし~、距離縮めてるだけだし~」

蓮は相手にしない。
俺は、百合川の横顔を見る。

百合川は、メロンパンを小さくちぎって口に入れた。
噛むたびに、少しだけ頬が動く。
それが、妙に安心する。

(……こいつ、小動物みたいな食い方してんな)

昼の光が、踊り場の床に細く差し込んでいた。
その光の中に、四人の影が並んで落ちる。

「ねえ、百合川君さ」

「……はい?」

時雨はパンの袋を膝に置いたまま、軽い調子で言う。

「もう、歌わないの?」

空気が、一瞬だけ止まった。

百合川の指が、メロンパンの上で止まる。

俺は思わず、時雨を睨んだ。

「おい――」

「いや、気になっただけなんだって。ほんとに」

時雨はすぐに続ける。
いつもの軽さの中に、ほんの少しだけ慎重さが混じっている。

「たださ。昨日、百合川君が歌ってる動画を見てね。なんか、勿体無いなあって思ってさ」

百合川は、少し視線を落としたまま、ゆっくりとパンを置いた。

「……歌う、こと自体は……嫌いじゃない、です。むしろ好きです」

「へえ」

時雨が目を細める。

「でも……」

百合川は言葉を探すみたいに、一度息を吸った。

「……あれは、“自分の歌”じゃないから……」

「自分の歌じゃない?」

蓮が静かに問い返す。

百合川は、小さく頷いた。

「NEBULAにいた頃は……ただ、求められてた歌を歌っていただけで……」

言い方は曖昧なのに、重みがあった。

「……ファンのみんなが好きなのは、“百合川依織”じゃなくて……IORIっていう、作られた人で……だから……」

俺の胸が、少しだけ締まる。

紫苑も、似たようなことを言っていたことがある。

『朔が好きなのはさ、俺であって……俺じゃないのかもね』

あの時、俺は紫苑になんて言ったんだっけーー。

「……今は?」

時雨が、優しく聞く。

百合川は、少し考えてから言った。

「……今は……」

目線が、俺のほうをかすめる。

「……IORIじゃないから……」

それは、自嘲でも悲嘆でもなく、
ただ事実を言うみたいな声だった。

「……だから、少し……楽、みたいです」

時雨が、少しだけ笑う。

「そっか!」

「……なんか、よくわからないこと言って……ごめんなさい」

「ほら、また謝ってんぞ」

俺はすかさず百合川に言う。

「あ……」

「まぁまぁ」と、時雨が代わりにパンを一つ口に放り込む。

「とにかくさ、ネットって神様ごっこ大好きだよねー。お前誰だよ、赤の他人だろ!ってね」

「……」

「でもさ、俺たちは、神様なんかじゃないし、百合川くんの人生の“正解”とかさ、誰にも決められないし、決める権利なんてないんだからさ。もっと胸張ってなよ!」

時雨の言葉は、珍しくまっすぐだった。

「いつか、聞かせてよ。“百合川依織の歌”」

時雨の言葉に、依織は微笑む。

「俺もーー」

「……え?」

「俺も、お前の歌が聞きたい」

(あれ、俺今何言った?)

一瞬自分が何を言ったのか理解できなかったが、蓮と時雨のあっけに取られた顔を見て理解した。

「……あ…その…今のは違くて……」

俺は言葉を探して口を開く前に、百合川がふっと笑った。

「……うれしい、です」

その声はとても小さかったけれど、嘘じゃない響きがあった。

「……誰かに……百合川 依織としてみてもらえたの……久しぶりで……」

目を伏せたまま、そう言う百合川の横顔は、アイドルでもIORIでもなくて、ただの十七歳の少年だった。

時雨が、わざとらしく咳払いをする。

「はいはい、急に空気重くならないでよ~。ほら、パン食べよパン!まだあるよ~」

「時雨」

「なに?」

「さっきの、悪くなかったぞ」

蓮がぼそっと言うと、時雨は一瞬きょとんとしてから、にやっと笑った。

「でしょ?俺って実は深い男なんだよ?」

「はいはい」

二人のやりとりに、百合川がくすっと笑った。
その顔を見て、俺は胸の奥底で何かが動く音がした。
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