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2:儀式
しおりを挟むふわふわと浮かぶ私の目に映る景色が変わる。
そこは先ほどとは違って、ジメジメとした暗い、地下室だった。部屋の中央には禍々しい魔法陣が刻まれており、周囲には生贄らしき山羊の死体が歪な形で飾られていた。
どう見ても邪教の儀式だが、何より問題なのはその魔法陣の側にユリウスが立っていることだ。
「なあワズワースのおっさん。本当にこんなことで俺は強くなれるのか? 兄さんを超えられるのか?」
ユリウスが真剣な表情で隣に立つ、宮廷魔術師のワズワースへと声を掛けた。
「勿論ですとも……私は常々考えていたのです。真に王に相応しいのはユリウス王子であると。ですが陛下も愚かなヒューイ派も、誰もその真理に気付いていない……だからこそ、私と貴方の二人三脚でそれをひっくり返すのですよ!」
血走った目のワズワースを見て、ユリウスが一歩遠ざかる。その様子が少々おかしいことに気付いたのだ。
「なあ……本当にエステルもこれに賛成しているのか?」
「無論。この魔法陣が記された魔導書を発見したのも彼女ですぞ。心配なさらずとも、ユリウス王子。この儀式が成功すれば、あの図書塔の姫も貴方の物……」
ワズワースの言葉がまるで毒のようにユリウスを犯していく。その真実をねじ曲げたような嘘に、私は声を上げようとするとも、幽霊のように漂う私の声は届かない。
「そ、そうか……なら良いんだ」
「ユリウス王子の協力があったからこそ、ここまで魔法陣を再現することが出来ました。王宮の倉庫は私ですら中には入れませんからね。呪物を取ってきていただき感謝です。王子のいたずら癖が役に立ちましたな」
「……やっぱりこれ、一度エステルに見てもらった方が」
「必要ありませんよ。この儀式を完成させるのに必要な物はあと一つだけ……」
そう言ってワズワースが、ユリウスの腕を掴んだ。
「な、なにすんだよ!?」
「くはは……くはははは!! やっぱりお前は馬鹿だな!! この儀式に必要な物はな! 高貴な血……つまりお前の命だよ! 心配するな! 強くなった俺があの王もヒューイも全部滅ぼしてやる! ああ、特別にあの姫は生かして俺の妃にしてやるさ! なんせあいつは――」
「てめえ! 俺を騙したな!」
ユリウスがワズワースの腕へと噛み付いた。
「ぎゃっ! 何をする! この猿が!!」
逆上したワズワースがユリウスを持っていた杖で殴りつけた。
「かはっ」
「クソガキが!! ぶち殺すぞ!!」
ワズワースが何度もユリウスを杖で殴打する。すると、その地下室の扉が勢いよく開いた。
「はあ……はあ……ユリウス!」
飛び込んで来たのは、汗まみれで息が切れて、肩を上下させている少女――私だった。
「遅すぎたな、図書塔の姫! さあ見るが良い! 俺が最強の魔術師になるその時を! さあ〝血神カウレア〟よ! 高貴なる生贄と引き換えにその力を我に与えたまえ!」
ワズワースが、足下に倒れているユリウスの血がべったりと付着した杖を魔法陣へと向けると、魔法陣から禍々しい赤い光が立ち昇った。
「いけない!」
私が走る。確かにあの禁術の記された魔導書を見つけたのは私だ。だけど、決してそれを再現しようなどと思ったことがない。なぜならあの禁術は決してワズワースが考えているような類いのものではないからだ。
このままでは、ユリウスの命が捧げられてしまう。私はどうすればこの禁術を止められるかを思考する。しかし思い付いた方法は、一つしかなかった。だが、それは余りに……危険かつ苦痛を伴う方法だった。
「エ……ステル……ごめん……ごめんなさい……」
そのユリウスの途切れ途切れの言葉と、涙でぐしゃぐしゃになった顔が、私に決意させる。
「本当に貴方は……馬鹿ね」
私がそうユリウスに微笑むと、母の形見である、薔薇の紋章が刻まれた護身用の短剣を抜いた。血を使った魔術には――血を使った魔術で対抗するしかない。
恍惚の表情のまま立ち尽くすワズワースの横を通り過ぎ、私が魔法陣へと飛び込んだ。
「無駄だ……もう血神カウレアはそこにいらっしゃるのだ! ああ! 力が! 力があ!! 溢れてく――」
ワズワースがそう叫ぶとと同時に、床へと倒れた。その顔には満足げな表情が浮かんでいるが、その全身から血が抜かれており、絶命していた。
「エステル……エステル!!」
ユリウスの声と共に、魔法陣に浮かぶ赤い人影が翼を広げた。私が短剣を持ったままそれと対峙する。
「血が足りぬなあ。高貴な血が足りぬなあ」
その人影の、少女とも老婆ともつかない声が響く。その視線がユリウスへと注がれたのが見えた。
「美味そうな血がおるなあ」
「あら、それならこっちもあるわよ!」
私がそう叫ぶと短剣で手のひらを切って血を刀身に纏わせた。
「ん? この血の匂いは……」
「冥府へと帰りなさい!」
私がそのままその人影へと短剣を刺した。私の血と、その人影の血が交わる。
「ふむ……これもまた一興か。星屑の姫よ。汝を受け入れよう」
そんな言葉と共にその人影が赤い光となり消えた。
「あっ……」
そして同時に私が床へと倒れたのだった。
「エステル!」
ユリウスの叫びと共に地下室へと雪崩れ込む兵士達。
その先の光景を、私は知らない。
なぜならユリウスを助けたこの日から私は――まるで時が止まったかのように眠り続けているのだから。
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