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1章《赦されざる者たち》
3話 崩れゆく信頼と愛情
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家臣の報告を聞いた瞬間、皇帝は玉座の上で凍りついた。隣では皇后リリスが青くなって震えていた。
半年間、床に毛布一枚。
食事も水も、一度たりとも与えられていなかった——。
(私は……)
自分が何を命じ、何を放置していたのか、その重さに、皇帝は全身から血の気が引くのを感じた。
(私は……セレナに、なんということをしてしまったのだ……)
王座の間にて報告を聞いたその日、
皇帝は初めて自らの声に怒りを宿した。
玉座に深く腰掛けたまま、彼は静かに、しかし確実に問いかける。
「逃げだしたと言うのか?」
声は低く、だが底知れぬ怒気がにじむ。
「塔に閉じ込めた王女が、何の力も、誰の助けもなく逃げ出した? それを……貴様ら、今になって報告するのか?」
膝をつく家臣たち。
侍女は蒼白の顔でひれ伏す。
「申し訳……ありません……」
誰が発したのかも分からないか細い声に、皇帝は一瞬、沈黙する。
そして、鋭い視線で目の前にひざまずく家臣たちを一瞥すると低く怒りを抑えた声で
「私は静かにさせろ。煩わしいゆえに閉じ込めておけとお前たちに任せたはずだ。」
問い詰める。
「……しかし、陛下のご命令が……」
老臣の声が震える。
「“静かにさせろ”と仰せだったので……私どもは、必要以上の干渉を避け、声を上げぬよう、食も断ち……」
皇帝の目が見開かれる。その瞳には、怒りより先に驚愕が浮かんだ。
「貴様らの勝手な“解釈”で、仮にも他国の王女を殺そうとしたのか?皇后リリスの姉を」
家臣たちは凍りついたように動かない。
「……陛下のご威光を守るためと……そのように……」
「私の“威光”が、他国の王女の命を断つ理由になるのか?」
静かな問いに、空気が張りつめる。
「そうか。塔に監禁し、食を与えず、声を封じた。……それが“私の命”だと?」
誰も答えない。誰も答えられない。
「お前たちは、忠義を盾にして、思考を止めた……」
「セレナ王女は逃げた。殺されると知ったから、逃げたのだ。……あの感情の無い王女が、必死で、生きようとした」
皇帝は玉座から立ち上がった。その足音が、全員の背を押し潰す。
「“忠義”とは………王の言葉を歪め、近隣の仮にも王族を餓死させることか?」
沈黙の中、彼は命じる。
「家臣、侍女、その場にいたすべての者――明朝までに処刑せよ。理由は要らぬ。愚かさは罰に値する」
そして誰にも聞こえぬほど小さく、皇帝は呟いた。
「……あの王女は、きっと生きている……私は、殺したかった訳じゃない」
その呟きが、届くことはなかった。
皇后リリスは、怒りと憎しみに震えながら、隣の皇帝を睨みつけた。
「どうして、私に嘘をついたの!」
「お姉様は、市井で暮らしていると……そう言ったじゃない……!なぜ塔に捕らわれているの!」
──リリスの脳裏に、あの日々の記憶がよみがえる。
リリスが急にこの国に嫁ぐことになった時、あまりの支度の早さに、姉のセレナと語り合うことも出来なかった。とうとう出立の当日。せめて最後の挨拶をと思っても、姉は玉座の間に現れなかった。それを不審に思い、リリスは父王に問いただしたが——
「セレナのことは気にするな」
父王はそれだけを告げ、まるで触れてはならぬことのように口を閉ざした。
問いかけようとしても、母王はただ微笑むだけ。使用人たちも目をそらすばかりだった。
——なぜ、姉がいないの?
不安を抱えたまま旅路に出たが、道中で耳にしたささやきが、リリスを少しだけ安心させた。
「姉君はすでに新しい国へ向かわれたそうですよ」 「病弱なリリス様に代わって、いろいろと準備を進めているのだと……」
——そうか。姉様は私のために——。
幼い頃からずっと、私を守ってくれた、あの人らしいとリリスは信じた。
それが、偽りで塗り固められた幻想とも知らずに——。
この国に到着して、歓迎の嵐の中、リリスは姉の姿を探し続けた。不安に胸を抱えながら、そっと尋ねた。
「お姉様は……どこにいるの?」
侍女はやさしく微笑み、まるで用意された言葉のように答えた。
「リリス様のお身体を案じ、先にこちらに来て外交や準備を進めてくださいました。 ですが、王宮に姉妹が揃えば憶測を呼ぶ恐れがあると判断され…… 今は市井で静かに暮らしておられるそうです」
それなら、いずれきっと会えるはず。そう信じていた——。
──だが、それもすべて嘘だったのだ。
リリスの瞳が怒りに燃える。
「家臣も侍女もみんな、私に嘘をついた! 私を都合よく縛り、お姉様を消して……!」
「お姉様は……生きてるの!?本当に逃げ出したの?
それとも……もう殺されて、どこかに捨てられたの……!?」
リリスの叫びが、玉座の間を切り裂くように響いた。
皇帝は何も言えなかった。
自らが犯した罪の重さに、ただ呆然と立ち尽くしていた。
そして——
リリスは、かすれた声で皇帝に問いかけた。
「私も……消す…の?」
その一言に、皇帝の胸が張り裂けた。
リリスの小さな体が、ふらりと傾き、石床に崩れ落ちる。
皇帝は咄嗟に、玉座を飛び降り、リリスを抱きとめた。
冷たく、震える体。
額に触れれば、熱がひどく上がっていた。
自らの胸に縋るように倒れたリリスを、皇帝は強く、強く抱きしめた。
「すまない……リリス……すまない……」
苦しみに打ち震える声で、誰にも聞かれぬように呟く。
愛していたはずの妻に、
自らの手で苦しみを与えてしまった——
皇帝の心は、悔恨と絶望に引き裂かれた。
(私が……リリスを、壊してしまった……)
ただ、その温もりを失わぬように、
皇帝はリリスを抱きしめ続けた。
半年間、床に毛布一枚。
食事も水も、一度たりとも与えられていなかった——。
(私は……)
自分が何を命じ、何を放置していたのか、その重さに、皇帝は全身から血の気が引くのを感じた。
(私は……セレナに、なんということをしてしまったのだ……)
王座の間にて報告を聞いたその日、
皇帝は初めて自らの声に怒りを宿した。
玉座に深く腰掛けたまま、彼は静かに、しかし確実に問いかける。
「逃げだしたと言うのか?」
声は低く、だが底知れぬ怒気がにじむ。
「塔に閉じ込めた王女が、何の力も、誰の助けもなく逃げ出した? それを……貴様ら、今になって報告するのか?」
膝をつく家臣たち。
侍女は蒼白の顔でひれ伏す。
「申し訳……ありません……」
誰が発したのかも分からないか細い声に、皇帝は一瞬、沈黙する。
そして、鋭い視線で目の前にひざまずく家臣たちを一瞥すると低く怒りを抑えた声で
「私は静かにさせろ。煩わしいゆえに閉じ込めておけとお前たちに任せたはずだ。」
問い詰める。
「……しかし、陛下のご命令が……」
老臣の声が震える。
「“静かにさせろ”と仰せだったので……私どもは、必要以上の干渉を避け、声を上げぬよう、食も断ち……」
皇帝の目が見開かれる。その瞳には、怒りより先に驚愕が浮かんだ。
「貴様らの勝手な“解釈”で、仮にも他国の王女を殺そうとしたのか?皇后リリスの姉を」
家臣たちは凍りついたように動かない。
「……陛下のご威光を守るためと……そのように……」
「私の“威光”が、他国の王女の命を断つ理由になるのか?」
静かな問いに、空気が張りつめる。
「そうか。塔に監禁し、食を与えず、声を封じた。……それが“私の命”だと?」
誰も答えない。誰も答えられない。
「お前たちは、忠義を盾にして、思考を止めた……」
「セレナ王女は逃げた。殺されると知ったから、逃げたのだ。……あの感情の無い王女が、必死で、生きようとした」
皇帝は玉座から立ち上がった。その足音が、全員の背を押し潰す。
「“忠義”とは………王の言葉を歪め、近隣の仮にも王族を餓死させることか?」
沈黙の中、彼は命じる。
「家臣、侍女、その場にいたすべての者――明朝までに処刑せよ。理由は要らぬ。愚かさは罰に値する」
そして誰にも聞こえぬほど小さく、皇帝は呟いた。
「……あの王女は、きっと生きている……私は、殺したかった訳じゃない」
その呟きが、届くことはなかった。
皇后リリスは、怒りと憎しみに震えながら、隣の皇帝を睨みつけた。
「どうして、私に嘘をついたの!」
「お姉様は、市井で暮らしていると……そう言ったじゃない……!なぜ塔に捕らわれているの!」
──リリスの脳裏に、あの日々の記憶がよみがえる。
リリスが急にこの国に嫁ぐことになった時、あまりの支度の早さに、姉のセレナと語り合うことも出来なかった。とうとう出立の当日。せめて最後の挨拶をと思っても、姉は玉座の間に現れなかった。それを不審に思い、リリスは父王に問いただしたが——
「セレナのことは気にするな」
父王はそれだけを告げ、まるで触れてはならぬことのように口を閉ざした。
問いかけようとしても、母王はただ微笑むだけ。使用人たちも目をそらすばかりだった。
——なぜ、姉がいないの?
不安を抱えたまま旅路に出たが、道中で耳にしたささやきが、リリスを少しだけ安心させた。
「姉君はすでに新しい国へ向かわれたそうですよ」 「病弱なリリス様に代わって、いろいろと準備を進めているのだと……」
——そうか。姉様は私のために——。
幼い頃からずっと、私を守ってくれた、あの人らしいとリリスは信じた。
それが、偽りで塗り固められた幻想とも知らずに——。
この国に到着して、歓迎の嵐の中、リリスは姉の姿を探し続けた。不安に胸を抱えながら、そっと尋ねた。
「お姉様は……どこにいるの?」
侍女はやさしく微笑み、まるで用意された言葉のように答えた。
「リリス様のお身体を案じ、先にこちらに来て外交や準備を進めてくださいました。 ですが、王宮に姉妹が揃えば憶測を呼ぶ恐れがあると判断され…… 今は市井で静かに暮らしておられるそうです」
それなら、いずれきっと会えるはず。そう信じていた——。
──だが、それもすべて嘘だったのだ。
リリスの瞳が怒りに燃える。
「家臣も侍女もみんな、私に嘘をついた! 私を都合よく縛り、お姉様を消して……!」
「お姉様は……生きてるの!?本当に逃げ出したの?
それとも……もう殺されて、どこかに捨てられたの……!?」
リリスの叫びが、玉座の間を切り裂くように響いた。
皇帝は何も言えなかった。
自らが犯した罪の重さに、ただ呆然と立ち尽くしていた。
そして——
リリスは、かすれた声で皇帝に問いかけた。
「私も……消す…の?」
その一言に、皇帝の胸が張り裂けた。
リリスの小さな体が、ふらりと傾き、石床に崩れ落ちる。
皇帝は咄嗟に、玉座を飛び降り、リリスを抱きとめた。
冷たく、震える体。
額に触れれば、熱がひどく上がっていた。
自らの胸に縋るように倒れたリリスを、皇帝は強く、強く抱きしめた。
「すまない……リリス……すまない……」
苦しみに打ち震える声で、誰にも聞かれぬように呟く。
愛していたはずの妻に、
自らの手で苦しみを与えてしまった——
皇帝の心は、悔恨と絶望に引き裂かれた。
(私が……リリスを、壊してしまった……)
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