【完】グランディール学院の秘密

伊藤クロエ

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 昼を過ぎた頃、22番地点で見張りに立っていたゲオルグの元に二学年の生徒が助けを求めて来た時は、ここまで事態が悪化するとは思っていなかった。
「同行していたクラスメイトの一人が足を滑らせて斜面を落ちた」というその少年の案内で急いで現場に駆けつけたが、案の定そこは数日前の雨と今日の曇天でいつも以上に滑りやすくなっていた西側の斜面で、その少年はかなり下まで落ちてしまっていた。
 傍の木に縄を張り、自分の身体に巻きつけて降りて行く途中で、そこまで案内してくれた下級生が心配するあまり身を乗り出し過ぎて、彼まで一緒に斜面を転げ落ちてきた。
 とっさに腕を伸ばしその襟首を捕まえたはいいが、綱が木に擦れて切れてしまい下級生もろとも自分もかなり下まで落ちてしまった。

 そこから足をくじいてしまった下級生を背負い、自分まで一緒に落ちてしまったことを泣いて謝る少年の手を引いて、少しずつ、慎重に山を下りていった。
 幸いその辺りは数日前から何度もゲオルグが整備のために訪れていた場所で、正規のルートからはかなり外れてはいたがなんとか方向とおおよその距離だけは把握できた。だが雨が振り出し、どんどん辺りは暗くなり雨脚もますます強くなるにつれて、事態は深刻になりつつあることに気が付いた。
 それでもなぜかゲオルグに焦りや不安はなく、不安定な足元に注意しながら下級生二人を抱えて歩くゲオルグの頭に浮かんでいたのは、ただ一人の美しく鋭い宝石のような姿だった。
(あの人は心配しているだろうか)
(それとも俺が戻っていないことなど、気づいてもいないだろうか)
 そう思ったが、あれほど慎重に準備を進め常に注意深く全てに目を光らせているあの人のことだ、自分はともかく下級生二人が行方不明になっていることをいち早く把握して行動しているだろう、と思い直す。
(なんとしても戻らなければ)
 自分が彼に好かれておらず、憎まれても当然なことは理解している。自分一人がどうなろうと彼にとって何の傷にもならない。
 だが誰よりも責任感の強い人だから、この二人の少年たちに何かあればひどく心を痛め、おのれを責めるだろう。だからゲオルグはなんとしても彼の元へ戻らなければならなかった。
 ゲオルグは、自分の雨具を足をくじいてぐったりしている少年に重ねて羽織らせ、明かりと懐炉はもう一人の少年に持たせて、自分は頭からぐっしょり濡れながらもひたすらおのれに言い聞かせた。

――――絶対にあの人の元へ戻り、少年たちをあの人のところへ帰す。

 そして遠くからでもいい。なんとしてももう一度、あの冴え冴えと美しく輝く姿が見たい。
 濡れて滑る山道を一歩一歩踏みしめながら、ゲオルグはただそれだけを考えていた。



     ◇   ◇   ◇



 山を降りて自分たちを待つアリスティドたちの姿が目に入った時は、ゲオルグはらしくもなく安堵のため息を漏らした。そしてまず二人の下級生を他の監督生たちに預け、そしてようやく願い続けた彼の姿を目に収める。
 だが下がり続けた体温と疲労に霞む目では自分を見るアリスティドの目に映る感情は読み取れず、彼に何かを言う前に他の生徒たちが駆け寄ってきて自分を取り囲み、その間にアリスティドの姿は見えなくなっていた。

 感極まったようにあれこれ話しかけてくる総代や教師らをなんとか交わし、すでに戻っていた生徒たちが集まる食堂に入ると、同室の後輩であるトムが大泣きしながらゲオルグに飛びついて来た。
「ずっと心配していた」「もしやと思うと怖くて仕方なかった」と言いながら泣き「いや自分は絶対にゲオルグ先輩が二人を連れて戻ってくると信じていた」「俺にはわかっていた」と叫んでは「一体どっちなの」と同学年のエイリークに突っ込まれていた。
 他にも今まで話したこともないような相手が口々に賞賛を言葉を発しながら肩を叩いてきたり握手を求めてきたりしたが、ゲオルグはせいぜい喧嘩を売ることにならぬ程度にあしらい、早々に自分の部屋へと引き取った。そして雨に濡れた髪と身体を洗い、部屋着ではなく制服を身に纏う。そしてゲオルグはアリスティドの部屋を訪れた。
 もちろん、今夜ゲオルグはアリスティドに呼ばれてはいない。なのに無断で押しかけたりしたら今度こそあの冷ややかな眼差しで拒否され、追い返されるかもしれない。でもそれでもいいから、どうしてもゲオルグはひと目彼の顔を近くで見たかった。


     ◇   ◇   ◇


 鍵が開いたままの部屋に入ってみると、アリスティドは珍しくも乱れたローブ姿のままベッドで眠ってしまっていた。
 今までもまるで不貞腐れたような顔でベッドに寝転がってゲオルグの訪れを待っていたことはあったが、今のように完全に意識がない状態は初めてのことだった。
 今朝は夜明けとともに外に出ていち早く準備に当たり、休む間もなく周りに目を配り指示を出し、そしてあの下級生二人の行方不明事件が起きた。
 眉をしかめた苦しそうな表情で眠るアリスティドの寝顔をゲオルグはしばし間近で眺めて、そして音を立てぬよう気を付けながら浴室の小さなバスタブに湯を溜めた。
 よほど疲れたのだろう。アリスティドを抱きかかえ服を脱がせても彼は目を覚まさなかった。
 抜けるように白く滑らかな肌と綺麗に筋肉の乗った申し分ない身体を目で楽しみながら、そっと抱き上げて湯の中に降ろす。そして彼があまりに深い官能に溺れて意識をなくした時に何度も口づけた輝くプラチナ色の髪を丁寧に指で洗い流した。

 しばらくして、ようやくアリスティドが目を覚ました。湯気で色を濃くしたまつ毛が震え、そして開いた目蓋の下から、さっき山であれほど見たいと願っていた美しい薄氷色の目が覗いたのを見て、自分は無事山から戻ってこれたのだとようやく実感した。

 ぽつり、とアリスティドにしては珍しく覇気のない声で囁かれる言葉を聞き、ゲオルグは抱きしめたい衝動を堪えて優しく、丁寧に髪と身体を清めてやった。そしてベッドから抱き上げた時にひどく冷え切っていた指先を湯とおのれの手で温めてやりながらかたち良く整った爪の先を見て、この人はこんなところまで美しいのか、とつくづく感心した。

 だが、その時は突然来た。
――――もういい。お前は部屋に戻れ。
 初めはまた何か彼を苛立たせるようなことをしたのかと思った。だがその目はいつになくゲオルグを見ようとはせず、ただ波打つ湯に向けられていた。
 アリスティドは快感に喘ぐ時もゲオルグを罵る時も、いつもゲオルグの目を見て言う。なのに今は決して視線を合わそうとしない。だからこそ、本気だと思った。
――――私は今夜、寮監の目安箱にメモを入れた覚えはない。
 言外に「お前など呼んではいない」と言われて、ゲオルグはついにこの時が来たのかと覚悟した。
 黙って会釈をし、彼が自分で濡れた髪を拭い服を着替え、温かい毛布にくるまって無事ベッドの中で熟睡できる事を祈りながら、彼の部屋を後にした。

 今まで自分が彼にしてきたことを後悔はしていない。例えそのせいで憎まれ、永遠に退けられたとしても、自分が願ったことは全部叶ったのだから。

 誰もが決して特別にはなれないあの人の視界に入ることができた。
 あの人を一時のこととはいえ、自分だけのものにできた。
 そしてあの強く美しく、そして誰よりも一途で愚かで傷つきやすい彼のために、あの下級生たちも無事連れて帰ることができた。
 これで満足でなくて何だというのだろう。

 恐らく、彼があの走り書きのメモを寮監の目安箱に入れる事は二度とないだろう。ゲオルグだけでなく、他のどの奉仕委員ももう彼には必要ない。

 たとえあの身体をどれほど完膚なきまでに陥落させたとしても、彼の、誰に恥じることのない人間であろうと願う強い強いまっすぐな意志と精神こそが、彼という人を造り上げている根幹なのだ。
 彼はその覚悟さえできれば、その揺るぎない精神力で肉体の弱さなど簡単に服従させてしまうだろう。それだけの力が彼にはある、とゲオルグは思う。




 ゲオルグはトムを起こさぬよう静かに部屋着に着替え、ベッドに入る。そして窓に叩きつける雨と嵐をまんじりともせず見つめた。
 どうせ今夜はろくに眠れやしないだろう。

 そうしてゲオルグはついに手のひらから零れ落ちてしまった大事な大事な宝石を惜しみながら、ベッドの中で夜明けの鳥の声を聞いた。
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