仲良くしたいの。《転生魔法士はある日、森の中でクマさんと》

伊藤クロエ

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黒の森(5)

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ごめんなさい!!
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 魔法の訓練とやらはひどく気力も体力も削ぐ行為らしい。森の木々の隙間から見えていた太陽が中天から西へと傾き始めていくらも経たない頃にリツはぐったりと地面に座り込んでしまった。

「……ここまでにしよう」

 男がそう言うとリツはまるで力の入らない声で「……あ……ありがとう、ございました……ぁ……」と呟いた。しばらく黙ってそれを見下ろしていた男がふっと他所を見る。

「しばらく中で休め」
「は……はい……」

 男は苦労して立ち上がろうとするリツに「狩りに行ってくる」と言い置くと、ちら、とノルガンを見てから森の中に消えていった。ノルガンはタマラの木の下から立ち上がり、へたりこんだままのリツを脇に抱えて小屋の中に入る。
 男が一人で暮らしている小屋はずいぶんとこじんまりとしていて、北側に竈があり、反対側に簡素な寝台がある。その間に木のテーブルと椅子が置かれていた。
 リツは男の寝台の下に樅のような葉の束と毛布を敷いて寝ているようだった。そこにリツを下すとふにゃふにゃとした声で「ごめん……」と呟く声が聞こえた。
 ノルガンは朝汲んだ水を木のカップに注いで渡そうとしたが、もはや自力で起き上がる気力もないらしい。リツの肩を抱き起して口移しに水を流し込むと、少しむせながらもなんとか飲めたようだった。

「……ん……っ」

 口を離そうとすると、リツの舌と唇が追いかけてくる。されるがままにして見下ろすと、リツはやはりふにゃふにゃとした力ない仕草で唇をついばんできた。まるで餌を欲しがる生まれたての鳥の子のようだと思いつつ、しばらく好きなようにさせておく。するといつになくノルガンの方から口内を貪ってこないことに焦れたのか、リツがぼんやりと目を開けて「……なんで……ぇ……」と零した。
 ノルガンは傍らに落ちていた毛布をリツに被せて小屋から出る。
 この小屋はあの男のねぐら、いわば巣のようなものだ。あの男は他の人間や獣人や半獣に比べると気配だけでなく体臭もひどく希薄だが、それでもノルガンの鼻には森の奥の陽の射さぬ暗がりのような男の匂いがこびりついている。「なんで」と聞かれても、ほかのオスが作った巣の中で獲物を喰おうとする男などいるわけがない。
 ノルガンは大きく鼻を鳴らして不快感を紛らわせると、戦斧を手に小屋から東へ向かって歩き、立ち止まる。すると上から声が落ちて来た。

「気づいていたか」

 男は音もなく大枝の上から飛び降りると、なんの感情も見えない声をノルガンに向かって投げる。それを無視してノルガンは口を開いた。

「あの場所は一体なんなんだ」
「……リツが初めに倒れていた場所のことか」

 男の口から出た《リツ》という音がまるで錆た鉄のようにノルガンの脳をガリガリと削る。ノルガンが黙って男の目を見ていると、何の頓着もなく男が視線を外した。

「あの場所が何なのかは知らん。だがひどくいびつな気配がする」
「理由は」
「わからん」

 その答えにノルガンは鼻白んだ。
 あの場所が歪んだ匂いがすることなどとうにわかっている。その原因と、リツとの関係を知りたかったのにそれも知らないという。
 ならばいい。魔法を習うというリツの目的も達した。ならもうこの男は必要ない。そう思った時、男がじっとノルガンを見つめて言った。

「意外だった。あれ・・が生きて、しかも自分の意思でこの森に戻ってくるとは」

――――しかも、あんなに力を蓄えて。

 男の口の端に笑みが浮かぶ。それは男が初めて見せた、感情らしきものだった。
 ノルガンの目の前でじわじわと、何かが男の中で膨れ上がっていく。

「確かにあれは初めからずいぶんと変わった生き物だった」

 気配のない、呼吸の音さえしない、野にある木や岩のように命を感じさせない奇妙な生き物。まるで自分にとってどれだけの価値があるのかと品定めする冷静極まりない商人のような男の視線に、初めて色がつく。

「今まで聞いたことのない言葉を話し、恐ろしく脆弱でなんの取柄も武器も持たないくせに妙にしぶとく生き残る。押しつけがましさや強引なところはどこにもないのに、いつの間にか懐に潜り込んで魔力とその使い方を覚え、見返りを要求されることなど思いつきもしない顔で何度も感謝の言葉を言いながらこの森から旅立っていった。恐らく、お前相手にもそうだったのだろう?」

 そう尋ねた男の顔が面白い、と言わんばかりに歪んだ。

「――――盲点だった。魔力を増やすのに、まさかそんな方法・・・・・があったとは」

 ゆらり、と男の黒い目の奥に何かが過る。

「あれに魔法を教え、無事にこの森から逃がしてやったのは単に暇だったからだ。さすがに何百年もこんなところに一人でいればそんな気まぐれも起こす気になる。考えてもみろ。名前も知らない男を《先生》と呼び、疑いもなくそいつのねぐらで寝起きし、再びこの森にのこのこと戻ってきた。愚かさも度を過ぎれば可愛らしくさえある。お前もわかるだろう?」

 答えようとしないノルガンに、男の影がまるで笑っているかのように揺らめいた。

「だから今回だってまたそのまま森から出て行かせるつもりだった……が、気が変わった」

 男の目が細い三日月のように輝く。

「あれに魔力を注いだのはお前だな? たった一種混じっただけであれの使う魔法はずいぶんと色が変わった。実に面白い。だったらもっと多くの量を、もしくはもっと違った別の魔力を注ぎ込んだらどうなるか、知りたいとは思わんか?」
「興味ない」
「それは残念」

 ざわり、と風もないのに森の木々がざわめいた。

「なら、あれは置いていけ。森を出るならお前ひとりで行くがいい」
「リツをどうするつもりだ」

 ノルガンが問うと、男の目がますます細くなる。

「そうだな。まずは二、三、違う種類の力を溜め込ませて深くかき混ぜてみようか。少し先に行けば強力な魔獣はいくらでもいるから、一匹二匹捕まえて来てあれの腹に力を注がせてみよう。色と量の変化が魔法にどう影響があるのか調べてみたい。ああ、もしかしたら相手が魔獣か、人間か、お前のような半獣かで結果に違いが出るのかもしれんな」

 男の黒い目に明らかに楽しそうに光る。

「すごいな、試したいことがいくらでも浮かんでくる。順番に違う種類の力を注ぐのと同時に複数の力を注ぐのとで結果は変わるだろうか。だがお前のペニスと一緒にもう一本挿れるにはあれの尻はちょっと小さそうだ。何か方法を考えないと……ああ、それに」

 笑う男の中で不意に何かがぞわり、と蠢いた。

「あの脆くて小さな身体がどこまで大量の混じり物の魔力に耐えられるのかがすごく知りたいなァ」

 ノルガンが戦斧を振り上げ大きく踏み出したのと、男が矢筒に括りつけた剣を抜いたのとはほぼ同時だった。ぶおん、と空気を断ち切る音とともにノルガンは戦斧を叩きつける。だが一瞬早く男の姿が消え、分厚い刃先が地面に刺さった。
 ノルガンは力任せに戦斧を抜き、身体を斜めにして上から降って来る剣の切っ先を皮一枚のところで避ける。そのついでに襲い掛かる男の腹目掛けて蹴りつけた。だが恐ろしく身の軽い動きで男は再び飛び上がり、大きく後ろに下がる。それは明らかに人間ではない、また獣人にもそうはいない身のこなしだった。

「お前は何者だ」

 そう尋ねたが、別に男の正体がなんであるかなどどうでもいい。それでもわざわざ聞いたのは単に場の呼吸を乱したかったからだ。
 ノルガンの問いに顔を向けた男と目が合った瞬間《威圧》を掛ける。だが男は一瞬眉を顰めながらもそれを振り切るようにノルガンに向かって走り出した。流れるような切っ先を交わしてその腕を掴もうとする。だが紙一重で避けた男がさも面白そうに笑い声を上げた。

「お前と俺とじゃきっと俺を選ぶぜ。何せ俺はあいつの命の恩人で、森の賢人様で、あいつの先生だからなァ」

 ノルガンが戦斧で薙ぎ払い力で押せば、相手はまるで風に舞う木の葉のようにふわりと飛んで交わす。そして一瞬の隙をつくように繰り出される剣がノルガンの首を狙ってくる。ノルガンは腸からこみ上げる熱い息を吐き出して戦斧を振り上げた。

 殺す。殺す。絶対に殺す。
 自分の獲物を横取りしようとするものは絶対に殺す。
 リツが喜びに満ちた目を、信頼に満ちた声を、完全に気を許した笑みを向けるものは全部殺す。

 今までの無表情が嘘のように爛爛と目を光らせた男がまっすぐにノルガンの首を狙ってくる。だが相手の剣が届くよりも早く自分の戦斧が男の胴を薙ぎ払う。そう確信したからそうしようとした。
 だがふと、そう、ふと思った。

 そこには今、リツが嵌めた首輪が。
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