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1巻
1-3
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鑑定というと、絵画の真贋を見極めたり、お宝の価値を確かめたりするあの鑑定だろうか?
『鑑定装置っていうのは魔道具の一つで、使った相手の今の状態を教えてくれるのさ。病気やケガをしていないかとか、健康状態を確かめるのに使われる』
「健康状態? 私、どこも悪くはないですよ?」
その説明を聞いた優愛は、コテンと首を傾げる。
カイルアイネンは『あ~』と唸って腕を組んだ。
『だけどなぁ、ユアはこの町に着くまでに、何回も休憩しただろう? それってラルドみたいな騎士にとっては、考えられないほどの脆弱さなんだよ。元気に見えても何かの病気じゃないかって、心配しているんだと思うぞ』
そう言われてしまったら、優愛は何も言えない。心配をかけているなら、鑑定装置でもなんでも使って安心してもらわなければいけないだろう。
「あ、でも、その装置は健康状態以外のものも鑑定されたりしませんか? 〝異世界人〟とか鑑定結果に出たら、ちょっと困るんですけれど」
きっととんでもない大騒動になる。
そう思って確認すれば、カイルアイネンは大丈夫だと言って笑った。
『そんな高度な鑑定なんて、あの装置には無理だって。あれは、俺らみたいな聖霊つきの剣と普通の剣の区別もつけられないんだぜ。わかるのは健康状態と性別。あとはそうだな、〝スキル〟ぐらいじゃなかった?』
優愛の持っているスキルは、外れスキルと言われる【聖霊の加護】だ。それくらいなら知られても大騒動にはならないに違いない。
そう思った優愛は、ラルドに向かって大きく首を縦に振る。
ホッとしたように笑った彼は、また優愛の頭を撫でたのだった。
そうして連れられていった兵士の駐屯所は、思っていたより大きな建物だった。
手続きは、簡単。ラルドの姿を見た兵士たちは、直立不動で立ち上がり、ラルドの用件を最優先で行ってくれる。
「なんだか、学校の授業に校長先生が見学にきているときの担任の先生みたいよね?」
言葉が通じないのだから声を潜める必要もないのだが、なんとなくヒソヒソと優愛はカイルアイネンに囁く。
それはあながち間違った感想でもないらしい。手続きをしているラルドから離れてチョコチョコと近づいてきたカイルアイネンが、優愛の待つテーブルの上に座ってうんうんと頷いた。
『ラルドは王都騎士団の第五隊長だからな。ユアの世界の〝センセイ〟がどんな職業かはわからないが、ここの奴らがラルドにペコペコするのは当然さ』
どうやらそのへんの事情は、異世界も日本も同じようだ。
「ユア――」
地元の兵士たちとやり取りしていたラルドが、優愛を呼んだ。
もちろん彼女は、すぐにラルドの側に駆け寄る。
「◇××○△――」
『やっぱりユアの情報はなかったってさ。まあ、当然だよな。そんで、あれが例の鑑定装置だ。四角い板を両手で持ってくれってラルドが言っているぜ』
カイルアイネンが小さな手で指し示したのは、机の上に乗っている三十センチ四方の四角い金属板だ。なんの変哲もない板に見えるのだが、あれでどうやって鑑定するのだろう?
考え込んでいると、優愛が怖がっていると思ったのか、ラルドが自分で鑑定してみせてくれた。
彼が金属板を両手で持ったとたん、何もなかった表面にびっしりと文字が浮かび上がる。
(スゴイ! 魔法なのかしら? パソコンのタブレットみたい!)
優愛は興奮して金属板をのぞき込む。
もちろん彼女には、書いてある文字は読めないのだが。
周囲はわかるのだろう、優愛同様のぞき込んだ者から、「おおっ!」とどよめきが上がった。
『フフン。さすがラルドだな。健康状態も申し分ないし、スキルも【剣聖】や【聖騎士】、【剛力】、【神速】等々、スペシャルなものが満載だ』
まるで我が事のように、カイルアイネンが鼻高々に自慢する。きっとものすごいスキルに違いない。
『スキルは、そいつの適性や努力の象徴だからな。普通は、スペシャルスキルなんて一生かかっても、一つ手に入れられるかどうかって代物なんだぜ』
それをラルドはたくさん持っているのだから、カイルアイネンが自慢するのも当然だろう。
「×△×◇○――」
鑑定装置を持っても危険がないと証明してみせたラルドは、周囲の賞賛のまなざしなど気にした風もなく、優愛にそれを差し出した。
別に怖がっていたわけではない優愛は、今度はあっさりと受け取る。
(ただ単に持つだけなら簡単だわ)
面倒な操作がなくてよかったと思いながら手にした瞬間、金属板が文字を変化させた。今度はずいぶん簡素で、上下に二つの文字が綴られているだけだ。
『上が〝健康〟。下がスキルで、【聖霊の加護】だな』
カイルアイネンが見たままに説明してくれる。
まあそうだろうなと、優愛は思った。これでラルドも安心することだろう。
彼女自身もホッとしたのだが――
「ハ! ハハハッ‼ ××△×◇‼」
「プッ! ○□××」
「×◇△、アハハハ‼」
突如周囲に起こった爆笑に、ギョッとする。
見ると、駐屯所にいた兵士たちのほとんどが腹を抱えて笑っていた。
「え? 何? どうしたの?」
『てめぇらっ‼ 許せねぇ! 笑うなっ‼』
ポカンとする優愛をよそに突如怒り出したカイルアイネンが、笑っている兵士たちに殴りかかる!
とはいえ、殴られた相手はまるで何も感じていないように笑い続けていた。
カイルアイネンの分身体は、優愛以外の人間には見えないし声も聞こえない。触れることもできないので、まったく影響を与えられないのだ。
『クソッ! クソッ! クソッ‼』
それなのに、どんなにムダでもカイルアイネンは殴り続ける。
「カイルさん、どうしたんですか? お願いですからやめてください!」
たまらず優愛はカイルアイネンを止めた。殴られている兵士のためではない。殴っているカイルアイネンが辛そうに見えたからだ。
『止めるな! こいつら、【聖霊の加護】が役に立たない〝外れスキル〟だとバカにして笑っているんだぞ!』
どうやら周囲の兵士たちは、優愛のスキルを嘲笑っているようだ。たしかにミュールも、【聖霊の加護】は人間から〝外れスキル〟と呼ばれて疎まれているのだと説明していた。
(……まさか、ここまで笑われるスキルだとは思わなかったけれど)
優愛は困惑する。
しかし、不思議と腹は立たなかった。どんな世界にもこういった輩はいるのだなと、反対に冷静になってくる。
「カイルさん。やめましょう。言いたい人には言わせておけばいいんです」
そう言ってカイルアイネンを止めた。
「だが!」
「こういう人たちには、腹を立てるだけムダなんですよ。感情を動かすのもバカらしいと思います。カイルさんみたいな立派な聖霊が怒る必要なんてありません」
彼女の言葉を聞いて、カイルアイネンは動きを止める。それでも怒りは収まらないようで、小さな拳を握りしめてプルプルと震えていた。
どうしたら、この優しい聖霊を宥めることができるだろう?
悩む優愛の耳に、ヒュン! と、空間を切り裂く音が聞こえた。
同時に鞘に収まったままの大剣が、優愛のすぐ側で一際大きな笑い声を立てていた兵士の眼前に突きつけられる!
「×△×‼ ○××△◇‼ ○○×」
鋭い怒声を発したのは、ラルドだ。氷の騎士と呼ばれるその男は、呼び名そのものの冷酷な無表情で、笑っていた兵士を見ている。
剣を突きつけられた兵士は、見る見る顔色を青くして、ガタガタと震え出した。必死に首を横に振り、何かを否定している。
『いいぞ! さすがラルドだ。もっと言ってやれ‼』
カイルアイネンが喜色満面に叫ぶ。
「あの? ラルドさんは何を言っているのですか?」
そして優愛の問いかけに、ニパッと笑った。
『ラルドは――俺の剣は、聖霊が宿りし剣と呼ばれている。【聖霊の加護】を笑うお前たちは、この剣を……ひいては、剣を使う〝俺〟をも嘲笑っているのだと受けとるが、それで間違いないか? そう言ったのさ』
それは、青ざめるはずだ。
ラルドは王都の騎士隊長。この町の駐屯所の兵士たちにとっては、雲の上の存在だ。そんな相手を〝嘲笑った〟と認定されれば無事でいられるはずがない。
「スティブ○○×! ×△×◇――」
ラルドの放つ冷たい視線で凍る空気の中、部屋の奥から年配の男性が走り出てきた。
剣を突きつけられた兵士同様に顔色を青ざめさせた男性は、近づくなりその兵士の頭を押さえ、グギッ! と音が出る勢いで膝辺りまで下げさせる。その後、大声で周囲を一喝。全員に頭を下げさせた。もちろんその後で、自分も深々と頭を下げる。
「△×◇○×!」
誠心誠意謝っていることは、言葉がわからなくても一目瞭然だ。
「××△×◇○?」
ラルドが冷たく言い返すと、年配の男をはじめとした全員がハッとして優愛のほうを向く。口々に同じ言葉を叫び、揃って頭を下げた。
(あ、これは、カイルさんに聞かなくてもわかるわ。きっと、ラルドさんから「謝る相手が違うだろう」とか言われたのよね?)
だからといって、とってつけたように謝られても嬉しくない。
それでも、ここで優愛が許さなければ、騒ぎが大きくなるのは目に見えていた。
優愛は笑って片手を小さく左右に振る。気にしなくても大丈夫だというつもりの仕草はどうやら伝わったらしい。
ホッと息を吐いた年配の男が、もう一度頭を深々と下げてきた。
ちなみに、彼に頭を押さえつけられている男性は、最初から最後までずっと頭が膝にくっついたままだ。さすがに頭に血が上るのではないかと心配になる。
「×◇△×◇」
まだ怒りの雰囲気を漂わせたラルドは、兵士たちと話していた。
『そうそう。二度はないからな。十分反省しろよ』
ラルドの肩の上でカイルアイネンも偉そうに男たちに言い聞かせている。おかげで通訳してもらうまでもなく、話の内容がわかった。
「ユア――」
それから少し経って、ようやく話し終わったラルドが優愛を手招きする。
言われるままに近寄ると、優愛の手をギュッと握った。彼女を見つめるその顔は相変わらず無表情だが、大きな手は温かく、青い目は心配そうに揺れている。
「庇ってくださってありがとうございます。私は大丈夫ですよ」
伝わらない言葉でも、優愛は心からの感謝を告げた。
気持ちはきっと伝わるはずだと信じているから。
ラルドはほんの微かに笑みを浮かべた。本当にわからないくらいの笑顔なのに、思わず優愛はドキッとする。
その後、ラルドに手を繋がれたまま、二人は駐屯所を後にした。
思ったより時間は経っていなかったようで、喧噪が二人を包み込む。
「○○□△×」
ラルドに話しかけられた優愛は、静かに首を横に振った。
「謝ってくださらなくて大丈夫です。ラルドさんのせいではありません」
その言葉を聞いたカイルアイネンが、大きく目を見開く。
『え? なんでラルドが謝っているってわかるんだ? いったいいつの間に、こっちの言葉がわかるようになったんだ?』
もちろん、言葉がわかるようになったわけではない。
「違いますよ。ただきっとラルドさんなら、自分が連れてきたせいで不快な思いをさせたとか言って謝りそうだなって」
ラルドはとても優しい人だ。出会ってまだ一日にもならないが、優愛は心からそう思う。きっと、優愛が心ない輩に笑われたことにすまないと思っているだろうと感じたのだ。
するとカイルアイネンは感心したように頷く。
『そうか。ユアはホントにラルドのことがよくわかるんだな。……大丈夫。ラルドもユアの言ったことがわかるみたいだ。「ありがとう」だってさ』
優愛は、ラルドを見上げる。
ラルドも優愛を見つめてきて、目が合った。
どちらからともなく二人は、微笑み合う。
お互い満ち足りた気分で歩き出した。
しばらく歩いた後で、今日の宿屋に行く前にもう一つ寄るところがあると言われて、優愛が連れてこられたのは大きな建物だ。
中には服や靴、雑貨や家具などが並んでいる。どうやらここはなんでも扱う商店らしい。
「ラルド×○! △◇■」
店の奥からラルドの名を呼びながら、小太りの男が走り出てきた。ラルドに向かって深々と頭を下げて、早口で話し出す。
『この店の主人のマロウだ。こいつは王都の支店にいたことがあって、その当時、強盗事件をラルドが解決してやったから、恩義を感じているんだ』
地方都市であるこの町で起業したというマロウは、王国全土に商売の手を広げていて王都に支店を持つまでに至っている。よりよい品を産地から直接買い付け安く売るという手法で消費者には歓迎されているのだが、その手法がそれまで中間で利益を貪っていた仲買人の恨みを買ったのだ。強盗事件はそんな仲買人の一人が計画したもので、それを迅速に解決してくれたラルドにマロウは深く感謝しているらしかった。
『騎士の中に、仲買人からの賄賂で事件をもみ消そうとした奴がいたから尚更さ。ラルドはそういう姑息なやり口が嫌いだからな。徹底的に相手を潰してやったんだ』
自慢げにカイルアイネンが説明してくれる。
マロウは王都を離れこの町に帰る際に、近くに来たら必ず寄ってほしいとラルドに言っていたのだ。
『まあ、だからといってラルドが寄ることなんて、今まではなかったんだがな』
それならどうして今日は寄ったのだろう?
不思議に思って優愛が視線を向けると、話し合っていたラルドとマロウがちょうどこちらを向いたところだった。
視線がバッチリ合って、マロウが嬉しそうに笑う。
「……え?」
次の瞬間、マロウに何かを指示された女性の店員が側にきて、優愛を店の奥に誘った。
「え? ……あの? ラルドさん?」
名前を呼ばれたラルドは、無表情のまま優愛に向かって手を振る。
(えっと? このままついて行っていいのかな?)
わけがわからぬまま従ったのだが――
「キャア!」
しばらくして、優愛は情けなくも悲鳴を上げることになった。
連れていかれた店の奥の一室で、あれよあれよという間に服を脱がされ下着姿にされたのだ。しかもそこへ、別の女性店員が新しい服を何着も持ってきて着せ替えがはじまったから、たまったものじゃない。
どうやらラルドはこの店で、優愛に服を買ってくれるつもりらしかった。
(さっきのお詫びなのかしら? そんな必要ないのに!)
「ひぇっ! な、何を⁉ ……ひょっとして、服を選ぶんですか? それなら私が自分で着ますから‼ ……うわぁ! 急に脱がさないでください!」
優愛の叫び声は……無視される。考えてみれば言葉が通じていないのだから、当然だ。
抵抗むなしく、着ては脱ぎ、着ては脱ぎを繰り返しさせられて――最後に青いチュニックワンピースを着せられた。肩から胸の辺りまで刺繍がある、襟を紐で編み上げた上品で可愛らしい服だ。
満足そうな女性店員たちの様子を見るに、どうやらこのワンピースに決まったらしい。
ぐったり疲れ果てた優愛は、なんだかひどく落ち着かなかった。
(だって、このワンピ、すごく肌触りがいいんですもの。……ひょっとして、本物の絹だったりしない? それに、この刺繍――複雑で丁寧で、とても手が込んでいるわ。ものすごく高そうなんだけど、いったい、いくらするの⁉)
異世界の相場などわからないが、少なくとも安いものではなさそうだ。しかも女性店員は、最後まで迷った別の三着の服も布に包んで持ち帰られるように準備している。一緒に下着みたいなものも入れていたのは見間違いではないだろう。
(まさか、これをみんなラルドさんが買ってくれるの?)
そう考えて顔色を悪くする優愛の前に、今度は靴が何足も並べられた。少し長めのブーツから短めのものまで、色も種類も様々だ。
優愛が呆気にとられている間に、ああでもないこうでもないと相談していた店員たちが茶色い編み上げブーツを選び出す。椅子に座らされて、今履いている一足二千円だったスニーカーを丁寧に脱がされて、代わりに茶色いブーツを履かせてもらった。
ピカピカに磨き上げられたそのブーツは革製に見えるのに履き心地が柔らかく、きっと丁寧になめされたのだろうと思われる。
(なんだか、これも高そうじゃない?)
顔を引きつらせた優愛の目の端に、今まで履いていた靴と一緒に数足の靴が包まれているのが映った。きっと、お持ち帰り用だ。
優愛の顔色は、ますます悪くなった。
そこに、嬉しそうに笑うカイルアイネンが入ってくる。身長十センチの聖霊は、トテトテと走り、鏡の前で座っている優愛の膝にピョンと飛び乗った。
『おっ! ユア、見違えたぞ。さっきの見慣れない異国の格好も可愛かったが、この国の衣装もよく似合うじゃないか!』
そのすぐ後ろから続いてラルドも入ってくる。
慌てて立ち上がろうとした優愛を、彼は手振りで押しとどめた。
『うおっ! 急に動くなよ。落ちるだろう!』
カイルアイネンからも抗議され、優愛は立ち上がるのを諦める。
女性店員たちはラルドに対し緊張した表情で頭を下げ、そそくさと部屋から出ていった。
「ラルドさん! こんな立派な服や靴、私もらえません! さっきのことは、本当に責任とか感じてくれなくていいんです! ……それは、もちろん着替えは欲しいのですけれど、もっと安そうな古着とかそういうのでいいですから!」
優愛とラルドは会ったばかり。この世界に放り出され、言葉も通じない彼女を保護してくれただけでもありがたいのに、これ以上迷惑はかけられない。
(いくら神さまが『助けてくれる人』って太鼓判を押してくれたからって、ここまで甘えちゃいけないわよね?)
優愛は常識人なのだ。言葉が通じないのはわかっていても黙っていられず、必死で訴える。
膝に座ったカイルアイネンが、そんな彼女を呆れた顔で見上げてきた。
『何を遠慮しているんだ? 大丈夫、ラルドはこう見えて金持ちなんだから。なんといっても王都の騎士団の第五隊長なんだぜ。この程度の服や靴を買うことくらい、なんてことないさ』
それはそうかもしれないが、優愛の金銭感覚的にこの服と靴はあり得ない。
困っていると、無表情のラルドがつかつかと優愛に歩み寄ってきた。彼女の背後に回って、大きな手で髪に触れる。
パチンと音がして、髪が少し引っ張られた感じがした。
「×△◇」
促されるような声に、慌てて彼女は鏡をのぞき込む。
鏡の中の優愛の黒髪に、ワンピースと同じ布で作られたバレッタが留まっていた。大きすぎないリボンが、上品に髪をまとめている。
『おお! いいな。すごく似合うぞ、ユア。ラルドもなかなかセンスがいいじゃないか』
カイルアイネンが上機嫌で褒めた。
優愛は慌てて立ち上がる。
「そんな! この上、髪留めまでなんて!」
その勢いにカイルアイネンが『うわっ!』と叫んで膝から落ちたが、かまっていられない。
「○○□×」
しかし、優愛の抗議は、明らかに宥められているとわかる口調でラルドに遮られた。
そのまま再び手を引かれ、店の外に促される。
『ユアは真面目なんだなぁ。これくらい気にせずもらっておけよ。この世界、庶民ならともかく、貴族の女たちは平気であれこれ強請るもんなんだぜ。……まあ、ラルドは今まで女に貢いだことはないけどな』
いつの間にかラルドの肩に戻っていたカイルアイネンが、ガハハと笑う。
「でも! こんなにたくさん」
どんなに声を出しても、優愛の日本語の抗議はラルドに通じない。
このとき、優愛はできる限り早急にこの世界の言葉を覚えようと固く決意した。
その後、優愛とラルドは今日泊まる宿に向かった。
宿は、大きいと思った先ほどの商店よりもさらに大きな建物で、店構えも立派だ。
『へぇ~? この町一番の宿屋じゃないか。ラルドはいつもこんな立派な宿には泊まらないんだけどな。まあ、今日はユアが一緒なんだ。できるだけしっかりした所に泊まりたいよな』
相変わらずラルドの肩の上に乗りながら、カイルアイネンがうんうんと頷く。
優愛が焦るのは、もう何度目だろう。
「そんな! ラルドさん、私はこんな立派な宿屋でなくてもかまいませんから!」
大声で叫ぶのだが、やっぱり言葉は通じなかった。
『気にするなって。たまにはこういう高級宿もいいもんさ。ここならきっとぐっすり眠れるぞ』
カイルアイネンは気楽な表情でそう話す。聖霊は寝る必要があるのだろうか?
「だって、これじゃ迷惑をかけすぎだわ!」
『ラルドが迷惑なんて思っているはずないだろう?』
だからこそ、心苦しいのだ。
優愛とカイルアイネンの会話を知るはずもないラルドは、さっさと宿に入っていく。そして、愛想よく出てきた宿の従業員と会話をはじめた。
「――×××!」
ところが何か気に入らないことがあったようで、突如低い声で相手の話を遮ると、彼はこちらに向かって戻ってくる。
慌てて後から従業員が追ってきた。
(何かしら? ひょっとしてまた【聖霊の加護】のスキルが問題になったの?)
宿に泊まるくらいでスキルの話をしたりはしないと思うのだが、優愛は不安になる。
焦ってラルドを追ってきた従業員は、優愛を見ると彼女に向かって深々と頭を下げた。次いで縋るような勢いで話しかけてくる。
面食らってしまった優愛だが、従業員に彼女を侮る雰囲気はなく、それだけは安心できた。
どうやらラルドが気分を損ねたのは、スキルの問題ではないらしい。
「○×××!」
まだ優愛に話しかけている従業員を、ラルドは一喝して黙らせる。
「えっと? どうしたの?」
優愛の疑問に答えてくれたのは、当然カイルアイネンだ。
『う~ん。……どうやらこの宿、今日はいっぱいみたいで、二人部屋が一つしか空いていないらしいな。ラルドは一人部屋を二部屋頼もうとしていたんだが、希望が合わなくて断った。別の宿に移ろうとしているのを、宿の支配人が引き留めているのさ』
従業員とおぼしき人物は、支配人だったようだ。
支配人は、今度はラルドに向かって必死に話しかけている。
『ラルドは有名な騎士だからな。泊まってもらえば宿に箔がつく。宿泊料を割り引くから泊まってほしいって言っているぜ』
「え⁉ 割引!」
その言葉に優愛は飛びついた!
『鑑定装置っていうのは魔道具の一つで、使った相手の今の状態を教えてくれるのさ。病気やケガをしていないかとか、健康状態を確かめるのに使われる』
「健康状態? 私、どこも悪くはないですよ?」
その説明を聞いた優愛は、コテンと首を傾げる。
カイルアイネンは『あ~』と唸って腕を組んだ。
『だけどなぁ、ユアはこの町に着くまでに、何回も休憩しただろう? それってラルドみたいな騎士にとっては、考えられないほどの脆弱さなんだよ。元気に見えても何かの病気じゃないかって、心配しているんだと思うぞ』
そう言われてしまったら、優愛は何も言えない。心配をかけているなら、鑑定装置でもなんでも使って安心してもらわなければいけないだろう。
「あ、でも、その装置は健康状態以外のものも鑑定されたりしませんか? 〝異世界人〟とか鑑定結果に出たら、ちょっと困るんですけれど」
きっととんでもない大騒動になる。
そう思って確認すれば、カイルアイネンは大丈夫だと言って笑った。
『そんな高度な鑑定なんて、あの装置には無理だって。あれは、俺らみたいな聖霊つきの剣と普通の剣の区別もつけられないんだぜ。わかるのは健康状態と性別。あとはそうだな、〝スキル〟ぐらいじゃなかった?』
優愛の持っているスキルは、外れスキルと言われる【聖霊の加護】だ。それくらいなら知られても大騒動にはならないに違いない。
そう思った優愛は、ラルドに向かって大きく首を縦に振る。
ホッとしたように笑った彼は、また優愛の頭を撫でたのだった。
そうして連れられていった兵士の駐屯所は、思っていたより大きな建物だった。
手続きは、簡単。ラルドの姿を見た兵士たちは、直立不動で立ち上がり、ラルドの用件を最優先で行ってくれる。
「なんだか、学校の授業に校長先生が見学にきているときの担任の先生みたいよね?」
言葉が通じないのだから声を潜める必要もないのだが、なんとなくヒソヒソと優愛はカイルアイネンに囁く。
それはあながち間違った感想でもないらしい。手続きをしているラルドから離れてチョコチョコと近づいてきたカイルアイネンが、優愛の待つテーブルの上に座ってうんうんと頷いた。
『ラルドは王都騎士団の第五隊長だからな。ユアの世界の〝センセイ〟がどんな職業かはわからないが、ここの奴らがラルドにペコペコするのは当然さ』
どうやらそのへんの事情は、異世界も日本も同じようだ。
「ユア――」
地元の兵士たちとやり取りしていたラルドが、優愛を呼んだ。
もちろん彼女は、すぐにラルドの側に駆け寄る。
「◇××○△――」
『やっぱりユアの情報はなかったってさ。まあ、当然だよな。そんで、あれが例の鑑定装置だ。四角い板を両手で持ってくれってラルドが言っているぜ』
カイルアイネンが小さな手で指し示したのは、机の上に乗っている三十センチ四方の四角い金属板だ。なんの変哲もない板に見えるのだが、あれでどうやって鑑定するのだろう?
考え込んでいると、優愛が怖がっていると思ったのか、ラルドが自分で鑑定してみせてくれた。
彼が金属板を両手で持ったとたん、何もなかった表面にびっしりと文字が浮かび上がる。
(スゴイ! 魔法なのかしら? パソコンのタブレットみたい!)
優愛は興奮して金属板をのぞき込む。
もちろん彼女には、書いてある文字は読めないのだが。
周囲はわかるのだろう、優愛同様のぞき込んだ者から、「おおっ!」とどよめきが上がった。
『フフン。さすがラルドだな。健康状態も申し分ないし、スキルも【剣聖】や【聖騎士】、【剛力】、【神速】等々、スペシャルなものが満載だ』
まるで我が事のように、カイルアイネンが鼻高々に自慢する。きっとものすごいスキルに違いない。
『スキルは、そいつの適性や努力の象徴だからな。普通は、スペシャルスキルなんて一生かかっても、一つ手に入れられるかどうかって代物なんだぜ』
それをラルドはたくさん持っているのだから、カイルアイネンが自慢するのも当然だろう。
「×△×◇○――」
鑑定装置を持っても危険がないと証明してみせたラルドは、周囲の賞賛のまなざしなど気にした風もなく、優愛にそれを差し出した。
別に怖がっていたわけではない優愛は、今度はあっさりと受け取る。
(ただ単に持つだけなら簡単だわ)
面倒な操作がなくてよかったと思いながら手にした瞬間、金属板が文字を変化させた。今度はずいぶん簡素で、上下に二つの文字が綴られているだけだ。
『上が〝健康〟。下がスキルで、【聖霊の加護】だな』
カイルアイネンが見たままに説明してくれる。
まあそうだろうなと、優愛は思った。これでラルドも安心することだろう。
彼女自身もホッとしたのだが――
「ハ! ハハハッ‼ ××△×◇‼」
「プッ! ○□××」
「×◇△、アハハハ‼」
突如周囲に起こった爆笑に、ギョッとする。
見ると、駐屯所にいた兵士たちのほとんどが腹を抱えて笑っていた。
「え? 何? どうしたの?」
『てめぇらっ‼ 許せねぇ! 笑うなっ‼』
ポカンとする優愛をよそに突如怒り出したカイルアイネンが、笑っている兵士たちに殴りかかる!
とはいえ、殴られた相手はまるで何も感じていないように笑い続けていた。
カイルアイネンの分身体は、優愛以外の人間には見えないし声も聞こえない。触れることもできないので、まったく影響を与えられないのだ。
『クソッ! クソッ! クソッ‼』
それなのに、どんなにムダでもカイルアイネンは殴り続ける。
「カイルさん、どうしたんですか? お願いですからやめてください!」
たまらず優愛はカイルアイネンを止めた。殴られている兵士のためではない。殴っているカイルアイネンが辛そうに見えたからだ。
『止めるな! こいつら、【聖霊の加護】が役に立たない〝外れスキル〟だとバカにして笑っているんだぞ!』
どうやら周囲の兵士たちは、優愛のスキルを嘲笑っているようだ。たしかにミュールも、【聖霊の加護】は人間から〝外れスキル〟と呼ばれて疎まれているのだと説明していた。
(……まさか、ここまで笑われるスキルだとは思わなかったけれど)
優愛は困惑する。
しかし、不思議と腹は立たなかった。どんな世界にもこういった輩はいるのだなと、反対に冷静になってくる。
「カイルさん。やめましょう。言いたい人には言わせておけばいいんです」
そう言ってカイルアイネンを止めた。
「だが!」
「こういう人たちには、腹を立てるだけムダなんですよ。感情を動かすのもバカらしいと思います。カイルさんみたいな立派な聖霊が怒る必要なんてありません」
彼女の言葉を聞いて、カイルアイネンは動きを止める。それでも怒りは収まらないようで、小さな拳を握りしめてプルプルと震えていた。
どうしたら、この優しい聖霊を宥めることができるだろう?
悩む優愛の耳に、ヒュン! と、空間を切り裂く音が聞こえた。
同時に鞘に収まったままの大剣が、優愛のすぐ側で一際大きな笑い声を立てていた兵士の眼前に突きつけられる!
「×△×‼ ○××△◇‼ ○○×」
鋭い怒声を発したのは、ラルドだ。氷の騎士と呼ばれるその男は、呼び名そのものの冷酷な無表情で、笑っていた兵士を見ている。
剣を突きつけられた兵士は、見る見る顔色を青くして、ガタガタと震え出した。必死に首を横に振り、何かを否定している。
『いいぞ! さすがラルドだ。もっと言ってやれ‼』
カイルアイネンが喜色満面に叫ぶ。
「あの? ラルドさんは何を言っているのですか?」
そして優愛の問いかけに、ニパッと笑った。
『ラルドは――俺の剣は、聖霊が宿りし剣と呼ばれている。【聖霊の加護】を笑うお前たちは、この剣を……ひいては、剣を使う〝俺〟をも嘲笑っているのだと受けとるが、それで間違いないか? そう言ったのさ』
それは、青ざめるはずだ。
ラルドは王都の騎士隊長。この町の駐屯所の兵士たちにとっては、雲の上の存在だ。そんな相手を〝嘲笑った〟と認定されれば無事でいられるはずがない。
「スティブ○○×! ×△×◇――」
ラルドの放つ冷たい視線で凍る空気の中、部屋の奥から年配の男性が走り出てきた。
剣を突きつけられた兵士同様に顔色を青ざめさせた男性は、近づくなりその兵士の頭を押さえ、グギッ! と音が出る勢いで膝辺りまで下げさせる。その後、大声で周囲を一喝。全員に頭を下げさせた。もちろんその後で、自分も深々と頭を下げる。
「△×◇○×!」
誠心誠意謝っていることは、言葉がわからなくても一目瞭然だ。
「××△×◇○?」
ラルドが冷たく言い返すと、年配の男をはじめとした全員がハッとして優愛のほうを向く。口々に同じ言葉を叫び、揃って頭を下げた。
(あ、これは、カイルさんに聞かなくてもわかるわ。きっと、ラルドさんから「謝る相手が違うだろう」とか言われたのよね?)
だからといって、とってつけたように謝られても嬉しくない。
それでも、ここで優愛が許さなければ、騒ぎが大きくなるのは目に見えていた。
優愛は笑って片手を小さく左右に振る。気にしなくても大丈夫だというつもりの仕草はどうやら伝わったらしい。
ホッと息を吐いた年配の男が、もう一度頭を深々と下げてきた。
ちなみに、彼に頭を押さえつけられている男性は、最初から最後までずっと頭が膝にくっついたままだ。さすがに頭に血が上るのではないかと心配になる。
「×◇△×◇」
まだ怒りの雰囲気を漂わせたラルドは、兵士たちと話していた。
『そうそう。二度はないからな。十分反省しろよ』
ラルドの肩の上でカイルアイネンも偉そうに男たちに言い聞かせている。おかげで通訳してもらうまでもなく、話の内容がわかった。
「ユア――」
それから少し経って、ようやく話し終わったラルドが優愛を手招きする。
言われるままに近寄ると、優愛の手をギュッと握った。彼女を見つめるその顔は相変わらず無表情だが、大きな手は温かく、青い目は心配そうに揺れている。
「庇ってくださってありがとうございます。私は大丈夫ですよ」
伝わらない言葉でも、優愛は心からの感謝を告げた。
気持ちはきっと伝わるはずだと信じているから。
ラルドはほんの微かに笑みを浮かべた。本当にわからないくらいの笑顔なのに、思わず優愛はドキッとする。
その後、ラルドに手を繋がれたまま、二人は駐屯所を後にした。
思ったより時間は経っていなかったようで、喧噪が二人を包み込む。
「○○□△×」
ラルドに話しかけられた優愛は、静かに首を横に振った。
「謝ってくださらなくて大丈夫です。ラルドさんのせいではありません」
その言葉を聞いたカイルアイネンが、大きく目を見開く。
『え? なんでラルドが謝っているってわかるんだ? いったいいつの間に、こっちの言葉がわかるようになったんだ?』
もちろん、言葉がわかるようになったわけではない。
「違いますよ。ただきっとラルドさんなら、自分が連れてきたせいで不快な思いをさせたとか言って謝りそうだなって」
ラルドはとても優しい人だ。出会ってまだ一日にもならないが、優愛は心からそう思う。きっと、優愛が心ない輩に笑われたことにすまないと思っているだろうと感じたのだ。
するとカイルアイネンは感心したように頷く。
『そうか。ユアはホントにラルドのことがよくわかるんだな。……大丈夫。ラルドもユアの言ったことがわかるみたいだ。「ありがとう」だってさ』
優愛は、ラルドを見上げる。
ラルドも優愛を見つめてきて、目が合った。
どちらからともなく二人は、微笑み合う。
お互い満ち足りた気分で歩き出した。
しばらく歩いた後で、今日の宿屋に行く前にもう一つ寄るところがあると言われて、優愛が連れてこられたのは大きな建物だ。
中には服や靴、雑貨や家具などが並んでいる。どうやらここはなんでも扱う商店らしい。
「ラルド×○! △◇■」
店の奥からラルドの名を呼びながら、小太りの男が走り出てきた。ラルドに向かって深々と頭を下げて、早口で話し出す。
『この店の主人のマロウだ。こいつは王都の支店にいたことがあって、その当時、強盗事件をラルドが解決してやったから、恩義を感じているんだ』
地方都市であるこの町で起業したというマロウは、王国全土に商売の手を広げていて王都に支店を持つまでに至っている。よりよい品を産地から直接買い付け安く売るという手法で消費者には歓迎されているのだが、その手法がそれまで中間で利益を貪っていた仲買人の恨みを買ったのだ。強盗事件はそんな仲買人の一人が計画したもので、それを迅速に解決してくれたラルドにマロウは深く感謝しているらしかった。
『騎士の中に、仲買人からの賄賂で事件をもみ消そうとした奴がいたから尚更さ。ラルドはそういう姑息なやり口が嫌いだからな。徹底的に相手を潰してやったんだ』
自慢げにカイルアイネンが説明してくれる。
マロウは王都を離れこの町に帰る際に、近くに来たら必ず寄ってほしいとラルドに言っていたのだ。
『まあ、だからといってラルドが寄ることなんて、今まではなかったんだがな』
それならどうして今日は寄ったのだろう?
不思議に思って優愛が視線を向けると、話し合っていたラルドとマロウがちょうどこちらを向いたところだった。
視線がバッチリ合って、マロウが嬉しそうに笑う。
「……え?」
次の瞬間、マロウに何かを指示された女性の店員が側にきて、優愛を店の奥に誘った。
「え? ……あの? ラルドさん?」
名前を呼ばれたラルドは、無表情のまま優愛に向かって手を振る。
(えっと? このままついて行っていいのかな?)
わけがわからぬまま従ったのだが――
「キャア!」
しばらくして、優愛は情けなくも悲鳴を上げることになった。
連れていかれた店の奥の一室で、あれよあれよという間に服を脱がされ下着姿にされたのだ。しかもそこへ、別の女性店員が新しい服を何着も持ってきて着せ替えがはじまったから、たまったものじゃない。
どうやらラルドはこの店で、優愛に服を買ってくれるつもりらしかった。
(さっきのお詫びなのかしら? そんな必要ないのに!)
「ひぇっ! な、何を⁉ ……ひょっとして、服を選ぶんですか? それなら私が自分で着ますから‼ ……うわぁ! 急に脱がさないでください!」
優愛の叫び声は……無視される。考えてみれば言葉が通じていないのだから、当然だ。
抵抗むなしく、着ては脱ぎ、着ては脱ぎを繰り返しさせられて――最後に青いチュニックワンピースを着せられた。肩から胸の辺りまで刺繍がある、襟を紐で編み上げた上品で可愛らしい服だ。
満足そうな女性店員たちの様子を見るに、どうやらこのワンピースに決まったらしい。
ぐったり疲れ果てた優愛は、なんだかひどく落ち着かなかった。
(だって、このワンピ、すごく肌触りがいいんですもの。……ひょっとして、本物の絹だったりしない? それに、この刺繍――複雑で丁寧で、とても手が込んでいるわ。ものすごく高そうなんだけど、いったい、いくらするの⁉)
異世界の相場などわからないが、少なくとも安いものではなさそうだ。しかも女性店員は、最後まで迷った別の三着の服も布に包んで持ち帰られるように準備している。一緒に下着みたいなものも入れていたのは見間違いではないだろう。
(まさか、これをみんなラルドさんが買ってくれるの?)
そう考えて顔色を悪くする優愛の前に、今度は靴が何足も並べられた。少し長めのブーツから短めのものまで、色も種類も様々だ。
優愛が呆気にとられている間に、ああでもないこうでもないと相談していた店員たちが茶色い編み上げブーツを選び出す。椅子に座らされて、今履いている一足二千円だったスニーカーを丁寧に脱がされて、代わりに茶色いブーツを履かせてもらった。
ピカピカに磨き上げられたそのブーツは革製に見えるのに履き心地が柔らかく、きっと丁寧になめされたのだろうと思われる。
(なんだか、これも高そうじゃない?)
顔を引きつらせた優愛の目の端に、今まで履いていた靴と一緒に数足の靴が包まれているのが映った。きっと、お持ち帰り用だ。
優愛の顔色は、ますます悪くなった。
そこに、嬉しそうに笑うカイルアイネンが入ってくる。身長十センチの聖霊は、トテトテと走り、鏡の前で座っている優愛の膝にピョンと飛び乗った。
『おっ! ユア、見違えたぞ。さっきの見慣れない異国の格好も可愛かったが、この国の衣装もよく似合うじゃないか!』
そのすぐ後ろから続いてラルドも入ってくる。
慌てて立ち上がろうとした優愛を、彼は手振りで押しとどめた。
『うおっ! 急に動くなよ。落ちるだろう!』
カイルアイネンからも抗議され、優愛は立ち上がるのを諦める。
女性店員たちはラルドに対し緊張した表情で頭を下げ、そそくさと部屋から出ていった。
「ラルドさん! こんな立派な服や靴、私もらえません! さっきのことは、本当に責任とか感じてくれなくていいんです! ……それは、もちろん着替えは欲しいのですけれど、もっと安そうな古着とかそういうのでいいですから!」
優愛とラルドは会ったばかり。この世界に放り出され、言葉も通じない彼女を保護してくれただけでもありがたいのに、これ以上迷惑はかけられない。
(いくら神さまが『助けてくれる人』って太鼓判を押してくれたからって、ここまで甘えちゃいけないわよね?)
優愛は常識人なのだ。言葉が通じないのはわかっていても黙っていられず、必死で訴える。
膝に座ったカイルアイネンが、そんな彼女を呆れた顔で見上げてきた。
『何を遠慮しているんだ? 大丈夫、ラルドはこう見えて金持ちなんだから。なんといっても王都の騎士団の第五隊長なんだぜ。この程度の服や靴を買うことくらい、なんてことないさ』
それはそうかもしれないが、優愛の金銭感覚的にこの服と靴はあり得ない。
困っていると、無表情のラルドがつかつかと優愛に歩み寄ってきた。彼女の背後に回って、大きな手で髪に触れる。
パチンと音がして、髪が少し引っ張られた感じがした。
「×△◇」
促されるような声に、慌てて彼女は鏡をのぞき込む。
鏡の中の優愛の黒髪に、ワンピースと同じ布で作られたバレッタが留まっていた。大きすぎないリボンが、上品に髪をまとめている。
『おお! いいな。すごく似合うぞ、ユア。ラルドもなかなかセンスがいいじゃないか』
カイルアイネンが上機嫌で褒めた。
優愛は慌てて立ち上がる。
「そんな! この上、髪留めまでなんて!」
その勢いにカイルアイネンが『うわっ!』と叫んで膝から落ちたが、かまっていられない。
「○○□×」
しかし、優愛の抗議は、明らかに宥められているとわかる口調でラルドに遮られた。
そのまま再び手を引かれ、店の外に促される。
『ユアは真面目なんだなぁ。これくらい気にせずもらっておけよ。この世界、庶民ならともかく、貴族の女たちは平気であれこれ強請るもんなんだぜ。……まあ、ラルドは今まで女に貢いだことはないけどな』
いつの間にかラルドの肩に戻っていたカイルアイネンが、ガハハと笑う。
「でも! こんなにたくさん」
どんなに声を出しても、優愛の日本語の抗議はラルドに通じない。
このとき、優愛はできる限り早急にこの世界の言葉を覚えようと固く決意した。
その後、優愛とラルドは今日泊まる宿に向かった。
宿は、大きいと思った先ほどの商店よりもさらに大きな建物で、店構えも立派だ。
『へぇ~? この町一番の宿屋じゃないか。ラルドはいつもこんな立派な宿には泊まらないんだけどな。まあ、今日はユアが一緒なんだ。できるだけしっかりした所に泊まりたいよな』
相変わらずラルドの肩の上に乗りながら、カイルアイネンがうんうんと頷く。
優愛が焦るのは、もう何度目だろう。
「そんな! ラルドさん、私はこんな立派な宿屋でなくてもかまいませんから!」
大声で叫ぶのだが、やっぱり言葉は通じなかった。
『気にするなって。たまにはこういう高級宿もいいもんさ。ここならきっとぐっすり眠れるぞ』
カイルアイネンは気楽な表情でそう話す。聖霊は寝る必要があるのだろうか?
「だって、これじゃ迷惑をかけすぎだわ!」
『ラルドが迷惑なんて思っているはずないだろう?』
だからこそ、心苦しいのだ。
優愛とカイルアイネンの会話を知るはずもないラルドは、さっさと宿に入っていく。そして、愛想よく出てきた宿の従業員と会話をはじめた。
「――×××!」
ところが何か気に入らないことがあったようで、突如低い声で相手の話を遮ると、彼はこちらに向かって戻ってくる。
慌てて後から従業員が追ってきた。
(何かしら? ひょっとしてまた【聖霊の加護】のスキルが問題になったの?)
宿に泊まるくらいでスキルの話をしたりはしないと思うのだが、優愛は不安になる。
焦ってラルドを追ってきた従業員は、優愛を見ると彼女に向かって深々と頭を下げた。次いで縋るような勢いで話しかけてくる。
面食らってしまった優愛だが、従業員に彼女を侮る雰囲気はなく、それだけは安心できた。
どうやらラルドが気分を損ねたのは、スキルの問題ではないらしい。
「○×××!」
まだ優愛に話しかけている従業員を、ラルドは一喝して黙らせる。
「えっと? どうしたの?」
優愛の疑問に答えてくれたのは、当然カイルアイネンだ。
『う~ん。……どうやらこの宿、今日はいっぱいみたいで、二人部屋が一つしか空いていないらしいな。ラルドは一人部屋を二部屋頼もうとしていたんだが、希望が合わなくて断った。別の宿に移ろうとしているのを、宿の支配人が引き留めているのさ』
従業員とおぼしき人物は、支配人だったようだ。
支配人は、今度はラルドに向かって必死に話しかけている。
『ラルドは有名な騎士だからな。泊まってもらえば宿に箔がつく。宿泊料を割り引くから泊まってほしいって言っているぜ』
「え⁉ 割引!」
その言葉に優愛は飛びついた!
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