とうめいな恋

春野 あかね

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9、とうめい

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   僕は、何も言えなかった。
 話を聞いている間、僕は瑞穂とともに、歩いてきたような気がしていた。
 瑞穂は、たった一人で、その小さな体でその過去を抱えて生きてきたのだ。
「だからね、爽太くん」
 自分の過去を、淡々と語った瑞穂は、にこにこ笑いながら言った。
「わたしの命は、もうとっくになくなるはずだったんだ」
 僕はどうして、と小さくつぶやいた。
「わからない? わたしは、もう死んでたんだよ。それをここまでのばしてもらえたんだから」
 瑞穂の言葉は、まるで、まるで、
「……死ぬのか、瑞穂」
「どうだろ」
 瑞穂は、おかしそうに笑って、ぱちんと手をたたいた。
「はい、おしまい。わたし、教室戻るから」、
「ちょっと、まてよ」
「爽太君」
 小さな子に語り掛けるように、瑞穂は僕の名を呼んだ。
「あんた、ほんと、迷惑なんだよね。わたしはね、もう誰にも見られなくてもいいの。わたしは、あんたにも、ほかのだれかにも、何の感情も持ってないんだからね。……爽太君、騙されやすそうだから教えてあげたの。よかったね、これでもう、わたしに騙されずにすんだね」
 一息に言って、瑞穂はほうっと息をついた。祭りに出かけたときの瑞穂を思い出す。綺麗なものに心を震わせて、目を輝かせていた姿を。僕はやっぱり何も言えなくて、ただ唇を噛み締めた。
 勝ち誇ったように笑う瑞穂の姿を見たとき、心の中で何かが切れた。
 彼女に僕の気持ちは届かないのかもしれない。
 それでも、それでもいい。
「好きだよ」
 瑞穂はぽかんとした顔でこちらを見つめた。
 息をする音さえも消える沈黙が訪れた。風さえ吹かない。僕たちのいるこの場所だけ、時が止まったみたいだ。
 ゆっくりと雲が動いていき、再び風が吹く。
「僕は、君が好きだ」
 その声も、髪も。君の哀しい笑顔も、揺れてきらめく黒い瞳も、全部が愛おしい。
「君がどんな思いをしたか、僕は知らない。知っても、何もできないかもしれない。でも、僕は君が好きだよ」
 同情でもなく、偽善でもない。その、君の強さと弱さが好きだ。
「……なんで」
 信じられないと言うように、彼女は僕を見た。感情がそのまま顔に表れる。さっきの笑った顔よりも、ずっと綺麗だ。
「ずっと見ていたって言ったじゃん。僕の世界で、君だけだったんだ。鮮やかな色を持っていたのは」
 届いてほしい、届くだけでいい。僕の思いが君の中に流れてくれれば、それでいい。受け取って、大事にしなくてもいい。ただ、その思いを知ってほしい。
「馬鹿じゃないの?言ったよね、迷惑だって。あんたみたいなタイプ一番嫌いなの、わたし。色がある? やめてよ。わたしはとうめいなの、誰にも見えないの」
 一気にまくしたてる瑞穂を、僕は黙って見つめていた。
 僕は目を合わせてくれない瑞穂に言った。
「明日とあさっても、僕、待っているから。来なくてもいい、待ってる」
 瑞穂は何も言わずに教室へ戻っていった。
   扉の向こう側に消えてった背を見送ったあと、僕は屋上の柵をみつめた。夏の真っ白い光の中で、不気味にそれは輝いて見えた。
   それを見つめながら、僕はふと、自分の幼い頃を思い出した。瑞穂の過去を聞いていたからかもしれない。
   ああ、たしか、あの時僕は喘息の発作をおこしたんだ……。

「爽太くん、ちょっと普通じゃないっていうか」
 ぴんと張り詰めた糸が、鈍い音を立てて震えたような気がした。
 僕は、小学六年生のころ、喘息を患っていた。その当時、僕は周りというものにあまりにも興味のない、冷めたやつだった。
 ギャーギャー騒ぎあっては叱られる男子は馬鹿だと思っていたし、悪口言い合ってうっぷんを晴らす女子たちは、なんだか気持ちが悪かった。
 そんな僕の何をむかついたのか知らないが、クラスで一番うるさいやつが僕に嫌がらせをし始めたのだ。たぶん、自分の思い通りにいかない僕がむかついたのだろう。
 そいつは、僕の喘息の吸引機を隠したのだ。
 発作を起こした僕は、怒りのままにその子を殴ってしまったのだ。それで、僕の父さんは呼び出された。

「普通じゃない、というのは?」
 教室のドアの隙間から、お父さんのスーツが見えた。あ、学校に呼び出されて、着替えたのかな。
「殴るというのは、その、普通の行為じゃないと思うんです」
「男の子ですから」
 父さんは大きな声で笑ってそういった。担任は、太った女のおばさんだった。しょうもないことですぐ怒る人で、歯ががちゃがちゃなので、僕はひそかにガチャピンと呼んでいた。
「でも、爽太君はそういう子では……」
「さっき、普通じゃないとおっしゃいましたが」
 父さんは静かな声で言った。
「普通じゃないって、なんでしょうね。みんな同じじゃなきゃいけないのですか?」
 普通じゃない、僕は口の中でもごもごとその言葉をつぶやいた。……いやな言葉。
「そうは言いませんが……」
「殴るのは、確かによくありません。でも、爽太は自分の命を守ろうとしたんじゃないですか? ……先生はなぜ、爽太が相手を殴ったか聞いたんですか?」
「いいえ」
 そうだよな、ガチャピンの奴、僕の話なんて聞いてくんなかった。
「まずそこを聞かなきゃいけないんじゃないですか?」
 それに、父さんはつづけた。
「みんな特別ですし、みんな、別々の人間なんです。普通、なんて言葉で子供たちを縛らないでほしいです」
 父さんの言葉に、きゅうっと、胸の奥が痛くなった。鼻がつんとして、涙が出そうになった。
 父さんは振り返り、
「爽太」
 僕の名前を呼んだ。まるでずっと、ぼくがこちらを見つめていたのを知っていたように。僕はドアを勢いよく開けた。
 先生はぎょっとした顔でこちらを見つめたが、僕はそんなの目に入らなかった。
「帰ろう、爽太」
 ニッと笑って、父さんはそういった。

「母さんが来なくてよかったな」
 父さんは笑いながら、ボロボロ泣いている僕に言った。
 そのあと僕は、父さんと芝生のある、昔よくキャッチボールをした公園に行った。暖かい日で、黄緑色の芝生はやわらかな日差しを受けてぼんやり光っていた。
「なんで?」
「え? だって、爽太が人を殴ったって聞いたとき、母さん慌ててたぞお。今日はたまたま俺が休みだったからさ、そういうのは父親の出る幕だから、よかったよ」
 父さんはそう言って、うーんと伸びをした。
「おい、爽太、気持ちいいぞ」
 父さんは芝生に寝転がり、楽しそうに笑っていた。僕も、と寝転がると、春の淡い霞がかった青空が、真上に広がっていた。
「なあ。爽太」
 父さんはこちらを見ず、空に目を向けたまま言った。
「とうめいって綺麗だよな」
 唐突な言葉に、え?と訊きかえしてしまう。
「色がないってことだろ、とうめいって。でも、とうめいなものは光を通して、きらきら輝いて……本当にきれいだよな。目に見えなくても、綺麗なんだよな……」
 そう言って父さんは笑う。僕は首をかしげた。父さんはふっと視線を花の植わっているほうに向けた。
 そこでは幼稚園くらいの子が楽しそうに遊んでいた。あたたかな日だまりの中、蝶を追いかけ、捕まえたらしい。嬉しそうに「おとちゃん、おかちゃん」と回らぬ口で両親を呼びながら走っていき、黄色い小さな蝶を見せた。お父さんが、すごいなあと言ったのだろうか、その子はにこっと笑う。その頭をお母さんは優しく撫で、その子に何か囁いた。
 なにを思ったのか、その子は両手をぱっと広げて蝶を逃がした。ひらひらと舞う蝶がどんどん高く、見えなくなっていく。それを見せるように、お父さんは息子を抱き上げた。お母さんはそんな二人に寄り添っている。
 それを懐かしそうな眼差しで見ていた父さんは、目線をこちらに向けて、言った。
「爽太。俺は、爽太の全部が大好きだ。母さんもそうだぞ。普通なんて存在しないんだよ。……いいんだからな、爽太」
 その言葉で僕の中にあった何かが崩れ、流れていく。学校であった沢山の悲しいことが、溢れて、流れていく。
「いつか、爽太が大きくなったらさ、わかるよ。父さんや母さんがお前に送った言葉の意味が」
 全く分からない。泣きながら首を傾げる僕に、父さんは楽しそうに笑った。
 黄色の陽だまりの中笑う父さんは、やさしくて懐かしい匂いがした。

 目を開く。僕はいつの間にか泣いていた。もう終わりだから、そう思っていた。でもそれは無関心な僕の心に、皮肉にも熱い心を与えた。やっと本当の自分の姿を取り戻したのだ。
 でも、あと一日だ。そうなるかどうかは分からないが、僕はあと一日で消えてしまうかもしれない。
 父さんの言った意味が、今ならわかる。だから、僕は瑞穂に惹かれたのかもしれない。凛として自分を持っている、人の目に左右されない姿。それに僕は惹かれたのだ。僕が本当はずっと探していたものを、瑞穂がくれた。
 瑞穂の語ってくれた過去には驚かされたけど、過去なんて、関係なかった。過去がどうであろうと、今の瑞穂は、僕の好きになった瑞穂は、その過去の上に立っている。過ぎてきたすべてが、今の自分たちをここに置いているのだ。
 明日で、最期になる。
 明日で、色んなことが終わる。僕の奇跡が、終わる。
 ……瑞穂は、明日、来るのだろうか。

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