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第2部 もふもふメイドはゆるふわ魔王に恋をする
プロローグ:胸の鼓動
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魔界のどこか、山間のエルフの里近くにある、古びた一邸の館。
その館の一室から、元気な少女の声が聞こえてきた。
「ご主人様、お寝坊さんはダメですよ!」
春のあたたかな風が、窓辺のカーテンを穏やかに揺らしている。
昼間の明るい部屋の中、ベッドから毛布を引っ張っているのは、犬獣人の少女だ。キャラメル色の癖っ毛な髪と同じく、頭から生えた犬の耳はふわふわしている。お仕着せの腰部分からは、ボリューミィなしっぽが飛び出して、ピーンと伸びていた。いつもはぶんぶんと機嫌よさげに揺れているのだが、今は毛布を引っ張るために力んでいるようだった。
この獣人の少女の名を、ショコラという。
ショコラは十五歳で、以前はずっと人間界の孤児院で暮らしていた。それがなんの縁か、去年の秋からこっち、この館の主人の側仕えとして働いているのである。人間界の孤児院では獣人は亜人と呼ばれ、ひどく迫害されている。ショコラも例に漏れず、ずっといじめられていた。だからこの館に来てからというもの、ショコラは毎日が楽しくて仕方なかった。
この館に住む人たちはみんなショコラに優しく、いろんなことを教えてくれるからだ。
だからショコラはこの仕事に誇りを持っていたし、大好きだった。
……しかしショコラには一つだけ、大変な仕事がある。
「今日中に確認しないといけない書類があるそうなんです。だから絶対、ぜーったい、起きてください!」
ショコラがふんぬー! と毛布を引っ張ると、毛布がごそりと動いた。
「……お願い、あと五分だけ」
中から、寝起き特有の低くてかすれた声が聞こえてくる。
「十五回目ですご主人様。もうショコラは、容赦しませんよ!」
えいやー! とショコラは毛布をめくりとった。
「……」
そこには、サラサラとした黒い髪の少年が、丸くなるようにして眠っていた。昼間の日差しが眩しいのか、眉を寄せている。
ゆっくりと開いた瞼の下には、美しい青色の瞳が覗いていた。
気だるそうにショコラを見て、くあ、とあくびをする。
「……もうちょっとだけ、だめ?」
「だめですご主人様」
ショコラは心を鬼にして頷いたのだった。
このぼうっとして目が死んでいる少年は、実はその見た目とグータラさからは考えられないほど、この魔界において重要な立場にいる人物だ。
「ご主人様は魔王様です。ですから、もう少しシャッキリしていただかないと」
そう。
この脱力している男、実は正真正銘、『魔王』なのである。
もう少し正確にいうと、魔界にいる四人の魔王のうち、西の大陸を統べる『西の魔王』と呼ばれる魔王なのだ。
西の魔王ラグナル。
それが彼の名前である。
現在はその身に宿す『魔王の器』にヒビが入ってしまったため、人生の休暇中らしい。
そのせいもあってか(おそらく元々なのだろうが)とにかくダラダラしていて、目覚めさせるのも一苦労なのである。
「今、魔王は休憩中だって言ってるだろ」
「きゃっ!?」
ラグナルが、ぐいとショコラの手を引いた。
細い体の割に、思いの外力が強く、ショコラは体勢を崩してしまう。
そのままラグナルの腕の中に吸い込まれてしまい、ショコラはいつの間にかぎゅうっと抱きつかれていた。
「ご、ご主人様!」
もがいて顔をあげると、ラグナルと視線が交わった。
ラグナルは青い瞳をゆるめて、にこ、と微笑んだ。
「おはよ」
「~ッッ」
ショコラの顔がぽんっと真っ赤になる。
耳もしっぽも、ぴーんとのびた。
ショコラはそれをごまかすように、ラグナルから離れようともがく。
「もうっ! ショコラは怒りましたよ!」
まだ寝たいとぐずるラグナルと揉み合いになっていると、部屋のドアがノックされた。
「どうぞ~」
ラグナルが答える。
挨拶をして部屋に入ってきたのは、お仕着せを身につけた美しい女性と、初老の男性だった。女性の頭にはくるりとした小さなツノがついている。
女性の名をリリィ、初老の男性の名をシュロという。二人とも、ラグナルに仕える召使である。
「おはようござ……あら?」
顔をあげると、リリィは目を丸くした。
リリィから見ると、ショコラがラグナルを押し倒しているように見えたのだ。
「まあまあまあ、私たち、お邪魔しちゃいました!?」
「ラブ爆発ですかな」
二人はなぜかとても嬉しそうに顔を見合わせる。
ショコラは慌ててベッドから降りた。
「ち、違います違います!」
なんだか変な勘違いをされているような気がして、ショコラはぶんぶんと首を振った。
「だってご主人様、全然起きてくれないんです」
ショコラはほっぺたを膨らませた。
それからしょぼんと耳としっぽを垂らすと、リリィもシュロもあらあらと眉を寄せてベッドに近づいた。
二人とも、ラグナルとショコラがじゃれあっているだけだとわかっていたらしい。
「もう、春だからってボケすぎですよラグナル様! ショコラさんが困っているではありませんか!」
「あまり寝すぎるのも体によくないですぞ」
二人からの一斉攻撃をうけ、ようやくラグナルは起き上がる。
大きく伸びをすると、ふわぁ、と欠伸をした。
瞳の端に溜まった涙が、日の光を浴びてキラリと輝く。
「見てください、空がとっても綺麗ですよ、ご主人様」
ショコラが窓を大きく開け放つ。
空は絵の具で塗りつぶしたような青がどこまでも続き、わたあめみたいな白い雲がぷかぷかと浮かんでいた。
窓の外にあるのは、山に囲まれた景色。
新芽の柔らかな香りを、風が運んでくる。
ショコラの髪がさらりと揺れた。
「今日もいい天気です」
ショコラは目を細めてしっぽを振った。
すると、いつの間にかショコラのそばに立っていたラグナルが、ぽつりとつぶやく。
「ショコラ」
「はい?」
「いたずらしてごめんね」
「もう、お寝坊さんはダメですよ!」
「ショコラがかわいいから、つい、ね」
「……っ!」
そう言ってラグナルがぽん、とショコラの頭を撫でると、ショコラはまた頬を真っ赤にした。
ショコラには最近、悩みがある。
それは、ラグナルと一緒にいると、ときたま胸がドキドキとしてしまうこと。なぜかほっぺが赤くなって、恥ずかしいような、嬉しいような、むずむずするよくわからない気分になってしまうのである。
この気持ちはなんなのだろう?
ショコラはまだ知らない。
その気持ちの正体を。
けれどそのくすぐったい気分が、とても幸せなことだとも、どこかで感じていた。
「ショコラ?」
「っあ、はい!」
ぼうっとしていたショコラはハッとした。
「何考えてたの?」
「あ、あの……」
胸がドキドキするなんて変なこと、ラグナルには言えない。
本人にそれを伝えるのが、なぜか恥ずかしかった。
「な、なんだか、楽しいことがありそうだなぁって」
ショコラがそう言うと、ラグナルは笑った。
「あるよ、今日もたくさん」
「ご主人様……」
「ラグナル様は書類が先ですけれどね」
リリィがそう告げた瞬間、ラグナルががくっとなった。
ショコラは思わず、笑ってしまう。
「一緒に頑張りましょう、ご主人様」
今日もまた、騒がしくて、幸せな一日が始まる。
その館の一室から、元気な少女の声が聞こえてきた。
「ご主人様、お寝坊さんはダメですよ!」
春のあたたかな風が、窓辺のカーテンを穏やかに揺らしている。
昼間の明るい部屋の中、ベッドから毛布を引っ張っているのは、犬獣人の少女だ。キャラメル色の癖っ毛な髪と同じく、頭から生えた犬の耳はふわふわしている。お仕着せの腰部分からは、ボリューミィなしっぽが飛び出して、ピーンと伸びていた。いつもはぶんぶんと機嫌よさげに揺れているのだが、今は毛布を引っ張るために力んでいるようだった。
この獣人の少女の名を、ショコラという。
ショコラは十五歳で、以前はずっと人間界の孤児院で暮らしていた。それがなんの縁か、去年の秋からこっち、この館の主人の側仕えとして働いているのである。人間界の孤児院では獣人は亜人と呼ばれ、ひどく迫害されている。ショコラも例に漏れず、ずっといじめられていた。だからこの館に来てからというもの、ショコラは毎日が楽しくて仕方なかった。
この館に住む人たちはみんなショコラに優しく、いろんなことを教えてくれるからだ。
だからショコラはこの仕事に誇りを持っていたし、大好きだった。
……しかしショコラには一つだけ、大変な仕事がある。
「今日中に確認しないといけない書類があるそうなんです。だから絶対、ぜーったい、起きてください!」
ショコラがふんぬー! と毛布を引っ張ると、毛布がごそりと動いた。
「……お願い、あと五分だけ」
中から、寝起き特有の低くてかすれた声が聞こえてくる。
「十五回目ですご主人様。もうショコラは、容赦しませんよ!」
えいやー! とショコラは毛布をめくりとった。
「……」
そこには、サラサラとした黒い髪の少年が、丸くなるようにして眠っていた。昼間の日差しが眩しいのか、眉を寄せている。
ゆっくりと開いた瞼の下には、美しい青色の瞳が覗いていた。
気だるそうにショコラを見て、くあ、とあくびをする。
「……もうちょっとだけ、だめ?」
「だめですご主人様」
ショコラは心を鬼にして頷いたのだった。
このぼうっとして目が死んでいる少年は、実はその見た目とグータラさからは考えられないほど、この魔界において重要な立場にいる人物だ。
「ご主人様は魔王様です。ですから、もう少しシャッキリしていただかないと」
そう。
この脱力している男、実は正真正銘、『魔王』なのである。
もう少し正確にいうと、魔界にいる四人の魔王のうち、西の大陸を統べる『西の魔王』と呼ばれる魔王なのだ。
西の魔王ラグナル。
それが彼の名前である。
現在はその身に宿す『魔王の器』にヒビが入ってしまったため、人生の休暇中らしい。
そのせいもあってか(おそらく元々なのだろうが)とにかくダラダラしていて、目覚めさせるのも一苦労なのである。
「今、魔王は休憩中だって言ってるだろ」
「きゃっ!?」
ラグナルが、ぐいとショコラの手を引いた。
細い体の割に、思いの外力が強く、ショコラは体勢を崩してしまう。
そのままラグナルの腕の中に吸い込まれてしまい、ショコラはいつの間にかぎゅうっと抱きつかれていた。
「ご、ご主人様!」
もがいて顔をあげると、ラグナルと視線が交わった。
ラグナルは青い瞳をゆるめて、にこ、と微笑んだ。
「おはよ」
「~ッッ」
ショコラの顔がぽんっと真っ赤になる。
耳もしっぽも、ぴーんとのびた。
ショコラはそれをごまかすように、ラグナルから離れようともがく。
「もうっ! ショコラは怒りましたよ!」
まだ寝たいとぐずるラグナルと揉み合いになっていると、部屋のドアがノックされた。
「どうぞ~」
ラグナルが答える。
挨拶をして部屋に入ってきたのは、お仕着せを身につけた美しい女性と、初老の男性だった。女性の頭にはくるりとした小さなツノがついている。
女性の名をリリィ、初老の男性の名をシュロという。二人とも、ラグナルに仕える召使である。
「おはようござ……あら?」
顔をあげると、リリィは目を丸くした。
リリィから見ると、ショコラがラグナルを押し倒しているように見えたのだ。
「まあまあまあ、私たち、お邪魔しちゃいました!?」
「ラブ爆発ですかな」
二人はなぜかとても嬉しそうに顔を見合わせる。
ショコラは慌ててベッドから降りた。
「ち、違います違います!」
なんだか変な勘違いをされているような気がして、ショコラはぶんぶんと首を振った。
「だってご主人様、全然起きてくれないんです」
ショコラはほっぺたを膨らませた。
それからしょぼんと耳としっぽを垂らすと、リリィもシュロもあらあらと眉を寄せてベッドに近づいた。
二人とも、ラグナルとショコラがじゃれあっているだけだとわかっていたらしい。
「もう、春だからってボケすぎですよラグナル様! ショコラさんが困っているではありませんか!」
「あまり寝すぎるのも体によくないですぞ」
二人からの一斉攻撃をうけ、ようやくラグナルは起き上がる。
大きく伸びをすると、ふわぁ、と欠伸をした。
瞳の端に溜まった涙が、日の光を浴びてキラリと輝く。
「見てください、空がとっても綺麗ですよ、ご主人様」
ショコラが窓を大きく開け放つ。
空は絵の具で塗りつぶしたような青がどこまでも続き、わたあめみたいな白い雲がぷかぷかと浮かんでいた。
窓の外にあるのは、山に囲まれた景色。
新芽の柔らかな香りを、風が運んでくる。
ショコラの髪がさらりと揺れた。
「今日もいい天気です」
ショコラは目を細めてしっぽを振った。
すると、いつの間にかショコラのそばに立っていたラグナルが、ぽつりとつぶやく。
「ショコラ」
「はい?」
「いたずらしてごめんね」
「もう、お寝坊さんはダメですよ!」
「ショコラがかわいいから、つい、ね」
「……っ!」
そう言ってラグナルがぽん、とショコラの頭を撫でると、ショコラはまた頬を真っ赤にした。
ショコラには最近、悩みがある。
それは、ラグナルと一緒にいると、ときたま胸がドキドキとしてしまうこと。なぜかほっぺが赤くなって、恥ずかしいような、嬉しいような、むずむずするよくわからない気分になってしまうのである。
この気持ちはなんなのだろう?
ショコラはまだ知らない。
その気持ちの正体を。
けれどそのくすぐったい気分が、とても幸せなことだとも、どこかで感じていた。
「ショコラ?」
「っあ、はい!」
ぼうっとしていたショコラはハッとした。
「何考えてたの?」
「あ、あの……」
胸がドキドキするなんて変なこと、ラグナルには言えない。
本人にそれを伝えるのが、なぜか恥ずかしかった。
「な、なんだか、楽しいことがありそうだなぁって」
ショコラがそう言うと、ラグナルは笑った。
「あるよ、今日もたくさん」
「ご主人様……」
「ラグナル様は書類が先ですけれどね」
リリィがそう告げた瞬間、ラグナルががくっとなった。
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