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第2章 王弟ロロ&秘書コレット襲来
ショコラの過去
しおりを挟む夜。
「はあ……」
ショコラはベッドでため息を吐いていた。
ランプをつけて、天井をぼやっと眺める。
なんだか今日は、疲れてしまった。
失敗もたくさんしてしまったし。
コレットはきっと、呆れていることだろう。
そしてロロに報告しているのかもしれない。
ショコラは魔王の側仕えには向いていません、と。
そうしたら、ショコラはクビになって、この館を追い出されてしまうのかも……。
「うう、そんな……」
ショコラの耳がぺたんと垂れた。
「せっかく、今まで頑張ってきたのに……」
この館へ来てから今日までのことが思い出されて、ショコラは悲しくなってしまった。
「ご主人様……」
それに、今日は全然ラグナルに会っていない。
ショコラはラグナルの側仕えだ。
いつもラグナルと一緒にいて、ラグナルの世話をする役なのだ。
もちろん休みの日はあるけれど、ラグナルに全然会えないのは寂しいとショコラは思ってしまった。
「わたし、このままクビになってしまったら、どうなっちゃうんだろう……?」
ショコラはそう呟いて、身震いをした。
「もう、あそこへは帰りたくない……」
ショコラは窓を見た。
オレンジ色の明かりに照らされた窓の向こうは雨が降っていて、窓にときおり水が跳ねていた。
──雨の音がシトシトと聞こえてくる。
ここのところ、もうずっと太陽を見ていない気がした。
こんな雨の夜は、昔のことを思い出してしまう。
「ここを追い出されてしまったら、わたしはどこに行けばいいの……?」
そう呟いて、目を閉じる。
すると、ショコラの瞼の裏に、美しい女性の姿が映った。
「フェリシア、さま……」
何年ぶりにその女性の名を口にしただろうか。
ショコラはそっと、以前の『ご主人様』であったその女性のことを思い出した。
◆
ショコラは自分がどうして人間界にいたのか、どこで生まれたのかも知らない。
親や家族がいたのかさえ、分からない。
物心がついたときには、ショコラは人間の国の王族が住まう宮にいた。
そこでショコラは「王太子妃」と呼ばれる女性、フェリシアと暮らしていたのだ。
フェリシアは十代後半の少女だった。
だからショコラがまだ赤子のころは、おそらく十五歳かその程度だったのだろう。
少女はショコラを『わたくしの可愛いワンちゃん』と呼んで可愛がっていた。
手ずから世話をし、ほとんどの時間を、ショコラがそばにいることを許してくれていた。そして赤い首輪をつけて、可愛がってくれたのだ。
今考えると、それは人間として可愛がられていたわけではなく、愛玩動物のような扱いだったのだとショコラにはわかる。
学を与えられていたわけでも、自由を与えられていたわけでもない。けれどひどいこともされなかった。
だから幼い頃に過ごした日々は、決して不幸ではなかった……とショコラは思う。
フェリシアは、その国の王太子の妃だったらしい。
他国から嫁いできたらしく、当時はひどく不安定だったと、フェリシアの侍女たちがひそひそと話しているのをショコラは聞いた。
「フェリシア様も寂しかったのよ。でもショコラが来て、ずいぶん落ち着いたわ」
そう言って頭を撫で、お菓子をくれたのは、フェリシアの侍女たちだった。
「獣人の子供は可愛いわね」
「成長のスピードも緩やかで、なかなか老けないんですって」
「いいわねぇ」
フェリシアが祖国から連れてきた侍女たちはショコラにもよくしてくれた。けれどもともと宮にいた侍女たちからは、ショコラは煙たがられていた節があった。
「まあ、汚らわしい。毛が服についてしまうわ」
「人としてはみてはいけないのよ。あくまで愛玩動物なの。子どもでもなんでもないわ」
「こんな獣を飼う・・なんて、世間知らずなお姫さまだこと」
幼いながらに、ショコラはそれらの言葉に傷ついていた。
なぜショコラは自分がそんな風に言われるのか、わからなかったのだ。
人間界では、亜人差別が定着している。
亜人は人間よりも下位の生き物とされ、宗教上、汚れた存在と呼ばれていた。
今考えると確かに人間の世界で、しかも王宮でショコラが暮らしていたのは、おかしなことだったのだろう。人間たちからしてみれば、ショコラは亜人の子どもだったのだ。追い出されなかったのが奇跡だ。
それは単ひとえにフェリシアがショコラのことを可愛がっていたから。
また、フェリシアの祖国では、獣人は珍しかったのもあるのだろう。人間界でも国によって亜人差別の強度は違う。フェリシアの祖国は、偶然そこまでひどい差別を行ってはいなかったのだ。
けれどフェリシアは、ショコラが大きくなって、必要ではなくなってしまったら、ショコラのことを捨ててしまった。
フェリシアにとって、ショコラの存在とは、その程度のものだったのだ。
それでもショコラは、どうしてか、それらを憎むことも、怒ることもできなかった。
ただただ、もう一度会いたいと、迎えに来て欲しいと思っていた。
悲しいくらいに、恋しかった。
かつてショコラの居場所は、王宮だった。
けれど孤児院におきざりにされてからは、ショコラの居場所はなくなってしまった。
亜人差別の強い国で、耳としっぽのせいでひどくいじめられ、非人道的な扱いを受け続けた。何度自分に耳としっぽがあることを恨んだかわからない。
思えば、本当はあの王宮にも、ショコラの居場所はなかったのかもしれない。
だったら、ショコラの居場所はどこ?
ショコラはなんのために、生まれてきたの?
ずっとずっと、ショコラはそう思ってきた。
そして恐れてもいた。
そのうち色も形もない、誰からも認識されない、透明な存在になってしまうのではないかと。
居場所がないこと。
それはとても辛い。
だからずっとずっと苦しかった。
けれどラグナルが迎えに来てくれたのだ。
ショコラはこの館へ来て、ようやく自分の居場所を手に入れられたと思った。
ここにいてもいいんだよ、と。
大好きだよ、と、ラグナルは言ってくれた。
リリィもシュロも、ヤマトも。
ミルやメルも。
誰もショコラのことを否定しない。
ルーチェもショコラのことを無視したりせず、真っ向からぶつかってくれる。
そこにひどい悪意がないことは、ショコラにもよくわかっていた。
だからショコラの居場所はここなのだと、今ははっきりわかるのだ。
今まで、フェリアシアのことを思い出すことでさえ辛かった。
その名も、過去も、できるだけ思い出さないようにしていた。
思い出すと、自分の居場所はいったいどこなのかと、余計に苦しくなってしまうから。
今でも思い出すことは辛い。
だけど、ここにいても良い。
みんながそう言ってくれたから。
だからショコラは、もう自分の居場所で迷うことは、きっとないのだ。
それにショコラは、ラグナルとずっと一緒にいたいと思っている。
ラグナルのそばで……。
「あ、れ……?」
ふと、ショコラは心の中で何かがひっかかり、閉じていた目を開いた。
「わたし……」
もしも、このテストで不合格でクビになってしまったら。
ショコラはきっと、この館から去らなければいけないのだろう。
それはとても辛くて、さみしいことだ。
また居場所がなくなってしまうから。
けれど、ショコラがここから去りたくない理由は、本当にそれだけ?
「ごしゅじんさま……」
ショコラの胸に込み上がってくるのは、ラグナルに対する想いだった。
ラグナルと離れたくない。
ずっと一緒にいたい。
どうしてショコラは、ラグナルに対して、こうも執着しているのだろう?
「わたし、ご主人様に……」
うまく言えない。
胸がドキドキしてくる。
ずっと一緒にいたくて、今も本当は会いたい。
この気持ちは一体何?
嬉しい、楽しい、幸せ。
切ない、苦しい、恥ずかしい。
そのどれもが当てはまるようで、当てはまらない。
ラグナルのことを考えたときに胸をよぎる感情は、一体なんて呼べばいいのだろう?
ショコラは気付いた。
自分の中に、どうやらまだ、未知の感情があるのだということに。
──この感情の名を、なんて呼ぶの?
ショコラには、わからない。
その感情の名も、それをどう表現していいのかも。
考えれば考えるほどもやもやとして、ショコラははあ、とため息をついた。
でも、とにかく、ショコラはこの館にいたい。
ラグナルと一緒にいたい。
だから今、クビになってしまうのは、困るのだ。
だったらコレットたちに、ショコラはしっかりできる! ということを証明するしかないのだ。
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