上 下
101 / 101
エピローグ

あなたに恋をする

しおりを挟む

 ショコラは臆病ものだ。
 だからこうやって、いつもいつも、暗闇の方へ自分から逃げてしまう。
 幸せになるのが怖い。
 この幸せが壊れるのが怖い。
 怖くて怖くてたまらないのだ。

 ショコラはお祭りから少し離れた薄暗い川辺で、しゃがみ込んでいた。
 月と星の輝きが、うっすらと水面に反射している。

 ショコラはくすん、と鼻を鳴らした。
 ぽろぽろと涙が溢れてきて、川面に波紋を作ってゆく。

「ごしゅじんさま……」

 どうしてこうも、ショコラの心は弱いのだろう?
 ショコラは自分で自分が嫌になってしまった。

 もうほとんど理解しているこの気持ちに向き合うのが、とても怖い。
 胸がぎゅうっと苦しくなった。
 今日がとても嫌な日だったわけではまったくない。
 むしろすごくすごく幸せな日だった。

 ラグナルと手をつないで、二人で美味しいものをいっぱい食べて。

 いいや、今日だけじゃない。
 ここへ来てからの毎日が、ショコラにとっって宝石みたいに輝く、大切な宝ものだった。
 だからこそ、ラグナルにそんな想いを抱いていいのかが、ショコラには分からなかったのだ。

 水面に、落ち込んだ顔の自分が映った。
 耳はぺたんと垂れて、なさけない顔をしている。

 けれどふと、ショコラは思い出した。
 
 ──別に相手の身分とか、事情とか、そんなものはどうだっていいのよ

 ルーチェの言葉だった。

 ──ややこしい事情があったってさ、あんたがその人のことをどう思うかなんて、自由でいいじゃない。人の気持ちにいいも悪いもないのよ、きっと

「……」

 ショコラは水面をじいっと見つめた。

 ──あるものを、あるがままに受け入れること。
 
 そこにあるショコラの気持ち。
 ずっとずっとそこにあって、見て見ぬ振りをして、怖がっていた気持ち。

 ショコラはもう、とっくにわかっているのだ。
 それがなんなのかということを。
 ただ、その気持ちに名をつけるのが怖かっただけ。

 これまでは、なんとか見て見ぬふりをすることができた。
 けれどもうそろそろ、限界だ。
 コップの水はギリギリまで溜まっていて、あと一雫でも水をたらせば、こぼれ落ちてしまいそうなのだ。

 あまりも、あまりにもショコラは幸せすぎたから。

 もう見て見ぬ振りをすることは無理だ。
 けれどそれは、果たして不幸なことなのだろうか?

「わたし、は……」

 毎日が楽しくて、仕方がなかった。
 ラグナルが大好きで、ずっと一緒にいたくて。
 今日も二人で歩くお祭りの雑踏は、キラキラと輝いていた。
 幸せだった。

 幸せになることは、悪いことじゃない。
 それは冬の吹雪の日、あの館を飛び出してから、学んだこと。

 自然なままでいい。

 気持ちはどうあったって、いいのだ。

「……そうだ」

 ショコラはもうそれを知っている。
 見たことが、聞いたことが、感じたことが、勉強したことが。
 ショコラの心を形作っていくのだ。

 空っぽで臆病だったショコラは、もうそこにはいない。

「……帰らなきゃ」

 今度は自分の足で。

 ショコラはごしごしと涙を拭って立ち上がった。
 ショコラは自分の気持ちに折り合いをつけた。

 その気持ちを受け入れようと、思った。

 もういじめられて、たった一人で泣いているだけのショコラじゃないから。
 ショコラは涙を拭いて、歩き出した。

 ◆

「どこいってたの」

 お祭りの喧騒の中へ戻ると、ラグナルがほっとしたように、ショコラに駆け寄ってきた。
 眉を寄せて、ショコラの手を握る。

「すごく心配した」

「ごめんなさい……」

 ショコラは素直に謝ったのち、お手洗いに行っていたと適当なことを言ってごまかした。

「……大丈夫?」

 ショコラの目の端にきらりと光るものがあったからだろう。
 ラグナルは眉を寄せて、そう聞いた。

 ショコラはこくんと頷いた。

「大丈夫です」

 本当のことだ。
 ショコラの心は、泣いたおかげか、すっきりとしていた。
 前よりもずっと、自分の気持ちがはっきりとわかる。

「……これ、あげる」

 ラグナルは深くは事情を聞かなかった。
 その代わり、ショコラに不思議なものを渡した。

「これは……?」

「りんご飴っていうの」

 ラグナルはにこ、と笑った。

「甘くて美味しいよ」

「りんごあめ……」

 ラグナルがショコラに渡したのは、赤いりんごを飴でコーティングした、りんご飴だった。

「きれい……」

 ショコラは屋台の光にりんご飴を照らした。
 宝石みたいにキラキラ輝いて、それはショコラの目を惹き付ける。

「そろそろ河原に行こうか。花火の時間だ」

 ショコラがりんご飴を夢中で眺めていると、ラグナルがショコラの手をひいた。

「あ……花火をやるんですよね」

「やるっていうか、見る」

「見る?」

「あ、そっか。君、打ち上げ花火はまだ知らなかったんだっけ」

 ラグナルはぽん、と手を叩いた。

「ねえ、すごいんだよ」

 目を輝かせて、ショコラの手を取る。

「見に行こう!」


 ◆

 ショコラとラグナルは、二人並んで河原のなだらかな斜面に座っていた。
 近くにはリリィたちもいる。
 人がたくさん集まってきて、みんな一様に空を見上げていた。

 打ち上げ花火というものが始まるまで、もう少し時間があるらしい。
 その間、ショコラは夢中でりんご飴を眺めていた。
 宝石みたいにきれいで、食べられなかったのだ。

「ショコラに僕の好きなもの、全部知って欲しくて、買ってきた」

 ラグナルは膝をかかえて言った。

「ご主人様の好きなもの……」

 それでこれを買ってきてくれたのか、とショコラは納得した。

「あのね、ショコラ」

「?」

 ラグナルは言った。

「僕は、君が幸せなのが、一番いいんだ」

「え……?」

 唐突な言葉に、ショコラは目を見開く。

「君の願いはなんだって叶えてあげたいよ」

 微笑んでラグナルは言う。

「僕の苦しかった心を救ってくれたのは、君だから」

「ご、ご主人様……」

「僕ね、毎日毎日、楽しいよ。朝起きるのも、ごはんを食べるのも、のんびりしすぎって怒られるのも」

 ラグナルは目を伏せた。

「前はね、目がさめることが怖かったんだ。それなのに、夜遅くまで眠れなかったり、朝早くに動悸で目が覚めたり」

 苦しそうだった。
 ショコラはきゅ、とりんご飴を握った。

「でも君のおかげで毎日朝寝坊できる」

 ラグナルは今度は笑った。
 幸せそうな笑顔だった。

「君は僕にもらったものを宝物だというけれど、それは僕も同じさ。君とまったく、同じなんだ」

 まっすぐに、ショコラの瞳を射抜く視線。

「君と過ごす毎日は、僕の宝物だよ」

 ラグナルがそれをどういうつもりで口にしたのか、ショコラにはわからなかった。
 けれど確かに悪い言葉ではなくって。
 むしろ、ショコラにとっては、とても嬉しい言葉だった。
 
 キラキラ宝石みたいに光る、りんご飴。
 ショコラの幸せな毎日。
 
 ──ああ、そうか

 ショコラは唐突に理解した。

「見て、花火が始まるよ」

 ラグナルは目を輝かせて、空を見上げた。
 けれどショコラは、ラグナルから視線を外せなかった。

 しゅるる

 パァアアン!

 弾けるような音が空に響き渡り、一瞬、夜空が明るくなる。
 大輪の打ち上げ花火が空に咲いた。
 キラキラと火花が零れ落ちる。
 何発も何発も花火は打ち上がり、空にたくさんの光を放った。

 それはどれほど美しい光景だっただろう。
 けれどショコラが初めて見た打ち上げ花火は、ラグナルの青い瞳に映った煌めきだった。
 空を見上げるラグナルを、ショコラはぽうっと眺めていた。

 そして、ショコラは心にじんわりと沁みるように、ごく自然にそれを理解した。
 コップに注がれた水が、ついに溢れ出したのだ。



 わたしはご主人様が好き。

 大好き。



 ──わたしはこの人に、恋をしているんだ



 今、少女の心に新たな感情が生まれた。
 ようやく受け入れたその感情を、人は「恋」と呼ぶ。

 ショコラの真っ暗だった心に光を散らせた新しい感情。
 ようやく受け入れられたことを祝福するかのように、空には大輪の花火が咲き乱れていたのだった。




 第二部
 もふもふメイドはゆるふわ魔王に恋をする

 END.











 最後までおつきあいいただきましてありがとうございました!
 二部はこれにて終了になります。今のところ、三部で完結になるかな?という感じです。たくさん応援やコメントをいただき、ありがとうございました!

 三部再開まで、また時間をしばらくいただきたいと思います。二部が始まるまで5ヶ月ほどかかってしまったので、今度はもう少し短くできれば(願望)!

 それでは、三部でまたお会いしましょう!
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(16件)

シュガーコクーン

三部はまだでしょうか?

 待ち遠しいです……。是非更新お願いしますm(_ _)m

解除
ななみ
2020.04.15 ななみ

一気読みしてしまいました😳
もう私にドストライクの小説でした!
ショコラちゃんすき!魔王様すき!!
もう全員好きです笑!!

第三部始まるのをきままに待ちます😳

解除
A・l・m
2019.12.12 A・l・m

。。。いつか、魔王さまの手紙は読めますか?
(いや、簡単にでもいいんですが!)

 ただ、院長のくずさが見えてしまうかな。
でも、字を覚えたらいつか、読み返してみようと思いそうな気もしなくもないかも。

解除
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

婚約破棄されたから静かに過ごしたかったけど無理でした -番外編-

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:241pt お気に入り:291

勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,364pt お気に入り:254

婚約者の義妹に結婚を大反対されています

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:49,697pt お気に入り:4,903

夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,547pt お気に入り:3,310

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:20,355pt お気に入り:3,528

騎士団長のお抱え薬師

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,350pt お気に入り:304

学院内でいきなり婚約破棄されました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:328pt お気に入り:286

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。