優しい鎮魂

天汐香弓

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出来損ない

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昨日のお姉さんの言葉が頭から離れなくて、ゴロンゴロンと寝返りを打っていた。
「起きなきゃ」
ぼんやりそう思いながら起きようとした時だった。
ドアをドンドンとめちゃくちゃに叩かれてビックリして飛び起きた。
「近所迷惑……」
ドアを開けてそう注意しようとしたら、飛び込んできた両親に首根っこ掴まれた。
「な……」
「お前!どんな汚い手を使って本家に取り入った!」
鬼のような形相で叫ぶ両親の言葉の意味がわかんなくて目を瞬かせていると、パンパンと頬を叩れて玄関に尻もちをつくと腹を蹴られた。
「出来損ないのくせにお兄ちゃんを出し抜こうなんて、なんて浅ましいんだ!」
「そうよ!出来損ない!」
今まで静かに無視されていたのにこんなふうに罵られるのは初めてで呆然としてるとパトカーの音がして隣の人と一緒に警察官が入ってきた。
「離して!私達はただこの無能に分からせてただけなのよ!」
警察が両親を連れ出してくれて、呆然とへたりこんでいると隣の人が心配そうに俺を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「あ……ありがと……」
「病院に行って診断書取った方がいい。そうしたら警察に暴行罪で訴えられる」
「あ、病院とか行く金ないし……」
「あーもう面倒くさいな」
頭を掻いた隣の人が俺の腕を掴むとズルズルと外に連れ出す。そしてどこかに電話をかけ始めた。
「先輩、ごめん。ひとり診断書いるやついて、金ないって言うからさ、うん、うん……」
やがて通話が終わった隣の人が思い切りため息をついた。
「警察行かなきゃダメ?」
「じゃないとまたアイツら、同じことをするぞ」
「それはヤダな」
一体何が起きたって言うんだろう。わけのわからないまま小さな病院に連れて行かれると、若い先生が現れた。
「わぁ、すごい腫れだね」
俺の顔を見て先生がにっこりと笑った。
「とりあえずこれ見て」
隣の人がスマートフォンを差し出すと両親の怒鳴り声が聞こえてきた。
「これは気合入れて診断書書くね。裁判の証言もしてあげるよ」
「え?裁判って」
「こいつ弁護士だし、任せていいよ」
「ええっ!」
ただの隣の人だと思っていた人がすごい人で驚いてしまう。
「先に診断書書くから待ってて、あ、お前は冷凍庫から冷やすもの取ってきて」
そう言って先生がパソコンに向かう。
「名前は?」
「不破新です」
「暴力はずっと?」
「いえ、今まで空気のように扱われて来てて……」
「空気って?」
「ご飯はみんな食べてからカップラーメンとか……ああでも出来損ないとは良く言われてました」
家のことは正直思い出したくなかった。
冷たいものが両頬に当てられて、頬の熱さを痛感する。
「ネグレクトか」
「そうみたいだね。なのに突然暴力か。映像的にお前のアパートと同じ感じだけど」
「ああ……隣のヤツ」
「じゃあひとり暮らし?田舎はどこ?」
答えようと思うのに口が重くなって開けない。
「いいよ、無理しなくて……せっかく親御さんから逃げてきたのに、ね」
先生に頭を撫でられて何故だかわからないけど涙が出ていた。

被害届を出すと息まく隣人で弁護士の秋月さんと警察を出ると昼になっていた。
「そういや朝から何も食ってないな。なんか食うか?」
「え?ご飯は夜しか食べないよ」
「なんで」
なんでっていう顔をされて、俺も困る。
「いや、飯」
「こんな早い時間に食べたら夜お腹空きません?」
「まさかと思うけど、お前……」
そこまで言って秋月さんが俺の頭をガシガシ撫でた。
「とにかく俺は腹減った。行くぞ」
グイと腕を捕まれて知らない店に連れて行かれた。
「とにかく食え」
「え?」
メニューと書かれたものを渡されて戸惑っていると秋月さんがパラパラとメニューを捲りはじめた。
給食なんかよりキラキラしてる写真に思わず見入っていると、「食うもの決まったか?」と聞かれてビックリした。
「えっ、えぇと……こ、これ」
料理の名前を見ても写真を見ても食べ方が分からなそうで、ハンバーグのページから適当に指をさすと、分かったと言って注文してくれた。
「そわそわするな」
「だってこんなキラキラしたとこはじめてで……」
「まあ、お前のバイト先とは雰囲気が違うよな」
「あ、そういや昨日、来てましたね」
俺がカウンターでまかないを食べてるときに隣にいたなぁと思い出す。
「あそこ、お店の人もお客さんもいい人ばっかりですよね」
「学生が多いからな。おっさんだけで一息つけるのはあの店ぐらいなんだよ」
「へぇー」
「それより、顔痛くないのか?」
秋月さんが顎で俺の顔をさす。
「あー、なんか違和感ですね」
病院のお金は秋月さんにたてかえてもらって、今は両頬に薬を塗られてガーゼが貼られていた。
「全然平気です。ちょっとジンジンするけど」
「あー、アイツも数日腫れるって言ってたしな」
そんなことを話していると料理が届いた。
「うわぁぁ」
ジュージュー音を立ててるハンバーグに心が踊る。
「ハンバーグなんて、中学の給食ぶりだぁ」
「おー、食え」
秋月さんが笑って飯を突く。
「秋月さん」
「ん?」
「ハンバーグも美味いけど、誰かと食べるのって、もっと美味いですね」
「そうか?」
「俺、みんながいる時にみんなのいる部屋いたら迷惑になるから、いつも暗い部屋でカップラーメン食べてたんです。だから、なんか嬉しくて……」
明るい時間、誰かと食べるご飯。それがこんなに嬉しいと思わなかった。
食べることも悪いと言われ、台所で立って夜中に食べていると、無能のくせに飯だけは食いやがってなどと母に言われていたことを思い出した。
「これぐらい、いつでも付き合ってやるよ」
ニッと笑った秋月さんになんだか心強い味方が出来たような気がした。
ドリンクバーの使い方を教えてもらい、はじめて給食のみかんジュース以外の甘い飲み物を飲んだ。
「こんな甘くておいしいものがあるんですね……しかも何回飲んでもいいって……」
「面白がっちゃいけないんだけどさ。高校の時とか友達と来なかったのか?」
「あー、高校は体裁があるから行けって言われたから近所の学校に通ったけど、お小遣いとかもらえるわけないから、昼は図書室で本読んで、放課後は大学行くためにバイトして……そんな感じだったんです」
「本当にネグレクトだな。それなのに、なんで今日は来たんだろうな」
「さあ、なんでしょうね」
鬼のような形相の親の顔を思い出し憂鬱な気分になる。それでも秋月さんの前でそんな顔は出来なくて、高校生の頃の話をして過ごしたのだった。
「でも、秋月さん、弁護士なのになんであそこのアパートなんですか?学生しか住んでないと思ってた」
少し気になったことを聞くと、秋月さんが「あー」と言って頬を掻いた。
「引っ越しって、面倒くさくね?」
「それは、まあ」
「俺、学生の時からあそこに居るの。本とか増えるからさ、引っ越しの荷造りをするか考えたら、流石にな」
なんとなく言いたいことが分かって頷く。
「ま、そういうことだ。だから頼ってくれていいぞ」
快活な秋月さんの言葉に、俺は大きく頷いた。
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