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駆引
百五十一.窮迫の利家
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天正十一年四月二十日 丑の刻
小雨の中、行市山から佐久間盛政・柴田勝政の軍勢一万が出撃する。軍勢は集福寺坂で二手に分かれ、一隊はそのまま山道を南下し、もう一隊は西へ回り塩津・祝山を通って共に権現坂で合流する予定である。山路正国とその家臣たちは盛政の軍勢に混じり、闇夜の中で武具の軋む音を雨音に隠しながら進軍する。道中、馬上で正国は昨日の軍議の後の前田利家との会話を何度も何度も思い出している・・・。
「将監殿っ、こっちじゃぁ。」
二人は南に伸びる北国街道を見下ろす山腹に立つ。正国は利家以上に周囲の人影の有無を用心し、その視線は右に左にと忙しい。正国は利家に疑念を抱かれているかもと疑い、右手を刀の鍔にかけるかどうかを悩んでいる。しかし利家は堂々としており、命のやり取りを始めようとする気配はない。そして利家が唐突に訪ねる。
「其方ぁっ、先日勝豊殿が京で亡くなられたのをご存知かぁ。」
正国は驚愕する。
「えっ、今何と申されましたかっ。」
「やはりご存知なかったかぁ。二日ほど前、わしの元へ京の知り合いから報せが参ってのぉ。そのとき其方が勝豊殿の家老であったことを思い出したのだが、玄蕃允殿の元までこの報せが届いておったか気になっておってのぉ・・・。」
正国は絶望して、その場に両膝をついてしまう。
「そっ、そんなぁっ・・・、勝豊様がぁっ・・・。」
正国は俯き、しばらく澱んだ空気が周りを浸す。利家は正国を慰めようとする。
「よほど慕っておったのじゃのぉ・・・。さぞお辛かろう。」
利家が同情する一方、正国の悲哀の情に憤りが混じり始める。だがそれが何に対する怒りなのか、正国にも分からない。
「妻子が殺され、勝豊殿までお亡くなりになられては、もはやっ・・・、もはやわしの生き甲斐はございませぬ。」
「何とぉ、妻子も亡くされておったかぁ・・・。」
「はっ、はいっ。わっ、わしが寝返ったからでございまする。堂木山の砦から飛び出す折に、家臣に妻子を長浜から越前まで連れ出すよう申し付けたのですが、運悪く途中で隼人正殿の御家来に捕まったそうで、即刻処せられたと・・・。」
正国の涙は止まらない。今蹲る一人の将に対して、利家は心中で同情を寄せるものの、必死に表情には顕さないでいる。そして利家は心を鬼にして、人生の中で最も弱り果てている正国に核心を尋ねる。
「将監殿ぉっ、これはわしの見当違いかも知れんがぁ・・・、もしかして其方ぁ、最初から藤吉郎を裏切るふりをしていたのではないかぁ・・・。」
正国はただただ泣き続け、利家に返そうとしない。しかしその肩の震えが利家の予想を確信させる。利家は正国が悲しみに暮れる刻を付き合う。しばらくして正国が少しずつ冷静さを取り戻すようになってくると、正国が小声で応える。
「おっ、お察しの通り、わしは寝返りのふりをして親父様や玄蕃允様に取り入り、嘘の報せを耳に入れる画策をするよう、筑前様直々に命ぜられておりました。このことは隼人正殿以外の方々は知っておられたのですが、日頃から横柄な態度を取られる隼人正殿のお耳には敢えて入れず、隼人正殿の傍若ぶりにわしが耐え忍んどると知れば、玄蕃允様が寝返りを持ちかけてくるであろうという筑前様の算段でありました。ですが思った以上に隼人正殿のわしへの恨みは強く、真のことを知らされる前にわしを討ち取る行動に出られたのでございます。」
「たとい捕まったとしても他の将たちが其方を庇ったであろうに、何故陣から離れねばならなかったのかぁ。」
「筑前様は此度の謀にえらく自信を持っておられました。それを裏切ってしまったとなると、妻子の命は危うく、勝豊様もお咎めを受けると考えましてぇ・・・。」
利家は呆れる。
「何と愚かなぁ・・・。」
正国は再び両拳を両膝に押し付けながら泣き始める。利家が説く。
「藤吉郎は其方の失態如きで家族を殺めるような奴ではないっ。現に今彼奴が戦っておるのは自分の家族のためじゃぁ。其方と同じ境遇なのじゃぁ。」
「さっ、然様なことぉっ、わっ、わしには知る由もございませぬぅっ・・・。そもそもっ、斯様な策謀はわしには無理なのでございまするぅっ・・・。」
思わず正国は人目を気にするのを忘れて、その場で叫んでしまう。泣き崩れる正国を見下ろし、利家が断じる。
「見極められんかったが其方の運命じゃ。それを背負って生き続けるしかござらんっ。」
『生き続ける』という利家の言葉に、正国は耳を疑う。
「えっ、こっ、このことを親父様や玄蕃允様にお告げにならないのですかぁ。妻子も主人も失ったわしにはこれ以上生きる望みはありませぬっ。いっそのこと親父様にことの全てを明かしてぇ、わしを処してくださいませぇっ。」
正国の訴えは闇夜に響くが、利家以外にそれを聞くものはいない。溜息をついた利家はその場に屈み込み、正国と同じ視線になって打ち明ける。
「将監殿ぉっ、其方も藤吉郎も親父を見くびり過ぎじゃぁ。ちっぽけな山を取ったり取られたりしたところで親父には屁でもないわぃ。親父を揺さぶるつもりだったんじゃろうが、百戦錬磨の老将がこの程度でぐらつくことはねぇ。親父を負かすにはもっと大きな仕掛けが必要じゃ。そしてそれを既にわしは仕組んでおる。其方には悪いが、これ以上下手打ってもらわれては困るのでなっ・・・、其方の岩崎山にわしらを誘き出す目論見は潰させてもろうたぁ。あとどれくらい其方が生きるのか知らんが、この上は玄蕃允殿に縋りついて後の半生を生き延びることを考えよっ。そしてこれから親父の身に何が起きるのか、ただただ見ておくが良いっ。」
含みのある利家の厳しい言葉を正国は理解できない。このときはただただ自分が死ねない無念さに歯痒さを感じるだけである。しばらくして利家は黙って立ち去るが、正国は結局一刻ほど立ち上がれずにいた。
・・・そして出陣した今、ろくに眠れなかった正国は、朦朧とした利家の言葉を思い起こす。
(又左殿は筑前様に御味方するつもりじゃぁ。昨晩の口ぶりではもうすでに仕掛けが出来上がっておるようじゃったがぁ・・・。まさかこの策・・・、いやっ、どうやってぇ。)
正国の脳裏には軍議に使われた絵地図が拡げられるが、正国には皆目分からない。
小雨の中、行市山から佐久間盛政・柴田勝政の軍勢一万が出撃する。軍勢は集福寺坂で二手に分かれ、一隊はそのまま山道を南下し、もう一隊は西へ回り塩津・祝山を通って共に権現坂で合流する予定である。山路正国とその家臣たちは盛政の軍勢に混じり、闇夜の中で武具の軋む音を雨音に隠しながら進軍する。道中、馬上で正国は昨日の軍議の後の前田利家との会話を何度も何度も思い出している・・・。
「将監殿っ、こっちじゃぁ。」
二人は南に伸びる北国街道を見下ろす山腹に立つ。正国は利家以上に周囲の人影の有無を用心し、その視線は右に左にと忙しい。正国は利家に疑念を抱かれているかもと疑い、右手を刀の鍔にかけるかどうかを悩んでいる。しかし利家は堂々としており、命のやり取りを始めようとする気配はない。そして利家が唐突に訪ねる。
「其方ぁっ、先日勝豊殿が京で亡くなられたのをご存知かぁ。」
正国は驚愕する。
「えっ、今何と申されましたかっ。」
「やはりご存知なかったかぁ。二日ほど前、わしの元へ京の知り合いから報せが参ってのぉ。そのとき其方が勝豊殿の家老であったことを思い出したのだが、玄蕃允殿の元までこの報せが届いておったか気になっておってのぉ・・・。」
正国は絶望して、その場に両膝をついてしまう。
「そっ、そんなぁっ・・・、勝豊様がぁっ・・・。」
正国は俯き、しばらく澱んだ空気が周りを浸す。利家は正国を慰めようとする。
「よほど慕っておったのじゃのぉ・・・。さぞお辛かろう。」
利家が同情する一方、正国の悲哀の情に憤りが混じり始める。だがそれが何に対する怒りなのか、正国にも分からない。
「妻子が殺され、勝豊殿までお亡くなりになられては、もはやっ・・・、もはやわしの生き甲斐はございませぬ。」
「何とぉ、妻子も亡くされておったかぁ・・・。」
「はっ、はいっ。わっ、わしが寝返ったからでございまする。堂木山の砦から飛び出す折に、家臣に妻子を長浜から越前まで連れ出すよう申し付けたのですが、運悪く途中で隼人正殿の御家来に捕まったそうで、即刻処せられたと・・・。」
正国の涙は止まらない。今蹲る一人の将に対して、利家は心中で同情を寄せるものの、必死に表情には顕さないでいる。そして利家は心を鬼にして、人生の中で最も弱り果てている正国に核心を尋ねる。
「将監殿ぉっ、これはわしの見当違いかも知れんがぁ・・・、もしかして其方ぁ、最初から藤吉郎を裏切るふりをしていたのではないかぁ・・・。」
正国はただただ泣き続け、利家に返そうとしない。しかしその肩の震えが利家の予想を確信させる。利家は正国が悲しみに暮れる刻を付き合う。しばらくして正国が少しずつ冷静さを取り戻すようになってくると、正国が小声で応える。
「おっ、お察しの通り、わしは寝返りのふりをして親父様や玄蕃允様に取り入り、嘘の報せを耳に入れる画策をするよう、筑前様直々に命ぜられておりました。このことは隼人正殿以外の方々は知っておられたのですが、日頃から横柄な態度を取られる隼人正殿のお耳には敢えて入れず、隼人正殿の傍若ぶりにわしが耐え忍んどると知れば、玄蕃允様が寝返りを持ちかけてくるであろうという筑前様の算段でありました。ですが思った以上に隼人正殿のわしへの恨みは強く、真のことを知らされる前にわしを討ち取る行動に出られたのでございます。」
「たとい捕まったとしても他の将たちが其方を庇ったであろうに、何故陣から離れねばならなかったのかぁ。」
「筑前様は此度の謀にえらく自信を持っておられました。それを裏切ってしまったとなると、妻子の命は危うく、勝豊様もお咎めを受けると考えましてぇ・・・。」
利家は呆れる。
「何と愚かなぁ・・・。」
正国は再び両拳を両膝に押し付けながら泣き始める。利家が説く。
「藤吉郎は其方の失態如きで家族を殺めるような奴ではないっ。現に今彼奴が戦っておるのは自分の家族のためじゃぁ。其方と同じ境遇なのじゃぁ。」
「さっ、然様なことぉっ、わっ、わしには知る由もございませぬぅっ・・・。そもそもっ、斯様な策謀はわしには無理なのでございまするぅっ・・・。」
思わず正国は人目を気にするのを忘れて、その場で叫んでしまう。泣き崩れる正国を見下ろし、利家が断じる。
「見極められんかったが其方の運命じゃ。それを背負って生き続けるしかござらんっ。」
『生き続ける』という利家の言葉に、正国は耳を疑う。
「えっ、こっ、このことを親父様や玄蕃允様にお告げにならないのですかぁ。妻子も主人も失ったわしにはこれ以上生きる望みはありませぬっ。いっそのこと親父様にことの全てを明かしてぇ、わしを処してくださいませぇっ。」
正国の訴えは闇夜に響くが、利家以外にそれを聞くものはいない。溜息をついた利家はその場に屈み込み、正国と同じ視線になって打ち明ける。
「将監殿ぉっ、其方も藤吉郎も親父を見くびり過ぎじゃぁ。ちっぽけな山を取ったり取られたりしたところで親父には屁でもないわぃ。親父を揺さぶるつもりだったんじゃろうが、百戦錬磨の老将がこの程度でぐらつくことはねぇ。親父を負かすにはもっと大きな仕掛けが必要じゃ。そしてそれを既にわしは仕組んでおる。其方には悪いが、これ以上下手打ってもらわれては困るのでなっ・・・、其方の岩崎山にわしらを誘き出す目論見は潰させてもろうたぁ。あとどれくらい其方が生きるのか知らんが、この上は玄蕃允殿に縋りついて後の半生を生き延びることを考えよっ。そしてこれから親父の身に何が起きるのか、ただただ見ておくが良いっ。」
含みのある利家の厳しい言葉を正国は理解できない。このときはただただ自分が死ねない無念さに歯痒さを感じるだけである。しばらくして利家は黙って立ち去るが、正国は結局一刻ほど立ち上がれずにいた。
・・・そして出陣した今、ろくに眠れなかった正国は、朦朧とした利家の言葉を思い起こす。
(又左殿は筑前様に御味方するつもりじゃぁ。昨晩の口ぶりではもうすでに仕掛けが出来上がっておるようじゃったがぁ・・・。まさかこの策・・・、いやっ、どうやってぇ。)
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