生残の秀吉

Dr. CUTE

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駆引

百五十二.豪快の瀬兵衛

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天正十一年四月二十日 卯の刻

大岩山おおいわやまの夜が明けようとする頃、雨はすっかりんでいた。とりでには先日まで中川瀬兵衛清秀なかがわせひょうえきよひでの兵三千が駐留していたが、例の山路正国やまじまさくにの策謀が木村重茲きむらしげこれによって頓挫とんざしてしまったので、清秀きよひではしばらくいくさはないと判断して、大半を摂津せっつに帰国させ、残り五百の兵でとりでの守護に努めていた。年老としおいたせいか清秀きよひでの朝は早い。いつものように小袖のまま左手に太刀たちを持ち、清秀きよひで寝所しんじょの板戸をがががと開ける。

(おやっ・・・。)

いつもならそばの間に侍医じい玄哲げんてつがいて、清秀きよひでの痛風の薬を調合しているはずであった。若い頃から清秀きよひでいくさおりには必ずついて回る小柄な男で、戦場いくさばでの朝は清々すがすがしい笑顔で挨拶あいさつする清秀きよひでのお気に入りである。

(確かぁ、薬草が切れかけておると云っておったから、この辺りで探しに行っとるのかのぉ。丁度ちょうど雨も止んだことじゃしなぁ・・・。)

清秀きよひでかわやに向かおうと数歩進むと、何やら騒がしい音がする。すると前方の扉ががたと開き、負傷した小兵こひょうに肩を貸す玄哲げんてつが現れる。

玄哲げんてつぅっ、如何いかがしたぁ・・・。」

「あぁっ、瀬兵衛様せひょうえさまぁっ、この者が瀬兵衛様せひょうえさまわせよと云ってぇ・・・。」

倒れ込む二人の元へ清秀きよひでが駆け寄る。小兵こひょうの背中には三本の矢が刺さっており、うち一本からは大量の血が噴き出している。玄哲げんてつは一人起き上がり、薬箱くすりばこまで走って行く。

「せっ、瀬兵衛様せひょうえさまぁっ、修理進様しゅりのしんさまとりでがぁ、敵に襲われてございまするぅっ・・・。」

「何ぃっ、賤ヶ岳しずがたけに敵が現れたとでもいうのかぁっ・・・。」

「はっ、はいぃっ、助けを求めよと修理進様しゅりのしんさまに申し付けられたのですがぁっ、道中っ、ぐっ・・・、てっ、敵はこちらにも兵を進めておりまするぅっ。」

「いっ、一体どうなっとるんじゃぁ・・・。」

すると玄哲げんてつが同僚を連れてきて、小兵こひょうそばの間へ連れ出そうとする。

瀬兵衛様せひょうえさまぁっ、ここはわれらに任せてぇ・・・、行ってくだされぇ・・・。」

「おぉっ、頼むぞぃ・・・。」

清秀きよひでは駆け足で陣所をはしからはしまで駆け抜け、庭に飛び出す。そこへ清秀きよひでの弟・淵之助ふちのすけが城門の方から駆け込んでくる。

兄者あにじゃぁっ、敵襲じゃぁっ、三千の兵が西から寄せてきおるぅっ・・・。」

「西からぁっ・・・、まさかぁっ。」

余呉湖よごこを向く城門を出て、清秀きよひでみずから敵の陣形を確かめようとする。辺りはわずかに明るくなってきている。清秀きよひでが城門から山のふもとを見下ろすと、そこにはおびただしい数ののぼりひしめきあっている。思わず背筋を振るわす清秀きよひでが眼をらす。

(あぁれぇはぁ、鬼玄蕃おにげんばかぁっ・・・、やはり大人おとなしゅうでけんかったかぁ・・・。)

なぜか清秀きよひではにやつく。そして少し視線を南にずらずと、賤ヶ岳しずがたけふもと飯浦坂いいうらざかあたりにも柴田しばた勢ののぼりがはためいているのに気付く。

(夜半に余呉よごうみの西を大勢おおぜい連れてきたというわけかぁ・・・。ご苦労なこってぇっ。)

清秀きよひではさらに北の方角を見て驚く。

鬼玄蕃おにげんばはどれだけぎょうさん連れてきたんじゃぁ。岩崎山いわさきやまにも大勢おおぜい向かっとるでねぇかぁ・・・。こりゃぁ右近殿うこんどのの助けも期待でけんのぉ・・・。)

淵之助ふちのすけが追いつく。

兄者あにじゃぁっ、一体どうなっとるんじゃぁ。」

「どうもこうもねぇ。敵が攻めてきたっということじゃ。てっきり北から攻めてくると思うておったが、まさか西からとはのぉ・・・。流石さすがに山道を使ったいくさが得意の修理之亮殿しゅりのすけどのよぉっ、恐れ入ったわぃ・・・。」

「感心しとる場合じゃねぇじゃろがぃ・・・。こっちは五百しか兵がおらんぞぃ。どうするんじゃぁっ・・・。」

「ふんっ、五百かぁ・・・。もう少し兵を残しときゃぁよかったのぉ・・・。敵はざっと見積もって総勢一万ってところじゃぁ。こりゃぁ勝ち目はねぇわぃ。」

清秀きよひでは考える。

(ここは落とされても、賤ヶ岳しずがたけとりでだけは落とされてはならんっ。あそこを落とされては飯浦いいうらの港を良いように使われてしまう。それだけは避けねばぁ・・・。)

淵之助ふちのすけの眼は、清秀きよひでに決断を迫っている。

「よしっ、小一郎殿こいちろうどのに伝令を出せっ。『敵は西から攻め入るっ。何としても賤ヶ岳しずがたけとりでを死守せよ。わしはここで敵の中腹を襲い、分断をはかるぅっ。』となっ。裏門から行かせよっ。急げぇっ・・・。」

しかし淵之助ふちのすけは動かず、妙に落ち着き始める。

兄者あにじゃぁっ・・・、死ぬ覚悟じゃなぁ・・・。わしも付き合うぞぃっ。」

兄弟は見つめ合い、ゆっくりと笑い出す。清秀きよひで余呉湖よごこの方角を指差す。

淵之助ふちのすけぇっ、あの辺りに玄蕃允げんばのじょうがおるっ。わしには分かるわぃ・・・。あそこを目掛けて最期さいごの大暴れをして参ろうではないかぁっ・・・。ははははぁっ・・・。ようやっとおもしろくなってきたわぃ・・・。ははははぁっ・・・。」

清秀きよふで黒糸威くろいとおどしよろいを装着し、三百の兵を引き連れて山を駆け降りる。既に辺りは明るく、雲間から差し込む陽の光が清秀きよひでかぶとを照らす。鬼の形相ぎょうそう清秀きよひで大太刀おおたちを振り回しながら敵を次々とたおし、盛政もりまさの陣へ迫る。対する盛政もりまさは次々と新手あらての隊を襲い掛からせ、清秀きよひでの勢いを止めにかかる。流石さすが清秀きよひでも多勢にかなわず、一旦とりでに引き下がるが、体勢を整え直すと、再び盛政もりまさの陣に向かって山を駆け下る。如何いかにも豪快な清秀きよひでは疲れを知らず、ただただ敵兵をたおし続け、とうとう湖畔まで盛政もりまさを追い詰める。いよいよ・・・とそのとき、大岩山おおいわやまとりでから轟音と共に煙が上がる。横手から攻め入った盛政もりまさ別働隊べつどうたいとりでに火をかけたことを、敵も味方も瞬時に理解する。盛政もりまさ勢の士気は俄然がぜん盛り上がり、失墜の清秀きよひでの兵たちを押し返し始める。『これまでっ。』と覚悟した清秀きよひでらはわずかに生き残った兵とともにとりでに引き返す。一気に押しかける盛政もりまさ勢に対して、淵之助ふちのすけが閉じた城門の前で迎え撃ち、やがて倒れる。その間に清秀きよひでは炎の陣所へ飛び込み、世からその姿を消す。

中川瀬兵衛清秀なかがわせひょうえきよひで討死うちじに

それから陽が沈む頃になっても、大岩山おおいわやまからは延々と太い黒煙柱こくえんばしらが立ち昇っている。その方角に向かって、南へ逃げ延びたすすだらけの玄哲げんてつが、涙の混じる念仏を一人となつづける。
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