生残の秀吉

Dr. CUTE

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齟齬

百七十二.降参の一益

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天正十一年六月二十三日 巳の刻

多度山たどやまふもとに設けられた臨時の陣所に滝川一益たきがわかずますおい益重ますしげ、養子の忠征ただゆきの三人が入る。縄で縛られるようなことはされていないが、やつれて無精髭面ぶしょうひげづらの三人は脇差を取り上げられ、十名ほどの小兵こひょうが見張る中、陣中央のむしろの上に座す。その正面にはいくつかの床几しょうぎが並べられており、その一つには蒲生氏郷がもううじさとが既に座している。すぐにも雨が降りそうな様子のくもぞらを震わすように、一益かずますが大声で悪態あくたいく。

「何じゃぁっ、筑前ちくぜんは姿を見せんのかぁ・・・。」

氏郷うじさとは冷静である。

筑前様ちくぜんさまみやこにて多忙に明け暮れておりまする。此度こたび勝入殿しょうにゅうどの筑前様ちくぜんさま名代みょうだいとしてお越しになり、城の明け渡しを見届けることになっておりまする。」

「ふんっ、筑前ちくぜんも偉なったのぉ・・・。近頃じゃぁ、みやこ御所ごしょにも出入りしているそうではないかぁ。おまけに勝入殿しょうにゅうどの使つかばしりをさせるとはぁ・・・、いやはや世も変わったのぉ・・・。」

「口にお気を付けなされっ、一益殿かずますどの筑前様ちくぜんさまには多大なお情けをかけていただいておられることをお忘れになられますなぁ。」

「分かっておるぅ・・・。それにしても忠三郎殿ちゅうざぶろうどのぉっ。其方そなたも立派になられたのぉ。いつぞやの青さは微塵みじんもなくなって、此度こたびもよい働きぶりじゃぁっ・・・。」

一益かずます嫌味いやみの豪語が一変して、いきなり笑顔で自分をおだはじめるので、氏郷うじさとは驚きと照れ臭さであわててしまう。

「んっ、あっ、いやっ、一益殿かずますどのにそうおっしゃられるは光栄でござるがぁ・・・、わっ、わしをおだてても何もしてやれませんぞぉ・・・。」

「はぁっ、はっ、はぁ。照れることはござらん。まことのことを申したまでであるしぃ、何らの見返りを期待しとるわけでもござらんっ。」

「はぁぁっ・・・。」

そもそも一益かずますは若者の成長ぶりをめるのが好きな性分しょうぶんである。とりわけ氏郷うじさとは家柄が良い上、幼い頃から信長のぶながに大層可愛かわいがられていたことを一益かずますは知っているので、此度こたび氏郷うじさとの活躍ぶりは、敵とはいえ、いつかめてやりたい思いがその心中にあった。そしてそのことについては、益重ますしげも何か伝えたかった風である。

忠三郎殿ちゅうざぶろうどのには亀山かめやまの城を手際てぎわよく攻め落とした上、みねの城にても果敢かかんにわれらと闘われ申したぁ。敵ながらお見事でございましたぞぉ。」

「いやいやっ、儀太夫殿ぎだゆうどのこそっ、あれだけの兵の数の差がありながらも見事な采配さいはいでございましたぁ。儀太夫殿ぎだゆうどの御武勇ごぶゆう筑前様ちくぜんさまにはお伝えさせていただき申した。良きお取計とりはからいとなればと思っておりまする。」

忠三郎殿ちゅうざぶろうどのにそう云っていただけるとはぁ・・・。かたじけのうござるっ・・・。」

益重ますしげ氏郷うじさとに向かって一礼するその光景は、ついこの間まで刀をまじえていたとは思えないほどなごやかである。闘った者同士しか分からない尊厳の雰囲気がそこにはただよう。しかしそこへ信雄のぶかつが、続いて雄利かつとしが陣中に入ってきた途端とたんに、氷の緊張感が走る。氏郷うじさとがさっと立ち上がって信雄のぶかつむかれる。

「ようお越し下されましたぁ、信雄様のぶかつさまぁっ。」

「うむっ、筑前ちくぜんぬと訊いたがぁ・・・。」

「はいっ、御所ごしょから抜け出せないとおっしゃっておられましてぇ・・・。本日は名代みょうだいとして池田勝入殿いけだしょうにゅうどのがお見えになりまする。」

「そうかっ・・・。」

今日は口数少ない信雄のぶかつはちらと一益かずますらに眼を向ける。滝川たきがわの三人は既に平伏ひれふしたままである。静かに床几しょうぎに座した信雄のぶかつ氏郷うじさとことわりを入れる。

勝三郎かつさぶろうが来る前に、少し良いか・・・。」

何のことだか分からない氏郷うじさとであるが、ことわる理由もないのでただただうなずく。

一益かずますぅっ、・・・。」

「ははぁっ・・・。」

具親ともちか何処どこじゃぁ・・・。」

唐突な信雄のぶかつの尋問には、滝川たきがわの三人も、雄利かつとしもその心臓を矢でつらぬかれる感覚を覚える。氏郷うじさとに至っては、もはや口を開くことさえできなくなる。一益かずますあわてて返す。

「きっ、北畠きたばたけ居場所いばしょにございますかぁ・・・。われらこれまでわれらがいくさに専念しておりましたので、北畠きたばたけ行方ゆくえにまで眼が行き届いておりませぬぅ。」

「ならば誰が知っておるぅっ・・・。筑前ちくぜんかぁっ・・・。」

一益かずますは『筑前ちくぜん』という言葉の意味を必死に頭の中で読み取ろうとする。雄利かつとしの方にちらと眼を配るが、った雄利かつとしも首を静かに横に振り、一益かずますは混乱する一方である。

「さっ、さてぇっ・・・、何のことやらぁ・・・。」

其方そなた具親ともちか伊賀いがひそんでおるのをうそうわさと見抜き、そのうわさ筑前ちくぜんが流したと見破ったのであろう。違うかぁっ・・・。」

核心である。かっと眼を開く一益かずますは思わず頭を上げるが、信雄のぶかつかえしは用意できない。

「だっ、誰からそれを・・・。」

「誰でも良いっ。いずれにせよそれがまことであるならば、わが宿敵、北畠具親きたばたけともちか筑前ちくぜんつるんでおるかもしれんということになるっ。いつわりであるならば、其方そなた具親ともちか伊勢いせに引き込んだ疑いが浮き上がってくるが、其方そなたは天に誓って知らんと申すのじゃなぁ・・・。」

一益かずます平伏ひれふすしかない。

信雄様のぶかつさま北畠きたばたけにくしを知るわたくしめが、然様さようなことを隠れて動くなぞとはぁ・・・。」

「分かった。」

信雄のぶかつは眼を座らせたまま、腕組みをして何か考え込む。氏郷うじさとも、三人の降参者こうさんしゃも、雄利かつとしさえも固まったほほゆるめることはできず、声を発することを忘れてしまう。そして信雄のぶかつの態度に、一同は初めて恐怖を感じる。そこへ陣幕をどさとげながら恒興つねおきが入ってくる。

「よぉっ、待たせたのぉ・・・。筑前ちくぜん言伝ことづてさずかってきたぞぃ・・・。」

しかし陣中の空気は重たいままで、それを察した恒興つねおきは戸惑う。

(えっ、なっ、何かあったんかぁ・・・。)
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