生残の秀吉

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齟齬

百七十一.出立の恒興

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天正十一年六月十一日 未の刻

秀吉ひでよし山崎やまざき宝積寺ほうしゃくじの仏堂にいる。この辺りには勝家かついえとのいくさに備えた堅牢けんろうな城郭を築いたのだが、もはや勝家かついえが亡くなった現在いまとあっては、無用の要塞ようさいとなった。秀吉ひでよしはここの城をこわし、残った木材・石材などを大坂おおさか伏見ふしみへ送る算段を検討している。図面をけわしくにら秀吉ひでよしの元へ、岐阜ぎふ入りの途中で立ち寄った恒興つねおき父子おやこが訪れる。

筑前ちくぜんっ、一人かぁっ・・・。宗易殿そうえきどのは一緒でねぇんかぇ。」

「おぉっ、勝三郎かつさぶろうっ・・・、元助殿もとすけどのも一緒かぁ・・・。今、宗易殿そうえきどの数寄屋すきやに戻っちょって、わしを一人にさせてくれちょるわぃっ。」

覇気はきのない秀吉ひでよしの対面に恒興つねおきが座し、続いてその左斜め後方に元助もとすけが座す。

「何じゃぃ、活気がねぇのぉ・・・。わしらがこれから岐阜ぎふへ入ろうというにぃ、ようはげんでこいの一言ひとこともねぇんかぃっ。」

「あぁっ、そぉじゃったのぉ・・・。」

恒興つねおきない秀吉ひでよしかえしあきれる。

「つれないのぉ・・・。其方そなたぁっ、結局婿殿むこどのとゆうの祝言しゅうげんにも現れんとぉ、こないなところで仕事にふけとったんかぁ。めでたいときくらい、羽を伸ばせばえぇじゃろにぃ・・・。のおぉっ、せがれやぁ・・・。」

「めでてぇのはおめぇらだけじゃろがぃ。わしはせわしいんじゃぁ。」

「そんなこと云うてぇ・・・、あの数多あまた進物しんもつは何じゃぁ・・・。あないにぎょうさん贈ってくると分かっとったら、もっと屋敷を広くしとったわぃ。」

調子付ちょうしづく父に引けをとらまいと、元助もとすけが口をはさむ。

「まぁまぁ父上ちちうえっ、あれを見れば筑前様ちくぜんさま孫七郎殿まごしちろうどのを大層可愛かわいがられておるのが、孫七郎殿まごしちろうどのにもよぉぉく伝わっておったではございませぬかぁ。それに何より・・・。」

「おぉっ、あれは驚いたぞぃ・・・。婿殿むこどのらの新居にと、いつの間にか兵庫ひょうごの城ん中をあんな豪勢に改装しとったなんてぇっ・・・。わしらにも黙っとったとはぁ。」

「んっ・・・、あぁっ、ありゃぁ、小一郎こいちろう妙案みょうあんじゃぁ。おめぇらも驚かせちゃろぉっちゅうてひそかに進めちょったが、人夫にんぷらを黙らせるんに結構銭使ぉたんじゃぞぃ。」

「いやぁ筑前様ちくぜんさまっ、それは効き目ありましたぞぉ。ゆうなんぞは城に入った途端とたんに泣き出し申してぇ・・・、じかに礼を述べたいと云っておりましたからなぁ。」

「ゆう殿どのに喜んでもらえりゃぁ、こっちゃも嬉しいわぃ。」

ようやく秀吉ひでよしとぼがおが笑顔に変わる。

「まぁったくぅっ、格好かっこうけやがってぇっ・・・。おね殿どの・なか殿どのと一緒に祝ってあげりゃぁえぇもんを・・・。もぉ奥方にくさがるとしじゃあるめぃ・・・。」

「かっ、格好かっこうけたわけじゃねぇ・・・。ほんまに忙しかったんじゃぁ。」

照れる秀吉ひでよしの言い訳ぶりを恒興つねおき揶揄からかいたくて仕方がない。

「まぁっ、そういうことにしちゃろう。さてぇっ、わしらもゆうがとつぐんを見届けたから、心置きなく岐阜ぎふへ参るとするかのぉ・・・。」

秀吉ひでよしおもむろに話をらす。

「おぉっ、そぉじゃ、そぉじゃぁ、勝三郎かつさぶろうっ、忘れちょったわぃ。すまんが岐阜ぎふに入ったら早速伊勢いせへ向かう支度したくを始めてくれんかのぉ・・・。」

伊勢いせ』と訊いて、恒興つねおき父子おやこの目元がきりと立つ。

伊勢いせぇ・・・。そんじゃぁ、いよいよかぁ・・・。」

「あぁっ、なかなか一益かずますがわしらの条件をあやしんでもうとせなんだがぁ、雄利殿かつとしどのがあちこち駆け回って、行方ゆくえの分からなんだおい儀太夫ぎだゆうを探し出してのぉ・・・。それから儀太夫ぎだゆう一益かずますの元へ送り届けてからは話があれよあれよと進みおったわぃ。まもなく一益かずますは城を明け渡すぅっ・・・。」

一益殿かずますどの信雄様のぶかつさまくだるのを見届けよというんじゃな・・・。承知したっ。ところで一益殿かずますどの身柄みがらはどうするんじゃ。」

一益かずますみやこへ送ってくんろっ。大殿おおとのの墓前で頭をらせようと思ぉちょる。」

恒興つねおきは腕を組み、大きくうなずく。

「なるほどぉっ、そりゃぁえぇかもなぁ。其方そなたあらがうだけあらごうてぇ、そん後で大殿おおとの御墓おはかたりにすりゃぁ、一益殿かずますどのも少しは心落ち着くじゃろぉ。これを機に一益殿かずますどの大人おとなしくなってくれりゃぁえぇんじゃがのぉ。」

滝川党たきがわとうはまだまだ働けるからのぉ・・・。万が一、上杉うえすぎ北条ほうじょう対峙たいじするこつになっちゃら、一益かずますには存分に動いてもらわにゃならんっ。」

秀吉ひでよしふところの深さと先見せんけんめいに感心する一方で、恒興つねおきは思わず感嘆の言葉を口にする。

其方そなたの思惑通りになったのぉ。一益殿かずますどのだけでなく、この世の全てが・・・。」

「『思惑通り』じゃなんてぇっ・・・、まさかこないな風になるとは夢にも思わなんだわぃ。勝三郎かつさぶろうっ、覚えちょるかぁ・・・。一年前、わしらはこっからぁ、仇討あだうちを果たしたんじゃぞぉっ。あれからあっという間に一年じゃぞぃっ。」

恒興つねおきは感慨深く、寺内をゆっくり右から左へと見回す。そして寺の門を指差しながら、懐かしいあの頃を思い出す。

「そうじゃのぉ・・・。考えてみりゃぁ、一年前のわしは、まさにすぐそこんとこであせ信孝様のぶたかさまなだめとったのぉ・・・。いやぁっ、今思い返せば何だか笑うてまうわぃ・・・。その信孝様のぶたかさまらんのじゃなぁっ・・・、妙な気分じゃのぉ。」

「そんでこん城も用済ようずみじゃぁ。寺は残すがぁ、かつてのいくささまは今日が見納みおさめになるわぃ・・・。」

若い元助もとすけだが、この一年をぱしってきた二人をそばで見てきたがゆえに、何か親孝行みたいなものをしたくなる。

筑前様ちくぜんさまっ、父上ちちうえっ、どうです。今宵こよいはこの寺で飲み明かすというのはぁ・・・。岐阜ぎふ入りを急ぐ理由もございませんし、この辺りの宿営なら、家臣たちもこの一年を振り返り、おもひたった酒を味わえましょう・・・。早速、支度したくを始めるよう申し付けて参りまする。」

「気がくのぉ・・・。せがれも年寄りをいたわわるようになったかぁ・・・。まぁっ、そう云うてくれるんなら、御言葉おことばに甘えるとするかのぉっ。なぁっ、筑前ちくぜんっ・・・。」

結局、恒興つねおき父子おやこの調子に乗ってしまう秀吉ひでよしである。

(勝手に居座いすわるこつにしやがってぇ・・・、わしはほんまにせわしいんじゃがのぉ・・・。)
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