生残の秀吉

Dr. CUTE

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齟齬

百七十.弁護の幽斎

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天正十一年六月一日 申の刻

明日の信長のぶなが一周忌いっしゅうき法要ほうようひかえ、みやこ大徳寺だいとくじに入った秀吉ひでよしは、たくさんの供物そなえものを寺に運び込ませる。その間の秀吉ひでよしは、何するわけでもなく、ただただ客間から商人あきんどたちが出入りする様子を眺めている。半刻ほどった頃、呆然ぼうぜんとする秀吉ひでよしの元へ細川幽斎ほそかわゆうさいが訪れる。

筑前様ちくぜんさまっ、お呼びと伺いましたぁ。」

「おぉっ、これはこれは幽斎殿ゆうさいどのぉっ、待っておったぞぃ。」

幽斎ゆうさい秀吉ひでよしの対面に座す。

大殿おおとのが亡くなられて、まだ一年なのでございますなぁ。あれはもっと昔のことであったように思われてなりませぬ・・・。」

「この一年はせわしなかったからのぉ・・・。仇討あだうち清洲きよす評定ひょうじょう権六ごんろくとのいくさ・・・、目紛めまぐるしい一年じゃったわぃ。これからは少し楽になるじゃろぉてぇ・・・。」

二人の脳裏のうりに、この一年の出来事がそれぞれ描かれる。秀吉ひでよしにとっては『激動』、幽斎ゆうさいにとっては『忍耐』の一年だったかも知れない。

「そうなるとよろしゅうございますなぁ・・・。ところで筑前様ちくぜんさま京入みやこいりされて、早速わたくしめをお呼びつけくださるとはっ・・・。この年寄りが少しでもお役に立てると知り、大変光栄にぞんたてまつりまする。」

「いやぁ、わしとしては明日の法要が終わるまでは、大殿おおとのしのぶにひたり、全く仕事はする気はなかったんじゃがぁ・・・、こんだけははよかえしを出さなあかんかもと思ぉて、幽斎殿ゆうさいどのを呼んだんじゃぁ。すまんが、ちぃと相談に乗ってくれんかのぉ。」

「さてぇ、一体どのような御用件ごようけんでございましょう。」

秀吉ひでよしかたわら文箱ふばこから一つの書状を取り出す。秀吉ひでよしは書状をひろげ、手前に置くと、大きな溜息ためいきを一つく。

「実はぁっ・・・、三河みかわ徳川殿とくがわどのから書状が届いてのぉ。」

三河様みかわさま・・・。」

幽斎殿ゆうさいどの近衛前関白様このえのさきのかんぱくさま御存知ごぞんじじゃろぉ・・・。」

「もちろんでございまする。大殿おおとの、いやっ、公方様くぼうさまにおつかえ致す前から存じてあげておりまする。五摂家ごせっけの長の名に恥じず、歌人としても書家としても才溢さいあふれた御人ごじんにあらせられまする。確か今は剃髪ていはつなされて、『龍山りゅうざん』と名乗られておられるはず・・・。」

「やはりよぉ御存知ごぞんじじゃのぉ。その龍山様りゅうざんさまが今は三河みかわにおられるそうじゃ。」

「なるほどぉ・・・。確か『徳川とくがわ』の姓を系譜けいふから見つけ出したのは龍山様りゅうざんさまとか・・・。その縁もあり、三河みかわかくまわれておられたのでしょう。で、三河様みかわさまは何とおおせでぇ・・・。」

龍山様りゅうざんさまを捕らえて差し出せっちゅう御触おふれを取り消して、難なくみやこに戻れるように取り計らってほしいとのことじゃぁ。」

「その『御触おふれ』というのは、龍山様りゅうざんさま十兵衛殿じゅうべえどのそそのかして大殿おおとのを討たせた疑いがある・・・というやつですかぁ。」

徳川殿とくがわどのはこん書状で長々と龍山様りゅうざんさまの無実を訴えちょる。そもそも龍山様りゅうざんさまを捕らえよっちゅうんは三七殿さんしちどのが云い出してぇ・・・、仇討あだうちで大した功を成せず、挙句あげく龍山様りゅうざんさまに逃げられたんが歯痒はがゆぅて、ついに御公家衆おくげしゅうおどして無理矢理むりやり出させたもんなんじゃぁ。ろくなあかしなぞなかったが、そぉでもせんとあんときは三七殿さんしちどのの腹立ちがおさまるさまなんぞ見当たらのぉて、みやこで暴れ兼ねんところじゃったからのぉ・・・。」

然様さようなことがございましたかぁ・・・。そうかぁっ、それで三河様みかわさまは、三七殿さんしちどの身罷みまかられたのを機に、斯様かような書状を寄越してきたのでございますな。」

「じゃろぉのぉ・・・。わしとしてはこん際、徳川殿とくがわどのに恩を売っときたいんじゃが、まこと龍山様りゅうざんさまみやこに呼び戻してえぇもんやらぁ・・・、そんこつを幽斎殿ゆうさいどのに尋ねたくてのぉ。」

幽斎ゆうさいは早くも状況をむ。そして秀吉ひでよしが望む答えを探し始める。

筑前様ちくぜんさまはどうお考えなのですか。まこと龍山様りゅうざんさま十兵衛殿じゅうべえどのそそのかしたと・・・。」

公家くげどもを混乱させんようにと、表向きは本能寺ほんのうじの一件は十兵衛じゅうべえが勝手にやらかしたこつにしちょる。じゃが三七殿さんしちどのほどではねぇが、わしとて疑いが晴れちょるわけでねぇ。もしまこと龍山様りゅうざんさま十兵衛じゅうべえを裏であやつっとったっちゅうなら、前関白様さきのかんぱくさまじゃからっちゅうて許すわけにはいかん。とはいえ、わしは龍山様りゅうざんさまをよぉ知っちょるわけでもねぇ。じゃからなやましいんじゃぁ。」

「分かりました。それではわたくしめの考えをお教えいたしましょう。」

「おぉぉっ・・・、んでっ、んでっ・・・。」

幽斎ゆうさいはほのかな笑みを浮かべながら語り始める。

龍山様りゅうざんさまは格式高い近衛家このえけの長であらせられましたが、案外と武術の身のこなしも優れ、数多あまた御武家衆おぶけしゅうとも仲良くされておられましてな・・・。大殿おおとの三河様みかわさまの他にも、越後えちご上杉うえすぎ九州きゅうしゅう大友おおとも越前えちぜん朝倉あさくらとも通じておられたようでございまする・・・。あぁっ、丹波たんば赤井あかいとも良き関係であったのは御存知ごぞんじでしたなっ・・・。その中でも、龍山様りゅうざんさまはとりわけ大殿おおとのとは馬が合ったようで、よく鷹狩たかがりを共にされておりました。」

龍山様りゅうざんさま鷹狩たかがりとぉ・・・。そりゃぁただならぬ間柄あいだがらじゃのぉ・・・。」

関白かんぱくの座を辞してからも、大殿おおとのとの親交はそれはそれは深いものでありましてぇ・・・。御二人おふたりは立場は違えど、兄弟のようであらせられました。わたくしには龍山様りゅうざんさま大殿おおとのを討つべく陰で糸を引いていたとは、到底思えませぬ。」

「わしは大殿おおとののこつなら何でも分かっちょると思ぉちょったがぁ・・・、大殿おおとの龍山様りゅうざんさま然様さよう御関係ごかんけいだったとは知らなんだわぃ。間近で見ちょった幽斎殿ゆうさいどのがそぉ申すんじゃから、間違いなかろぉ・・・。」

「はいっ・・・。わたくしめとしては、遅ればせながらではありますがぁ、今こそ筑前様ちくぜんさま龍山様りゅうざんさま御潔白ごけっぱくをお示し致すべきかと存じます。」

「うむっ、うむっ・・・。よおぉ分かったぞい。やはり幽斎殿ゆうさいどのに相談してよかったわぃ。ありがとなっ・・・。早速徳川殿とくがわどの赦免しゃめんの書状をつかわそぉっ・・・。」

「それがよろしいかと存じます。それにぃ・・・。」

「んっ、他にも何かあるんかぇ。」

龍山様りゅうざんさまみやこに戻られましたら、筑前様ちくぜんさまもお親しくなされるのが良いかと存じます。関白かんぱくを辞し、家長も御子息ごしそくに譲られておりますが、朝廷におきましてはいま龍山様りゅうざんさまの影響は強かろうと思われますので、いつの日か筑前様ちくぜんさままつりごとにお力添ちからぞえされることもあるやも知れませぬ。」

然様さように頼もしい御人ごじんかぁ・・・。まぁっ、大殿おおとのと大層意気いきが合われたというんじゃからのぉっ・・・。じゃぁ幽斎殿ゆうさいどのぉっ、龍山様りゅうざんさまみやこに戻られたら、是非ぜひ御目通おめどおりしてもらう機会をこしらえてくれやぁっ。」
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