生残の秀吉

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齟齬

百七十八.督励の秀吉

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天正十一年八月二十八日 戌の刻

この日の暮れに大坂おおさかに到着した秀吉ひでよしは、今井宗久いまいそうきゅうの宿所に泊まることにした。遅めの夕食ゆうげを召し、少し酒を入れて微酔ほろよい気分になってきたところへ、官兵衛かんべえあわただしく居間に入り込んでくる。

筑前殿ちくぜんどのぉっ・・・、一体どういうことじゃぁっ・・・。」

「騒がしいのぉ、官兵衛かんべえっ。何かあったんかぇ。」

「何をとぼけとるんじゃぁ。大坂おおさかの城の普請ふしんはわしに任せるというたではないかぁ・・・。なのにわしに何の相談もなくぅ、虎之助とらのすけ助作すけさく小豆島しょうどしまの石をりに行かせるとはどういうつもりじゃぁ。」

虎之助とらのすけ助作すけさくとは後の加藤清正かとうきよまさ片桐且元かたぎりかつもとのことである。秀吉ひでよし杉原家次すぎはらいえつぐの過労に気づいて以来、若い将たち、とりわけ賤ヶ岳しずがたけで功を挙げた若者たちを積極的に働かせるよう心掛けている。そんな秀吉ひでよしには官兵衛かんべえの苦情が大人気おとなげなく聞こえ、あきれてしまう始末である。

「何じゃぁ。そないなこつかぇ。皆で普請ふしんに励めば、はよう城がでけてえぇこつじゃねぇかぁ・・・。其方そなたも楽でけてよかろぉにぃ・・・。」

「わしらがときをかけて小豆島しょうどしまの石を選んだというにぃ・・・、これじゃぁ手柄てがらの横取りでねぇかぁ・・・。」

秀吉ひでよし溜息ためいき一つく。

「はぁぁっ・・・、虎之助とらのすけ助作すけさく其方そなたらがあそこん石を選んだんは百も承知じゃぁ。別におのれ手柄てがらにしよぉとは思ぉちょらんわぃ。彼奴あやつらがここまで石を運んできちゃら、其方そなたがあっちへ運べ、こっちへ運べと指図さしずすりゃぁえぇだけのこっちゃがなぁ・・・。」

「いっ、いやぁっ、そりゃそうなんじゃがなっ・・・。」

「まぁっ、落ち着けやぁ・・・。佐吉さきちやぁっ、官兵衛かんべえにもさかずきを頼むわぁ・・・。」

佐吉さきちが一礼して奥へ退くと、官兵衛かんべえ秀吉ひでよし対峙たいじして座す。

「じゃっ、じゃぁっ、わしは虎之助とらのすけらをこき使ってもえぇんじゃなっ・・・。」

「あぁ構わん。そんよっか、彼奴あやつらに競わせるんはどぉじゃ。でけぇ石を手早く積んだもん褒美ほうびをやるとか・・・。」

官兵衛かんべえあきれる。

筑前殿ちくぜんどの呑気のんきに楽しんどるのぉ・・・。」

「別にそぉいうわけじゃねぇがぁ、そんほうが更に城がはよぉでけるじゃろぉがぃ。」

「まぁそりゃそうじゃがぁ・・・。」

佐吉さきちが戻ってきてさかずきの乗ったぜん官兵衛かんべえの前に置き、酒をぐ。官兵衛かんべえはそれをぐいと飲み干す。佐吉さきちがもう一杯ごうとすると、官兵衛かんべえは無言の右手でさえぎる。

「それにしても随分とあわてておるようにも見受けられるがぁ・・・。」

「あぁっ、はよぉ本丸だけでも創り上げて殿との三介殿さんすけどのに入ってもらわにゃならん。」

何故なにゆえ急ぐんじゃぁ・・・。もはや敵らしい敵はおるまいっ。」

「そんがぁ・・・、どぉも三介殿さんすけどのがわしのこつをよぉ思ぉとらんらしゅうてなぁ・・・、こん城にはよぉ入ってもろぉて機嫌きげんを戻してもらわにゃならん。」

機嫌きげんそこねたことでも申したんかぇ・・・。」

秀吉ひでよしは少し間を置き、ゆっくりとさかずきを開けると、神妙な口ぶりになる。

「そないなこつは云うちょらんが、どぉもわしが北畠きたばたけかくもぉとると疑っとるらしい。そんでわしの忠誠を確かめたいんか、織田おだ家督かとくを譲れと申してきておるっ。じゃが今の朝廷にそないなこつを奏上そうじょうするはでけんっ。」

「あまりみやこに訪れておらん信雄様のぶかつさまが、現在いま公家くげどもは銭の出処でどころが定まるのを強く望んどるっちゅうことを分かっておるとは思えんがぁ・・・。それにしては信雄様のぶかつさまにしては痛いところを突いてくるのぉ・・・。まこと信雄様のぶかつさまのお考えなのかぁ。裏で誰かがそそのしとるとも考えられるのぉ。」

秀吉ひでよしが深い溜息ためいき一つく。

「そんなこつをするとしたらぁ・・・、三河みかわ徳川とくがわじゃのぉ。」

徳川とくがわかぁっ・・・、駿河するがを得てからというもの、調子乗っとるのぉ・・・。」

「わしが三介殿さんすけどの徳川とくがわ仲良なかよぉするんがえぇと云うたんをうまく利用して、わしと三介殿さんすけどのの間にちぃとずつ亀裂きれつを入れさせ、次第しだいにわしにあらがう力をつけよぉとしちょるんかもしれん。三介殿さんすけどのはよぉやっちょると思ぉちょったがぁ、考えてみれば仲良なかよぉしちょるんは徳川とくがわだけでぇ、東美濃衆ひがしみのしゅうとはてんで駄目だめじゃぁ。御公家衆おくげしゅうともうまく付き合えんこつをかんがみりゃぁ、実は徳川とくがわ三介殿さんすけどのにうまく取り入って、おのれの野心を隠しながら動いちょるんかもっ・・・、じゃとするとぉ・・・、うぅぅんっ、なかなかしたたかな御人ごじんじゃぁ。」

徳川殿とくがわどのがこれ幸いにのし上がろうとしちょるっちゅうことかぁ・・・。筑前殿ちくぜんどのの考えすぎとも云えんでもねぇがぁ・・・。」

「じゃといいんじゃがなぁ。じゃから三介殿さんすけどのはようこん城に入って気分良くしてもろぉてぇ、家督かとくのこつなんぞすっかりと忘れて欲しいんじゃぁ。」

「それが筑前殿ちくぜんどのが築城を急いでおる理由かぁ・・・。それでも信雄様のぶかつさまがこの城に入るのをこばむようであれば、いよいよ徳川とくがわあやしいというわけじゃなぁ。」

あかしはねぇがぁ・・・、他に昨今の三介殿さんすけどの心変こころがわりようをうまく説明でけんっ。」

『人たらし』の秀吉ひでよし信雄のぶかつ手懐てなずけるのに苦悩しているとなると、官兵衛かんべえ徳川とくがわの介入を否定しきれず、みずから動きたくなる。

信雄様のぶかつさまの家老にさぐりを入れてみてはどうじゃ。」

一益かずます知恵ぢえもあって、雄利殿かつとしどのと接しておるんじゃがぁ・・・、心当たりはないと返してきおってのぉ・・・。」

雄利殿かつとしどの信雄様のぶかつさまの忠臣の中の忠臣なんじゃろっ。まことのことは口にせんのではないかぁっ・・・。他の御家老ごかろうにも当たってみてはどうじゃ。」

「そぉじゃのぉ・・・、佐吉さきちぃっ、少し探ってみてくれるかぁ・・・。」

「いやっ、此度こたびはわしの間者かんじゃを使おう。もし徳川殿とくがわどのが背後におるとなると、手練てだれの乱破らっぱがそこら中に彷徨うろついておるはずじゃぁ。となると、筑前殿ちくぜんどの佐吉さきちの使いの商人あきんどどもでは手に負えまい・・・。」

「分かったぁっ。ここは官兵衛かんべえに任せよう。それにしても今宵こよいは何だかぁ・・・、酒が不味まずくなってきたのぉ・・・。」
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