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齟齬
百七十九.切迫の雄利 其の一
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天正十一年九月九日 申の刻
「ひゃっほぉっ・・・、よぉ見えちょるわぃ・・・。」
秀吉は京の妙顕寺跡に築いた城の最上階で興奮する。城といっても軍事要塞ではない。天守はあるが街を見下ろすのが役目である。当初は堀もめぐらせる予定であったが、秀吉は何かを思いつき、途中で工事をやめさせた。城下の広い敷地は専ら材木などの置き場と化し、大勢の商人や人夫が出入りできる詰所の建築を急がせていた。
「よぉっしぃ、順調じゃぁ・・・。」
秀吉の頭の中ではこれからの京の都市開発構想が目まぐるしい。まだ大規模工事の財源確保ができているわけではない。しかし何故か秀吉は楽観的である。自分が先頭切ってこの街の開発に乗り出せば、自ずと物も人も銭も集まってくると思い込んでいる節がある。昨年までは小一郎に『何とか銭の都合をつけぇぃ。』と怒鳴るほど苦労していたのに、近頃では勝手に周りの者が段取りを働きかけてくる。もちろんそれは見返りを期待してのことだが、秀吉はそれを全く気にしておらず、むしろ『正直に欲しいもんは欲しいといえばえぇんじゃ。』と思っている。これは当時の堅物の武士にはない思想であり、戯言好きの公家よりも明からさまである。賤ヶ岳の戦以来、秀吉は武の才よりも商の才を発揮できるようになると、『忙しい、忙しい。』と云いながらも、妙に毎日を満足している。
「筑前様ぁっ・・・。」
城下から秀吉を呼ぶ声が聞こえる。
(んっ、おやぁっ・・・、ありゃぁ雄利でねぇかぁ。なしてこないな処にぃ・・・。)
笑顔の秀吉が右手で気づいたことを合図すると、滝川三郎兵衛雄利は馬を降り、大声で話しかけてくる。
「急ぎお耳に入れたいことがぁ・・・。御目通りをぉっ・・・。」
(何だか慌てておるみたいじゃのぉ・・・。三介殿に何かあったかぁ・・・。)
秀吉が両手で城に入れと大袈裟な手招きで合図すると、雄利は城に駆け込んでいく。しばらくして雄利が城の最上階まで駆け上がると、息を荒くさせながら秀吉の前に跪く。
「えっ、えらい慌て様じゃなぁ。そないに畏まらんと足を崩せやぁっ。」
「これはお見苦しいところを・・・。では、お言葉に甘えて・・・。」
雄利は座し直し、その対面に秀吉が改めて座す。
「どうしたっ、何かあったんかぁ。」
「それが今朝、突然主人が安土を引き払って、尾張へ戻ると申されましてぇ・・・。」
「何ぃっ・・・、よぉやっと安土に入ってもろぉたと思っちょったんにぃ、なんで急に三介殿はそないなこつを云い出したんじゃぁ。」
「分かりませぬ。訳を問うても御答えくださりませんしぃ、殿や筑前様は御存知なのですかと問うても、『筑前の許しなぞいらん。』と御怒りの御様子でぇ・・・。とにかくしばらくお待ちくださいませと説き伏せて、私一人が駆けつけた次第でぇ・・・。」
「それはよぉ報せてくれたぁ・・・。じゃがぁ・・・。」
「先日、筑前様がわたくしめに御問い合わせられた件でございましょうかぁ。残念ながらわたくしめにも主人が何故、織田の家督を譲れと云い出したのか、見当がつきませんものでぇ・・・。」
「いやっ、あれから徐々に察しがついてきたわぃ。あん後で同じこつを徳川殿が勝三郎と五郎左殿に書状で嘆願してきおったわぃ。どんやら徳川殿が一枚噛んどるよぉじゃぁ。」
「三河様が主人に入れ知恵したとぉ・・・。」
雄利は黙り込み、必死に心当たりを記憶の中に探す。そして静かに打ち明ける。
「もしかしてぇ、これはぁ・・・、わたくしめの落ち度やもしれませぬ。」
「えっ、其方の・・・。」
「はいっ。義父上が兵を挙げたとき、わたくしは主人に顔向けが出来ず、ついぞ三河様に主人の御相談相手になっていただきたいと願い出ました。その後、わたくしは敢えて席を外して二人きりになっていただいたのですが、もしかしてその折にぃ・・・。」
「そないなこつがぁ・・・。」
「今思えばぁ、その頃から主人は筑前様を良く云わぬようになりましたぁ。」
「どぉやら『疑い』が『確信』と化したのぉ・・・。」
「これは三河様の謀にございますかぁ。」
「戦をしたいわけではなかろぉが、わしと三介殿を仲違いさせたいんじゃろぉなぁ。」
「何故、三河様は然様なことを・・・。」
「織田家に物云う立場を取りたいんじゃろぉ。三介殿を取り込んで、わしを家老から追い落とせれば、徳川殿が織田家を牛耳り、政の核となる。」
「そっ、そんな大それたぁ・・・。」
「いやっ、徳川殿は常に『安泰』を求める御人じゃぁ。少しでも己の立場を良ぉして、生き残りを図る・・・、あぁ見えても臆病なんじゃぁ。わしには分かるっ。」
雄利には秀吉の断言が家康を指しているのではなく、秀吉自身のことを語っているかのように聴こえる。
「わしと徳川殿は出自は違えど・・・。」
ここで秀吉は口籠るが、雄利は二人の大物の間に挟まれる信雄の器の小ささを感じてしまう。しかし自分は生涯信雄に仕えることを誓った。雄利の心にその切なさが充満する。秀吉が思い立つ。
「雄利殿っ、明朝わしが安土まで出向くから、其方はこれより戻って三介殿を引き止めておいてくれんかぁ。」
「えっ、筑前様直々にぃ・・・。畏れながら筑前様はここを離れられないほどお忙しいのではぁ・・・。」
「三介殿の誤解を解くんが先じゃぁっ。三介殿の織田家家督を認められん訳もわかってもらわにゃならんっ。こんから急いで出立の支度してぇ、皆に当面の仕事を申し付ける故、今すぐ走ってくれまいかぁ・・・。」
「畏まりました。早速安土に戻り、筑前様を迎える手筈を整えまするぅっ・・・。」
慌てて出払う雄利を見て、秀吉は不吉を覚え始める。
「ひゃっほぉっ・・・、よぉ見えちょるわぃ・・・。」
秀吉は京の妙顕寺跡に築いた城の最上階で興奮する。城といっても軍事要塞ではない。天守はあるが街を見下ろすのが役目である。当初は堀もめぐらせる予定であったが、秀吉は何かを思いつき、途中で工事をやめさせた。城下の広い敷地は専ら材木などの置き場と化し、大勢の商人や人夫が出入りできる詰所の建築を急がせていた。
「よぉっしぃ、順調じゃぁ・・・。」
秀吉の頭の中ではこれからの京の都市開発構想が目まぐるしい。まだ大規模工事の財源確保ができているわけではない。しかし何故か秀吉は楽観的である。自分が先頭切ってこの街の開発に乗り出せば、自ずと物も人も銭も集まってくると思い込んでいる節がある。昨年までは小一郎に『何とか銭の都合をつけぇぃ。』と怒鳴るほど苦労していたのに、近頃では勝手に周りの者が段取りを働きかけてくる。もちろんそれは見返りを期待してのことだが、秀吉はそれを全く気にしておらず、むしろ『正直に欲しいもんは欲しいといえばえぇんじゃ。』と思っている。これは当時の堅物の武士にはない思想であり、戯言好きの公家よりも明からさまである。賤ヶ岳の戦以来、秀吉は武の才よりも商の才を発揮できるようになると、『忙しい、忙しい。』と云いながらも、妙に毎日を満足している。
「筑前様ぁっ・・・。」
城下から秀吉を呼ぶ声が聞こえる。
(んっ、おやぁっ・・・、ありゃぁ雄利でねぇかぁ。なしてこないな処にぃ・・・。)
笑顔の秀吉が右手で気づいたことを合図すると、滝川三郎兵衛雄利は馬を降り、大声で話しかけてくる。
「急ぎお耳に入れたいことがぁ・・・。御目通りをぉっ・・・。」
(何だか慌てておるみたいじゃのぉ・・・。三介殿に何かあったかぁ・・・。)
秀吉が両手で城に入れと大袈裟な手招きで合図すると、雄利は城に駆け込んでいく。しばらくして雄利が城の最上階まで駆け上がると、息を荒くさせながら秀吉の前に跪く。
「えっ、えらい慌て様じゃなぁ。そないに畏まらんと足を崩せやぁっ。」
「これはお見苦しいところを・・・。では、お言葉に甘えて・・・。」
雄利は座し直し、その対面に秀吉が改めて座す。
「どうしたっ、何かあったんかぁ。」
「それが今朝、突然主人が安土を引き払って、尾張へ戻ると申されましてぇ・・・。」
「何ぃっ・・・、よぉやっと安土に入ってもろぉたと思っちょったんにぃ、なんで急に三介殿はそないなこつを云い出したんじゃぁ。」
「分かりませぬ。訳を問うても御答えくださりませんしぃ、殿や筑前様は御存知なのですかと問うても、『筑前の許しなぞいらん。』と御怒りの御様子でぇ・・・。とにかくしばらくお待ちくださいませと説き伏せて、私一人が駆けつけた次第でぇ・・・。」
「それはよぉ報せてくれたぁ・・・。じゃがぁ・・・。」
「先日、筑前様がわたくしめに御問い合わせられた件でございましょうかぁ。残念ながらわたくしめにも主人が何故、織田の家督を譲れと云い出したのか、見当がつきませんものでぇ・・・。」
「いやっ、あれから徐々に察しがついてきたわぃ。あん後で同じこつを徳川殿が勝三郎と五郎左殿に書状で嘆願してきおったわぃ。どんやら徳川殿が一枚噛んどるよぉじゃぁ。」
「三河様が主人に入れ知恵したとぉ・・・。」
雄利は黙り込み、必死に心当たりを記憶の中に探す。そして静かに打ち明ける。
「もしかしてぇ、これはぁ・・・、わたくしめの落ち度やもしれませぬ。」
「えっ、其方の・・・。」
「はいっ。義父上が兵を挙げたとき、わたくしは主人に顔向けが出来ず、ついぞ三河様に主人の御相談相手になっていただきたいと願い出ました。その後、わたくしは敢えて席を外して二人きりになっていただいたのですが、もしかしてその折にぃ・・・。」
「そないなこつがぁ・・・。」
「今思えばぁ、その頃から主人は筑前様を良く云わぬようになりましたぁ。」
「どぉやら『疑い』が『確信』と化したのぉ・・・。」
「これは三河様の謀にございますかぁ。」
「戦をしたいわけではなかろぉが、わしと三介殿を仲違いさせたいんじゃろぉなぁ。」
「何故、三河様は然様なことを・・・。」
「織田家に物云う立場を取りたいんじゃろぉ。三介殿を取り込んで、わしを家老から追い落とせれば、徳川殿が織田家を牛耳り、政の核となる。」
「そっ、そんな大それたぁ・・・。」
「いやっ、徳川殿は常に『安泰』を求める御人じゃぁ。少しでも己の立場を良ぉして、生き残りを図る・・・、あぁ見えても臆病なんじゃぁ。わしには分かるっ。」
雄利には秀吉の断言が家康を指しているのではなく、秀吉自身のことを語っているかのように聴こえる。
「わしと徳川殿は出自は違えど・・・。」
ここで秀吉は口籠るが、雄利は二人の大物の間に挟まれる信雄の器の小ささを感じてしまう。しかし自分は生涯信雄に仕えることを誓った。雄利の心にその切なさが充満する。秀吉が思い立つ。
「雄利殿っ、明朝わしが安土まで出向くから、其方はこれより戻って三介殿を引き止めておいてくれんかぁ。」
「えっ、筑前様直々にぃ・・・。畏れながら筑前様はここを離れられないほどお忙しいのではぁ・・・。」
「三介殿の誤解を解くんが先じゃぁっ。三介殿の織田家家督を認められん訳もわかってもらわにゃならんっ。こんから急いで出立の支度してぇ、皆に当面の仕事を申し付ける故、今すぐ走ってくれまいかぁ・・・。」
「畏まりました。早速安土に戻り、筑前様を迎える手筈を整えまするぅっ・・・。」
慌てて出払う雄利を見て、秀吉は不吉を覚え始める。
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