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齟齬
百八十九.歓談の主従 其の一
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天正十二年一月五日 巳の刻
園城寺の広間へ続く廊下で、信雄が薄く雪被る庭を眺めている。
(わしは何故、家督に拘っておるのであろうかぁ・・・。自分が駄々をこねているのは分かっている。正直云って、織田家の家督を本気で譲り受けたいとは思っていない。それはそれで煩わしい。三法師を囲む宿老どもが滞りなく政が進められるのなら、それはそれでいい。しかし織田の家督の悪用は、大殿はじめ織田家代々の御先祖様に申し訳立たない。まして織田が滅ぶようなことはあってはならない。筑前が真の忠臣であるか、今の自分には分からない。そうであるような、そうでないような・・・。見極めきれない自分が腹立たしい。筑前が古くからの譜代であれば、こんなに悩まずによかったのにぃ・・・。)
広間の方から雄利が静かに近寄ってくる。
「筑前様が既にお待ちになっておられます。」
「分かった。行こうかぁ・・・。」
「その前にお伺いしたいことが・・・。信雄様はやはり北畠を匿う筑前殿をお許しになれませぬか・・・。」
信雄が白い溜息を吐く。
「北畠はいずれこの世から消し去りたい。じゃが何故か、今はそんなことどうでもよい。筑前が公方様の交渉に使いたいというならそれでも良い。ただわしには正直に申して欲しかった・・・。頭を冷やして考えれば、ただそれだけなんじゃがのぉ・・・。」
「お考えをお聞かせ頂き、ありがとうございまする。おそらく筑前殿もこれまで打ち明けられなかったことを悔いておりましょう。わたくしはこれより御二人の『蟠り』が消えることを望むばかりでございまする。」
「まだ然様な約束はできんが、これまで其方の心を傷つけていたこと・・・、赦せよっ。今日こそは己の眼で筑前を見極めるっ。では、参ろうかぁ・・・。」
今日はいつになく落ち着いた様の信雄が廊下を進みゆく。やがて広間に入り、上座に座す。信雄の左後方には長老の岡田助三郎重孝が、そして右後方には雄利が信雄に続いて座す。信雄の対面には秀吉、その左後方に恒興、そして右後方には丹羽長秀の代わりに蒲生忠三郎氏郷が並び、三人は深く頭を下げている。
「面を上げよっ・・・。」
信雄が言葉を放つと、秀吉らは頭を上げ、同時に三方の板戸が外から閉じられる。重孝が恫喝の口調で切り出す。
「長らく信雄様より織田家家督の譲り受けの件につき、筑前殿はじめ、宿老らに幾度も検討するよう申し付けておったが、其方らはろくな返を寄越さず、信雄様は大層御立腹である。此度、丹羽殿より筑前殿が直に申し開きをしたいとのことであったので、わざわざ彼の地まで信雄様には足をお運びいただいたが、話の内容次第では内大臣様らに其方らの処分を申し入れる故、覚悟いたせぃ。」
秀吉が頭を下げて申し出る。
「信雄様に不快な思いをさせてしまいましたことっ、これはまさにわたくしめの不徳にございまする。どうかお許しをぉっ・・・。」
重孝が詰め寄る。
「今更、謝罪なぞ遅ぉござるぞっ。ここに至っては速やかに事を進めるよう、天にお誓いなされよっ・・・。」
進歩のない会話を嫌う雄利が、これに割って入る。
「重孝殿っ。まだ皆席に着いたばかりじゃぁ。いきなり頭ごなしのお叱りでは、それこそ話が進まん。そもそも筑前殿は申し開きをしたいと仰せなのじゃぁ。まずは筑前殿の言い分を聴こうではないかぁ・・・。」
「もっ、申し訳ございませぬ。ついぞ頭に血が昇ってしまい申したぁ・・・。では改めて問い質したいっ・・・。」
秀吉が再び頭を上げる。
「ご説明させていただきまするっ・・・。そもそも清洲の評定にて、家督は殿、すなわち三法師様が嗣がれることが筋であることが確かめられました。そして本来ならば信雄様が殿の御後見になられるはずでした。しかしそれを信孝様がお気に召さなかった故、今の宿老の体制を敷いたわけにございまする。」
「然様なことっ、分かっておるわい。」
「重孝殿っ、最後までお聞きくだされっ・・・。されど信孝様の悪行が始まりまして、朝廷の不安も大きくなり、信孝様は蟄居、そして信雄様の名代がお認めになられたわけです。それでも信孝様は謀反を画策し続けましたので、ついにはわれらも兵を起こし、信孝様は腹を召された次第にありまする。それからしばらく一年前の決まり事に即して政務をこなしておりましたが、信雄様から織田家家督の件の文をいただきましたとき、はっきり云ってわたくしめは眼から鱗が落ちました。これは妙案じゃとぉ・・・。」
「何ぃっ、では筑前殿は信雄様の家督相続を認めるというのかぁっ。」
「重孝様はせっかちでありますなぁ・・・、話はまだ終わっておりませんっ。確かに信孝様が身罷れたともなれば、家督は幼少の殿よりも信雄様の方が、周囲の将に睨みが効きまする。然れど血筋でいえば殿の家督相続は既に評定で決した筋っ。この両方を叶えるには、信雄様の文にも綴られておりましたように、殿が御成人あそばされるまで信雄様が家長となる・・・というのが誰もが納得し、効果のあるやり方にございまする。」
「それが分かっておるのならぁ・・・。」
「はいっ、元々殿と信雄様にお入りいただこうと考えておりました大坂の城ですが、わたくしめは今となっては信雄様だけがお入りいただければ宜しいかと存じまする。殿は近江で御生育されればと・・・。但し、『今すぐ』というには承諾致しかねまする。」
信雄と重孝は眉を顰める。雄利が整理する。
「大坂の城はかつての難攻不落の石山本願寺の跡に建てられているそうでぇ・・・。その上、本丸は早くも近々完成すると訊き及んでございまする。一体何の不都合がありましょうかぁ・・・。」
秀吉が信雄の眼に視線を絞る。
「まだこの城は本丸しか整えておりませんで、二の丸、三の丸、さらには内堀、外堀と構えができておりませんので、敵が戦を仕掛けてきたら持ち堪えられませぬ。これら防御が整うにはまだ数年かかりまする。然様な年月を信雄様にお待たせさせるわけにはまいりませんので、せめて大坂の周りに蔓延る不埒者だけでも取り除いた上で、信雄様には御安心の中でお城入りしていただきたいのです。」
いつの間にか、信雄が前屈みになっている。
「それでぇ・・・、不埒者とは誰のことじゃぁ・・・。」
園城寺の広間へ続く廊下で、信雄が薄く雪被る庭を眺めている。
(わしは何故、家督に拘っておるのであろうかぁ・・・。自分が駄々をこねているのは分かっている。正直云って、織田家の家督を本気で譲り受けたいとは思っていない。それはそれで煩わしい。三法師を囲む宿老どもが滞りなく政が進められるのなら、それはそれでいい。しかし織田の家督の悪用は、大殿はじめ織田家代々の御先祖様に申し訳立たない。まして織田が滅ぶようなことはあってはならない。筑前が真の忠臣であるか、今の自分には分からない。そうであるような、そうでないような・・・。見極めきれない自分が腹立たしい。筑前が古くからの譜代であれば、こんなに悩まずによかったのにぃ・・・。)
広間の方から雄利が静かに近寄ってくる。
「筑前様が既にお待ちになっておられます。」
「分かった。行こうかぁ・・・。」
「その前にお伺いしたいことが・・・。信雄様はやはり北畠を匿う筑前殿をお許しになれませぬか・・・。」
信雄が白い溜息を吐く。
「北畠はいずれこの世から消し去りたい。じゃが何故か、今はそんなことどうでもよい。筑前が公方様の交渉に使いたいというならそれでも良い。ただわしには正直に申して欲しかった・・・。頭を冷やして考えれば、ただそれだけなんじゃがのぉ・・・。」
「お考えをお聞かせ頂き、ありがとうございまする。おそらく筑前殿もこれまで打ち明けられなかったことを悔いておりましょう。わたくしはこれより御二人の『蟠り』が消えることを望むばかりでございまする。」
「まだ然様な約束はできんが、これまで其方の心を傷つけていたこと・・・、赦せよっ。今日こそは己の眼で筑前を見極めるっ。では、参ろうかぁ・・・。」
今日はいつになく落ち着いた様の信雄が廊下を進みゆく。やがて広間に入り、上座に座す。信雄の左後方には長老の岡田助三郎重孝が、そして右後方には雄利が信雄に続いて座す。信雄の対面には秀吉、その左後方に恒興、そして右後方には丹羽長秀の代わりに蒲生忠三郎氏郷が並び、三人は深く頭を下げている。
「面を上げよっ・・・。」
信雄が言葉を放つと、秀吉らは頭を上げ、同時に三方の板戸が外から閉じられる。重孝が恫喝の口調で切り出す。
「長らく信雄様より織田家家督の譲り受けの件につき、筑前殿はじめ、宿老らに幾度も検討するよう申し付けておったが、其方らはろくな返を寄越さず、信雄様は大層御立腹である。此度、丹羽殿より筑前殿が直に申し開きをしたいとのことであったので、わざわざ彼の地まで信雄様には足をお運びいただいたが、話の内容次第では内大臣様らに其方らの処分を申し入れる故、覚悟いたせぃ。」
秀吉が頭を下げて申し出る。
「信雄様に不快な思いをさせてしまいましたことっ、これはまさにわたくしめの不徳にございまする。どうかお許しをぉっ・・・。」
重孝が詰め寄る。
「今更、謝罪なぞ遅ぉござるぞっ。ここに至っては速やかに事を進めるよう、天にお誓いなされよっ・・・。」
進歩のない会話を嫌う雄利が、これに割って入る。
「重孝殿っ。まだ皆席に着いたばかりじゃぁ。いきなり頭ごなしのお叱りでは、それこそ話が進まん。そもそも筑前殿は申し開きをしたいと仰せなのじゃぁ。まずは筑前殿の言い分を聴こうではないかぁ・・・。」
「もっ、申し訳ございませぬ。ついぞ頭に血が昇ってしまい申したぁ・・・。では改めて問い質したいっ・・・。」
秀吉が再び頭を上げる。
「ご説明させていただきまするっ・・・。そもそも清洲の評定にて、家督は殿、すなわち三法師様が嗣がれることが筋であることが確かめられました。そして本来ならば信雄様が殿の御後見になられるはずでした。しかしそれを信孝様がお気に召さなかった故、今の宿老の体制を敷いたわけにございまする。」
「然様なことっ、分かっておるわい。」
「重孝殿っ、最後までお聞きくだされっ・・・。されど信孝様の悪行が始まりまして、朝廷の不安も大きくなり、信孝様は蟄居、そして信雄様の名代がお認めになられたわけです。それでも信孝様は謀反を画策し続けましたので、ついにはわれらも兵を起こし、信孝様は腹を召された次第にありまする。それからしばらく一年前の決まり事に即して政務をこなしておりましたが、信雄様から織田家家督の件の文をいただきましたとき、はっきり云ってわたくしめは眼から鱗が落ちました。これは妙案じゃとぉ・・・。」
「何ぃっ、では筑前殿は信雄様の家督相続を認めるというのかぁっ。」
「重孝様はせっかちでありますなぁ・・・、話はまだ終わっておりませんっ。確かに信孝様が身罷れたともなれば、家督は幼少の殿よりも信雄様の方が、周囲の将に睨みが効きまする。然れど血筋でいえば殿の家督相続は既に評定で決した筋っ。この両方を叶えるには、信雄様の文にも綴られておりましたように、殿が御成人あそばされるまで信雄様が家長となる・・・というのが誰もが納得し、効果のあるやり方にございまする。」
「それが分かっておるのならぁ・・・。」
「はいっ、元々殿と信雄様にお入りいただこうと考えておりました大坂の城ですが、わたくしめは今となっては信雄様だけがお入りいただければ宜しいかと存じまする。殿は近江で御生育されればと・・・。但し、『今すぐ』というには承諾致しかねまする。」
信雄と重孝は眉を顰める。雄利が整理する。
「大坂の城はかつての難攻不落の石山本願寺の跡に建てられているそうでぇ・・・。その上、本丸は早くも近々完成すると訊き及んでございまする。一体何の不都合がありましょうかぁ・・・。」
秀吉が信雄の眼に視線を絞る。
「まだこの城は本丸しか整えておりませんで、二の丸、三の丸、さらには内堀、外堀と構えができておりませんので、敵が戦を仕掛けてきたら持ち堪えられませぬ。これら防御が整うにはまだ数年かかりまする。然様な年月を信雄様にお待たせさせるわけにはまいりませんので、せめて大坂の周りに蔓延る不埒者だけでも取り除いた上で、信雄様には御安心の中でお城入りしていただきたいのです。」
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