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策謀
百十八.巣立の秀勝
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天正十年十一月十七日 申の刻
宝積寺の講堂では、今朝叙任の宣旨を受けたばかりの秀勝と宗易が、秀吉の戻りを待つ。
「宗易殿っ、従五位下とはいえ官位を頂いた以上、わたくしも茶の湯を学んでおいた方がよろしいでしょうか。」
「そうですなぁっ。これから商人や御公家様とのお付き合いも増えましょうから、学んでおくにこしたことはございませんなぁ。ですが、茶の点て方など存ぜぬ御武家様の方がまだまだ多いでしょうから、焦ることはございません。もう少し落ち着かれてからでも良いかと存じます。」
「そうかぁっ。何せわたくしの周りには茶のことなぞ詳しい者がおりませんからなぁ。何も知らぬが故に、やはり焦ってしまいまする。」
「秀勝様は今、亀山の城の周りの街を整備されていると伺っておりますが・・・。」
「あぁっ、明智殿がそもそも始めておったのですが、あそこを賑やかにすれば百姓らの負担も減ると思いまして・・・。」
「そんなに丹波の民は困窮してるのですか。」
「そうではないのですが、明智殿が無茶にも地子銭の免除を一旦約束したものですから、それを反故にしたわたくしに反発する輩もおるのです。彼等を宥めるには彼の地に活気ある街ができることを実感させるのが良いかと考えましてぇ・・・。」
「それは良いお考えです。であるならば、丹波を訪れる商人も増えるでしょうから、これから誼にされた商人らに茶のことを相談してみては如何ですか。丹波を訪れる機会のある知り合いに、わたくしの方からも声を掛けてみましょう。」
「然様ですかっ、宗易殿っ。忝く存じまするぅっ。」
本当は自ら指南役を買って出たい宗易だったが、消えぬ秀勝の死相を眼にすると、とても申し出ることができない歯痒さで胸が痛い。もし秀勝が自分に『茶頭になってくれ』と頼んできたら一体どう返せばよいか、宗易にとって肝が冷える間が続く。そして秀吉の甲高い声が寺内に響き渡ったとき、宗易は胸を撫で下ろす。
「おおぉっ、秀勝殿ぉっ、待たせたのぉっ。」
一礼した秀勝がゆっくり頭を上げると、秀吉の背後に浅葱色の袈裟を纏う僧侶に気付く。秀吉が秀勝と対峙するように座すと、その僧侶は秀吉と秀勝を左右にして間に座す。
「障りなく宣旨を頂けたかぇ、秀勝殿っ。」
「はいっ、幾許か緊張いたしましたが、無事、つつがなく・・・。」
「堅っ苦しいが、案外と大したことねぇじゃろぉっ。」
「いえいえっ、初めてのことだらけで、戸惑う一方でぇ・・・。」
「こんから秀勝殿はもっともっと出世していくんじゃぁ。こぉいうこつにも慣れていかんとのっ・・・。それでぇ、秀勝殿に紹介するっ。こん御人は安国寺恵瓊殿と申されて、毛利の使いの者じゃ。」
恵瓊が一礼する傍で、秀勝は呆然となる。
「毛利の使い・・・。」
「おぉっ、そぉじゃぁ。さっきまで恵瓊殿にこん城を案内しとったところじゃぁ。」
秀勝は驚き、咄嗟に恵瓊の顔色を窺うも、ついぞ口にしてしまう。
「えっ、敵方にこの城の内をお見せしたのですかぁ。」
秀勝のある意味で不躾な問いに対して、秀吉と恵瓊がかかと笑う。
「確かにわしらと毛利はまだ敵同士じゃのぉ・・・。じゃが恵瓊殿は別じゃ。恵瓊殿にはわしらの全てを見てもらって、右馬頭殿に洗いざらい報せてもろぉて、こんから右馬頭殿と仲良ぅする橋渡しをやってもらわにゃならん。城の中身を晒しちゃるくらいの気前を見せんとなっ。」
秀勝は呆気となる。
「はっ、はあぁっ・・・。義父上がそぉ仰るのならぁ・・・。」
ここで初めて恵瓊が口を開く。
「お初にお目にかかります。安国寺恵瓊と申します。此度、わが御館様が秀勝様と御館様の姫様との御婚儀を御許しなされた旨を報せに参りました。以降、御婚儀に向け、姫様の輿入れにつきましてはわたくしが一切を仕切らせていただきますので、今後ともどうぞ宜しく御願い奉りまする。」
秀勝は唖然となるが、とりあえず何か返せねばと取り繕う。
「さっ、然様でありましたかっ・・・。こっ、婚儀のことはちっ、義父上からも訊いております。よっ、良きよぅお取りはかり頂きますよう、宜しく御願い申し上げまする。」
秀吉が揶揄う。
「何じゃっ、秀勝殿ぉ。今日は朝から緊張しっぱなしじゃのぉ・・・。」
照れる秀勝が肩をすくませ、三人が祝福の笑い声を寺内に拡充させる。宗易が尋ねる。
「ところで御婚儀はいつになりましょう。」
「それじゃがぁ、少ぉし嗜好を凝らそうかと思っておってのぉ・・・。今、わしらと毛利は国境の問題を抱えちょる。これを完全に解決した上で、羽柴と毛利が手を取り合った証として、こん御婚儀を盛大にやろうと思うんじゃが、どぉじゃぁ。」
秀勝が不思議がる。
「はてっ、先の毛利との和議で国境は決まったのではございませんか。確かにあの和議に不服の国衆がおるとも訊き及んでおりますがぁ・・・。」
「あぁっ、見返りがねぇとあん地を動かん輩じゃそぉでぇ、恵瓊殿も右馬頭殿も手こずってる連中じゃ。兵で脅してもえぇんじゃが、そんよりも、わしは早ぉ右馬頭殿と仲良ぉなりたい・・・。そこでじゃ。連中に移ってもらう地をわしが用意して、右馬頭殿には移住を説得してもらうっちゅうこつを盛り込んだ協議の場を改めて設けよぉと思うっ。」
「然様な地なぞ、お有りなのですかぁ・・・。」
「今はまだ云えんがぁ、次の春には見えてこよぉ・・・。それまで恵瓊殿と官兵衛には気張ってもらわんといかんぞぃ。」
不敵な笑みで詳しくを述べない秀吉に対して、真面目な面持ちで淡々と一礼する恵瓊の様子から、秀吉と恵瓊はすでに何かしら通じ合っている風である。いつの間にか秀勝も宗易も、秀吉と恵瓊の謀に逆らえない空気の中に居るのを自覚していた。
宝積寺の講堂では、今朝叙任の宣旨を受けたばかりの秀勝と宗易が、秀吉の戻りを待つ。
「宗易殿っ、従五位下とはいえ官位を頂いた以上、わたくしも茶の湯を学んでおいた方がよろしいでしょうか。」
「そうですなぁっ。これから商人や御公家様とのお付き合いも増えましょうから、学んでおくにこしたことはございませんなぁ。ですが、茶の点て方など存ぜぬ御武家様の方がまだまだ多いでしょうから、焦ることはございません。もう少し落ち着かれてからでも良いかと存じます。」
「そうかぁっ。何せわたくしの周りには茶のことなぞ詳しい者がおりませんからなぁ。何も知らぬが故に、やはり焦ってしまいまする。」
「秀勝様は今、亀山の城の周りの街を整備されていると伺っておりますが・・・。」
「あぁっ、明智殿がそもそも始めておったのですが、あそこを賑やかにすれば百姓らの負担も減ると思いまして・・・。」
「そんなに丹波の民は困窮してるのですか。」
「そうではないのですが、明智殿が無茶にも地子銭の免除を一旦約束したものですから、それを反故にしたわたくしに反発する輩もおるのです。彼等を宥めるには彼の地に活気ある街ができることを実感させるのが良いかと考えましてぇ・・・。」
「それは良いお考えです。であるならば、丹波を訪れる商人も増えるでしょうから、これから誼にされた商人らに茶のことを相談してみては如何ですか。丹波を訪れる機会のある知り合いに、わたくしの方からも声を掛けてみましょう。」
「然様ですかっ、宗易殿っ。忝く存じまするぅっ。」
本当は自ら指南役を買って出たい宗易だったが、消えぬ秀勝の死相を眼にすると、とても申し出ることができない歯痒さで胸が痛い。もし秀勝が自分に『茶頭になってくれ』と頼んできたら一体どう返せばよいか、宗易にとって肝が冷える間が続く。そして秀吉の甲高い声が寺内に響き渡ったとき、宗易は胸を撫で下ろす。
「おおぉっ、秀勝殿ぉっ、待たせたのぉっ。」
一礼した秀勝がゆっくり頭を上げると、秀吉の背後に浅葱色の袈裟を纏う僧侶に気付く。秀吉が秀勝と対峙するように座すと、その僧侶は秀吉と秀勝を左右にして間に座す。
「障りなく宣旨を頂けたかぇ、秀勝殿っ。」
「はいっ、幾許か緊張いたしましたが、無事、つつがなく・・・。」
「堅っ苦しいが、案外と大したことねぇじゃろぉっ。」
「いえいえっ、初めてのことだらけで、戸惑う一方でぇ・・・。」
「こんから秀勝殿はもっともっと出世していくんじゃぁ。こぉいうこつにも慣れていかんとのっ・・・。それでぇ、秀勝殿に紹介するっ。こん御人は安国寺恵瓊殿と申されて、毛利の使いの者じゃ。」
恵瓊が一礼する傍で、秀勝は呆然となる。
「毛利の使い・・・。」
「おぉっ、そぉじゃぁ。さっきまで恵瓊殿にこん城を案内しとったところじゃぁ。」
秀勝は驚き、咄嗟に恵瓊の顔色を窺うも、ついぞ口にしてしまう。
「えっ、敵方にこの城の内をお見せしたのですかぁ。」
秀勝のある意味で不躾な問いに対して、秀吉と恵瓊がかかと笑う。
「確かにわしらと毛利はまだ敵同士じゃのぉ・・・。じゃが恵瓊殿は別じゃ。恵瓊殿にはわしらの全てを見てもらって、右馬頭殿に洗いざらい報せてもろぉて、こんから右馬頭殿と仲良ぅする橋渡しをやってもらわにゃならん。城の中身を晒しちゃるくらいの気前を見せんとなっ。」
秀勝は呆気となる。
「はっ、はあぁっ・・・。義父上がそぉ仰るのならぁ・・・。」
ここで初めて恵瓊が口を開く。
「お初にお目にかかります。安国寺恵瓊と申します。此度、わが御館様が秀勝様と御館様の姫様との御婚儀を御許しなされた旨を報せに参りました。以降、御婚儀に向け、姫様の輿入れにつきましてはわたくしが一切を仕切らせていただきますので、今後ともどうぞ宜しく御願い奉りまする。」
秀勝は唖然となるが、とりあえず何か返せねばと取り繕う。
「さっ、然様でありましたかっ・・・。こっ、婚儀のことはちっ、義父上からも訊いております。よっ、良きよぅお取りはかり頂きますよう、宜しく御願い申し上げまする。」
秀吉が揶揄う。
「何じゃっ、秀勝殿ぉ。今日は朝から緊張しっぱなしじゃのぉ・・・。」
照れる秀勝が肩をすくませ、三人が祝福の笑い声を寺内に拡充させる。宗易が尋ねる。
「ところで御婚儀はいつになりましょう。」
「それじゃがぁ、少ぉし嗜好を凝らそうかと思っておってのぉ・・・。今、わしらと毛利は国境の問題を抱えちょる。これを完全に解決した上で、羽柴と毛利が手を取り合った証として、こん御婚儀を盛大にやろうと思うんじゃが、どぉじゃぁ。」
秀勝が不思議がる。
「はてっ、先の毛利との和議で国境は決まったのではございませんか。確かにあの和議に不服の国衆がおるとも訊き及んでおりますがぁ・・・。」
「あぁっ、見返りがねぇとあん地を動かん輩じゃそぉでぇ、恵瓊殿も右馬頭殿も手こずってる連中じゃ。兵で脅してもえぇんじゃが、そんよりも、わしは早ぉ右馬頭殿と仲良ぉなりたい・・・。そこでじゃ。連中に移ってもらう地をわしが用意して、右馬頭殿には移住を説得してもらうっちゅうこつを盛り込んだ協議の場を改めて設けよぉと思うっ。」
「然様な地なぞ、お有りなのですかぁ・・・。」
「今はまだ云えんがぁ、次の春には見えてこよぉ・・・。それまで恵瓊殿と官兵衛には気張ってもらわんといかんぞぃ。」
不敵な笑みで詳しくを述べない秀吉に対して、真面目な面持ちで淡々と一礼する恵瓊の様子から、秀吉と恵瓊はすでに何かしら通じ合っている風である。いつの間にか秀勝も宗易も、秀吉と恵瓊の謀に逆らえない空気の中に居るのを自覚していた。
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