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駆引
百二十六.呆然の雄利
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天正十一年一月ニ日 酉の刻
雄利は松ヶ島城の西の櫓で一人、南西の空を眺めている。日は暮れかけているが山々の手前から奥にかけて昇り立つ黒煙ははっきりと見える。寒風に晒されているものの、雄利は寒さを感じない。ただただ今の状況が呑み込めない。
(呆気なさすぎる・・・。)
年の暮れ、一益から北畠具親の居場所の報せを受けた雄利は、急いでこのことを京から帰還したばかりの信雄に告げた。信雄は雄利に九鬼水軍との協力を許し、清洲から軍勢五百を伊勢へ輸送する支度を始めさせ、さらに安濃津の織田信包にも陸路の援軍を要請した。
その頃、信雄に居場所が知られたことを察知したのか、急遽、北畠具親は挙兵することを決した。具親は先鋒・安保直親に千五百の軍勢を預け、まだ完成していない篠山の城から途中の村々を焼き払いながら山道を降り、大河内を経て、松ヶ島城を攻めるよう命じた。一方で、具親挙兵の報せを受けた松ヶ島城主・津川玄蕃允義冬は、籠城して援軍を待つ準備を整えつつ、同時に手勢三百の小隊を大河内に向かわせ、安保勢の足止めを謀った。
年が明けて夜半未明、大河内の山間から安保勢が勢い良く飛び出してきたところを、義冬の小隊が急襲した。野戦は仕掛けてこないとたかを括っていた安保勢はこの襲撃に混乱し、多勢にも拘わらずあっという間に隊を崩してしまった。安保勢は乱れに乱れ、多くの兵は逃げ出してしまい、直親をはじめとする将たちは篠山の城まで立ち退く羽目となった。敵軍総崩れの報せを受けた義冬は、自ら松ヶ島城を出陣し、勢いに乗じて敵兵を追い、ついには篠山城を取り囲むことに成功した。雄利の援軍が伊勢に上陸した頃には、既に津川勢は具親が籠る篠山城に攻撃を仕掛けており、落城も時間の問題であった。
(具親めぇっ、焦りおったかぁ・・・。戦の支度もままならぬまま、城攻めに撃って出るとはぁ・・・。)
ここのところずっと頭を悩ましてきた北畠残党であったが、自分が奮戦する間もなく片付くと思うと、雄利はいささか腑に落ちない。
(何か見落としてないか・・・。)
雄利が畏怖の念に囚われているところへ、遅れて着陣した信包が登ってくる。
「われらが助けは要らなんだみたいじゃのぉ、雄利殿ぉっ・・・。」
信包は雄利の右側に立ち、彼も黒煙の方角を眺める。
「あれだけ警戒しておりましたのに、こうも呆気なく具親を追い詰められるとはぁ・・・。あまりに呆気なさすぎるので、まだ何か裏があるかと勘繰ってしまいまする。」
信包は腕組みをする。
「同感じゃぁ。じゃがまだ油断するわけにはいかん・・・。具親を捕らえるか、首を獲るまでは安心できんぞぃ。」
雄利は頷くが、雄利の抱く懸念はもはや北畠のことではない。
「ところで山の手から義父上が攻め入って、具親を挟み撃ちする手筈だったのですが、遅れているようですなぁ。」
信包は眉を顰める。
「わしもそう訊いておったが、安濃津からここに至るまで一益殿の動きには全く気付かなんだわぃ。進む路は違えど、兵の動きはいくらか分かるもんなんじゃがのぉ・・・。」
「今頃どこまで兵を進めておられるのでしょうか。」
「うぅぅん・・・、少なくとも一益殿が長島から兵を出したら、わしの耳にも入るはずなんじゃがぁ、それもまだないぞぃっ。」
「えっ、もしかして義父上は動いていないとかぁ・・・。」
「理屈をいえば、そうなるかのぉ・・・。」
雄利は黙り込む。
(まさか、これは義父上の謀ぉっ・・・。狙いは何じゃぁ・・・。わしらに北畠を襲わせておいてぇ・・・。)
雄利の脳裏に美濃・尾張・伊勢一帯の絵地図が拡げられる。やがてその絵地図に近江・山城、さらに摂津・播磨・越前が加わったとき、雄利は思わず声を荒げてしまう。
「いかんっ、信包様ぁっ・・・、早う安濃津に戻っていただかねばぁ・・・。」
信包はただただ驚く。
「どっ、どうしたぁ、雄利殿ぉっ。なっ、何か気付いたんかぁ・・・。」
雄利の眼はこれでもかというくらいかぁっと開かれる。
「義父上が筑前様に抗う兵を挙げるかもしれませぬぅっ・・・。義父上がこの地に来ておらんということはぁっ・・・。」
「なっ、なっ、何じゃとぉっ。三七が囚われて、権六も動けんというのに、こんな折に筑前と戦を始めるというんかぁっ・・・。」
「義父上はわれらが兵を散らせている間に、一斉に兵を挙げるつもりでは・・・。筑前様も今は姫路におられる故、伊勢に兵を寄越すには刻がかかりまする。その前に義父上は北伊勢の砦を次々と整えていくっ・・・。そっ、それなら挙兵はむしろ今しかぁ・・・。」
「まっ、まさかぁっ・・・。」
「わたくしや信包様の御家来の中には、義父上と親しい者もおりまする。彼等が義父上と示し合わせておれば、今頃、北伊勢の城は、いやっ、安濃津の城も・・・。」
「乗っ取られるかもしれんというのかぁ・・・。うぅむっ、こうしてはおれんっ・・・、安濃津が気になるっ。」
「ここはお任せくださいませっ。義冬殿にこの城を固めさせ、わたくしも早いうちに信雄様の元に戻りまするぅっ。」
「うむっ・・・、頼んだぞぃ・・・。」
巨体を震わせ、武具の金具を軋ませながら、信包は櫓を急ぎ降りる。信包を見送ると、雄利は再び南西の黒煙に向き、そこからゆっくりと北へ視線を動かす。
(わたくしの早合点であれば良いが・・・。それにしても春はまだ先というのにぃ、義父上は一体何を考えておられるのだっ・・・。)
その頃、篠山城陥落の報せを訊いた長島の一益が立ち上がる。
「ふんっ、北畠は脆すぎたかぁ・・・。それにしても、さすがは婿殿・・・、やることが早いわぃ。よぉっしぃっ、支度は整ったぁっ。滝川の仇討を始めるぞぃっ・・・。」
雄利は松ヶ島城の西の櫓で一人、南西の空を眺めている。日は暮れかけているが山々の手前から奥にかけて昇り立つ黒煙ははっきりと見える。寒風に晒されているものの、雄利は寒さを感じない。ただただ今の状況が呑み込めない。
(呆気なさすぎる・・・。)
年の暮れ、一益から北畠具親の居場所の報せを受けた雄利は、急いでこのことを京から帰還したばかりの信雄に告げた。信雄は雄利に九鬼水軍との協力を許し、清洲から軍勢五百を伊勢へ輸送する支度を始めさせ、さらに安濃津の織田信包にも陸路の援軍を要請した。
その頃、信雄に居場所が知られたことを察知したのか、急遽、北畠具親は挙兵することを決した。具親は先鋒・安保直親に千五百の軍勢を預け、まだ完成していない篠山の城から途中の村々を焼き払いながら山道を降り、大河内を経て、松ヶ島城を攻めるよう命じた。一方で、具親挙兵の報せを受けた松ヶ島城主・津川玄蕃允義冬は、籠城して援軍を待つ準備を整えつつ、同時に手勢三百の小隊を大河内に向かわせ、安保勢の足止めを謀った。
年が明けて夜半未明、大河内の山間から安保勢が勢い良く飛び出してきたところを、義冬の小隊が急襲した。野戦は仕掛けてこないとたかを括っていた安保勢はこの襲撃に混乱し、多勢にも拘わらずあっという間に隊を崩してしまった。安保勢は乱れに乱れ、多くの兵は逃げ出してしまい、直親をはじめとする将たちは篠山の城まで立ち退く羽目となった。敵軍総崩れの報せを受けた義冬は、自ら松ヶ島城を出陣し、勢いに乗じて敵兵を追い、ついには篠山城を取り囲むことに成功した。雄利の援軍が伊勢に上陸した頃には、既に津川勢は具親が籠る篠山城に攻撃を仕掛けており、落城も時間の問題であった。
(具親めぇっ、焦りおったかぁ・・・。戦の支度もままならぬまま、城攻めに撃って出るとはぁ・・・。)
ここのところずっと頭を悩ましてきた北畠残党であったが、自分が奮戦する間もなく片付くと思うと、雄利はいささか腑に落ちない。
(何か見落としてないか・・・。)
雄利が畏怖の念に囚われているところへ、遅れて着陣した信包が登ってくる。
「われらが助けは要らなんだみたいじゃのぉ、雄利殿ぉっ・・・。」
信包は雄利の右側に立ち、彼も黒煙の方角を眺める。
「あれだけ警戒しておりましたのに、こうも呆気なく具親を追い詰められるとはぁ・・・。あまりに呆気なさすぎるので、まだ何か裏があるかと勘繰ってしまいまする。」
信包は腕組みをする。
「同感じゃぁ。じゃがまだ油断するわけにはいかん・・・。具親を捕らえるか、首を獲るまでは安心できんぞぃ。」
雄利は頷くが、雄利の抱く懸念はもはや北畠のことではない。
「ところで山の手から義父上が攻め入って、具親を挟み撃ちする手筈だったのですが、遅れているようですなぁ。」
信包は眉を顰める。
「わしもそう訊いておったが、安濃津からここに至るまで一益殿の動きには全く気付かなんだわぃ。進む路は違えど、兵の動きはいくらか分かるもんなんじゃがのぉ・・・。」
「今頃どこまで兵を進めておられるのでしょうか。」
「うぅぅん・・・、少なくとも一益殿が長島から兵を出したら、わしの耳にも入るはずなんじゃがぁ、それもまだないぞぃっ。」
「えっ、もしかして義父上は動いていないとかぁ・・・。」
「理屈をいえば、そうなるかのぉ・・・。」
雄利は黙り込む。
(まさか、これは義父上の謀ぉっ・・・。狙いは何じゃぁ・・・。わしらに北畠を襲わせておいてぇ・・・。)
雄利の脳裏に美濃・尾張・伊勢一帯の絵地図が拡げられる。やがてその絵地図に近江・山城、さらに摂津・播磨・越前が加わったとき、雄利は思わず声を荒げてしまう。
「いかんっ、信包様ぁっ・・・、早う安濃津に戻っていただかねばぁ・・・。」
信包はただただ驚く。
「どっ、どうしたぁ、雄利殿ぉっ。なっ、何か気付いたんかぁ・・・。」
雄利の眼はこれでもかというくらいかぁっと開かれる。
「義父上が筑前様に抗う兵を挙げるかもしれませぬぅっ・・・。義父上がこの地に来ておらんということはぁっ・・・。」
「なっ、なっ、何じゃとぉっ。三七が囚われて、権六も動けんというのに、こんな折に筑前と戦を始めるというんかぁっ・・・。」
「義父上はわれらが兵を散らせている間に、一斉に兵を挙げるつもりでは・・・。筑前様も今は姫路におられる故、伊勢に兵を寄越すには刻がかかりまする。その前に義父上は北伊勢の砦を次々と整えていくっ・・・。そっ、それなら挙兵はむしろ今しかぁ・・・。」
「まっ、まさかぁっ・・・。」
「わたくしや信包様の御家来の中には、義父上と親しい者もおりまする。彼等が義父上と示し合わせておれば、今頃、北伊勢の城は、いやっ、安濃津の城も・・・。」
「乗っ取られるかもしれんというのかぁ・・・。うぅむっ、こうしてはおれんっ・・・、安濃津が気になるっ。」
「ここはお任せくださいませっ。義冬殿にこの城を固めさせ、わたくしも早いうちに信雄様の元に戻りまするぅっ。」
「うむっ・・・、頼んだぞぃ・・・。」
巨体を震わせ、武具の金具を軋ませながら、信包は櫓を急ぎ降りる。信包を見送ると、雄利は再び南西の黒煙に向き、そこからゆっくりと北へ視線を動かす。
(わたくしの早合点であれば良いが・・・。それにしても春はまだ先というのにぃ、義父上は一体何を考えておられるのだっ・・・。)
その頃、篠山城陥落の報せを訊いた長島の一益が立ち上がる。
「ふんっ、北畠は脆すぎたかぁ・・・。それにしても、さすがは婿殿・・・、やることが早いわぃ。よぉっしぃっ、支度は整ったぁっ。滝川の仇討を始めるぞぃっ・・・。」
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