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駆引
百二十七.挙兵の一益
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天正十一年一月四日 辰の刻
昨日から姫路は騒がしい。滝川一益挙兵の報せが届いた途端、城内外に戦支度の号令が響き渡り、明朝の出立に向け、家臣たちが慌ただしい。しかし天守最上階の秀吉は妙に落ち着き払っており、城下の様子を見下ろしている。
「筑前様ぁっ・・・、筑前様は居られますかのぉ・・・。」
階段からの馴染みの声が秀吉をはっとさせる。
「もっ、職隆殿ぉっ・・・。用があるならわしの方から降りてくっちゅうんにぃ・・・。」
秀吉が階段の方を振り向くと、息を切らせた黒田官兵衛の父・職隆がのそと登ってくる。ようやく登りきった職隆は腰を伸ばし、甲高い声を発する。
「いやあぁっ、筑前様はここがお好きですのぉ・・・。わしが城守してるときにゃぁ、ここへは滅多に登ってこんかったのにぃ・・・。」
秀吉は職隆を労わりながら座らせ、自らも対面に座す。
「ここは何とのぉ落ち着くんじゃぁ・・・。こっから景色を眺めちょると、世ん中の隅から隅まで見尽くせとるような気がしてのぉ・・・。」
「ほほほっ、筑前様の落ち着かれ様を倅にも見せてやりたいですなぁ。倅なんぞ、昨夕のうちに慌てて大坂に駆け出ていきましたのにぃ。」
秀吉は淡々と返す。
「官兵衛は戦となると眼の色が変わるからのぉ。大戦の前に大坂の城普請の指図を済ませとこぉっちゅうとこじゃろう・・・。」
「やあぁっ、大殿の仇討以来ですなぁ。まさかもう一度大戦の見送りを致すとは・・・。」
二人の会話は和やかである。
「わしも倅もそうですが、皆、一益殿は修理亮殿が動くと同時に兵を挙げると思っておったのではございませんか。何故、こんなにも早く兵を挙げられたのでしょう。」
「いやっ、決して早いわけではねぇ。わしは一益ならやりかねんと思ぉとった。」
秀吉の即答は職隆にとって何となく嬉しい。
「ほほぉっ・・・。」
「いくら一益が長島の城に籠ったとしても、籠城の支度ができてなければ城はすぐに落ちてまう。かといって三介殿らの見張っちょる中で籠城の支度は至難じゃ。わしが京を離れ、三介殿の兵が散り散りになっている隙に兵を挙げれば、籠城の支度の猶予ができる。そうはさせまいと北畠の亡霊をちらつかせちょったが、流石に一益には見抜かれたようじゃ・・・、はははっ・・・。」
「その話ぶりでは、一益殿が今兵を挙げたのも、筑前様の思惑通りのようですなぁ。」
「『思惑通り』は言い過ぎじゃあ。そぉではのぉてぇ、滝川一党は戦上手じゃから、さもありなんと見てとってただけじゃ。まぁっ、それならそれでわしがとるべき行動は決まっとるがのぉっ・・・。」
「さすがは筑前様っ。それでぇ・・・。」
心躍り出す職隆がその先を尋ねかけたところで、佐吉がすたと天守を登ってくる。
「お呼びでございましょうか。」
「おぉっ、佐吉ぃっ、すまんが関の父子を呼んできてくれんかぁ。」
「しょっ、承知仕りました。」
佐吉の返事がいつもより歯切れが悪いことに気付いた秀吉は、佐吉が退こうとするのを呼び止める。
「佐吉ぃっ、どぉかしたんかぁ・・・。」
「いっ、いえっ、何でもございません。」
秀吉は察する。
「もしかしてお主も思ぉたより早ぉ一益が動いたんが気になるんかぁ・・・。」
「はぁぁっ・・・、じっ、実はどうもわたくしめの手の者がしくじったようでぇ・・・。捕らえられて北畠の居場所に気づかれたようでございまする。」
秀吉に怒る気配は無い。
「そんなこつかぁ・・・。別に気にせんでえぇぞぃ。一益の方が一枚も二枚も上手じゃったっちゅうだけじゃぁ。」
秀吉は佐吉を励ましたつもりであったが、佐吉は大きな失態をしでかしたものと神妙に責任を感じている。そんな佐吉の動揺を目の当たりにした職隆は、佐吉の若さを何となく微笑ましく感じ、年寄りなりの一声を掛けたくなる。
「何をしょぼくれとるのかは知らんが、若い者は失敗するもんじゃ。肝心なのはその失敗を次に活かすことじゃ。ここだけの話、わしの倅も若い頃は失敗だらけじゃったわぃ。」
「えっ、かっ、官兵衛様がですかぁ・・・。」
「あぁっ、倅もお主のように幼い頃から頭が切れる子であってのぉっ・・・。それだけに策に溺れるところが多くて、あまりにふざけた謀ばかり云い出すもんじゃから、わしもしょっちゅう彼奴を叱っとったわぃ。」
「官兵衛様にそんな頃がおありだったとは・・・。」
「ふふふっ、彼奴とて人じゃぁ。最初から何でもかんでもうまくやりこなせる化け物ではねぇわぃ。とにかく若い者は何でも理詰めで物事を考えてしまうもんじゃ。しかし世の中は理屈が通らんことの方が多いもんじゃ。倅はいつしかそれに気付き、理に縋るではなく、人の心と動きを詠むようになりおった。有岡の城では死にかけたがぁっ、今思えば倅が理詰めの若い頃のままであったら、情けなぞ掛けられずその場で切り捨てられ、黒田の家はとっくに取り潰されておったわぃ。」
固唾を呑む佐吉は、ただただ聞き入る。
「佐吉よぉっ、お主は恵まれとるっ。主人が筑前様というのが何よりじゃぁっ。お主が失敗しても筑前様はちゃんと取り返してくださるんじゃからのぉ・・・。じゃが甘えられるのは今だけじゃ。筑前様がこれからもぉっと偉ぉなったら、お主が筑前様をお支えせねばならんのじゃぁ。その刻は必ず来るっ。今のうちよぉ学んどくんじゃぞぃ・・・。」
老体と羨望の眼差しの若人の間に口を挟めない秀吉の心中は、笑顔とは裏腹にむず痒い。
(はっ、早ぉ関殿らを呼んできてほしいんじゃがのぉ・・・。)
昨日から姫路は騒がしい。滝川一益挙兵の報せが届いた途端、城内外に戦支度の号令が響き渡り、明朝の出立に向け、家臣たちが慌ただしい。しかし天守最上階の秀吉は妙に落ち着き払っており、城下の様子を見下ろしている。
「筑前様ぁっ・・・、筑前様は居られますかのぉ・・・。」
階段からの馴染みの声が秀吉をはっとさせる。
「もっ、職隆殿ぉっ・・・。用があるならわしの方から降りてくっちゅうんにぃ・・・。」
秀吉が階段の方を振り向くと、息を切らせた黒田官兵衛の父・職隆がのそと登ってくる。ようやく登りきった職隆は腰を伸ばし、甲高い声を発する。
「いやあぁっ、筑前様はここがお好きですのぉ・・・。わしが城守してるときにゃぁ、ここへは滅多に登ってこんかったのにぃ・・・。」
秀吉は職隆を労わりながら座らせ、自らも対面に座す。
「ここは何とのぉ落ち着くんじゃぁ・・・。こっから景色を眺めちょると、世ん中の隅から隅まで見尽くせとるような気がしてのぉ・・・。」
「ほほほっ、筑前様の落ち着かれ様を倅にも見せてやりたいですなぁ。倅なんぞ、昨夕のうちに慌てて大坂に駆け出ていきましたのにぃ。」
秀吉は淡々と返す。
「官兵衛は戦となると眼の色が変わるからのぉ。大戦の前に大坂の城普請の指図を済ませとこぉっちゅうとこじゃろう・・・。」
「やあぁっ、大殿の仇討以来ですなぁ。まさかもう一度大戦の見送りを致すとは・・・。」
二人の会話は和やかである。
「わしも倅もそうですが、皆、一益殿は修理亮殿が動くと同時に兵を挙げると思っておったのではございませんか。何故、こんなにも早く兵を挙げられたのでしょう。」
「いやっ、決して早いわけではねぇ。わしは一益ならやりかねんと思ぉとった。」
秀吉の即答は職隆にとって何となく嬉しい。
「ほほぉっ・・・。」
「いくら一益が長島の城に籠ったとしても、籠城の支度ができてなければ城はすぐに落ちてまう。かといって三介殿らの見張っちょる中で籠城の支度は至難じゃ。わしが京を離れ、三介殿の兵が散り散りになっている隙に兵を挙げれば、籠城の支度の猶予ができる。そうはさせまいと北畠の亡霊をちらつかせちょったが、流石に一益には見抜かれたようじゃ・・・、はははっ・・・。」
「その話ぶりでは、一益殿が今兵を挙げたのも、筑前様の思惑通りのようですなぁ。」
「『思惑通り』は言い過ぎじゃあ。そぉではのぉてぇ、滝川一党は戦上手じゃから、さもありなんと見てとってただけじゃ。まぁっ、それならそれでわしがとるべき行動は決まっとるがのぉっ・・・。」
「さすがは筑前様っ。それでぇ・・・。」
心躍り出す職隆がその先を尋ねかけたところで、佐吉がすたと天守を登ってくる。
「お呼びでございましょうか。」
「おぉっ、佐吉ぃっ、すまんが関の父子を呼んできてくれんかぁ。」
「しょっ、承知仕りました。」
佐吉の返事がいつもより歯切れが悪いことに気付いた秀吉は、佐吉が退こうとするのを呼び止める。
「佐吉ぃっ、どぉかしたんかぁ・・・。」
「いっ、いえっ、何でもございません。」
秀吉は察する。
「もしかしてお主も思ぉたより早ぉ一益が動いたんが気になるんかぁ・・・。」
「はぁぁっ・・・、じっ、実はどうもわたくしめの手の者がしくじったようでぇ・・・。捕らえられて北畠の居場所に気づかれたようでございまする。」
秀吉に怒る気配は無い。
「そんなこつかぁ・・・。別に気にせんでえぇぞぃ。一益の方が一枚も二枚も上手じゃったっちゅうだけじゃぁ。」
秀吉は佐吉を励ましたつもりであったが、佐吉は大きな失態をしでかしたものと神妙に責任を感じている。そんな佐吉の動揺を目の当たりにした職隆は、佐吉の若さを何となく微笑ましく感じ、年寄りなりの一声を掛けたくなる。
「何をしょぼくれとるのかは知らんが、若い者は失敗するもんじゃ。肝心なのはその失敗を次に活かすことじゃ。ここだけの話、わしの倅も若い頃は失敗だらけじゃったわぃ。」
「えっ、かっ、官兵衛様がですかぁ・・・。」
「あぁっ、倅もお主のように幼い頃から頭が切れる子であってのぉっ・・・。それだけに策に溺れるところが多くて、あまりにふざけた謀ばかり云い出すもんじゃから、わしもしょっちゅう彼奴を叱っとったわぃ。」
「官兵衛様にそんな頃がおありだったとは・・・。」
「ふふふっ、彼奴とて人じゃぁ。最初から何でもかんでもうまくやりこなせる化け物ではねぇわぃ。とにかく若い者は何でも理詰めで物事を考えてしまうもんじゃ。しかし世の中は理屈が通らんことの方が多いもんじゃ。倅はいつしかそれに気付き、理に縋るではなく、人の心と動きを詠むようになりおった。有岡の城では死にかけたがぁっ、今思えば倅が理詰めの若い頃のままであったら、情けなぞ掛けられずその場で切り捨てられ、黒田の家はとっくに取り潰されておったわぃ。」
固唾を呑む佐吉は、ただただ聞き入る。
「佐吉よぉっ、お主は恵まれとるっ。主人が筑前様というのが何よりじゃぁっ。お主が失敗しても筑前様はちゃんと取り返してくださるんじゃからのぉ・・・。じゃが甘えられるのは今だけじゃ。筑前様がこれからもぉっと偉ぉなったら、お主が筑前様をお支えせねばならんのじゃぁ。その刻は必ず来るっ。今のうちよぉ学んどくんじゃぞぃ・・・。」
老体と羨望の眼差しの若人の間に口を挟めない秀吉の心中は、笑顔とは裏腹にむず痒い。
(はっ、早ぉ関殿らを呼んできてほしいんじゃがのぉ・・・。)
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