生残の秀吉

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百三十五.辛酸の正国

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中川清秀なかがわきよひでの助言を正国まさくにはどう受け取ったら良いか戸惑とまどう。

(ありゃぁ、励ましとるつもりなんじゃろうかぁ。性根しょうねの悪い御人ごじんではござらんようだが、結局他人の軽蔑けいべつなぞ気にするなと云っておられるのかぁ。何となくいい加減じゃのぉ・・・。じゃが勝豊様かつとよさまも似たような境遇じゃったというのは同感じゃ。そう考えれば、わしは勝豊様かつとよさまにずっと甘えておったのかもしれんのぉ・・・。)

正国まさくにの心が晴れたわけではないが、少しばかりの覚悟が芽生めばえ始める。

瀬兵衛殿せひょうえどのぉっ、わしはぁ・・・。」

正国まさくにが決意を語ろうとしたそのとき、小屋に一人の伝令でんれいが入ってきた。

隼人正様はやとのしょうさまからの言伝ことづてにございまする。軍議を開くゆえに、材木はここの蔵に預け、急ぎ堂木山どうきやまとりでに立ち寄れとのことです。」

「軍議とぉっ・・・。もしかして久太郎殿きゅうたろうどのがこちらに来ておられるのかぁ。」

然様さようでっ・・・。瀬兵衛様せひょうえさま将監様しょうげんさまほか、大鐘藤八郎様おおがねとうはちろうさま木下半右衛門様きにしたはんえもんさま、それに高山右近様たかやまうこんさまもお呼びになられておりまする。」

「まだ修理之亮殿しゅりのすけどのは動いとらんのじゃろぉ。そないにあわてんでもえぇんにぃ・・・。」

清秀きよひでにぶいが、正国まさくには事態をさっする。

瀬兵衛殿せひょうえどのぉっ、これはいよいよ筑前様ちくぜんさま伊勢いせ出立しゅったつするということではございませんかぁ。まだ軍勢が安土あづち佐和山さわやまに固まっている間に申し合わせをしておこうという久太郎様きゅうたろうさまのお考えでは・・・。」

「んっ、そっ、そうかぁ。そういうことなら致し方ないのぉ。では将監殿しょうげんどのぉっ、急ぎ出立しゅったついたすとするかぁ。」

二人は家臣たちに事情を告げ、伝令でんれいと共に堂木山どうきやまに馬で向かう。ふもとの少し盛り上がったところに設けた馬場ばばで馬を降り、その後は足で堂木山どうきやまを南から登る。先を行く清秀きよひでの後で、正国まさくには右に左にと山の様子をうかがいながら足を動かす。

(山頂のとりでをさらに南東にひろげるつもりのようじゃなぁ。確かに材木がもっと必要じゃ。ここが囲まれてもこたえられるように、実に頑強に造っとるっ。ということはやはり、北国街道ほっこくかいどうからここまでの平地に敵をおびせるつもりかぁ。じゃがこないに目立つようにかたとりでを造ってしもうたら、敵はさそいに乗ってこんぞぉ。)

正国まさくに勝家かついえの立場になって考える。

親父様おやじさまは見かけによらず慎重な御人ごじんじゃ。このとりで敵方てきがたの罠であることは容易たやすく見抜いてしまうわぃ。ここは力ずくではなく、乱破らっぱを忍び込ませて火をつけて混乱させるに違いない。いやいや、待て待てぇっ。わしはこれから御味方おみかたを裏切るんじゃ。わしがこのとりでを占拠して親父様おやじさま街道かいどうを通れるようにすればぁ・・・、と親父様おやじさまに信じ込ませるんかぁ。あぁっ・・・ややこしいのぉっ、頭が痛いわぃ・・・。)

寝返ねがえりの算段さんだんを頭の中でめぐらせているうちに、正国まさくにはいつの間にか山頂に辿たどいている。そこには小ぶりな屋形が築かれており、すでに何人かの将が中にいるのがうかがえる。

「よぉっ、久太郎殿きゅうたろうどのぉっ、右近殿うこんどのぉっ、只今参上さんじょうつかまつったぞぃ。」

大声でずかずかと屋形に上がる清秀きよひでの後を正国まさくにはついていく。陣幕の中にはすでに堀久太郎秀政ほりきゅうたろうひでまさ木村隼人正重茲きむらはやとのしょうしげこれ高山右近たかやまうこんが地図を囲んで座している。瀬兵衛せひょうえはすぐさま右近うこんの左隣に座し、久しぶりの会話を始めるが、正国まさくには気安く座れず、立ったままである。しばらくして正国まさくにに気づく重茲しげこれの声に、正国まさくにはびくつく。

将監殿しょうげんどのぉっ、材木は手に入ったんかぇ。」

「はっ、はいっ。御指図おさしずどおりにぃ・・・。」

正国まさくにあわててふところから帳簿を取り出し、重茲しげこれのところまで駆け寄る。正国まさくにが両手で帳簿を渡そうとすると、重茲しげこれは右手でばさと帳簿を奪い取り、平然と帳簿をめくはじめる。重茲しげこれさまは誰が見ても横柄おうへいで、不愉快である。

「うぅぅむっ、手配の数はそろっとるようじゃが、まだ足りんのぉっ・・・。」

「はぁぁっ・・・。」

清秀きよひでが助け舟を出す。

「まだ足りんっちゅうんかぁ。わしらのとりでを築くんがどんどん遅ぉなってしまうじゃねぇかぁ・・・。もうとりでを整えるんはこんくらいにして兵の配置を考えれば良かろう。」

かたわら右近うこんうなずくが、重茲しげこれは言い返す。

瀬兵衛殿せひょうえどのらはこの山の周りで駆け回る役目でござるから良いが、わしらは大軍を引きつける役目ぞぉ。とりではいくら強固なものであってもよいものぞぉ。それに寝返ねがえった者を前線に立たせて忠義をつくさせるはつねじゃぁ。こいつらを砦造とりでづくりにこき使っても文句はなかろう。」

重茲しげこれ正国まさくにの方を見ようともしないが、『こいつら』とは明らかに正国まさくにらを指している。重茲しげこれ侮蔑ぶべつの言葉に正国まさくにの心中は穏やかでない。右近うこん重茲しげこれいさめる。

「よさんかっ、隼人正殿はやとのしょうどのぉっ・・・。勝豊殿かつとよどの筑前殿ちくぜんどのの力に平伏ひれふし、忠義をお誓いなさったのじゃぁ。彼等かれらが前線に立つはこの地をよく知っておられるからこそっ・・・。共に陣をいつにする者たちを邪険じゃけんに扱ってはならぬぅっ・・・。」

重茲しげこれはおもしろくないが、右近うこん清秀きよひでそろって自分をいさめんとする目付きであったので、話を終わらせる。

「ふんっ、まぁぁよい。ではこれよりふもとへ戻り、はこんできた材木をこの堂木山どうきやまとりでてるよう支度したくいたせぇっ。いいなっ・・・。」

「えっ、わしは軍議があると訊いて、今来たばかりですがぁ・・・。」

「もう下がってもいいぞ。其方そなたらはこれからわしの眼の届くところに陣取って、わしの命に従ってもらう。藤八郎とうはちろう半右衛門はんえもんもじゃぁ。この軍議に加わる必要はないっ。」

重茲しげこれは帳簿を放り投げ、正国まさくにが受け止める。正国まさくにが他の三人の顔色をうかがうと、重茲しげきれ傍若ぼうじゃくぶりに三人ともあきてているさまである。仕方なくといった感じで秀政ひでまさ正国まさくにに向かって無言のままうなずくと、正国まさくには一礼して退室する。

「それではっ、材木を届けましたら、神明山しんめいやまに陣を移させまする・・・。」

正国まさくにの声は幾許いくばくかか細く、その上、誰もそれに応えない。正国まさくにが四人の視界から消えても、何とも居心地いごこちの悪い空気が陣中をただよう。それを晴らすように秀政ひでまさが云う。

「では、軍議を開く。」

あたりに響く秀政ひでまさの声は、正国まだくに身体からだを反射する。

(これから先が思いやられるわぃっ。まぁっ、隼人正殿はやとのしょうどのの申すことなぞ適当に聞いとりゃえぇがのぉ。それにしてもこのとりで、やはり無駄むだに強固にしすぎじゃのぉ・・・。)
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