生残の秀吉

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駆引

百四十六.裏切の正国 其の一

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天正十一年四月十三日 子の刻

(夜半に二匹のおおかみ遠吠とおぼえ・・・、これが合図っ。)

堂木山どうきやまとりでやぐら正国まさくには一人考え込む。

(合図のときには、既に親父様おやじさまの兵が堂木山どうきやまふもとまで忍び寄っている。五郎八殿ごろはちどのの隊か、彦左殿ひこざどのの隊であろうか・・・。いずれにせよわれらは北門を内から開け、兵を引き入れる。引き入れるのは半分までじゃ。これ以上は入れんとでもかして、残りを東門に回るよう誘う。とりでに入った半分をすぐに西門内まで連れて行き、そこから神明山しんめいやまを攻める支度したくをさせる。その最中さなかに西門が外から開けられ瀬兵衛殿せひょうえどのが討ち入る。一方で東門に回った半分は山の裏に隠れていた右近殿うこんどのの隊に攻められる。まもなく神明山しんめいやまとりで玄蕃允殿げんばのじょうどの又左殿またざどのに襲われるであろうが、東からの援軍が来ないを知ったら士気は落ちて撤退するであろう。おそらく親父様おやじさまは事が上手く運ぶを見越して、その間に再び狐塚きつねづかまで南に上るであろうが、そこへ久太郎様きゅうたろうさま小一郎様こいちろうさまの兵三万が北上して親父様おやじさまを迎え撃つっ・・・。玄蕃允殿げんばのじょうどのらが援護に向かえない分、親父様おやじさまの陣は手薄じゃ。そこを一気につぶすっ・・・。)

正国まさくに嫌気いやけが差すほど、何度も何度も頭の中で当日の手順を整理する。

(決行まであと三日・・・、いや日をまたいだんであと二日。うまくいくかのぉ・・・。)

正国まさくに溜息ためいき一つき、気晴らしに別のことを考えようとする。

(あれから隼人正殿はやとのしょうどのは何にも云うてこんが、流石さすがにもう此度こたび筑前様ちくぜんさまはかりごとを誰ぞから訊かされておるじゃろう。いくら堅いとりでとはいえ、備え無しで玄蕃允殿げんばのじょうどのらを迎え撃つわけにはいかんからなぁ・・・。今の隼人正殿はやとのしょうどのは、あんときのわしへの嘲笑ちょうしょうが恥ずかしくなって、わしと面と向かうことがでけんようになってしもうとるかもなぁ・・・。)

正国まさくにが曇り空をあおいでいると、一人の小兵こひょうやぐらを駆け上がってくる。

将監様しょうげんさまぁっ、一大事いちだいじですぅっ・・・。早くお逃げくだされぇっ。」

「なっ、何事じゃぁ・・・。」

隼人正様はやとのしょうさま何故なにゆえか、将監様しょうげんさま謀反むほんの動きありと申し出されまして、今兵をこちらに寄越そうとされておりまするぅっ・・・。」

「何ぃっ、わしが謀反むほんじゃとぉ・・・、血迷ちまよわれたかぁ・・・。」

と叫びつつ、正国まさくにあせる。

隼人正殿はやとのしょうどのはまだ筑前様ちくぜんさまの策を訊いておらんかったんかぁ・・・。一体何がぁっ・・・、はっ、まさか半右衛門殿はんえもんどのぉっ・・・。)

正国まさくには立ち上がり、神明山しんめいやまの方に眼を向ける。確かにとりで付近にはいつも以上に篝火かがりびかれ、騒がしい雰囲気である。

隼人正殿はやとのしょうどのがわしを討とうとしとるのはまことのようじゃぁ。どうするぅっ・・・。さっさと捕まって事を打ち明けるかぁ。瀬兵衛殿せひょうえどの右近殿うこんどのかばってくれようから、命だけは助かるじゃろぅっ。じゃがぁ・・・、それでは筑前様ちくぜんさまにあわせる顔があり申さんっ・・・。)

その間に神明山しんめいやまとりでの東門のきしむ音が聞こえてくる。もう時間はない。

隼人正殿はやとのしょうどのがわしを討てば、せっかくの筑前様ちくぜんさまはかりごと御破産ごわさんじゃぁ。そうなったら筑前様ちくぜんさまはわしだけでなく、長浜ながはまのわしの妻子も手に掛けるかもしれんっ・・・。うぅぅっ、どっ、どうするぅっ・・・。)

とりで付近の篝火かがりびが点滅している。おそらく兵が動き出している。

(こうなってはぁ・・・。)

正国まさくにはどっとひざまずき、小兵こひょうに命じる。

「これよりわしは親父様おやじさまの元へくだるぅっ、急いで皆に伝えよっ。わしに付いてきたい者だけでよいっ・・・。」

「しょっ、将監しょうげんさまぁっ・・・。」

「それとお主に頼みがある。お主は急ぎ長浜ながはまに向かい、わしの妻子を連れ出して、越前えちぜんまで届けてくれぇ・・・。頼むぅっ・・・。」

「かっ、かしこまりましたぁっ。ご無事でぇ・・・。」

小兵こひょうが立ち去り、まもなく正国まさくにやぐらを駆け降りる。そこから正国まさくに馬場ばばへ向かおうとすると、陣幕から利久としひさがひょっこりと姿を見せる。

将監殿しょうげんどのぉっ、騒がしいようじゃが何事じゃぁ・・・。」

すると正国まさくに咄嗟とっさに刀を抜き、利久としふさの鼻先に突きつける。驚いた利久としひさは腰を抜かし、その場に尻をついてしまう。

「よせっ、よせっ、将監殿しょうげんどのぉっ。わしが何をしたというんじゃぁ・・・。」

怒りの眼の正国まさくに利久としひさに尋ねる。

其方そなたぁっ、隼人正殿はやとのしょうどのに何を云ったぁ・・・。」

利久としひさには正国まさくにの質問の意味が分からない。利久としひさは自分の思うところを言葉に含ませることもできず、ありのままを云うしかない。

「はっ、隼人正殿はやとのしょうどのにはわしらが寝返ねがえるふりをすると云ったんじゃぁ。そしたら隼人正殿はやとのしょうどのは黙り込んで、そんでぇ・・・そんでぇそしたら『よくしらせた』といったまま何処どこかに行ってしもうたんじゃぁ。まっ、まことにわしはそれしか云うておらんっ・・・。」

依然いぜん、刀を突きつける正国まさくに馬鹿馬鹿ばかばかしくなる。

隼人正殿はやとのしょうどのはよほどわしのことが嫌いらしい。半右衛門殿はんえもんどのの言葉を信じず、わしがまこと寝返ねがえると思ぉておる。何ともおろかなぁっ・・・。)

奥歯を強くめる正国まさくには刀を納める。

半右衛門殿はんえもんどのぉっ、隼人正殿はやとのしょうどのまことにわしが寝返ねがえると信じて、これからわしを討ちに向かっておるっ。もはやここまで・・・。わしはこれより親父様おやじさまの陣にくだるっ。長い付き合いであったが、これからも其方そなたのご武運をいのっとるぞぃ。」

口を開けっぱなしにしながら呆気あっけとなる利久としひさを横目に、正国まさくには再び馬場ばばへ駆けていく。そこには十名ほどの正国まさくにの家臣たちが待ち構えている。

「皆の者ぉっ、すまんっ、今わしは謀反むほんの疑いを掛けられとる。もはやここにれば討たれるは必定ひつじょうっ。これより天神山てんじんやまに向かい、そこからさらに山をたてにして玄蕃允殿げんばのじょうどの行市山ぎょういちやまに向かうっ。残りたい者は残って構わんが、これだけは云わせてくれぇっ。これまでわしについてきて下さって感謝申す。これよりはおのれで道をひらいてくれぇっ。御免ごめんっ・・・。」

そして正国まさくには馬にまたがり、北門から飛び出す。そして待っていた正国まさくにの家臣たち全員が正国まさくにの後に続く。重茲しげこれの兵が到着したときには、正国まさくには既に天神山てんじんやまふもとにあった。

後日、しらせを訊いた秀吉ひでよしが激怒したことはいうまでもない。
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