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第一章 社畜と女子高生と湾岸タワマンルームシェア

9.後輩社員と初デート

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 俺の後輩・篠田彩香は、秀才で完璧主義タイプの人間だ。

 与えられた業務はどれもそつなくこなす。締切を破ったり、忘れたりすることはまずない。一つの仕事に熱中すると首が回らなくなり、他の仕事を遅らせて取引先から怒りの電話をしょっちゅうもらう俺とは正反対のタイプ。

 ある日、篠田と俺で取引先へ訪問して、取引先に言われていた機器の完成図面を忘れた時、俺は篠田のことが心配になった。

 会社に帰った後すぐメールで送る、と約束して事なきを得たが、篠田らしくないミスだった。本人も取引先に言われてから忘れたことに気づき、相当焦って謝罪していた。

 帰りの車中、俺は助手席で黙りこくっている篠田に話してみた。


「篠田。お前、最近何かあったのか?」

「は、はい?」


 明らかに動揺している篠田。最近何かあったらしい。


「ミスを責めるつもりは全くないんだが、図面忘れるなんてお前らしくないからなあ」

「……私には、何もないですけど。宮本さんのほうがヘンなんです」

「俺が?」

「宮本さん、最近彼女できたでしょ」

「……は?」


 彼女ができた訳ではないが、俺はすこしうろたえてしまう。

 仮想通貨の大暴騰で数億円の利益を勝ち取ったスーパー女子高生・常磐理瀬の家に住み始め、約一週間が過ぎたころだったからだ。


「どうしてそう思う?」

「宮本さん、最近なんかいい匂いしますもん」

「えっ?」


 アラサー社畜の俺は、日に日に劣化している自分の体臭なんか気にしたくもない。篠田が俺の体臭を気にしている、と考えたらなんかゾッとする。やべ。俺臭くないかな。

 だがこれは少し考えると答えが出た。理瀬の家では彼女と同じ石鹸やシャンプーを使っているから、その香りのことだろう。俺からいい匂いが発生する訳ないし。


「シャンプー変えたんだよ。たまたま安売りしてたやつ」

「それだけですか?最近の宮本さん、朝会社に来た時すごく元気そうですもん。パソコンつける前に他の人と笑い話なんかしてなかったでしょ。いつも死にかけた感じでパソコン立ち上がるまでぼうっと画面見つめてたのとは大違いです」


 俺自身は気づいていなかったが、篠田の言っていることは本当だ。

 通勤時間の短縮は、俺の社畜生活に劇的な変化をもたらした。これまで通勤に必要としていた往復三時間がそのまま睡眠時間になり、食事は理瀬に料理を教えるという名目でバランスのいいものを毎日とっている。1K六畳で愛猫三郎太や放置している荷物のため狭苦しいボロアパートから新築タワーマンション高層階の3LDKに移ったことで、近所からの騒音はほとんどなくなり、気密がいいためか暖房がよく効き、広く開放的なリビングでぼうっとする休憩時間は、会社での疲れを翌日までにすべて清算してくれた。

 社畜とJKの同居ということもありためらっていたが、正直、倫理観を踏みにじってでも手に入れたい快適な生活だった。

 しかし、これを篠田に話したら事案発生、社畜人生終了が確定する。


「ほんとにシャンプー変えただけだよ。彼女なんかいない」

「……ふーん、そうですか」


 篠田はあまり納得していないようだった。

 俺と篠田は四年近く同じ部署にいて、俺にずっと彼女がいないことを篠田は知っている。

 俺が会社であまり本音を話さないことも、きっと篠田は気づいているだろう。

 いつもならこれで流すところだが、いま彼女ができたと思われたらまずい。

 疑いが立った時、彼女として認識されるのは常磐理瀬だからだ。

 ここは一つ、疑いを晴らすために行動しなければならない。


「なあ篠田、今週の日曜ヒマか?」

「えっ、今週どころか次のお正月くらいまで予定ないですけど」

「ほぼ一年じゃねえか……ヒマだったらたまには二人でどっか遊びに行くか」

「えっ……えええええっ!?なんでいきなり宮本さんから!?」


 ラノベキャラの高校生じゃあるまいし、男女二人で遊びに行くことの意味くらい俺も篠田もわかっている。

 篠田が俺の部署に来てから今まで、一度も二人で出かけたことはなかった。


「お前、俺に彼女いるって疑ってるんだろ?でも彼女いたら、日曜に他の女と遊びに行ったりしないよな?」

「宮本さんなら普通にありそう……」

「どんだけ俺のこと信用してないんだよ……まあ、お前が嫌なら別にいいけど」

「い、嫌なんかじゃないです!ぜひご一緒させてください!」


 こうして、俺と篠田の初デートが決まった。

 ちなみにこの後、週末まで篠田のらしくないミスはさらに増えた。昼休みは他の女子社員とデートスポットや服の話ばかりしていたらしい。わかりやすいヤツだ。


* * *


 日曜。

 俺は篠田に、自宅の最寄り駅である蘇我駅まで来てもらい、車で拾った。


「すごい、マークXじゃないですか……宮本さん、渋い車乗ってるんですね」


 いきなり俺の愛車の名前を言い当てる篠田。

 会社の社有車にはない車種だし、女なら知らないと思っていたので驚いた。

 俺は車が好きで、入社してすぐの頃ローンを組んでトヨタ・マークXを買った。ミニバンやSUV全盛期の今の時代に純粋なセダン、燃費も税金も高いうえオーナーの年齢層が高めの車なので、女にはまずモテないと思っていたが篠田は興味津々だ。


「よく車の名前がわかったな。滅多に走ってないのに」

「私の地元のほうでたまに走ってます。エアロつけて車高下げたやつですけど」

「あー、それはなんとなくわかる」


 篠田はいま都内の女子寮に住んでいるが、出身は栃木県。都内まで電車一本とはいえけっこう田舎だ。

 栃木が田舎だとけなしたい訳じゃない。俺の四国の地元は栃木以上の田舎だし、地方民共通の常識というものがある。篠田とそれを共有するとは思わなかったが。


「宮本さんはああいう風にカスタムしないんですか?」

「しないよ。俺も地方出身だからヤンキーのVIPカーは知ってるけど、そういう乗り方はしない。俺はこの車のマークⅡから変わらないパワートレインに惹かれたんだ」

「ゼロクラウンと同じプラットフォームで、国産のV6FRセダンってもはやマークXくらいなんですよね」

「お前、よく知ってるな」

「宮本さんが会社で車乗ってる時に言ってたんですよ。宮本さん、社有車の中で車の話ばっかりするから、私まで車に詳しくなっちゃいました。寮に駐車場ないから、自分で持つのは諦めてますけど」


 俺が言ったことを、篠田は覚えていて、俺は忘れている。

 何となく申し訳ない気持ちになる。ふつう女は興味を持たない車の話を、篠田はまるで引き出しの隅っこへ大事にしまうように覚えてくれているのだ。


「すごく気持ちよく走りますね、この車」

「最近はハイブリッド車とかダウンサイジングターボの4気筒とかが増えたけど、6気筒エンジンのなめらかな吹け上がりは最高だぞ」

「運転してみてもいいですか?」

「それはやめてくれ。俺にしか保険かかってないから」

「じゃあ、私が宮本さんと結婚したら乗れるようになりますか?」

「家族になっても本人限定の保険にするからダメ」

「ひどい!私だって運転くらいできますから!」


 篠田は楽しそうに、運転に集中している俺の顔色をうかがっている。

 走り出してすぐの頃はよく見ていなかったが、私服の篠田はきれいだった。

 いつも職場ではスカートスーツを模範的に着ていて、それはそれで綺麗なのだが。

 髪を下ろし、暖色系のセーターとスカートを綺麗に着こなし、大人っぽさと若さが両立している。このところ制服かパーカーかジャージしか着ない女子高生ばかり見ている俺としては、『きれいにしている女性』を見ただけではっとしてしまう。

 しかも俺の車の助手席に篠田が座っている。ちょっと手を伸ばせば届きそうな位置に。

 四年近く一緒に仕事をしているというのに、あらためて異性としての美しさを篠田から感じてしまい、俺だけちょっと気恥ずかしくなった。


「篠田の私服始めて見たけど、けっこう綺麗だな」

「えっ!えっえっ!何言ってるんですか宮本さん!もう!ヘンですよ!」


 篠田は顔を真っ赤にして、足をじたばたさせている。

 女を褒めるときは顔や身体でなく、そのファッションを褒める。そうすれば九十九パーセントの女は喜ぶ。基本的なことだ。モテない俺でもそれくらいは知っている。


「がんばって選んでよかったです!あとでレイカちゃんにお礼言っとかないと」


 レイカちゃんとはうちの部署にいる、篠田よりも後輩の女の子だ。篠田と違って職場でもカーディガンなんかでファッション性を出す子だった。


「レイカちゃんに選んでもらったの?」

「はい。昨日レイカちゃんと一緒に買いに行ったんです。私、服屋さんに行くといろいろありすぎてどれ着ていいかわかんなくなって、結局安くていつも買うユニクロになっちゃうので」

「でも着こなしは綺麗じゃん。職場のスーツもよくあんなにぴっしり着れるよな。スーツなんか普通、維持がめんどくさくてヨレヨレになるもんだが」

「それは男の人だからだと思いますけど……私、中身はポンコツだから服くらいちゃんと着なさい、って昔から家族に言われて育ったので、着こなしだけは完璧ですよ」


 綺麗な服は世の中にたくさんあるが、それを着て、それが似合っているように振る舞うのはけっこう大変なことだと思う。その点篠田は完璧だった。新品でよれ一つない服と、篠田のつやのあるロングの黒髪、はりのある肌、すこしだけ丸っこい身体つきは、完璧にうまくマッチングしていた。

 服選びを手伝ってもらったとはいえ、外出のために努力するという発想があるだけで女子力を感じてしまうのは、女子力ゼロの女子高生と一緒に住んでいるからだろうか。


「ところで、今日はどこに行くんですか?結局ドライブとしか決めてませんけど」

「ああ、ちょっと走ったところに俺のお気に入りの美術館があるんだ」

「お気に入りの美術館……?み、宮本さんが……?」

「俺が美術館好きで悪いかよ」


 まあ、会社の風土がどちらかというと体育会系で、美術館に行く男子社員なんか皆無だから、篠田がそう思うのも仕方ないけど。

 社畜でも、デートの日くらいはカッコつけていいだろ?
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