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第四章 社畜と女子高生と青春ラブコメディ

15.社畜と帰省

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  夢を見ている。

 俺は実家の居間にいて、亡くなったはずの祖父と祖母を相手に話をしている。

 最近、東京の会社でどんな仕事をしているのか、ひたすら祖父に説明している。


「なにいよるんか、わからんわ」


 しかし、耳が遠い祖父は、俺の話したことを認識していない。

 俺は、年老いるまで家庭のため働いてくれた祖父に、今はもう立派な社会人になったのだと説明したい。だが、祖父にはそれを聞く力がもう残っていない。俺が何を言っても、へらへらと笑顔でうなずくだけだ。


「会社入ったんやけん、次はさっさと結婚しな。合コンでも何でもして、彼女作りな」


 祖母は、祖父と違って耳が聞こえている。だが、俺の話を聞くつもりがない。何を話しても、そればかり俺に言ってくる。

 祖母は、自身が描いた理想を一つしか知らない。人並みに働き、人並みに家庭をつくること。そして孫の顔を見せること。

 俺がどんなに仕事をこなしても、それにはまるで興味がないのだ。

 両親が共働きだった俺はおじいちゃん・おばあちゃんっ子で、二人を愛し、尊敬もしていた。

 だが、大人になった今は違う。健康の差はもう埋めようがないし、価値観の面でも、俺の方がずっと現代的な思想をもっていて、それを説明しようにも、受け入れられるとは思えない。何より、説明しようという気力が俺にない。

 俺は、じいちゃんばあちゃんを心配させないために、まっとうな社会人になったはずなのになあ。

 そう思いながら、届くはずのない自分の思いを、ひたすら説明している――


** *


 目が覚めた時、俺の視界にはじっとこちらを見つめている理瀬の顔だけが写っていた。

 お互い横になり、かなり近い位置で眠っていた。俺が眠りに落ちたときは、それなりに離れていたはずだが。


「大丈夫、ですか」

「んー……」

「うなされてましたよ」

「そう、かも、な」

「怖い夢ですか? 私でよければ、甘えていいですよ」

「いや、そういのじゃなくて……なんつーか、夢見が悪い」


 悶々としたままの体を覚醒させるため、俺は体を起こした。

 つられて理瀬も起きる。

 しばらく布団を見つめたあと、隣にいる理瀬の姿を見ると、上半身はキャミソール一枚、下は布団に隠れてよく見えなかったが、見える部分の布面積から察するにパンツだけだった。


「なんて格好してんだ」

「一緒に寝ていたら暑かったので、脱ぎましたよ」

「脱ぎましたよ、じゃない。一発で目が覚めたわ」

「……襲ってこないんですか?」


 恥ずかしがりながらも、じっと俺の目を見ている理瀬。なんか、嫌な予感がする。


「お前、照子になんか吹き込まれたな?」

「……」

「言え」

「……宮本さんは、せ、性欲が強いので、薄着の女の子が近くにいたら絶対襲ってくるって」

「あのアホ今度会ったら○す」


 俺は理瀬に無理やり布団をかぶせ、肩から下が見えないようにした。


「本当かどうか、試してみたくなったのか?」

「……わかりませんか?」

「襲ってほしいとでも言うのか」

「……」

「あのなあ、理瀬。お前そういう経験まだないんだろ。初めては大事にしとけ。別にちょっとくらい遅くても、大したことないから。そんなバカな事で焦るんじゃない。お前が彼氏作りたいのって、そういう体験するためなのか?」

「……もういいですよ」


 俺は説教モードだったが、理瀬は真に受けず、ふてくされたまま布団の中でもぞもぞと動きまわり、服を着た。説教をろくに聞かないなんて、いけない子だ。

 時計を見ると、ちょうど十二時過ぎ。二度寝としてはちょうどいい時間だ。

 理瀬は「昨日のお料理がもったないので」と言って、残り物をささっと加熱して出してくれた。二人で昼食をとる。寝起きのためか、言葉は少なかった。

 食べ終わり、食器を片付けた後、二人で同じソファに座って話をした。


「さっき、どんな夢見てたんですか」

「ああ、死んだじいちゃんとばあちゃんと話してる夢だった」

「それは悪い夢なんですか?」

「まあ、いい思い出ばかりじゃないからな……俺、今年の正月は三年ぶりに実家へ帰るんだ。今その夢をみたのは、それを思い出したせいかもしれない」

「三年ぶりなんですか? お正月くらい、実家に帰らないんですか」

「うちの業界、年末年始にしかできない仕事とかあるんだよ。一年中動きっぱなしの工場の電気設備とか、皆が休んでる年末年始のわずかな時間に点検とかするんだ。そのせいでここ二年、年末年始は仕事してた。誰かがやらなきゃいけない仕事だから、仕方ないんだよな」


 本当は、実家に帰りたくないからわざわざ年末年始の仕事を引き受けていた、という部分もある。ただ、理瀬にその話を説明する気にはなれない。俺の実家のことは、理瀬にはほとんど話していない。女子高生をまっとうな大人にするため必要な話題だとは思えないからだ。


「今日はさっさと帰って、実家に戻る準備するよ」

「あの、宮本さん」


 俺が立ち上がった瞬間、理瀬が服の袖をつかんで止めた。


「宮本さんは……もう、私の家には、あまり来ない予定なんですよね」

「ああ。大体のことは教えたし、本物の保護者も近くにいるから」

「私、一つだけ宮本さんに教えてほしいことがあるんです。多分、宮本さんじゃなきゃ教えられないことだと思います。これが最後でいいです」

「……何だよ?」


 突然の熱気に負け、俺はふたたび座った。


「さっき、年末年始も『誰かがやらなきゃいけない仕事だから』って働いてる話がありました。私、宮本さんがいつも仕事で辛い、と言っている割に、自分から辛い仕事を引き受ける理由が、よくわからないんです。社会のためだから、みたいなことを以前言っていましたけど、自分が辛いなら、他の選択肢もあるはずですよ」


 確かに、理瀬には会社生活の苦しさばかり伝えていた。辛い仕事とはいえ、無事に終わったらそれなりの達成感があるし、社会貢献しているという気持ちもある。そのあたり、理瀬には説明していなかった。


「私、照子さんからいろいろ聞きました。宮本さん本当に歌が上手くて、プロデビューしても問題ないくらいだったのに、堅実に生きる道を選んだのは何か理由があるはずだって。宮本さんのことをいろいろ知っている照子さんでも、それだけはわからないそうですよ」


 そういえば、照子にも詳しくは説明していなかった。『安定した職業がいい』としか言わなかったと思う。類まれなる才能をもち、俺を仲間に入れる力すら手に入れた照子に対して、俺が対抗できるのは『安定』という将来への希望だけだった。自分が照子より才能で劣っていると認めたくなくて、別のもので照子との差を埋めようとしていたのだ。


「だから、私、知りたいんです。宮本さんが、今の仕事を続けられる理由を」

「なんでって……生きるため、じゃだめか?」

「本当に生活するだけなら、もっと楽で時間のある仕事もありますよ。でも宮本さんは、今の仕事を続けている。それはきっと、何か理由があると思うんですよ」

「理由なあ……」


 一応、あるにはある。照子と一緒の道を断り、篠田を傷つけながらも達成したかった、俺なりの生き方が。

 ただ、今すぐに、うまく説明できるとは思えない。そういうことを理瀬に語るための言葉を、俺はまだ準備できていない。


「……あの、一つお願いしてもいいですか」

「何だ?」

「宮本さんの実家へ、一緒に行かせてください」

「徳島へ? マジで何にもないぞ」

「宮本さんの生まれ育ったところに行けば、何かわかる気がするんです。旅費は自分で負担します。ずっと一緒にいなくてもいいです。私だけホテルに泊まって、昼間だけどこかへ行くとか」

「冬休みの旅行みたいなもんか」

「それでもいいです。私は、宮本さんが見て、感じてきたものを知りたいんですよ」


 どうして理瀬は、こんなにも俺のことを知りたがるのだろうか。

 俺も、若い頃の親がどんな人物だったか、少し気になったこともある。ただ、そのために自分の足を動かして何かするほどの事ではなかった。

 理瀬も似たような気持ちなのだろうか。

 真意はわからない。なにせ、こいつは俺なんかよりずっと深い思考をもつ化け物なのだ。

 俺は迷った。実家に連れていっても、理瀬とどういう関係なのか親には説明できそうにないから、実家そのものに入れるのはなし。ただ、若い頃過ごしたところ一緒にめぐるくらいは、してもかまわないんじゃないか……

 何より、独身男が実家に帰っても、暇なだけなのだ。


「……俺、車で徳島まで帰るんだけど、車酔いとか大丈夫か?」


 俺が言うと、理瀬は好奇心に満ちた、眩しい目をしていた。
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