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第六章 社畜と女子高生と二人の選んだ道

7.社畜と社会復帰

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 脳梗塞で倒れたことを知ってから、照子はそれまでとは逆に、俺のことを心配するようになった。脳梗塞のことを命にかかわる大病だと思っており(実際そうなのだが)、まるで風邪をひいた子供を看護するように、食事も着替えも全部世話しようとした。そこまでされても困るだけなので、もう治ったから心配ない、と何度も説明した。

 俺としては、照子の更生計画を立てるのが急務だった。


「なあ、照子。これからどうする? しばらく音楽はできないだろ。一生遊んでくらせるだけの蓄えはあるのか?」

「多少はあるけど……そんなには、ないと思う」

「そうか。体が動くなら、さっさと次にすることを探した方がいいかもな。無理は禁物だが、ずっと一人でいても悶々とするだけだから」

「うーん……うち、音楽以外はファミレスのバイトくらいしかしたことないけんなあ」


 ファミレスのバイトは、大学生時代の照子がバンド活動の傍らに行っていたものだ。けっこう真面目にやっていて、プロデビューの話が本格化するまでは照子のライフワークのようなものだった。

 収入はがくっと落ちるが、再起をはかる準備としてはちょうどいいかもしれない。飲食店の忙しい環境で否応なく動かされれば、悩む暇はなくなる。


「バイト、でいいんじゃないか? とりあえず、次にやりたいことが見つかるまでは」

「うち、有名になってしもうたけん、雇ってくれるところないと思う」

「今はどこも人手不足だから、誰も気にしないよ。というか、俺に心当たりがある」


 俺はエレンに連絡した。エレンの両親が営むドイツ料理店は、表参道という敷居の高い立地もありなかなかバイトが集まらない、という話を聞いていたからだ。

 相談してみると、エレンは両親にかけ会い、あっさり了承してくれた。照子も「あそこだったら雰囲気ええし、別にええよ」と納得した。

 それから、引っ越しや音楽機器の処分をすることにした。もう六本木に住む必要もないので、世田谷区の適当なところにアパートを借りることにした。照子の命である作曲用のパソコンとキーボードだけは残して、他の高額な機器は全部捨てた。

 照子と一緒に賃貸物件を探していると、不動産屋に「新婚ですか?」と言われることもあったが、お互い渋い顔で「違います」と言うだけだった。やはり、もう二度と戻れる仲ではないのだ、ということを実感した。

 そんなこんなで、照子がまっとうな生活を送れるようになるまで、俺は世話を続けた。

 俺としては、とにかく照子が社会から孤立することだけは避けたかった。どんなに辛くても、社会の歯車になって回転し続けている限りは、自分が必要とされているという実感を受けられるし、他の人たちとの交流も保てる。社畜の俺には、この社会で生き残る手段はその一つしかわからない。

 もしかしたら、照子はまた作曲する気になって、音楽業界に復帰するかもしれない。あるいは一生フリーターのまま過ごすかもしれない。それはわからないが、とにかく安定した生活を提供したい一心だった。

 おおむね上手く進んだ照子更生プランだが、もしいま、ここに理瀬がいれば、照子の才能に即した別の更生プランを立てられたかもしれない。そう考えている時だけは、少し悲しくなった。


** *


 照子の社会復帰と平行して、伏見と、理瀬をもとの生活に戻すための作戦会議を続けていた。伏見と初めて会ったあのカフェで、俺達は定期的に会っていた。

 伏見から見た古川の存在は、今は完全に『敵』だった。かつての『信頼できる上司』というイメージは、完全に消えていた。俺を攻撃するために照子へ手を出したことで、伏見の考えは変わってしまった。


「やっぱり、理瀬ちゃんから親権喪失を家庭裁判所に申し立てるしか、ないと思います」


 官僚という職業柄、法律に詳しい伏見が出した結論は、親権喪失というものものしい手続きだった。

 伏見によれば『父又は母による虐待又は悪意の遺棄があるときその他父又は母による親権の行使が著しく困難又は不適当であることにより子の利益を著しく害するときは、家庭裁判所は、子、その親族、未成年後見人、未成年後見監督人又は検察官の請求により、その父又は母について、親権喪失の審判をすることができる。ただし、二年以内にその原因が消滅する見込みがあるときは、この限りでない。』という。

 しかし、親権喪失はハードルが高い手続きだった。直近でも、申立の二割くらいしか認められていないらしい。子にとっても、どんな奴であれ親権者がいなくなるのは痛手になる。裁判所もかなり慎重に判断するらしい。


「そうなると、何をもって古川さんが親権者に値しないか、証明する必要があります。理瀬ちゃんが見たというペン型の盗撮器具を根拠に、盗撮を性的暴行だと言いはる他ないですが、正直弱い気がします。そもそも、その器具が本当に盗撮器具なのか、仮にそうだとして理瀬ちゃんの写真が写っているのか、私たちは確認していません」

「そうだな。俺たちの手元にある武器は、正直言って弱い」

「それに、もし親権喪失が認められたとして、親のいない理瀬ちゃんには未成年後見人が必要になりますが、それも家庭裁判所が判断するので、宮本さんが選ばれるとは限りません」

「亡くなった和枝さんの遺言で、未成年後見人に指名されているとは言えないのか。実際そういう約束をしかけたぞ」

「遺言状って、書式が決まったちゃんとしたものでないと法的に有効じゃないんですよ。そう言っていた、というレベルでは、裁判所は信用してくれません。そもそも宮本さんと和枝さん、理瀬ちゃんの関係自体、かなり特殊なので、裁判所がどう受け取るか想像もできません」

「そのときは、俺と和枝さんが付き合っていた、とでも言うしかないな」

「篠田さんとお付き合いしていたのに、よくそんな軽薄な態度が取れますね」

「理瀬のために必要だと思ったことは何でもするからな」

「……そこだけは徹底されてるんですね」

「どっちにしろ、今は理瀬と直接話す手段を得るのが先だと思うけどな。親権喪失の申立にしたって、理瀬がやらないと意味がないんだから」

「そうですね。でも、そこは私も作戦がありません。古川さんのガードは鉄壁です。自分が子供に親権喪失の手続きを起こされたなんてスキャンダルが起こったら、絶対に今の地位ではいられませんから」

「うーむ」


 八方塞がりか、と思われたその時、俺の携帯が鳴った。

 前田さんからだった。

 俺はある種の恐怖を覚えながら、電話に出た。


「もしもし、宮本です」

『やりましたで、宮本さん』


 電話を通じて聞こえる、前田さんのいかにも関西人の親父っぽい邪悪な口調で、俺は内容を悟った。


『長いこと連絡できんで、すんませんでした。こっちも必死だったんですわ。明日の週間文々、買うてみてください』

「まさか……」

『すんまへん、今は長電話したら怪しまれるんで、ほな』


 青ざめる俺を、伏見が怪訝そうに見つめていた。


** *


 翌日。

 会社帰りのコンビニにて、有名な週刊誌を手に取った。

 表紙を見て、俺は全身に冷や汗をかき、卒倒しそうになった。


『財務省事務次官、二十年前に女子高生と援交三昧』
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