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第一章

第37話

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「……?」

 頭上から巨大な物が倒壊するような音でイリスは目が覚めた。

 何事かと思い天井を眺めていると、廊下の先の部屋から迫る足音が聞こえ、勢いよく扉を開けるのはあの男。

「はぁ……はぁ……」

 入った来た男は相変わらず表情が見えないものの、肩で呼吸をしていることから焦っていることが伺えた。

「もしかしてご自慢のアジトを騎士団にでもせっつかれたの?」

 そのことからイリスは自分を捜索している騎士団との交戦に入ったのだと思い、意地の悪い笑みを浮かべ相手を挑発する。

「騎士? はっ、笑えるぜ……」

 だが男は挑発にも乗らず、イリスの予想を嘲笑するものだった。

「これじゃ時間が足りない……どうすればいい? またこれに頼るのか……?クソっ、最悪だ!」

「……」

 イリスはいつもとは態度が違いブツブツと独り言を言う男を怪訝に思いながら、その動向を伺っていると、

「頼むから傷つけないでくれ……!」

 男は首元から青い首飾りを取り出し両の手で祈るように包みこむ。

「なにを……、っ!」

 イリスは男から魔力を感じ取り思わず後退する、と同時に首飾りが青く輝くのを見た。

 そして辺りすべてが青に包まれたと思えば、すぐに光の霧が収まり仄暗い廊下に戻る。

「くっくっく……『傷つけないでくれ』、だぁ?笑えるぜ」

 聞き慣れた口調には先ほどのような何かにおびえるような様子はなく、まるで別人のように喋り出した男はイリスのいる檻の扉を開け入ってくる。

「それは決めるのは“お前の心”なのになぁ?」

「なにを言ってるの?私はそんなことを望んでないのだけれど」

「悪いな、お前には言ってないんだぜ。アイリス様!くっくっく……」

「気持ち悪い……」

 近づいてくる男にイリスは後ずさる。しかし、じりじりと距離を詰められ終いには壁と背中合わせになる。

「やっとだ。やっとこの日を待ち望んだッ……!」

「痛っ!」

 突如両手をつかまれ壁に押さえつけられるイリスは苦悶の表情を見せるが、男はお構いなしに力強く押し付ける。

「まずは匂いでも嗅いでおくか?」

 首元に顔を近づけ鼻を鳴らしながら嗅いでくる男にゾッと総毛立つイリス。

「少し……汗臭いか?」

「ッ!!」

 気にしていたことを他人に指摘され、イリスは歯ぎしりをして羞恥を堪えようとするが、赤面までは隠せていない。

 風呂などあるはずもないこの部屋、清拭する道具も当然ない。加えて窓もなく風通しの悪い部屋にただ放置されていれば誰であれ、同じ状態になる。

 だが男はそんなイリスの反応に気づき、ニヤリと覆面の下で笑う。

「年頃の女がこんなザマなんてなぁ。お前を好きだった男たちはこれを見たらさぞ、幻滅するだろうなぁ?」

 男は笑いながら続ける。

「お友達が今のお前を見たらどう思う?不潔な汚ねぇ服着て、何日も風呂も入らず、おまけに汗臭いなんて」

「誰だってこうなるのは当たり前よ!」

 思わずイリスは叫び、男からの拘束を解こうとするが───

「『さすがにどうかと思います……アイリス様。高貴な王女様にはふさわしくないです』」

「───は?」

 不意に聞こえてきた友人の声、セレシアの声に一切の動きが止まる。

「『イリス王女……さすがにそれはねぇよ。女らしさっつーのを見直した方が良いぜ?』」

「なに、それ」

 ギードの声はイリスの記憶の中でピタリと符合する。

「どうだ?おもしれぇだろ」

「なにを───いったいなにをしたのよ!」

「くっくっ、その顔傑作だぜ!」

 男はただ愉快だと笑い、イリスは抵抗する。

「いい加減、はなしなさいよ!」

「おっ、と」

 男はわざとらしく両手を離し、イリスから距離を取る。

「あなた一体何!?何が目的なの!?こんなふざけたマネしてただで済むと思ってんじゃ───」

「───『ははっ!まぁまぁ、アイリスもそう怒らないで』」

「それを、やめろっつってんでしょ!!!」

 クラウスの声でからかう男に耐えきれず殴りかかろうとするが、ガシャンという音。鎖がピンと張るだけで拳は届かず終わる。

「まるで犬みたいだ。惨めだなぁ?やっぱりこんなのを好きになっちまうなんて、てめぇも馬鹿だな」

 自分以外と会話するような男の気色の悪さに冷静さを取り戻し、イリスは深呼吸をする。

「……あんたさ、さっきから独り言多すぎ。気でも狂ってるんでしょ?まぁ、こんなことできるのがまともなはずないか。ホントに気持ち悪い」

 イリスはやり返さんと男を再度挑発するようにその覆面に注視する。

「そろそろその鬱陶しいマスクを取って会話したらどうなの?」

「はぁー、いい加減気づいてやれよイリス王女。こいつも哀れになってくるぜ」

 やれやれといった様子で肩でアクションするものの、男は顔を覆うマスクを取るように右手を頭に持っていく。

「ま、そろそろ終いだから見せてやるよ」

 そうして表れたのは───

「───『これで、満足?アイリス』」

「……ぁ……な……!」

 声は間違いなく、クラウス。

 しかしその顔は子どもの頃から見知ったはずのそれで、どう考えても記憶の中と相対する本人が一致しない。だが、現実である彼を見間違えるはずもなく。

「どう、して───」

「お気に召したか?イリス」

 イリスの混乱を楽しむように薄気味悪く男は笑う。まるでこれ以上の喜劇などないといった様子で高みの見物を決める観客のように。

 そして注目されるのが舞台上の主役であるように、自信を纏った彼こそは───

「───ルーク……ッ!」

「会いたかったぜ、イリス。やっとお前が、俺を見てくれた」

 目の前に立つ男は幼馴染のルーク・ドゥスタの顔に相違なくその事実が、受け入れがたい真実となる。

「くっくっくっ!イリス、アーティファクトは当然知ってるよな?」

「…………それが……なによ」

「なら、学院に保管されてた《アイの首飾り》はどうだ?覚えはあるだろ?」

「アイの、首飾り……?見たことはないけれど……まさかっ!?」

「ああそうさ。これがその、首飾りだ」

 男から首元から取り出したのは先ほど青く輝いた首飾り。ルークは首飾りを掛けたまま、イリスに見せびらかすように目前に突き出す。

「このアーティファクトは使用者の潜在的な欲求を顕在化するっつーなんとも色物なブツなんだがな。俺はどうやら、こいつをパクった奴らに良いように操られてたみてぇなんだ。そのことに気づいたころにはこいつをもう手放せなくてな」

「なら……!」

「───が、まあそんなことはどうでもいいんだ。勘違いすんな?どうでもいいっつーのは捨て駒にされたことであって今のこの状況じゃねぇ」

 イリスは説得の余地があると踏んで言葉を続けようとするが、ルークが遮る。

「さっきの声真似もこの首飾りの能力さ。殺した奴の声帯を模写するっつーな」

「ぇ……?」

 唖然とするイリスにルークは続ける。

「傑作だったぜ、どいつもこいつも命乞い。『や、やめてくれぇ!死にたくないぃ!』ってな。魔剣士のくせに男も女も両方大したことなかったがな。いや一人はボンボンな学院生だったか?」

「彼らを……ころした?ギード君に、彼……セレシア、も……?」

「あぁそうそう、クラウス。あのガキは俺たちの仲間が拷問してから俺が殺した。容疑者だから連行するっつてな。そしたらあいつ『僕は何も知らない……!』『僕はやってない!』『いやだ!ごめんなさい!』って、無様が極まってたな。くっくっく……!」

「そ、そんなのありえない!彼は、だって……私より……」

 否定しようとするが確信が持てず、言葉に詰まるイリス。それを冷たい眼で見るルーク。

「……あぁそうだ、そのセレシア。殺す前に俺たちがマワしたぜ?」

「まわした……?」

 聞き慣れない言葉にイリスは目を細める。

「なんだ、純情なお姫様は性に詳しくねぇんだな。マワすっつーのは───」

「……!?」

 ルークは細かくその状況を説明する。

 どんな凄惨な現場であったかを生々しく想像できるよう丁寧にゆっくりと。

「───ってとこだな。ありゃいい女だったわ」

「ぁ、ありえない!そんなこと信じられるわけないじゃない!」

「なら、その時の記憶でも見るか?ほら、こいつに触れてみろ。たまげるぜ?」

「……!」

 差し出してくるのはほのかに青く光る首飾り。それに意を決して手を伸ばすイリス。

 触れた瞬間、暗い路地を歩く魔剣士学校の制服を纏う生徒、髪色からセレシアである人物だと伺え、その後ろから忍びよる視点が見える。

 すると次の瞬間、口を覆うようにしてセレシアが多数の男に組み敷かれ乱暴されている様子に変わる。

 口をふさがれた手にかみつくセレシアだが、噛まれた視点の主は反撃とばかりに殴り返す。それを何度も容赦なく。

 そして制服は引き裂かれ、その下の白い肌には痛々しい傷がつけられている。必死に抗うが、抵抗も虚しく───先ほどのギードの説明と一切違わない光景が脳裏に浮かび上がった。

「どうだった、お友達が汚されていく様子は?」

「……ぅう、……セレシア、ぁ……ごめんなさい……わた、わたしが……!」

「あ?怒りに身を任せて殴りかかると思ったのに、泣いちゃったな。くっくっく……そそるなぁ」

 イリスはぽろぽろと悔恨の涙を流すが、ルークはそれを満足げに見ながらいやらしく笑う。

「そうしたら、次はお前の番だな」

 そういうとルークはイリスに近づき、首を掴み上げるようにしてから床に押し倒す。

「ぅぐっ……!」

「アイリス、俺はお前が欲しい。その身体も心も、人生のすべてを俺は欲しいんだ」

 イリスはルークの力量を把握していた───そのつもりであった。

 ルークとは好んで試合をしていたわけではないが、努力家のイリスにとっては数少ない組手相手であり同年代の、しかも異性となる相手はルークただ一人であった。

 そして昔から組手をしていたイリスにとってルークは取るに足りない相手であり、剣術も膂力も魔力もそのすべてにおいて秀でるものがルークにはなかったと感じていた。

 しかし今、目の前にいる男はそんな過去のルークとは似ても似つかない力強さを持つことでイリスを組み伏せ、獣じみた男がもたらす独特の性の恐怖をイリスという少女に与えていた。

 ルークのギラギラとした目つきが自身を性の対象として捉えていることを否が応でも実感させられ、この後に待ち受ける事実を察した。

 そしてこの日まで続いた眠れなかったことによる体力の疲弊、代り映えのない部屋に閉じ込められたことによる気力の摩耗、加えてそんな事態をもたらしたのがかつての旧友であったことがイリスの心を蝕み、緊張状態に陥ったイリスは残された僅かな力で抵抗するも虚しく押し退けられる。

 先ほどまで流れていた涙は不甲斐ない自身への悔しさであったが、今あるのは恐怖と懇願がこもった落涙。

「いや……っ、やめて……!はなして!いやっ!……いやあぁぁ!!」

「おとなしくしろ!

「やだっ!、いやだぁ!!はなして……!た、たすけて!おねがい……!たすけて、だれか……!姉さまっ!……クラウスっ!!」

「……ちっ!」

 無我夢中で必死に叫び、押さえつけられ手足をじたばたと動かし抵抗するイリス。それに対しルークは上から覆いかぶさるよう体重を込めて首を絞める。

「ぁが、っぐ……ぅ!」

 時間にして数十秒。

 死なないように、されど強く絞め続けたことにより、暴れていたイリスの四肢はだらりと垂れ下がり意識を失う。

「………やっとか」

 そうして無抵抗なイリスの制服を強引に引きちぎり、露わになるのは下着に包まれたイリスの豊満な胸。

 シンプルな白を基調に所々にあしらわれたレースが大人らしさと年相応な少女らしさを演出していたそれを味わうように、ゆっくりとルークは手のひらで包むこむ。

「はっ、笑えるぜ……これは弱いお前の“心”が生んだ結果だ。てめぇはおとなしく、特等席でこいつが壊れるザマを見てな。一生そこから出られないんだからな!」

 ルークは一人、誰を聞くものがいない空間で言い聞かせる笑う。

 そしてイリスのスカートの中、ショーツを片足から外したところで───

「───あ。王女様みーつけた」  

 気の抜けた少女の声が前触れもなく廊下に響き渡る。
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