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五章 王の呪い
五章八話 『イカの化け物』
しおりを挟むルークがクラーケンによって海に引きずりこまれた。
そう理解した瞬間、ティアニーズの体は無意識に走り出していた。本来ならばその身をていしてエリミアスを守らなければならないのだが、その責務を投げ出す事になんの躊躇いもなかった。
「ルークさん!!」
「バカ野郎、勝手に行くな!」
「ティアニーズさん!」
「あのバカ……! クソ、姫様はこっちだ!」
ティアニーズの声に反応したのか、巨大な足が一斉に振り上げられ、そのまま甲板を抉るようにして落下した。
轟音とともに船が激しく揺れ、リエルは伸ばした手を引っ込めると、冷静にエリミアスの手を引いて船内に向かって走り出す。
凪ぎ払うようにして暴れる足を飛び越え、そして姿勢を低くして僅かな隙間にスライディング。そのまま間髪入れずに立ち上がり、トワイルとソラを通り越して手摺に足をついて飛び込もうとーー、
「ストップ!」
「きゃっ!」
グン、と服を掴まれて甲板に引き戻され、体勢を崩して背中から落下。今度は襟首を持たれて引きずられながら横へと移動。先ほど立っていた場所が、足によって粉々に砕けた。
「ルークさんを助けないと!」
「助ける! だから一旦落ち着くんだ。無闇に飛び込んだって、水中は奴の得意とする領域だ。君まで掴まってしまう」
「で、ですが早くしないと!」
「ティアニーズ、貴様の知るルークという男はあの程度で死ぬ男か?」
「……! いえ、死んだりしません!」
「それなら良い。とりあえずはこの危機を脱するぞ」
ソラの言葉で、ティアニーズの失っていた理性が一瞬にして戻った。あの男は簡単に死んだりはしない。それはティアニーズが誰よりも身近で一番見てきた。
となれば、今やるべき事は、
「甲板に居る人達を中に避難させます」
「そうだね、とりあえず、は!」
真正面。こちらへ向かって来た足をトワイルが剣で斬り裂いた。血飛沫を上げ、軌道が逸れて足が手摺をぶち破って通りすぎる。
剣を振って粘液を払い、
「良かった、戦えない訳じゃなさそうだね」
「とりあえずは避難を優先させる。ルークの事は後回しだ。彼がどれだけ水中で息を止めていられるかにかける」
「……わ、分かりました。ソラさんは私と来てください!」
「了解した」
目的を定め、トワイルとティアニーズはその場を離れる。幸い、船上で暴れる足はそこまでの速度ではない。ウルスという強敵と戦ったあとだからかもしれないが、避ける事は容易だった。
剣で斬り、魔道具で焼き、打てる最善の手を打ちながら倒れている人に駆け寄る。
「大丈夫ですか? 早く船内へ戻ってください!」
「は、はい!」
「おいテメェら、ボサッとしてねぇでお客さんを守れ!」
「「「はい!」」」
肩を貸し、駆け足で船内へと負傷者を避難させる。その際、部下に指示を出すヨルシアの助けもあり、事は迅速に進んで行った。
海の男とは名ばかりではないようだ。
「とりあえずこれで最後です!」
「助かったぜ嬢ちゃん、流石は騎士団ってか。俺はヨルシアだ、よろしくな」
「いえ、当然の務めですから」
「全員の避難は終わった。次は引きずり込まれた兄ちゃんを助け出すぞ」
「ご協力感謝します」
こんな事態だというのに、ご丁寧に自己紹介を済ませるヨルシア。とはいえ、現状海の上で彼以上に頼りになる男はいない。
避難を済ませた数人の部下が船内から戻ってき、そこに紛れてリエルが姿を現す。不機嫌そうに顔をしかめ、ティアニーズに近付いて頭を叩いた。
「ちっとは冷静になったか? アタシが居なかったら姫様がどうなってたか」
「すみません。気が動転していました……ですが、もう大丈夫です」
「なら良い。とっととあのクソ勇者を助けだすぞ」
「とは言ったものの、ルークの居場所が分からんな」
四人は視線を一ヶ所に集中する。
現在、甲板ではトワイルが八本の足と一人で奮闘していた。本体は既に水中へと身を潜めており、本体を叩いて倒すという手段もとれない。仮にその方法が成立するのだとしても、ルークやヨルシアの部下を助けてからだろう。
次にやるべきは二人の救助。
既に時間は一分以上経過しておら、呼吸を止めていられる時間は限界に近いだろう。
辺りを見渡し、ソラが呟く。
「下手に刺激を与えて逃げられたら終わり、だな。とりあえずルークの居場所さえ分かればなんとかなるが……」
「居場所さえ分かれば良いんだ? よし、やるぞテメェら。魔法を使える奴は位置につけ、それ以外の奴はマストを守りつつあのどでけぇ足を刻んでやれ!」
ヨルシアの声に、部下の男達の雄叫びのような叫びが響き渡る。それに続き、ティアニーズ達も一斉に走り出した。
方法は分からないがとりあえず斬る、その方向で全員の考えは一致したようである。
炎の魔法が飛び交い、切れた足から溢れた血が甲板に流れ落ちる。その中をティアニーズ達四人はトワイルに向かって走り抜ける。
ミールのお墨付きもあり、リエルの戦闘能力の高さには目を見張るものがあった。
「オラァ! 」
手にしているのは細剣だが、その戦い方は荒々しい。しなる刀身を振り回し、折れそうになりながらも構わず斬り捨てる。身軽な身のこなしで掴まる事を避け、追撃の一撃を叩き込む。
小さな体からは想像出来ないが、彼女のそれはルークに似ていた。
「足に捕まったらアウトだ! 出来るだけ魔法を使える奴と組んで戦え! 海の男の見せどころだ!」
そしてヨルシア。
こちらは見た目通り、大きな鎖つきの鉄球を器用に吸盤の隙間に振り下ろしている。その節々に繊細さが伺えるのは、彼の性格がにじみ出ているからだろう。
鼓舞し、支え、船長としてのあり方を体現しているようだ。
彼が居るから部下は戦え、部下がいるから彼が戦える。
海の男云々の前に、ヨルシアにはそういった人を率いる才能があるのだろう。
「私も負けていられない!」
「頑張れ、私を全力で守るのだ」
気合いを入れて剣を握るが、戦力外の精霊さんが背後からいらん事を口走る。ルークが居なければ、ただの偉そうな少女なのである。
無意識に出てしまった呆れ笑いを唇を噛んで殺し、目の前に迫る足に向かって剣を振り上げる。
「ハァーー!」
ティアニーズだって確実に強くなっていた。彼女の意思の強さは元々だが、ルークとともに死線を越える毎に、肉体がそれに追い付き始めている。
その男が、今死にかけている。
一刻も早く助け出す、彼女を突き動かしているのはそれだった。
「トワイルさん! 大丈夫ですか!?」
「あぁ、なんとかね。身体中がぬるぬるだけど」
「粘液も滴る良い男ってかッ」
「粘液と良い男の組み合わせは、俺が初めてかもしれませんね」
「無駄口叩いてる暇あんなら戦え! 来るぞ!」
一ヶ所に固まり、背中を合わせる四人人。
その四人に向かい、数本の足が巻き付くようにして迫る。
その四人の中心で囲まれるように立ち、なにやら指揮官を気取って腕を組むソラ。ニヤリと口角を上げ、
「やってしまえ」
その合図を期に、四人が一斉に武器を振りかざした。巻き付こうとしていた足が跳ね、先端が鉄球によって弾け飛ぶ。斬られ、上がった足から大量の血が雨のようにして降り注ぐ。
そして、怒りに満ちた咆哮とともに、本体が海面から姿を現した。
こうしてマジマジと見ると、とにかくデカくて気持ち悪い。巨大な口はうねうねとしたひだがついており、ワカメとかひっついている。ヨダレらしきものが飛び散り、臭いはそりゃもう凄い臭い。
「ようやくお出ましか。うッし、テメェら、特大のをぶちかましてやれ!」
部下が構え、照準を合わせるようにしてクラーケンに手を向ける。ひかり、そして大量の魔法が一斉にして放たれた。逃がすまいと間髪入れずに放ち、炎の弾幕がクラーケンの顔をおおう。
ティアニーズとトワイルも一歩踏み出し、
「こういう時にメレスさんが居れば楽なんだけどね」
「無い物ねだりしても仕方ありませんよ」
魔道具が輝き、特大の炎の玉が一直線に突き進む。それと比べて弱々しいが、トワイルの放った炎も真っ直ぐと進む。
その他大勢の魔法が一つに交わり、大きな炎の塊となり、クラーケンの顔面らしき場所へと激突した。
「ジャァァァァァァァァ!!」
耳をつんざくような絶叫。のけ反るようにして本体が後ろに逸れ、それと同時に十本の足が海面から飛び出して来た。
ティアニーズは確かに見た。
その内の一本に、ルークが捕らえられているのを。
「気持ちわりぃんだよクソが!」
「ルークさん!」
「あ? ヘルプ! はよ助けーー」
なんだか思ったよりも元気そうである。が、最後まで告げる事なく再び海へと沈んで行ってしまった。
変な空気が流れ、全員の意見が口にしなくても分かる。
ーー元気じゃん、だろう。
「俺の部下も無事だ! そんでこれからどうする!」
「ソラさん!」
「あとは私に任せろ。行って来る」
「え?」
格好良く手を振り、ソラは一気に駆け出した。どんどん加速し、壊れた手摺を通り過ぎると、『とうっ!』という掛け声とともにそのまま海面へとダイブ。 とても綺麗な飛び込みだ。
ソラの姿が見えなくなってしまった。
静まり返り、
「な、なにしてるんですか!!」
「あの精霊なに考えてやがんだ!」
「向こうはソラに任せる、俺達はこっちの相手が先だよ」
「あぁ、こりゃ完全にキレちまってんな」
ソラの奇行に叫ぶティアニーズとリエルだったが、背後の違和感に誘われるように振り返る。
元々濁った白色をしていたが、完全に色が青紫へと変色していた。どこが顔か分からないので確証はないが、ヨルシアの言う通りに怒っているようだ。
口元のひだが蠢き、なにか黒い液体が溢れ出す。奇妙な音を漏らしながら、本体が体を揺らす。そして、ティアニーズ達に狙いを定めるように止まると、
「やべぇ、逃げろ!」
ヨルシアの叫びに体が無意識に走り出していた。散り散りになって全力で駆け出し、その背後をなにか黒い物体が通り過ぎる。
その黒い物体は甲板の床をぶち破り、船底まで貫通した。
「な、なんですかあれ」
「墨だよ」
「墨って、あのイカ墨ですか!?」
「クラーケンは墨を勢い良く吐き出せんだ。食らったら体に穴空くぞ」
幸い、全員無事のようである。
隣のヨルシアが半笑いなのを見るに、あながち間違ってはいないようだ。
まさに海の悪魔。
ティアニーズの知っているイカ墨とは違うが、そもそもイカの範疇を飛び出している。
「そんで、これからどうする。あぁなったクラーケンは厄介だぞ」
「は、はい。でも大丈夫です、きっともうすぐ来ますから」
「来るって、なにがだ」
「それはーーあぁ、来ましたよ」
再び墨を吐こうとした瞬間、クラーケンの体が揺れる。体をひねり、吐き出した墨の塊が船を逸れて海面へと放たれた。
そして、とん、という足音とともに誰かがティアニーズの横に降り立った。
右手に剣を握り、左手にはヨルシアの部下を抱えている。
ずぶ濡れになりながらも、ルークは微笑んでいた。
「好き放題やってくれやがったなイカ野郎。クッキングタイムだ、イカ焼きにしてやるよ……!」
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