社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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133.beloved①

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「三浦、今日ひま?良かったら一緒に晩メシでも食べて帰らないか?たまには俺がおごっちゃる」

定時間近の研究室にたまたまお使いに来て、偶然通りかかった松浦に夕食に誘われる。あれから彼は私の事を気遣ってくれ、こうして誘ってくれる事が度々あった。ただ、いつも割り勘のはずでこんな風に誘われるなんて珍しい。これには何か魂胆があるのではと少し勘繰る。

「なんでよ?なんか企んでるの?」

つい松浦だと可愛くない態度で応えてしまうのは日常茶飯事。それに慣れている松浦も嫌味の応酬は当たり前。

「お前は素直じゃなくて可愛げのないオンナだな。たまたま気が向いたんだよ」

「なんだ、そんな理由...」

特に他意もない気まぐれなら誘いに乗っても悪くない。それならとスマホのカレンダーアプリを立ち上げると今日は既に別の予定が入っていた。

「あ、ごめん。今日は習い事があるからまた今度ね」

「なに?またぁ?」

以前にも断ったのを覚えている松浦が少々不機嫌になり、口を尖らせる。

「今度は何やってんだよ?」

「えーと、簿記の資格でも取ろうかと...」

決して後ろめたいものではなかったのだけれど、誘ってもらったせいか何となくバツが悪い。小声で答えると、松浦は小さな溜息を吐く。

「はっ、社会人になって資格の勉強なんて良くやるね。ま、いいけど」

ここまで言うと滅多に食い下がられることはなくて「三浦のくせに生意気」と言われたけれど、松浦も話せば、案外、話のわかるヤツなのだ。私がこんな風に勉強しだしたのは藤澤さんがうちの会社を辞めて、少ししてから。いざ、冷静に1人になると彼の事を常に考えてしまいそうで怖かったから、わざとスケジュール帳に予定を無理やり詰め込んで忙しくしていた。

最初はお遊びみたいな習い事ばかりだったけれど、次第に仕事に役立つものを選ぶようになったのは自分のスキルアップの為。管理部にいた頃は仕事を辞めたくて仕方がなかったのに今はその仕事を支えに縋って生きている気がする。忙しければ忙しいほど彼のことを考える暇がなくて、都合が良かった。

これも、あの時に私が仕事を辞めるのを止めてくれた岡田課長代理のおかげ。そして、直接的ではないけれど真央ちゃんのおかげ。その2人が付き合い始めたと聞いた時は自分のことのように嬉しかった。

※※※

今日はいつもの時間帯より遅いお昼休憩。珍しく昼食時間に社食でランチができて、食後の一服でカフェオレが冷めるのを待っていると向かいの席に誰かが立っている気配がする。

「こちらに相席してもいいですか?」

「あ、はい...」

その時は誰だかは気にも留めなかったけれど、目の前に座ってきた相手を見て改めてギョッとしてしまう。目の前に座ったその人は岡田課長代理...いや、今は出世して次長だった。営業部に異動した今は、管理部と殆ど接点がなかったのでそれはそれは恐縮する。

...私、何か失敗したかしら?

営業部と接点のない管理部のしかも偉い肩書きの岡田次長がわざわざ私に会いに来るなんて、当時のトラウマでネガティヴな発想しか浮かばない。一時期はこの人の部下であったこともあったので、彼と対峙する時は多少なりとも緊張感を伴う。その緊張が相手にも伝わってしまったのか彼は穏やかに目を細めた。

「...今日はプライベートな事で、三浦さんに用事がありまして」

察しのいい彼の方から先手を打たれ、何だ...と、ホッとすると、岡田次長は自分のコーヒーに砂糖を少々入れた後、小声で小さく私に頭を下げる。

「先日は妻のお見舞いありがとうございました。お陰様で先週末退院しました」

妻というのはもちろん真央ちゃんの事。彼と真央ちゃんは同棲してから一年も経たずに授かり結婚をして、つい先日に出産したばかり。2人の関係を知っている私と真奈美ちゃんとで先日その出産先へお見舞いに行ったばかりなのだ。

「退院おめでとうございます」

私も周りに気がつかれないよう小さく頭を下げると、岡田次長も私と同じように小声で恐縮していた。

「いやいや。こちらこそ気を遣わせてしまってすみません。でも、妻が大変喜んでおりまして。また、宜しければ西嶋さんと一緒に自宅にでも遊びに来てやって下さい」

そう言い残すと彼は立ち上がり、また忙しそうに自分の部署へと戻って行く。話したのはほんの数分の出来事だった。分刻みに忙しい人がわざわざ私にお礼を言いにここまで来てくれたという事にすごいなと感心してしまう。

そんな彼は同棲する時もほぼ結婚前提という気持ちで、子供ができた時も躊躇う素振りは全く見せず、むしろ凄く喜んでくれたらしい。真央ちゃん自身はその事実にピンとこなかったみたいだけれどその話を聞いた私は、彼女は彼から凄く愛されて大事にされていると思った。今の私にはそこまで思ってくれる人はいないから少しだけ彼女が羨ましくなる。

気がつくと私は、同期の何人かちらほら結婚退社するアラサーの年代に差し掛かっていた。

だから、結婚は身近な話であり、その相手には初めての恋の時のように全身全霊を捧げるような恋をしてしまう相手でなく、穏やかな恋をしていけるような相手がいいと思っている。

そう思うようになったのは間違いなくあの人のせい。
 
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