社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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53.trigger④

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「おまたせしてすみません」

水族館から出る前に寄ったトイレから戻ると、藤澤さんはおみやげ物コーナーにいて何やら物色中。すぐ近くまで近づくと、彼が見ていたのは可愛らしいペンギンのぬいぐるみだと分かり。

「そんなにペンギンが好きならこれを買ってあげようか?」

さっきの私の言葉を鵜呑みにした彼に勧められても、素直に受け取れなかった。

「だ、大丈夫です、お気持ちだけで。さあ、帰りましょう」

その場所から逃げたくて、彼の腕を取り、閉館間近の水族館から外に出るとどんよりと曇り空。

「...遠慮しなくてもよかったのに」

藤澤さんはいい記念になるよと笑ってくれたけれども、みすみす自分の盛大な勘違いの物的証拠を買ってもらうわけにはいかなかった。

「こ、今度、よろしくお願いします」なんて意味不明なことを言うと、彼はいつもの様にさりげなく手を繋いでくる。手を委ねた私は火照った頬に当たる冷たくて心地よい潮風の方向を眺めた。

「ここから海に出られるんですね」

駐車場に戻る途中の道すがら、遠目に広がるのは夕日が沈む直近の海岸線。
そんな場面を見る機会は珍しかったのでそちらの方ばかり眺めていると、「散歩でもする?」と聞かれて素直に頷く。
そうして、いつもみたいにのんびり歩調を合わせてもらっていたら、波の間に混じって人影が見え、驚きの声を上げる。

「こんな寒いのに海の中に人が!?」

彼の方はさして驚きもせず。

「あれはサーフィンしているんだよ。冬でもサーフィンをする奴はするから」

...こんな寒いのに?

冬場に海に入るのは、寒中水泳とか、どちらかというと遊びとは無縁なことしか知らない私は軽くカルチャーショックを受けていた。

「...寒くて風邪ひきそう」

「まぁ、この時期に海に入るのはよほどのバカだけだと思うけど。冬はウエットスーツというものを着ているから周りが思うほど、寒くはないんだよ。こういうゴム製の...」

身振り手振りで分かりやすく教えてくれる彼の相変わらずの博識ぶりには、舌を巻いてしまう。私が感心しきりでいると、さっきまで饒舌に語っていた彼が口元に手をやり口ごもる。

「なんでも知っているわけじゃないけど...学生時代に田山がやっていたから多少ね。まあ、そんなのはどうでもいいよ。ほら、もう、寒くなるから車に戻ろう」

そう言いつつ、彼は私の返事を待たず方向転換。
海から町の方に向かう途中、藤澤さんがある方向を見て「げ...」と小さく声を上げるのが聞こえた。
私もその声につられてそちらに顔を向けると、向こうからの人影が散歩中の犬を引っ張るようにして、こちらに小走りしてくるのが見える。

ずっとその人影を黙って見ていた藤澤さんは、その場から動かずに、繋いでいた手を後ろ手に隠すようにして私を自分の背後へと追いやった。

その時、繋がれていた手は彼の方からはなされ...。

その正体は、息を切らしながら人懐っこそうな笑みを浮かべてやって来た大柄な男性。すぐさま、私たちの存在を確かめる。

「やっぱ、藤澤じゃん!」

...え?知り合い?

その人は藤澤さんの肩をバシバシと叩き、とても親しげに話しかけてきてるのに、彼の方は警戒しているそぶりを見せた。

「なんで、お前がここに?」

お友達に対して、会社にいる時よりもちょっとつっけんどんな言い方。
それでもお友達はお構いなしで、藤澤さんのこういう態度には慣れているみたいだった。

「なんでって...今年からこっちに引っ越してきたんだよ。この間、送った年賀状の住所はこっちの住所になっていただろう?」

「...そういえば」

藤澤さんの同調と、『年賀状』という聞きなれたキーワードでやっぱりお友達だと確信したけれど、藤澤さんの表情は固いまま崩れない。
それにも関わらずお友達はマイペースに話を進め、私の方にも関心を向けてきた。

「...そちらさんは?」

藤澤さんの身体越しにのぞき込まれる視線に少し動揺して、藤澤さんの陰に少しだけ隠れる。お友達は私を紹介しろと彼にせっつくようにせがみ、その要望になかなか藤澤さんは応じようとはせずに、ようやく。

「彼女は...」

彼が私のことを紹介してくれようとしたけれど、なにやら困っている。
それを察してしまった私は背後から二人の間に割って入り、自分から自己紹介をした。

「あの...はじめまして。三浦ユリと、申します。...私、お邪魔だと思うので、向こうの方へ行ってますがよろしいでしょうか?」

「あ...うん」

その突飛な行動に藤澤さんは呆気に取られ特に止められもせず、私は二人に会釈をして、車が置いてある駐車場の方へと向かう。
そして、屋外の駐車場の彼の車までたどり着き、風除けに寄っ掛かると、障害物が殆どなかった為に彼らはここからでもよく見えた。
2人とも背が高く、特にお友達の彼の方は細身の藤澤さんと違って恰幅がよかったので、個々の判別はすぐできる。
お友達は、お散歩中のワンちゃんを足元に置きながら煙草を吸っているみたいだった。

そんな風に2人の事を眺め、彼が戻るのを待っていると、手の暖かさは次第に薄れてゆく。暖をとろうと冷たくなった手に白い息を吹きかけると、藤澤さんのさっきの戸惑う様子が頭に浮かんで。

...彼女だって紹介してもらえなかった。

彼が近くにいないせいか、私は湧き上がる劣等感を抑えきれない。



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