社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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113.異動②

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「こちらの講座を受け持つ事になりました第1管理部の岡田です。本日は初日でもありますので概略を...」

自己紹介をする課長代理の澱みなく話す言葉は1番後ろの席の私たちまでよく聞こえる。全ての座席が埋まっているのにも拘らず、普段と同じように臆する事なく話せる課長代理には威風堂々という言葉がよく似合っていた。大人数の中で話す事に緊張しないなんて流石としか言いようがない。

岡田課長代理の前職は営業の管理職課長。その経験があるせいか澱みなく繰り出される話術により、この場が彼に引き込まれるのは大して時間がかからなかった。

...やっぱり、すごい経歴は伊達じゃない。

彼が真央ちゃんの上司だった時は、彼女から「底意地が悪い」とか「」とかしか聞かされておらず、彼が噂の主だと知った時は戦々恐々したものだ。けれど、仕事をアシストさせてもらう間柄で日々を過ごすうちにその華麗なる経歴は否応なしに私の耳に届いた。

もともとは課長代理は、営業職ではなく知的財産権(特許権)という分野の難関資格を持つエキスパート。その関係で海外の支社にいた所を呼び戻されたらしい。うちの課はその知的財産権を扱う機会の多い課。仕事を覚えていく過程で課のトップの富永課長と岡田課長代理はとても親しい間柄だと知り、この2人は課の実質ツートップだった。今回のこの講座も知的財産権絡みで当初の担当講師は富永課長だったものの、この手の雑務を嫌う彼は、急遽、岡田課長代理に白羽の矢を立てたのは分からなくもなく。

因みに富永課長も真央ちゃんが入社当時にお世話になった元上司課長で、その人の異動に伴い新たに赴任してきたのが岡田課長代理。2人とも彼女にすれば同じ課長なのに、私に話す時には好き嫌いがハッキリしていた。

その課長を目の前にして真央ちゃんは目をまん丸くして聞きながら、小さく驚きの声を漏らす。

「...なんでがここに!?」

その声が聞こえていたわけではないと思うけれど、私たちの動きがおかしかったのか、マイク越しに「静かに」と注意されてしまう。一気に注目されてしまった私たちは肩をすくめ、その場をやり過ごしたものの、彼女はそれでも隣から必死に小声で私に訴えた。

「ゆ、優里ちゃん。これはどういう...?」

肘で腕をツンツンと押され、言いたいことが分かった私は片手で真央ちゃんを拝む。

「ごめん。事情は後で...」

この講座のレポートが待っていた私は、とりあえずこの講座に集中させてもらう事に。気がつけば、しんと静まりかえる会議室の中、知的財産権の管理とかいう小難しい話に耳を傾けていた。それを聴きながら、この手の話は藤澤さんに教えてもらった事があると、朧げながらに記憶を辿る。

...『知的財産権』とは平たく言うと特許の事だよ。

営業部にいた頃には、商品の特許権が切れると売り上げに関わるとかくらいの知識しか私にはなく、その辺りも藤澤さんの受け売りだった。

例えば自社が開発したものがもう既に他者に開発されて特許申請されていたのなら、特許権の侵害に当たり、訴訟を起こされ多大なる賠償金を請求されても文句は言えない。その逆に稀に見る画期的なものを開発したのなら、すぐさま特許申請して、そのライセンスを他社に貸し出すなりしてお金に変えればいい。その利益というのは簡単に言っても莫大なもので特にうちの業界は新商品の販売のスパンが短い開発競争が熾烈な業界。一つ当たれば株価にも影響するし、都心に自社ビルすら建つほどのものだという事。

課長代理の話を改めて聞いていると、藤澤さんはこの分野にも精通していたのがよく分かる。辺りを見回すと白衣こそ着ていないけれど研究職の人間が多い気がした。

私が所属している管理部の人間の殆どが、課長代理と同じ資格を有する。その中で私はなんて場違いな人間なのだろうと思う。それでも藤澤さんがまだ日本にいたのならこんな私でも仕事上、彼の何か役にたったかもしれないと、会社では彼の影を追い、つい、思い出してしまっていた。

このまま音信不通で、また会うことなんてできる?とか。
待っててほしいのなら、一旦、別れる意味はなんだろう?とか。

この会社で待つしかできない私は、藤澤さんの想いが想像できない。
最後の手紙に書かれた事に縋るしかできないのが歯痒かった。


「...優里ちゃん?」

「...な、なに?」

彼への想いに耽っていると、不意に肩を軽く叩かれた気がして狼狽える。ちょうど講座が終盤に差し掛かり課長代理が終了の挨拶をしていた所で。その挨拶のあと、彼と目が合いマイク越しに名前を呼ばれる。呼ばれた理由はここの片付けの件だと分かっていたので真央ちゃんには先に帰ってくれるようにお願いした。それを聞いていたはずの彼女は他の人たちと同様に帰り支度はせず、どういうわけかスーツの上着を椅子に引っ掛ける。

「帰らないの?」

私が筆記用具を片付けながら首を傾げると、彼女も片付けてはいたものの上着はそのままに。

「私も手伝うよ。早く終わらせて一緒に帰ろ」

こういうの、ちょっと嬉しい。
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