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第二章 諦めない70日間
52:素の笑顔を見れる日が来るなんて(ディライン視点)
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学園の職員塔にある転移陣への通路は、何らいつもと変わらない。だが今の私には、いつもより何倍も色鮮やかに見える。
歩を進めながらも脳裏に過ぎるのは、つい先ほど眼前に花開いたアルフィールの笑顔。そして子猫を見つめる優しく緩んだ瞳と、膝上に感じていた羽のように軽い彼女の温もり。
怪我が嘘とも知らず、子猫を心配するあまり飛び込んで来た彼女が転びかけた時には肝を冷やしたが、抱き止めた時の柔らかな感触は何にも喩えられず……。
「殿下さぁ。無駄に色気を撒き散らすのやめてくれない? ボク、その気ないのに変な気持ちになりそう」
「……色気? ラス、何の話だ」
「まったくもう……無自覚でこれだから困るよ」
急に意味不明な事を言い始めたラスは、肩をすくめながらもクスクスと含み笑いを漏らしている。ついアルフィールの事を考えてしまっていたが、何があったというのか。
「何の話か分からないな。言いたいことがあるなら、もっとハッキリ言え」
「あそこを曲がった先に教師がいるから、表情を引き締めた方がいいって言ってるんだよ」
「そんなに緩んでいたか?」
「緩んでたよ。ねえ、ジェイド?」
「そうだね。殿下にしては珍しく」
いつもなら笑うラスを窘めるだろうジェイも苦笑して同意するし、リウに至っては嬉しそうに微笑みながら何度も深く頷いている。それほど顔に出ていたというのか……。
「分かった。善処しよう」
この国の第一王子として、私は幼い頃から厳しい教育を受けてきた。
王位は男子継承となっているが、長男だからといって王太子になれるわけではない。国内に抱える魔の森と常に対峙する国王には、いざという時に行使できる強い魔力と臣民を鼓舞し率いるだけの資質、平時の政務能力など多くの事が求められている。そのため私と二つ下に生まれた弟は、どちらが次期国王に相応しいかを常に見られてきた。
だから私は、日頃から本心を顔に出さないよう気を付けているのだが、この三人が言うのだからそうなのだろう。
非常に不本意ではあるが、彼らはただの側近候補という枠に収まらず、これまで何かと協力してきてくれた大切な友人たちだ。ここ最近の出来事と今日の一件に、私がどれだけ喜びを感じているのかは筒抜けだと思うし、深く言及されないだけ良しとしなければならない。
(これぐらいは許してほしいものだがな。何せ、あのようなアルフィールの笑みは初めてだったのだから)
私にとってアルフィールは、ただの政略結婚の相手ではない。王太子に指名される事を目指して、常に緊張した日々を過ごしていた私の心に温もりを与えてくれた、特別な女性だった。
(顔合わせの席で倒れられた時は本当に驚いたが。私の不安を掬い取ってくれたのは嬉しかった)
今でもありありと思い出せる。城の庭園で初めてアルフィールと会ったあの日、婚約者となる女性が気を失ったというのに、私は彼女を抱き止める事が出来なかった。
最も力ある公爵であるメギスロイス卿の不興を買えば、立太子への道が閉ざされてしまう。あさましくも私は、倒れた彼女の心配より先に恐怖に慄き、アルフィールが目を覚ますまで何度となく見舞いに足を運んだ。
そうしてようやく彼女が目を覚ました時。私は不安なあまり、つい涙目になってしまった。そんな私に彼女はぼんやりとしながらも手を伸ばし、『ディー様、泣かないで』と言って私を抱きしめた。
父も母も、国王と王妃として私や弟に接しはしても、抱きしめたりはしなかった。おそらく乳母に抱きしめられた事はあっただろうが、当時すでにその記憶もなかった。
だから私は、あの時初めて優しく抱きしめてもらったようなもので。相手は一つ下の女の子だというのに、その細腕で抱きしめられた事がどうしようもなく嬉しかった。見舞ったのは私だったはずなのに、私の方が彼女の優しさに救われたのだ。
そのままうっかり涙腺が決壊し、アルフィールを抱きしめながら『良かった』と何度も呟いて目覚めを喜んで。そうしているうちに、まだ体力が戻りきってなかったアルフィールはまた眠ってしまって。
彼女の寝顔を見ながら、もう二度とこんな情けない姿は見せないと心に決めて。その日から私は、彼女と並び立つ未来を夢見て、より一層勉学に励むようになったのだ。
……もっともその数日後、元気になった彼女から、婚約話はなかった事にしたいと言われて困惑したのだが。あの時ばかりは、婚約をすぐに結んでおいた自分を褒めたものだ。
(アルフィールを幸せにするためにも、必ず王太子の座を得てみせる。腑抜けている場合ではないな)
第一王子たる私が気を抜けるのは、シールドを幾重にも張り巡らせた王宮の自室と執務室だけだ。私は表情を引き締め、転移陣を踏んだ。
歩を進めながらも脳裏に過ぎるのは、つい先ほど眼前に花開いたアルフィールの笑顔。そして子猫を見つめる優しく緩んだ瞳と、膝上に感じていた羽のように軽い彼女の温もり。
怪我が嘘とも知らず、子猫を心配するあまり飛び込んで来た彼女が転びかけた時には肝を冷やしたが、抱き止めた時の柔らかな感触は何にも喩えられず……。
「殿下さぁ。無駄に色気を撒き散らすのやめてくれない? ボク、その気ないのに変な気持ちになりそう」
「……色気? ラス、何の話だ」
「まったくもう……無自覚でこれだから困るよ」
急に意味不明な事を言い始めたラスは、肩をすくめながらもクスクスと含み笑いを漏らしている。ついアルフィールの事を考えてしまっていたが、何があったというのか。
「何の話か分からないな。言いたいことがあるなら、もっとハッキリ言え」
「あそこを曲がった先に教師がいるから、表情を引き締めた方がいいって言ってるんだよ」
「そんなに緩んでいたか?」
「緩んでたよ。ねえ、ジェイド?」
「そうだね。殿下にしては珍しく」
いつもなら笑うラスを窘めるだろうジェイも苦笑して同意するし、リウに至っては嬉しそうに微笑みながら何度も深く頷いている。それほど顔に出ていたというのか……。
「分かった。善処しよう」
この国の第一王子として、私は幼い頃から厳しい教育を受けてきた。
王位は男子継承となっているが、長男だからといって王太子になれるわけではない。国内に抱える魔の森と常に対峙する国王には、いざという時に行使できる強い魔力と臣民を鼓舞し率いるだけの資質、平時の政務能力など多くの事が求められている。そのため私と二つ下に生まれた弟は、どちらが次期国王に相応しいかを常に見られてきた。
だから私は、日頃から本心を顔に出さないよう気を付けているのだが、この三人が言うのだからそうなのだろう。
非常に不本意ではあるが、彼らはただの側近候補という枠に収まらず、これまで何かと協力してきてくれた大切な友人たちだ。ここ最近の出来事と今日の一件に、私がどれだけ喜びを感じているのかは筒抜けだと思うし、深く言及されないだけ良しとしなければならない。
(これぐらいは許してほしいものだがな。何せ、あのようなアルフィールの笑みは初めてだったのだから)
私にとってアルフィールは、ただの政略結婚の相手ではない。王太子に指名される事を目指して、常に緊張した日々を過ごしていた私の心に温もりを与えてくれた、特別な女性だった。
(顔合わせの席で倒れられた時は本当に驚いたが。私の不安を掬い取ってくれたのは嬉しかった)
今でもありありと思い出せる。城の庭園で初めてアルフィールと会ったあの日、婚約者となる女性が気を失ったというのに、私は彼女を抱き止める事が出来なかった。
最も力ある公爵であるメギスロイス卿の不興を買えば、立太子への道が閉ざされてしまう。あさましくも私は、倒れた彼女の心配より先に恐怖に慄き、アルフィールが目を覚ますまで何度となく見舞いに足を運んだ。
そうしてようやく彼女が目を覚ました時。私は不安なあまり、つい涙目になってしまった。そんな私に彼女はぼんやりとしながらも手を伸ばし、『ディー様、泣かないで』と言って私を抱きしめた。
父も母も、国王と王妃として私や弟に接しはしても、抱きしめたりはしなかった。おそらく乳母に抱きしめられた事はあっただろうが、当時すでにその記憶もなかった。
だから私は、あの時初めて優しく抱きしめてもらったようなもので。相手は一つ下の女の子だというのに、その細腕で抱きしめられた事がどうしようもなく嬉しかった。見舞ったのは私だったはずなのに、私の方が彼女の優しさに救われたのだ。
そのままうっかり涙腺が決壊し、アルフィールを抱きしめながら『良かった』と何度も呟いて目覚めを喜んで。そうしているうちに、まだ体力が戻りきってなかったアルフィールはまた眠ってしまって。
彼女の寝顔を見ながら、もう二度とこんな情けない姿は見せないと心に決めて。その日から私は、彼女と並び立つ未来を夢見て、より一層勉学に励むようになったのだ。
……もっともその数日後、元気になった彼女から、婚約話はなかった事にしたいと言われて困惑したのだが。あの時ばかりは、婚約をすぐに結んでおいた自分を褒めたものだ。
(アルフィールを幸せにするためにも、必ず王太子の座を得てみせる。腑抜けている場合ではないな)
第一王子たる私が気を抜けるのは、シールドを幾重にも張り巡らせた王宮の自室と執務室だけだ。私は表情を引き締め、転移陣を踏んだ。
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